第20話 露見と進歩


「なぁ空、何かあったのか?」

「ふぇ?」


 家に帰ってきてから空の様子がおかしい。心ここにあらずと言うか、上の空で気が付けば何かにぶつかっているし、急に顔を赤くしたと思えばぼーっと陸の事を見ていたりする。

 正直一目で何かあったと推察できる状況だった。

 そして今晩ご飯の餃子に醤油じゃなくてソースをかけ始めたところで陸は切り出したのだった。


「別に、何もないよ?」


 空はそう言うが、その目は泳いでどこかを見ている。


「嘘つけ。俺がお前の嘘が見抜けないとでも思ったか」

「うっ」


 数年間の空白があるとはいえ、長い付き合いだ。空が嘘をついてごまかそうとしていることくらいは見てわかる。と言うよりもわからない奴の方が少ないだろう。


「そらねえ何かあったの?」


 ここで美里からの援護射撃が入る。

 美里の純粋な視線は空の心を深く突き刺した。


「……今日、相本君からまた好きだって言われた」

「なっ」

「ええぇっ!? そらねえ告白されたの!? 付き合うの? 付き合うの!?」


 呆然とする陸とは対照的に美里は大声ではしゃぐ。今ここには水面が仕事から帰ってきていないため3人しかおらず、止める者はいなかった。ちなみに陸はそれどころではなかった。


「付き合わないよ美里ちゃん。ごめんなさい、ってお断りしたの」



 その言葉に陸はほっと胸をなでおろす。

 自分の知らないところでもし二人が付き合うなんて言うことになったらと思うと背筋がぞっとする。

 だが妹の方は目をキラキラと輝かせて興味津々の様子だった。

「ねぇねぇ、どんなふうに告白されたの?」

「うーん、放課後友達と別れて教室に戻ったらそこに居てね」

「うんうん」

「たまたま二人っきりになったから、って感じかな」

「そうなんだ? 告白って屋上とか校舎裏とかに呼び出す物だと思ってた」

「……うーん、それはちょっとわからないかな」


 困ったような笑みを浮かべて誤魔化す空だが、実際相本には一度屋上に呼び出されている。もしそんなことを言えば目の前の美里がより興奮するのは火を見るより明らかだった。


「でも結局断っちゃったんだ」

「うん、その人とはクラスメイトだと思ってたから。でも、真剣な思いはすごく伝わったよ。ホントは別れた友達と買い物に行くつもりだったけど、先に帰ってもらったし」

「ちぇっ、つまんないの」

「美里ちゃんは私がその人と付き合った方がいいの?」


 おい、間違っても勧めるなよ!? という視線を美里に向けるも、妹は眉間にしわを寄せて「うーん」と唸って、


「そう言うわけじゃないんだけど、コイバナって面白いって友達に聞いたから……あっ、だったらおにいちゃんとそらねえが付き合ったらコイバナが聞けるね」

「ぶふぅっ!? お、おおおおまっ、何言ってんの!?」


 そりゃちゃんと空と付き合えたら嬉しいけど、とは思いつつも妹を睨み付ける。

 不満げな顔で「えー?」と言う美里の前で顔を作るのは大変だった。少しでも気が緩めばしまりのない顔になっていたであろう。


「おい空もこいつに何か言ってくれよ」


 どうせいつもの様に家族だよ、と言って笑ってくれるだろうと思って空に視線を向ける。

 だが、そこで陸が見たのは顔を真っ赤にして体を硬直させている空の姿だった。


「空……?」

「――え? な、何?」

「いや、お前……」


 どうしたんだよ、という軽い言葉がなぜか出てこない。

 空のそんな表情は見たことがなかった。


「あ、そうだ! 宿題! 宿題がまだあったからちょっと部屋でやってくるね」

「え、おい?」


 空はそう言うと残っていたご飯を急いで口に運び、


「ごちそうさま!」


 食器を流し台に片付けると足早に陸の部屋へと戻っていったのだった。

 あっという間にいなくなってしまい、何も言うことが出来ず陸はただ呆然とするしかなかった。


   ◇


 夜一緒に寝て、朝起きてからも空の様子はおかしいままだった。

 相本に告白されたことが原因だと陸は思っていたが、それにしたって気にしすぎている。

 もしかして、断りはしたが本当は付き合いたかったとかなのだろうか。

 学校へ向かう道すがらも陸の頭の中ではそんな結論の出ない妄想が繰り広げられていた。

 そんなこともあって二人の距離は少し遠い。また以前に戻ったようだ。


「あ、おはようそらそら」

「おはよ、栄子」


 数歩分だけ先を歩く空に栄子が駆け寄って来た。

 この時間に会うとは珍しい。


「珍しいね。今日は柔道部の朝練は?」

「今日は休みだよ。それよりも昨日どしたの? 急に先帰っててって連絡だけして。心配したんだよ?」

「あー、ごめんね。ちょっと色々あってさ」

「色々ねぇ」


 そう言いながらも栄子の視線はなぜか少し後ろを歩く陸に向けて来る。


「な、何だよ」

「べっつにー」


 意味深な視線に戸惑うものの、栄子はそれ以上言うことなく空との会話に戻る。

 普段と何も変わらない様子に首を傾げるものの、尋ねることもできずに陸は学校へと歩き続けた。


「んじゃ、私はちょっと部室に寄ってから行くから」

「うん、分かった。また後でね」


 校舎に入ってすぐに栄子と別れる。駆け足で部室へ向かって行く栄子に手を振っていた空と並んで教室へ向かう。

 隣に並んだ瞬間、ちょっとだけ肩が跳ね上がるのが分かったが気にしないことにする。

 どうやら陸自身に対して何かあるようだ、と言うところまで理解したがそこから考えるのはもうやめることにした。

 空の隣を誰かに明け渡すつもりがない以上、やりたいようにやるだけだからだ。


「おはよー」


 教室に空が入るのに続く。

 だがその瞬間に空気が変わったのを肌で感じた。


「?」


 教室の中には既にクラスメイトのほとんどがそろっていて、それぞれに固まっていたのだがそのグループごとの視線がまとまって陸たちに浴びせられている。

 二人が教室に入った瞬間に止まった声は、すぐにひそひそと交わされるものに変わった。


「な、何? みんなどうしたの?」


 空の戸惑った声。

 するとそこへクラスの女子が恐る恐ると言った様子でやってくる。


「あの、ね。天野さん、聞きたいことがあるんだけど」

「え、うん?」


 訊ねて来るクラスメイトも含めた三人に視線が集まっているのを感じる。

 ふと、脳裏に掠めたのは忘れかけていた記憶。

 こびりついたそれは陸の頭にこの会話とめるべきだと言う不確かな予感を抱かせるに十分だった。

 だが、もう遅い。


「大地君と一緒の部屋で暮らしてるってホントなの?」

「――っ!?」


 空が言葉を詰まらせる。

 一方で陸は過去の痛みを思い出して黙っていた。

 だがその沈黙を空は勘違いしたようだった。


「りっ――」


 空が困惑と恐怖の入り混じった顔で陸を振り向く。

 おそらくクラス中の人間がその表情で察しただろう。

 さっきの話が本当だと。

 もし空が笑ってそんなことないよ、と一言いえばそれで流されたであろう話。だが空が深刻な表情で陸を振り返ったことでもはやそれは事実として認識された。

 そしてそのことを空もまた、遅まきながら肯定してしまったと理解した。


「ご――ごめんっ!?」

「空!?」


 陸を突き飛ばすようにして空が廊下に駆け出していく。

 咄嗟に呼び止めることもできずに手を伸ばしたままで固まってしまう陸。

 俺はまた、空の隣にいられなくなるのか?

 じわじわと足もとから恐怖が迫って来る。

 今の陸にとって一番に恐れているのは空を失ってしまうことだった。


「なぁ、陸。ホントなのか?」

「冬彦」


 いつの間にか隣にやってきていた冬彦が訊ねて来る。

 だがその顔にあるのは今まで黙っていたことに対する侮蔑でもからかうようなものでもない。ただ事実を確認している、そう感じた。

 その姿に昔の光景がダブつく。

 あの日の朝もこんな感じだった。

 突き刺さる好奇の視線。


「……」


 胸に去来する痛みは今の物ではない。すべて過去のものだ。

 今はもうあの時とは違う。

 自分はもう高校生だ。

 周りの目を気にするもの辞め時だ。

 自分に言い聞かせる。


「――ああ、少し前からな」


 その言葉を聞いたクラスの中が一瞬ざわつく。

 続いてさらに強くなる好奇の視線に足が震えるが、その視線を遮るものがあった。


「何だよ、お前らそんなに仲良かったのかよ。もう付き合ってんのか? 教えろよ」


 そう言って肩に腕を回してくる冬彦は満面の笑みだ。

 だがそこに嫌味な感じは全くない。

 単純に友人として気にしてくれているだけだ。


「ははっ」


 急に笑い出してくなる。

 何に怯えていたんだろうか。

 もうあの頃とは違う。


「ねぇ、それじゃ相本君は知ってるの?」


 教室の中、どこかから囁かれるような声が聞こえたのはその時だった。


「そう言えばあいつこの前天野に告ってたよな?」

「それじゃ振られて?」

「あいつのせいで」

「かわいそう」


 動きが固まった陸の耳に聞こえて来るのはそんな声ばかりだ。誰もかれもが相本に好意的なことを喋っている。もしかしたら相本の恋路を邪魔したように見えているかもしれない。

 ずっと長い付き合いをしてきたのはこっちだと言うのに。


「大地君達は幼馴染なんだよ」


 不意に声が止む。

 教室中の視線が、一人の男子生徒に集まった。


「相本……」


 変わらない、いつものさわやかな笑みを浮かべた相本がそこにいた。


「大地君はずっと前から天野さんの事が好きだったみたいだよ」

「あ、相本君知ってたの?」

「告白するまでは知らなかったけどね。でも、最近の二人の様子を見ればそれはよくわかったよ。あと、僕は昨日もう一度告白をして振られた」

「ええっ!?」


 金切り声に似たざわめきが起こる。

 相本を振ったことへの驚きか、それとも相本が振られてしまったことへの驚きか。


「天野さんはしっかり僕の気持ちを聞いてくれたよ。その上でのことだ。僕に後悔はない。このことで彼らをいじるのはこのくらいにしてあげてもらえると助かる。振られたとはいえ、今も天野さんは僕の大切に想う相手だからね」


 その言葉で教室の中に張り詰めていた空気が次第に弛緩し始める。

 相本への同情で話を聞いていたクラスメイト達が引いたのだろう。

 残りの数割は未だこちらへ視線を向けているが、これはもう仕方ないと割り切るしかなかった。


「災難だったね、大地君」


 近寄って来た相本からはこちらを慮る以上の想いは感じられなかった。

 昨日振られたばかりだと言うのにタフなことだ。

 だから、こちらも負けるわけにはいかなかった。


「……まぁな。仕方ないさ」

「へぇ、思ったよりも大丈夫そうだね」


 よかった、と相本は頷くが内心ではまだ体の震えを抑えるのに精いっぱいだ。


「でもさー、結局どこからこの話出てきたんだ?」


 そう疑問の言葉を出したのは冬彦だ。

 確かにそうだ。

 この前まで空とほとんど一緒に住んでいる状態だと言うことを知っていたのは当人と相本だけ。千秋はなんだかんだと察していてもおかしくはないが、こんな情報を漏らすわけもない。あれは一人で愉しんで見ているタイプだ。


「僕ももちろん誰にも話してはいないよ」


 そう弁護の言葉を放す相本だが元から疑ってはいない。もし何かの意図があって暴露したのならこんな風に陸を守ろうとはしないだろう。


「ねぇ、誰から聞いたんだい?」


 そう相本が話しかけたのは最初に空に二人の関係を尋ねて来た女子生徒だ。

 彼女は突然空が教室から駆け出して行ってしまったところを見て、驚いてそのまま立ちすくんでいた。自分が訊ねたことで起きた事態に困惑していたのだろう。動けなくなっているその子の周りには支えるように友人の女子も集まってきていた。


「え、ええっと隣のクラスの子から聞いたの」

「あ、アタシ朝練の時に誰かが話してるの聞いたよ」


 少しだけ震えながら話してくれた直後、周りにいた女子の一人がそう言う。

 確かこの子は女子バスケ部だったはずだ。


「うーん、よくわからないな」


 確かに情報の出処がいまいち判然としない。

 だが、今はそれよりも重要なことがある。


「悪い、ちょっと空を探しに行ってくる」

「ああ、そうだね。今はまず彼女を探してあげてくれ。これは大地君が行くべきだろうからね」

「行ってこい!」


 ばん、と冬彦に背中を叩かれて陸は教室を出た。

 もう、心は落ち着いていた。


   ◇


「ていうことみたいだけど、どう~?」


 教室の中から聞こえて来る相本の声を聞きながら、千秋は隣でしゃがみこんでいる空に尋ねた。


「聞かないで……」

「にゅふふふ~」


 耳まで真っ赤にしながら蚊の鳴くような声で答えた空に、千秋は口元が緩むのを止められなかった。

 教室を飛び出した空だったが、廊下の先で千秋にばったりと出くわしどこへ逃げることもできずにこうやって教室の前まで引きずられてきていたのだった。

 おかげで教室の中で起こった顛末もすべて耳に届いている。


「いや~愛されてますなぁ~。で、どうなの? 空ちゃん的にはやっぱり陸君の事好きなんでしょ?」

「……多分」


 こくり、と頷く空に千秋は硬直した。


「……そっか~」


 あと一押し、と言ったところだろうか。背後、教室と廊下を隔てる壁の向こうにいるであろうもう一人の幼馴染へ向けて心の中でエールを送る。

 幼馴染としてはずっと心配していたのだ。

 お互い好き同士なのにどうしてここまですれ違ってしまうのか。

 まぁ、以前すれ違いの大きな原因を作ってしまったのは自分だったのだが。


「千秋ちゃんは……」

「うん?」

「千秋ちゃんはりっくんのことどう思ってるの?」

「うんんんん!?」


 そう思っていたのだが、空の言葉に千秋は別の意味で硬直してしまう。


「どう思ってるとは?」

「……だっていっつもこそこそ内緒話してるし」

「あ~」


 どうやら何か勘違いをさせてしまったらしい。


「話してる時も距離が近いしさ。二人だけで分かり合ってるみたいな空気出してさ」


 顔をまだ赤くさせたまま、空が口を尖らせる。


「ぷっ」


 その様子があまりにも可愛すぎて、千秋は笑わずにはいられなかった。

 まさか自分が陸と恋愛関係にあると勘違いされているとは思ってもみなかったのだ。


「あはははははは」

「な、何!?」

「そんなことないよ~。陸君はずっと空ちゃんが好きだったよ~」


 だから笑って空の背中を押してやる。

 この大切な幼馴染には笑っていて欲しいから。


「……そうかな」

「そうだよ~。そもそも一回くらいは本人の口から聞いたんじゃないの~?」


 バスケの試合の後、保健室の外にいた千秋は聞いていた。

 陸が空に告白をして、けれど家族としてしか認識されていなかったと言うことを。


「そんな、今更……」

「――じゃ、もう一回聞けばいいよ~」

「え?」


 そこで教室の扉が開いた。

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