第23話 ほんとうの想い
夢うつつの中、空は手に伝わる暖かさに口を笑みの形にした。
今日は嬉しいことでいっぱいだ。
教室で初めて陸に声を掛けてもらった。
これまで陸とは学校ではほとんど直接会話をしなかった。空の方からも特別な理由がない限り話しかけようとしたことはない。
陸が教室で目立つのを嫌がっていると思っていたからだ。
でも、もうきっとその心配はいらないのだろう。
まさかみんなのいる前で保健室まで引っ張ってきてくれるとは思ってもみなかった。
お互いに、変わったのだと初めて理解できた気がする。
そんな幸せな思いを噛みしめながら、空の意識は夢の中へと溶けていった。
◇
空が目を覚ましたのは放課後になってからだった。
目を覚ますまでの間にクラスを代表してなぜか千秋が様子を確認に来てくれた。
「にゅふふ~お熱いですな~」
「うるせ」
手をつないだまま眠る空の姿を見て、にやける千秋を追い払う。
クラスメイトや担任にはうまく言っておくと残して千秋は去った。だがおかげで放課後まで空をぐっすりと眠らせてやることが出来たから一応感謝しておくことにする。
「ん……今、何時?」
目を覚ましてぼんやりとした目で訊ねて来る。まだ半分寝ているようだ。
「もう17時だな」
保健室に連れてきたのが5時限目の授業中だったから、もう数時間は寝ていたことになる。
「そっかぁ、ありがとりっくん。傍に居てくれて」
にっこりと笑いながら空が礼を言ってくる。その顔に少しどぎまぎして、誤魔化すように口を動かした。
「結局どうして寝不足だったんだ?」
「あー、うん。それね……」
空の目が言いづらそうに横へ泳ぐ。
「別にりっくんのせいっていうわけじゃないんだけど、ちょっと寝付けなくって」
「……まぁ羽のせいもあるか」
「まぁね……」
本当は陸にどう答えたらいいのかずっと考えていて、気が付いたら明け方だったと言うだけの事だ。だが目の前で、暗い顔をする陸を見ていると、空の心は締め付けられるように苦しくなる。
「りっくんがこうやって傍に居てくれたら大丈夫だよ」
「空?」
横になっていた空が体を起こす。
かけ布団がずり落ちて、ベッドの上でぺたんと座った空が椅子に腰かけた陸と目線を合わせる。
「一つ、聞いておきたいんだけど」
「な、なんだ?」
いつになく真面目なトーンで、陸は身構える。
「りっくんは、千秋ちゃんのことどう思ってるの?」
「……は?」
予想だにしない言葉に陸の目が点になる。
「何で今、千秋の話が出て来るんだよ」
「……この前、そこのところで」
空が背後の窓を指さす。
窓には傾きかけた日が照らすグランドが見えている。
「キス、してたでしょ」
「はぁっ!? き、キキキキス?!」
「とぼけないで、私、見たもん」
そう言う空の目は真剣で嘘を言っているようには見えない。
だが陸にも心当たりはない。
そもそも陸は保健室の厄介になること自体がほとんどないのだから、そんなところで千秋とキスすることなんてありえない――と思ったところでこの前保健室を利用したばかりだったと思い出した。
「あ……」
この前、相本とのバスケが終わった後陸はこの保健室に担ぎ込まれた。隣で付き添ってくれていた空が帰った後相本がやってきて、その直後に窓の外から千秋に声を掛けられたのだった。
あのときか!
陸の頭の中で点と点がつながる。
おそらく保健室を出た空はそのまま帰宅しようとして、外に出たのだろう。校外に出るにはグラウンド側の通路が一番家の方面に近い。あちら側から見れば千秋の口元に耳を寄せた陸の姿は……無理に解釈すればキスをしている最中に見えないこともなかったかもしれない。
そう言えばあの日、家に帰った時何故だかやたらと機嫌が悪そうだった。
「ホントに、したんだ……」
「えあっ!?」
その時のことを思い出していて、黙り込んでいた陸を空は事実を認めたと思ったのだろうか。目尻に涙が盛り上がっていく。
「ち、違う違う! そんなことしてない!」
「ホント?」
「ホントだって。お前俺が嘘ついてるかぐらいわかるだろ!」
陸が空の考えていることがなんとなくわかるように、空もまた陸に対しては勘がいい。長年の付き合いの賜物だろう。
「……本当みたいだね」
「当たり前だろ」
少し怒ったような口調で言うと「ごめん」と空が口にする。少ししょげている。
「千秋ちゃんにも、そんな関係じゃないって聞いてたんだけど、どうしてもりっくんから聞きたかったの」
頭を下げて「ゴメン」と謝る空。
「冗談キツイって、誰が好き好んであの女なんかと……」
「でも、私がりっくんといられなかった間ずっと傍に居たのは千秋ちゃんだったから。……私は千秋ちゃんがうらやましかったの」
確かに友達の少ない陸が交流のある女子は千秋くらいしかいなかったが、そこまでうらやましがられるような関係のつもりはなかった。
「やっと戻ってきてくれたりっくんが、また千秋ちゃんと一緒にいるのを見るのは、少しだけつらいよ」
「空……」
「だから、りっくん。お願い、私の傍にずっといてくれる?」
ベッドの上から空が手を伸ばしてくる。
「好きです。りっくんのことが、誰よりも、好き」
目尻に溜まっていた涙が、流れ落ちる。
でもそれは、悲しさや辛さから出た物ではない。
「っ」
気が付けば陸は空の体をぎゅっと抱きしめていた。
衝動に駆られて。
いつもと変わらない暖かさがそこにあった。
だが、今日からはちょっとだけ意味合いの違うものになるだろう。
そんな予感がした。
◇
二人が保健室を出たのはそれからすぐの事だった。
二人の間に言葉は少ない。
だが何も話さなくともいいという安心感があった。
手をつないだまま保健室をでる。
「そらっち」
「っ」
声に振り向く。
そこにいたのは女子生徒だ。
「椎……?」
いつもクラスで見慣れた黒井椎の姿。
だがその雰囲気は記憶の中の彼女と比べて大きくかけ離れていた。顔は青白く、焦点も空と陸をぼんやりと見つめている。絶えず頭をゆらゆらと動かし立ち姿はまるで幽鬼のようであった。
「ど、どうしたの――?」
「それは、こっちのセリフ、だよ」
椎の視線が一瞬で力強いものとなる。
見たこともない目力に握ったままだった手から空の動揺が伝わって来る。
「どうして、そいつと一緒にいるの、かなあ? そらっちは、さあ、相本君に告白されたんでしょう?」
カッ――
椎が一歩、ゆっくりとこちらに向かって歩き出す。
「だったらさあ、どうして、相本君じゃなくて、そいつと一緒なのかなあ?」
カッ――
普段からぼそぼそと喋る女だと陸は思っていたが、椎の様子はおかしい。
声の抑揚が異常に波打っており、普段よりもさらに聞きづらい。まるで溢れ出る感情を抑え込もうとして、あるいは抑えきれなくて声の大きさに波が出来ているかのようだ。
そして大きい時の彼女の声は、まさしく怨嗟を含んだものだった。
「せっかく、そいつが変だってクラス中にバラしてやったのに、なあんでまだいっしょにいるのかなあ」
その言葉を聞いた瞬間にようやく理解した。
昨日空との関係がクラス中に知れ渡っていたのは椎が言いふらしたからだ。どこで知ったのかは知らないが、剣道部は朝練があるし、隣のクラスにも剣道部員がいたはずだった。
「っ!? あれはお前の仕業か!」
「うるさいだまれ!!!!」
「ひっ!?」
陸の詰問する声をかき消すように、椎が聞いたことのない大声で叫ぶ。
余りの音圧に隣に立つ空が短い悲鳴を上げ、陸は空をかばうように背中に隠した。
「このままじゃさあ、相本君がかわいそうじゃ、ない? そう思うよねえ? だからさ――死んで?」
「っ――逃げろっ空!」
ひゅん、と風を切りながら振り下ろされたそれを躱すことが出来たのは奇跡に等しかった。椎の右手の中には木刀が握られている。どうやら背後に隠し持っていたらしかった。
がんっ、と床にぶち当たった木刀が大きな音を立てる。
背中で押すようにしてかばった空は、陸の言葉に反して目を大きく見開いたまま固まっていた。
「お前、正気か!?」
「正気でこんなこと、出来ると思う……?」
酷薄な笑みを浮かべる椎の顔を真正面から見て、本気だと言うことがはっきりと分かる。
「くそっ」
何が何だかわからないが、今の椎に何を言っても聞く気があるとは思えなかった。
陸は無理やりに空の手を引っ張って駆け出した。
「逃がさない、よ」
背後から聞こえた声がぞくりと背筋を撫でる。
陸は握った手を離さないように、いっそう力を強めた。
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