第12話 思い出の味
軽薄そうな男が、空の前で話していた相本をぐいっと押しのけて空の前に現れた。
ベンチに座る空に若干身をかがめたことで、首元から下げたシルバーアクセがじゃらりと音を立てる。
「な、何ですかあなたは」
戸惑う相本の声。
非難も混じったその声に、だが男は反応することはなかった。ただ目の前に迫った空へと視線を向けている。
「ねぇ、その羽本物? めっちゃ綺麗じゃんね」
「いえ、これは……」
男の無遠慮な視線に、空も何と答えていいのか戸惑っているようだ。口ごもって視線が泳ぐ。
「あなた、いい加減にしてくれませんか」
「ああん? んだよ、俺あこの子と話してんだよ。邪魔すんじゃねえよ」
さすがに目に余ったのだろう相本が男の肩に手を置いて引き離そうとするが、シルバーアクセ男は勢いよくその手を払った。
爪が手を掠めたのだろうか、相本が一瞬痛みに耐えるような顔をするが引くことはなかった。
無理矢理にシルバー男とベンチに座ったままの空の間に割り込んだ。
「彼女が怖がっているでしょう。それ以上はやめて下さい」
「へぇ、あんた何。この子の彼氏?」
その様子を見たシルバー男の顔が、別のオモチャを見つけたかのような愉悦に歪む。
「……友人です」
若干不満そうにそう答えると、男の愉悦が深まる。
「そうかい。じゃ、ただの友人ちゃんはすっこんでな。俺あこの子とお話ししたいの」
そう言うなり今度こそ相本の胸をどんと突く。
「っく!?」
「相本君!?」
よろめいて、地面に尻餅をついた相本に駆け寄ろうとベンチから腰を浮かせかけた空だったが、
「おー、こりゃ本物みたいな」
背後、それもかなりの至近距離から掛けられた声に身をすくませる。いつの間にか、ベンチの後ろ側にもう一人のサングラス男が回り込んでしげしげと空の羽を眺めていたのだ。
空はいきなりの事に動けないでいた。
「どれ、触り心地はどうかな?」
そう言いながらベンチの背もたれ越しに手を伸ばそうとする。
「っ!?」
サングラス男の手が羽に伸びる。
「触るんじゃねぇよ」
「んぁ?」
羽に触れる寸前、サングラス男は手を止めた。声の主を確認しようと振り返ったサングラス男は、すぐ背後に立つ陸の目を見て凍り付いた。
ぐらぐらと揺れるマグマのような怒りの籠った視線だった。その目に射すくめられて、金縛りのようになった男の背後で陸はつま先で蹴りあげた。
男の股間を。
「ていっ」
「んぐぎょうぇっぃ!?」
サングラス男は理解不能な言語を叫ぶとともに、泡を吹いて地面に倒れ伏した。
地面に転がったままサングラス男は気を失ったようだった。
「て、てめぇ!?」
顔を真っ赤にしたシルバーアクセ男が足を大きく踏み出す。
頭に血が上っているらしい男の動きがなぜか陸にはゆっくりに見えた。
上げた足がベンチを踏みしめる。どうやらベンチを乗り越えて殴りかかってくるつもりのようだ。だがこちらとて十分に頭に血が上っている。
いいぜ、来いよ。
ベンチを飛び越えた後は何をしてくるだろうか。
そのまま殴りかかって来るか。
飛び蹴りをかましてくるか。
何でも来い、そう思った。目の前で好きな人をここまでコケにされて冷静でいられるほど陸はお人よしではなかった。だがそれよりも先に動いた者がいた。
「やめてっ」
空だ。
制止の声を上げながらも空の腕がまっすぐに伸びた。今にもベンチを乗り越えようとする男の顔面に向かって。手に握ったソフトクリームを突き出したのだ。
「うぉっ!? つ、つべたっ!?」
頬に触れたソフトクリームのひんやりとした感覚にシルバー男がベンチの上から背後に飛び上がる。結果的に元の位置に戻りながら、男は自分の頬に付着したものを必死でぬぐおうとしていた。
「うぇ、何だよこれ。ソフトクリーム?」
「あ――」
勢い、反射的にやってしまったことに驚いているのは空の方だった。
その顔がサッと青くなっていき、自分が顔にソフトクリームを押し付けられたことを理解した男が空へ視線を向けたところで顔色が一番悪くなった。
「おいおい、その辺にしとけよっと」
だがその間に割り込んだ影があった。
冬彦だ。
「ちっ、またかよ……」
シルバーアクセ男が悪態をついている隙に、陸もベンチを回り込んで空の隣へ移動する。これ以上空に怖い思いをさせたくなかった。
「ねね、陸くん陸くん。今の隙に行っちゃいなよ」
「え?」
冬彦の背中に隠れるようにしてそこに千秋がやってきて耳打ちしてくる。
「ここは私たちがなんとかしとくからさ~」
「いや、でも。お前らを置いていくわけにはいかないって」
「いいからいいから。空ちゃんを安心させたげてよ」
「……分かった。何とかできるんだな?」
自信たっぷりに言う千秋に再度尋ねると、彼女はいつも通りに笑って言った。
「誰に言ってんの~? そんかわり空ちゃん泣かせたら許さないかんね~?」
「……頼む」
視線を正面に戻すと、シルバーアクセ男に冬彦と相本が囲むようにして迫っているところだった。今なら簡単にはこちらへ向かってくることは出来ないだろう。
「空、行くぞ」
「え? りっくん?」
いきなり空の手を掴んで足早に歩き出すと、背後から驚きの声が上がって来る。
それとは別に「あ、おい! 逃げんじゃねえ!」という怒声も。
だが陸は足を止めなかった。背後を振り返りもしなかった。
ただ途中で正面から駆けて来る栄子と椎の姿を目にした。二人の背後にはショッピングモールの警備員と思しき制服を着た男性を連れている。いつの間にか助けを呼びに行ってくれていたらしい。
その二人と目線が絡まる。一瞬だけ二人の視線が不満げになる。それもそうだろう、二人は空と相本の関係がどうなるのか気になっていて――あわよくば二人がくっつくことを願っている口だ。だが陸の背後に続く空の表情を見て言葉を飲み込んだようだった。
礼を言おうと口を開く陸の前で、二人はただ黙ってぐっと親指を立てて背後のエスカレーターを指した。
このまま行けと言うことらしい。
「……」
陸はそのまま足早に二人とすれ違ってエスカレーターを降り始めた。
背後をついて来る空が転ばないように速度を調節しながら。
◇
ショッピングモールを出たところからは走り出した。
「ちょ、ちょっと、りっくん!?」
後ろで空が何か言っていたが気にせずに手を掴んだままに足を動かす。
少しでもさっきの場所から離れたかった。
別に、あのチャラ男たちが追ってくると思っていたわけではない。相本から空を引き離したかったと言うわけでもない。
ただ空を誰の目にも触れないどこかに隠して独り占めしたい、そんな思いが足を動かしていた。
だがその思いもすぐに溶けてなくなる。
足の速度は次第に緩くなった。
だが、陸の足がゆっくりになったところで逆に手を引っ張られる。
「空っ?」
くんっ、と引っ張られるままに駆け出す。
目の前には空の背中とそこにある白い羽。
「空、どこに行くんだ?」
ついさっきまで自分もどこへ行くつもりもなく引っ張っていたのに尋ねる。
けれど空は首を振って、
「わかんない、けど確かこっち」
顔は見えない。けど、空が何かを思い出そうとしながら走っているのが分かった。空の背中を見ながら走る陸もまた、その光景には見覚えがあった。
いつだったかもこうして空に手を引かれながら走った記憶がぼんやりとある。
今の今までそんなことがあったことなど思い出しもしなかった。だが一歩踏み出すごとに記憶は鮮明に色づいていく。
今よりもずっと地面が近かったころ。
握る空の手は今よりもさらに小さい。
先を走る空の足は全く緩むことなく動き続けている。
ああそうだ、この先で――
「着いたっ」
先を走っていた空の足がようやく止まって、小さな快哉を叫ぶ。
そこは公園だった。
このあたりでは一番大きな公園。広々とした池を中心にした遊歩道もあり、休日には散歩やボートなどを楽しむ人々が訪れる。一角には遊具やアスレチックなどもあり、子どもも大勢遊びに来る。陸たちも幼い頃はよくここで遊んだ。
だが、記憶の中のあの時ここに来た目的は別にあったと思う。
「あ――」
空がかすれた声で呟きを漏らす。
小さく口を開けたまま固まっている空の視線を追うとそこにあったのは一台のトラック。ソフトクリームを販売しているトラックだった。
この時期だけ、ここにはこのトラックがやってきてソフトクリームを販売していた。
ここで全力で遊び倒した後や、走り回った後。舌の上に蕩けるソフトクリームの感覚が心地よかったのは今でも思い出す。
「……走って熱くなったし、買ってくるか?」
「え、あ。そうだね」
陸が指を指すと、空が一瞬驚いた顔をした後に頷く。
トラックへと近づくと、外に並べられた看板の鮮やかさに目をぱちぱちとさせられる。やはりこういったものは女の子が好むものを配置しているようだ。
男性だけではとても近づく気にはなれない。
「そっか、だからか」
そうだ、だから空と一緒にここへ来たのだ。
ここのソフトクリームが食べたくて、空に一緒に来てもらえるように頼んだ。代償として、その時はソフトクリームをおごらされて。だからあの時空は喜び勇んで走ってここへ来た。
あの時食べたのは確か――
「すみません、チョコミント味二つお願いします」
「りっくん?」
その目が覚えてたんだ? と問いかけている。
空には頷きだけを返して、ソフトクリームを受け取って渡す。
「さっきはちゃんと最後まで食べられなかったからな。今度はゆっくり食べようか」
「……うん」
今度は池を臨むベンチに二人並んで座る。
二人で並んでソフトクリームを食べる光景は、以前と全く変わっていなかった。
「変わってないね」
そう空が口にする。
「……だな」
陸の短い答えに、なぜか空は小さく笑った。
「どうした?」
「ううん。さっきは覚えてること全然違ったのに、今度はちゃんと二人とも覚えてたなって思って」
そう言ってまだ笑い続けている空の顔も、あの頃ここで一緒に並んでソフトクリームを食べた時と全く同じだった。
「でもりっくんは変わったね」
「俺が?」
「だってあの時りっくん、チョコミント味嫌いだったじゃない」
そうだった。
あの時は空に勧められて陸もチョコミント味にしたのだが、あの鼻を抜けるような感覚が受け入れられなかったのだ。
「さすがにもう高校生だからな。好きってわけじゃないけど、食べてうまいってくらいは感じるぞ?」
「だから変わったって思ったの」
「大人になったと言えよ」
そう言ってお互いに笑いあった。
お互いにソフトクリームを食べていると、ようやく顔にわだかまっていた熱が引いていく。同時に空の顔が少し暗くなっていた。
「相本君達、大丈夫かな」
「大丈夫だろ」
「どうしてそう言えるの?」
空の不安げな顔を目線がぶつかる。
「そりゃ、向こうには千秋がいるからな」
あの女がいて、しかも任せろと言った時点で負けはあり得ない。
「……りっくんはいつも千秋ちゃんの事信頼しているよね」
「え?」
「何でもない」
少し不機嫌気味にふいっと顔を逸らす空。
一心に手の中のソフトクリームを食べ始めた。
確かに信頼はしているが、信頼しているのはあいつの悪知恵なんがな……。
そう思って首を傾げていると、ポケットに入れていたケータイが震える。
「ああ、ほら見ろよ」
「え?」
ポケットから出したケータイを見て、空の目の前に出す。
覗きこませた画像にはシルバーアクセ男が警備員に取り押さえられている姿と、サングラス男が数人の警備員によって気絶したまま引きずられている図だった。
そして短い文が付いていて『処分完了。今度焼肉おごれ。にゅふふ~』とあった。
「わかっちゃいたけど流石だな」
「うん、今度みんなで焼き肉行こうね」
そう言って今度こそ晴れやかに空は笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます