第15話 犬猿の勉強会


 放課後の教室。

 普段だったらもうクラスメイトのほとんどは帰っていて誰もいなくなる時間。

 その教室が今日はなぜかにぎやかだった。


「なぁ陸、俺もう帰っていい?」

「ダメだ。これはお前のためにやってるようなものだぞ?」


 机の上でぐでーっと突っ伏すのは冬彦だ。その下には机に広げられた教科書の群れ。


「つってもわかんねーもんはわかんねーんだよ」

「にゅふふ~夏木君はもうちょっと前から復習だね~」

「あ、黒木さん。そこはね」

「なるほど、ね。ありがとう相本君……」


 教室の真ん中、机を幾つも集めた場所で7人の生徒が勉強をしている。

 試験前ならごくありふれた光景だろう。

 だがこの教室のなかで異常なことが一つだけ。


「あー、これはダメだ……。そらそら分かる?」

「う~ん、ごめん栄子。私もわからないよ」


 苦笑いで首を振る空の姿だった。


   ◇


 時刻は半日ほどさかのぼる。

 授業の合間の休み時間の事である。


「なぁ、陸。さっきの小テスト、どうだった?」


 声を掛けてきたのは冬彦だ。

 その顔を見て陸は一言、


「俺の点数よりも自分の点数の心配をしろ」

「あー、わかる?」

「顔に書いてある」


 冬彦のこの世の終わりを見たかのような顔からは、どう考えてもテストの出来が良かったようには見えなかった。


「にゅふふ~夏木君は点数いくつだったのかにゃ~?」

「うるっせ! マジで笑い事じゃねえんだよ。次の期末で赤点取ったら夏休み中ずっと夏期講習に突っ込まれるんだよぉ」

「あらら、ご愁傷さま~」


 崩れ落ちる冬彦の様子を見て、千秋の笑みが深まる。

 この女は本当に性格が悪い。


「くっそ……んで、澄ました顔してるけど陸はどうなんだよ」

「俺? 俺は――」


 冬彦の助けを求めるような声に、陸は自分の点数を告げようとしたが最後まで言うことは出来なかった。


「えっ!? そらそらそれホント?」


 栄子のクラス中に響くような声が耳に入ったからだ。

 前の席に視線を向ければ、慌てた様子の空の姿がある。


「こ、声が大きいよ栄子……!」

「ごっ、ごめん……」


 栄子が慌てて自分の口をふさぐが集まった視線は容易には外れない。もちろんその一つには陸の視線も合ったのだが、その視界に空がさっと何気ない様子で机に仕舞ったついさっきの小テストが目に入る。

 ほとんどバツしか付いていない答案だった。

 一瞬しか見えなかったが間違いない。

 だがどういうことだろうか。空の成績は今まで常にクラス上位だった。それが小テストとはいえあんな点数になるはずがない。だから栄子も同じように衝撃を受けたのだろう。


「よし、私じゃ力にならないかもしれないけど勉強会しよ。勉強会! ね、椎?」

「う、うん」


 背中の羽ごとしゅんとしおれた様子の空を元気づけたいのだろう。栄子が隣にいた椎も巻き込んで勉強会に誘ったようだった。

 そしてその言葉はクラス中に聞こえていた。男子も女子も、みんな耳を大きくして聞いて心は一つになっている。

 一緒に勉強したい……!

 だが誰も声を掛けようとはしない。

 クラスの中心的存在の空だが、いきなり声を掛けよういう剛の者はいないだろう。


「ねえ天野さん、良かったらそれ僕も混ぜてくれないかな」


 いや、一人だけいた。

 相本だ。


「相本君?」

「ごめん、聞くつもりはなかったんだけど聞こえちゃってさ。僕もさっきの小テスト結構ヤバくて。できれば一緒にやりたいなって思ったんだけど、どうだろう?」

「いいじゃない! ね、一緒でいいよねそらそら?」

「え? う、うん」


 栄子の言葉に気圧されるようにして空が頷いてしまう。

 しまった、先を越された。

 思わず心の中で歯噛みする陸。

 だがそこで予想外のことが起こった。


「じゃあさ……」


 相本が空の後ろの席に座る陸へと視線を向けたのだ。


「大地君達も一緒でもいいかな?」


   ◇


 そうして今の状況に至るのだった。


「ぐあー。もう無理、限界」


 ついにはシャープペンシルを手放して机に突っ伏してしまう冬彦。

 その顔は本当に限界と言った雰囲気だ。

 相本の提案に乗ったのは、空と相本が自分の知らないところで距離を詰められるのが嫌だったからに他ならないが、ついで程度にこの友人の勉強も見てやらなければならないと思ったからだ。

 冬彦の成績は、外面通りに悪い。


「まったく、もう根を上げたの?」


 上から目線でそう言い放ったのは冬彦の正面に座った栄子だ。


「うっせ。もう無理なもんは無理」

「弱い男ね」

「あんだとこの女」

「あぁん!?」


 いきなりメンチ切り合う二人。

 間に入ったのは相本だった。


「まぁまぁやめなよ代田さん。人にはそれぞれペースがあるからね」

「いや、そもそもなんでこいつを呼んだの? こいつ勉強じゃ役に立たないよ?」

「こいつこいつってうるせえんだよ!」

「なによ!」

「まぁまぁ」


 机を挟んで犬歯をむき出しに唾を飛ばし合う二人。

 そしてなぜか間に割って入る相本。

 さっきからそんなことが続いている。


「なぁ、あの二人あんなに仲悪かったか?」

「ん~?」


 こそっと隣に座る千秋に尋ねる。すると千秋は二人の様子をにんまりと眺めた。


「あの二人はね~幼馴染なんだよ」

「そうなのか?」

「ま~心配しなくても見かけほど仲悪くないし、むしろ仲は良好?」

「?」

「幼馴染にも色々いるってこと~。それよりさぁ陸君――空ちゃんと何かあった?」


 いきなりの問いに、陸は息を詰まらせた。


「その反応……やっぱり何かあったんだね~?」

「それは……」


 視線が自然と空の方へと向かう。

 空とは寄せ集めた机の対角線上にお互い座っていた。

 ちょうど空は隣に座っている椎に教えているところだったようだ。さっきの小テストではあまりいい結果は出せなかったようだが、普段はクラス上位にいる元々地力はある空だ。十分に内容を理解して伝えられる力はある。

 そもそもあんな点数をとっているところなどここ数年では見たことがない。小学校の頃は確かに勉強が苦手だったが、確か疎遠になり始めた頃からクラスでも頭のいいタイプ、として見られていたはずだ。実際この前のテストでもクラス上位だった。

 そんな様子の空に向けた視線だった、気が付いたのだろう。空が顔を上げて陸の視線と真正面からぶつかる。


「――っ」


 一瞬で空の顔がゆでだこのように真っ赤に染まる。そしてふいっと視線をあらぬ方向へとそらしてしまうのだ。


「ま~た、視線でイチャイチャしてるし~」

「し、してねぇよ!」

「朝からずっとそんな感じじゃん」


 にゅふふ~と笑いながら視線で「さぁ何があったのか吐け」と言ってくる千秋。

 対して口を堅く閉じる陸。

 昨日一緒に風呂に入ったことなど言えるはずがない。

 そもそもこれは今朝からなどではなく昨日風呂を出てからずっとだ。

 夕飯を食べている時も、寝る時も、朝起きた時もそうだった。

 おかげで学校に来るまでずっと美里や母親からいぶかしげな視線を送られていた。


「ほら、夏木君も勉強しないとまずいんだろ? 再開しようよ。あ、黒井さん。そこはね……」

「あっ、ありがとう……」


 隣に座る椎の手が止まっているのを見て相本が手助けをする。

 照れたように笑う椎の顔が何だかやけに幸せそうだった。

 イケメン死すべし、と怨嗟の念を送っておくことにする。


「でもさー、結局なんでこのメンバーなわけ?」


 しぶしぶ勉強に戻った栄子が再び疑問を口にする。

 今度は対面に座る冬彦を攻撃するような感情は感じられない。純粋に疑問と言った雰囲気だ。その視線は隣に座る相本に向いている。


「うーん、僕は単純に大地君を呼びたかっただけなんだけどね」

「はぁ? 大地? なんで?」


 その返答に突き刺すような視線が今度は陸へと向かう。


「あれ、知らない? 大地君結構勉強できるよね?」

「……まぁ、そこそこには」


 一応一年生の頃からクラス内では10番以内を維持している。


「こいつが勉強できるっての?」


 栄子の信じられない、と言った声。


「相本君は知ってたんだ、ね」

「まぁね」


 椎の言葉に頷く相本。

 その様子を見て、陸は意外感を抱かずにはいられなかった。相本とは今年一緒のクラスになったが、ついこの前までほとんどつながりはなかった。


「ふーん、じゃあ私も大地君に教えてもらおっかな」

「あぁん?」


 栄子の唐突な言葉に反応したのはもちろん冬彦だ。


「今まで全然話したことなかったけど、チンピラのあんたと勉強するよりははかどりそうだからね」

「ざけんな、陸は俺のダチだ! やらねえぞ」


 おい、冬彦いったい何を言ってる。

 陸でもはっきりわかるような栄子の安い挑発に冬彦が引っかかり椅子から腰を浮かせる。


「陸は俺に勉強を教えるんだよ。お前に教えるような余裕はねぇ!」

「なによ、別にいいじゃない!」

「おいおい二人とも……」


 再びお互いに噛みつき合うような二人を止めようと相本が声を上げた時だった。

 ガタン、と大きな音を立てて立ちあがった者がいた。


「空?」


 陸が見ると、空は無表情で席を立っていた。

 だが陸の声が聞こえて我に返ったのか、すぐにはっとした顔になって、


「ごめんなさい、ちょっと飲み物買って来るね」


 そう言い置いて教室を出て行ってしまう。


「そらっち……?」


 椎も空の様子に疑問を覚えたようだ。立ち去っていく背中に不安な視線を向けている。

 確かに陸からしても今の空の表情はあまり見たことのないものだった。

 何と言うか……拗ねてる、ような?


「陸君、行ってあげなよ」

「千秋?」

「気になるんでしょ~?」


 こそっと話しかけて来る千秋。

 その言葉を聞いて陸は、


「分かった」


 頷きを返して空の後を追うことにした。

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