第11話 視線


「あいつら何話してるんだ……?」


 棚の隙間から覗いていると、しばらくの間二人は何か話している様子だったが陸のところまでは聞こえなかった。

 陸に出来ることは読んでるふりをしている雑誌を強く握ることだけだった。

 そうしてしばらく経った頃に二人は本屋を出ることにしたようで歩き出す。

 本屋から出たところは開けた場所になっており、ベンチが幾つか並んでいた。空はそこへ腰を下ろしたのだが、相本は何事か伝えると引き止める空を置いて隣のカフェへと向かって行った。


「……よし」


 自分に小さく気合いを入れると、一人になった空に向かって歩き出した。

 ベンチに座った空は、なにか考え込んでいるようで陸がベンチの端に座ったことに気が付いていないようだった。

 陸と空、二人の空間にショッピングモール内のBGMだけが流れていた。

 なんとなく、話しかけづらくて空がこちらに気が付いてくれることを祈っていた陸だったのだが、その様子はなかった。

 意を決して、声を出す。


「空」

「ふぇっ!?」

「え?」


 だが反応は予想外だった。

 短く大きな声を出す空。

 その顔がみるみる赤くなっていく。


「どうした、空?」

「な、なん、何でもないよ!? それよりどうかした?」


 明らかに挙動不審だったがキレ気味に返されたことで「ただ話したかっただけ」とは言いにくくなってしまった。


「あー、そのさ。この辺懐かしいよな。昔はよく二人で遊びに来ただろ?」

「……そうだね。おこづかい持ってよく来たよね」


 二人で眺めるベンチの前を、小学生の低学年くらいの子どもが駆けていく。


「ちょうどあのくらいだったっけ、俺が迷子になって迷子センターに行ったのって」


 あの日は確か、二人で遊びに来てはぐれたんだった。

 当時はケータイも持っておらず、仕方なく迷子センターに行った記憶がある。


「あれ? 違うよ。迷子になったのは私だよ。あの日は確かここでソフトクリームを食べる約束をしてて途中ではぐれちゃって――」

「いや、あの日は確か本屋でマンガを買う予定だったと思うけど――」


 そこまで言って二人で顔を見合わせる。

 お互いの顔を確認して、それぞれが本気でそう信じているのを理解するとなんだか急におかしくなった。


「まだ数年くらいしかたってないのに、意外と覚えてないもんだな」

「ほんとにね。ずっと忘れられないだろうな、ってあの時は絶対思ったのに」


 陸もはっきりと覚えていた。

 あの時一人になって感じた寂しさと、怖さを。


「こうやって、色んなことを忘れて行っちゃうのかな」


 ふと空が呟く。


「今日の事も、明日の事も大人になったら忘れて……りっくんのことも思い出さなくなって仕事するような大人になっちゃうのかな」


 ふわり、と空の背中で羽が大きく広がる。

 数枚の羽根が散り、陸の膝の上にこぼれた。

 寂しげな空の表情と相まって、陸は連想せざるを得なかった。

 空がどこかへ行ってしまう。

 胸を締め付けられるような感覚。

 それは奇しくも今さっき思い出した、この場所ではぐれた時と同じ感覚だった。

 だからだろうか、口からあふれ出る言葉を止められなかった。


「俺は、ずっと空の傍に居る」

「え?」

「かわらねえよ。幾つになっても。空が嫌になったら、話は別だけどさ」

「そんなことっ、ないよ!」


 少し尻すぼみになった言葉に、空の焦ったような言葉が被せられる。


「うん、ずっといっしょだから。変わらないから」

「空……」


 嬉しそうに笑う空。

 気が付くと、空との距離が縮んでいた。ベンチの端と端に座っていただけだったはずだが、今は隣に座っていると言っていい距離感。


「あのさ、空……」


 脳裏に、さっきまで相本と2人並んで歩いていた空の姿が思い浮かぶ。

 もしこのままだったら、さっき言ったことは嘘になるかもしれない。

 空が相本を選ぶなら、そんな未来はやってこない。

 脳裏にちらつく光景が、陸を焦らせていた。


「あー、君たち君たち」

「公共の場で、何、やってる?」


 不意に、正面から声を掛けられる。

 見れば栄子と椎がこちらを微妙に生暖かい視線で見下ろしていた。


「あ、栄子ちゃん椎ちゃん。買い物終わった?」

「え? あ、うん。終わったよ?」


 ごく普通の様子で尋ね返した空の姿に、なぜか椎の方がたじろぐ。

 ちなみに栄子の手には本屋のロゴが入った袋が握られており、買い物が終わったのは間違いないようだった。


「にゃはは~、邪魔しちゃったかな~?」

「マジでこいつらうるせぇ……おい、陸。ゲーセン行かねーか?」


 その後ろから千秋と冬彦が歩いて来る。


「お前ら……」


 視線を鋭くして問えば、苦笑が返って来る。


「にゅふふ~、もうちょっと見てたかったんだけどね」

「あんだよ、何かあったか?」


 苦笑いする千秋の一方で、冬彦はあまり理解していないようだった。

 からかってくる千秋よりは何も理解できていない冬彦の方が幾分かましな気分だった。


「あれ、みんな戻って来たんだ?」


 と、そこへ相本がカフェからやって来る。

 相本の両手にはひとつずつソフトクリームが握られていた。


「はい、天野さん」

「え?」

「イチゴとりんご、どっちがいい?」


 空の目の前に差し出されたのはピンクと白の山を作った綺麗なソフトクリームだ。


「いいの?」

「もちろん」

「それじゃ、イチゴもらうね。ありがとう」


 礼を言って空がピンク色をした方のソフトクリームを受け取る。


「そらそらいーなー、私もちょっと買ってくる!」

「あ、待って」


 そう言って栄子と椎もカフェへと駆けて行った。

 その光景を見ていて、ふと頭に浮かんだ光景がある。

 以前、こんな光景を見たことがある。

 あの時も、陸は空と一緒にあのカフェでソフトクリームを買いに来たんだった。

 ずっと以前、子どもの頃のことだ。

 あの時、空が買っていたソフトクリームは確か――


「ねぇ、見て。あれ……」

「何あれ? コスプレ?」


 くすくすと笑う声。

 視線を向けると、そこにはこちらを見て笑う近くの別の高校の女子がいる。

 彼女らの視線の先には空の背中から生えた羽があった。

 その視線を感じたのだろう、一口だけソフトクリームを舐めた空が体を硬直させる。

 だがそれは一瞬の事で、気が付いたのは陸だけの様だった。

 空は再びソフトクリームに口をつけながら、相本の他愛もない話に相槌を打っている。

 もしかしたら、ここしばらくの間空はほとんど外を出歩いていないのかもしれない。

 思い起こせる限りだと、学校が終わった後空はほとんどそのまま家に帰ってきていた気がする。

 ああいった視線にさらされるのが分かっていたからだろう。


「……」


 陸は黙ってベンチから立ち上がった。

 胸の中に渦巻くのは無遠慮な視線への怒りだった。

 相本の背後を回り込み、ベンチの反対側まで来ると無言で立つ。ついにはケータイのカメラまで向け始めた相手に冷たい視線を送ると、そこでようやくこちらに気が付いたようだった。ケータイをサッとしまうと足早に立ち去っていく。


「りっくん?」


 陸の背後、ベンチの上から空の小さな声。

 振り向くと、ソフトクリームに口をつけたまま空がこちらを見上げている。


「何だ?」


 あえてぶっきらぼうに尋ね返す。


「……ううん」


 だが空は何も続けては来なかった。

 ただ口元が小さく『ありがとう』とだけ動いた気がした。

 そのことが何だか無性に嬉しくて、陸は視線を逸らした。嬉しい気持ちを空に見透かされるのが恥ずかしくて。


「おい、あれ見ろよ」


 その逸らした視線が向いた先で、陸はやけに大きな声を聞いた。


「うっわ、何だよあれ。本物か?」

「バッカ、コスプレに決まってんだろ」

「でも本物みてーじゃねーか」

「しかも結構可愛いじゃんかよ」


 それは二人とも髪を派手な金髪に染めた男だった。

 片方は柄シャツにシルバーアクセをジャラジャラと付けている。

 もう一人は色の濃いサングラスと耳に無数に付けたピアスが印象的だった。

 二人の視線は、間を遮った陸を通り越して空へと向かっているのがはっきりと分かるものだ。その目は好奇と欲望に歪んでいる。

 二人組の足がこちらに動くまで幾ばくも無いだろう。

 面倒なことになりそうだ。

 素直にそう思って背後の友人たちに声を掛けようとしたが、時すでに遅し。


「へーい、彼女。その羽、ホンモノ?」

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