第16話 疑惑と思い出


 空が出て行ったあと、すぐに追いかけるようにして陸も教室を出て行った。

 その様子を千秋たちは視線だけで見送ったのだが、直後に栄子が身を乗り出してくる。


「ねぇ、あの二人ってやっぱりただの幼馴染じゃないよね?」


 両の目を好奇心で輝かせながら、そう尋ねて来る。

 栄子には昨日二人が幼馴染だと言うことは話したはずだったが、どうやらそれ以上の関係だと疑っているらしい。横目で見れば、椎の方も気にした表情である。

 相本は、と視線を送った千秋は陸が消えた教室のドアの方をぼんやりと眺めていることに気が付いた。ちなみに冬彦は教科書とにらめっこして目を険しくさせている。


「恋人……よりも家族?」

「そうそう! なんか最近距離感が近いっていうかさぁ」


 椎の冷静な分析に栄子がさらに目を輝かせながら口にする。

 意外と鋭い二人だ。


「さぁ~、どうかな?」


 すっとぼける千秋。

 本当は色々と知っている。

 あの二人がどうして疎遠になったのかも。

 二人の家が隣同士のマンションであることも。

 二人ともお互いにべったりなことも。

 でも、これは自分だけの楽しみなのだ。

 誰かにあげるつもりなど――今のところはない。一番面白くなったタイミングで言うことになるだろう。だから比較的あたりさわりのない範囲で情報を開陳する。


「一応二人の住んでるマンションが同じで、部屋が隣同士なのは知ってるけど~」

「やっぱり! それじゃ本当はあの二人付き合ってるんだ?」

「それはないね~」

「どうして?」

「つい最近まで二人が疎遠だったのは本当だよ~。それにもし付き合ってたら空ちゃんはあんな態度でなんていられないもん」

「あんな態度?」


 千秋の言葉に栄子は首を傾げる。

 その様子に千秋はにゅふふ~と小さく笑う。

 空は基本的には誰とでも仲良くするタイプの女子だ。だが基本的には目の前にいる栄子と椎の二人と一緒にいることが多い。その二人でも、千秋が知る本当の空の事は知らない。

 いや、幼い頃の空の事を知らなければ想像もできないだろう。


「空ちゃんは甘えん坊さんだからね~。もし二人が付き合ってたら空ちゃんの方から陸君にべったりになると思うよ~」


 ま、おそらく家ではもうすでにべったりなはずだけど~、とは口に出さずに心の中で呟いておく。


「えー? あのそらそらが?」


 栄子は全くと言っていいほど信じられないらしい。

 それもそうだろう。

 クラスの中ではしっかり者で、真面目な優等生筆頭である空が本当は甘えん坊な女の子だとはこのクラスの誰も信じられるまい。

 そう思って他の二人に視線を移すが、椎はなぜか視線を目の前の教科書と相本の間で行ったり来たりさせているのに忙しく、相本は心ここにあらずと言った風で相変わらずぼんやりとしている。

 ふむ?

 千秋はその様子を見て首を傾げる。

 だが余計な口出しはしない。

 ただ少しだけ笑みを深めるだけだ。


   ◇


 廊下に出た陸はすぐに空に追いつくことが出来た。

 廊下を抜けると中庭に面した渡り廊下に出る。空はそこにある自販機で飲み物を買っているところだった。ガコン、と大きな音を立ててジュースが取り出し口に落ちる。だが陸はそんな空に声を掛けることが出来なかった。

 ただ何を言っていいかわからなかったのだ。

 目が合うとどうしても昨日のことを思い出してしまう。

 空ほど話せなくなると言うことはないつもりだったが、それでも恥ずかしいという気持ちが先に立ってしまう。


「……だめだな」


 これじゃあ疎遠になっていた頃と何も変わらない。

 空の背中に羽が生えたことで。

 相本が空を好きになったことで。

 もう止まっているわけにはいかなくなったのだ。

 手放したくないなら、手を伸ばすしかない。

 くっと視線を上げると、空は教室には戻らず自販機の隣に設置されたベンチに座っているところだった。

 教室に戻らないのか?

 飲み物を買ったらすぐに教室へ戻って来るものと思っていた陸は疑問に思う。

 いや、そもそも陸から逃げるようにして教室を出たのだとしたら本人がいるところへは戻りたくないか。もしかしたら今ここで出て行っても避けられてしまうだろうか。

 そんな不安から、こそこそと渡り廊下の影に身を潜ませる陸。

 空はと言えば、せっかく買った飲み物の蓋を開けることもせずにベンチに座ってただぼんやりと空を眺めていた。

 夕方も間近の暖かな陽光が降り注いでいる。

 もうすぐ本格的な夏になって、セミの鳴き声もうるさくなってくるだろう。今年は空梅雨で雨も少なかった。まぁ昨日はとんだトラブルに見舞われたが。


「はぁ……」


 嫌なことを思い出してため息をつく。

 そして視線を空へと戻した時、陸は目の前の光景ががらっと変わった気がした。

 空を見上げるその姿は変わりない。だがその背中の羽が大きく広がっている。大きく動いているわけではない。羽ばたいているわけでもない。

 だがなぜか、陸は無性に空がどこかへ行ってしまいそうな気がしたのだ。

 ふわり、と足もとに一枚の白い羽が舞い降りる。

 それを見て、陸はゆっくりと歩き出した。

 中庭に歩み出した陸の姿はすぐに空の視界に入る。


「あっ、りっくん……」


 一瞬で顔を赤くする空。

 だが、陸が幻視したようにどこかへ飛んで行ってしまうようなことはない。ただベンチの上で身を縮こまらせるだけだ。

 そのことに安堵しながら、陸は空の隣に腰を下ろした。


「……」


 いきなり隣に座った陸に、空が体を固くする。そう言えば昨日の晩もなんだか微妙に緊張しているようで寝付くのが少し遅かった気がする。


「……その、昨日は悪かったなヘンな物見せちまって」

「っ……!」


 その言葉に一瞬で空が顔だけではなく耳や制服から覗く手足まで一気に真っ赤になる。今にも頭から蒸気でも吹き出しそうな様子だった。

 いや、実際に頭がふらふらしている。


「あ、おい空?」


 くらり、と予想通りに空の体が陸とは反対方向に倒れかかるのを腕を回して抱き留める。手からこぼれ落ちた缶ジュースは無視するしかなかった。地面の上を未開封の缶が転がっていく。


「おい、大丈夫か!?」

「……じゃないよ」

「うん?」

「大丈夫か、じゃないよ!」

「うおっ!?」


 いきなり空が大声を出したことで反射的に顔をのけぞらせる。顔の目の前で叫ばれたせいで耳が痛い。


「いきなりあんなの見せられて、だ、だ、大丈夫なわけっ」

「お、落ち着けよ空」

「大体な、何? 昔はちっちゃい象さんだったのに、え? アナコンダ?」

「いや、そこまで大きくはない」


 腕の中で混乱し続ける空に冷静な突っ込みを入れるが、空の口は止まらなかった。


「昔とぜんぜっ、全然違うじゃない」

「……そりゃそうだ。俺達はもう高校生なんだからな」

「っ」


 今更そんな言うことか? と思いながらも昨日風呂で言ったことをもう一度言う。

 だが空は初めて知ったかのように大きく目を見開く。

 しばらくの間陸の顔をまじまじと見つめていた空だったが、やがて視線を逸らして陸から離れた。


「……落ち着いたか?」

「うん、少し」


 ベンチにちゃんと座って少し顔を俯かせる空の顔は、さっきまでよりも赤味が引いている。もう大丈夫そうだ。


「私も、ごめん」

「え?」


 いきなり空がぽつりと謝る。


「一緒に入ろうって、言ったのは私の方だったから」

「……ま、そうだな」


 強引に風呂に入れたのは確かに空だ。断り切れなかった自分も原因だと陸は思っていたが、反省している様子だったからあえて言わなかった。


「……あーあ、もう一緒にお風呂も入れないんだね」

「なんでそんなに残念そうなんだよ」


 ひどく残念そうに言うから、陸は苦笑せずにはいられなかった。

 空は立ち上がって、地面を転がって行った缶ジュースを拾う。


「だって、楽しかったから。昔一緒に入ったころの思い出が、さ」


 缶ジュースを拾い上げて振り返った空の顔には、懐かしさと切なさが入り混じった笑顔があった。

 その表情に、胸を締め付けられる。

 陸は口を開こうとして、開けなかった。

 あの頃と同じことをすることは出来る。でもそれは、今の自分と空の関係ではできないことだと思ったからだ。


「……そう言えば、どうして今日の小テストあんなに点数が悪かったんだ?」


 代わりに口に出来たのはそんなことだけだった。


「うっ、見たの?」


 空が睨むような視線を送って来る。


「たまたま見えただけだ」

「うー、点数が悪くなったのはりっくんのせいでしょう」

「俺?」


 身に覚えのない答えに首を傾げる。


「ちょっと前まで、夜はなかなか眠れなかったからずっと勉強してたの!」

「あー、なるほど」


 一緒に寝るようになって、よく眠れるようになった結果勉強時間が減ったらしい。恥ずかしそうに言う空の様子を見てようやく察した。


「これからは寝る前に一緒に勉強するか?」

「いいの!?」

「俺のせいにされたらたまらないからな」


 あと部屋で一緒に勉強するっていうのもなんだか新鮮でいいかもしれないと思ったのは内緒だ。


「んじゃ、あいつらも待ってるだろうしそろそろ教室に戻るか?」

「うん、これ飲んで教室に戻ろ」


 上機嫌な空が缶ジュースのプルタブに指をかける。

 その姿を見て陸は頭の隅に何かが引っかかる。


「あ、おい」


 制止の声を口にしようとしてから何が言いたかったのかを思い出した。

 あの缶ジュースは確か――


「うわっ!?」


 プシューーー! と大きな音を立ててプルタブを開けられた缶の飲み口から液体が噴き出して空の頭から降りかかる。


「何!? 何で水が噴き出すの!?」

「馬鹿、そいつは炭酸だぞ」


 吹き出しているのは黒い液体で、ポップコーンやピザと一緒に食べるとおいしいやつだ。どうやら買うときにぼんやりとして水と炭酸を間違ったらしい。

 地面の上を何度も転がって中身を攪拌された缶ジュースからはものの見事に噴水が上がっている。


「うえー、べとべとするよう……」

「……しかたねぇな」


 そう言って陸はハンカチを取り出すと、拭いてやるべく立ち上がった。

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