第9話 変化してゆく日常
「ただいま」
家のドアを開けると、奥の方から空と美里の声が聞こえてくる。
どうやらまた部屋でゲームでもしているようだ。
普段と変わらない様子にため息をつく。
こちらは慣れないことをしたせいで非常に疲れたと言うのに、空は何も知らないのだろう。
「まぁ、それでいいんだけど」
カバンを置くべく部屋へと向かうと徐々にゲームの音が大きくなる。
ドア越しに聞こえる音は打撃音だ。
どうやらまた格ゲーでもやっているらしい。
陸はノックもせずに扉を開いた。
「あ、お帰りおにいちゃん」
部屋の中には昨日と変わらず床に座ってゲームをする二人の姿があった。既に一度部屋に戻って着替えてきた後なのだろう。空はいつも通りの部屋着姿だった。背中の羽が白くまぶしい。お互いの肩がぶつかるぐらいに寄り添って並んでいた。
どこからどう見ても仲睦まじい姉妹の姿だ。
「もう、遅いよおにいちゃん。今日おかあさん遅いから晩ご飯おにいちゃんの当番でしょ?」
「やべっ、そういやそうだった……」
学校を出るのにもたもたしたせいで、今は19時を既に回っている。
バスケの事で頭がいっぱいになっていたからすっかり忘れていた。
母親の水面は基本的に夕方には帰って来るのだが、帰りが遅い予定の時には兄弟のどちらかが晩ご飯を用意することになっている。
ちなみに料理の腕は小学生の美里の方が上手だ。
「あんまり遅いからそらねえと一緒に作っちゃったよ」
「え? 空が?」
そう思って見ると、空はなぜか食い入るように画面を見つめている。
だが陸が見つめていると、次の瞬間には立ち上がって、
「それじゃ、りっくんも帰って来たしご飯にしよっか。美里ちゃん」
「うんっ」
コントローラーを床に置くと立ち上がって部屋を出て行ってしまう。
頷いた美里はゲームのスイッチを切って後に続いた。
「何だ?」
何が、とは言えないが違和感があった。
それも以前はよく見知ったはっきりとしたサイン。
「うーん、何だっけな」
「おにいちゃーん、早く!」
「分かった」
美里の呼ぶ声に思考を遮られて、陸は急いで制服を着替えてリビングへと向かう。
空腹時の妹は手が付けられないくらいに凶暴化することがあるのだ。
急いでリビングへと向かうと、テーブルの上には既にいい匂いのする料理が並んでいた。
「お、筑前煮か」
テーブルの上には大皿で筑前煮。
そして味噌汁と冷ややっこと白米が三人分並んでいる。
とてもおいしそうだが――
「美里、ほとんど空が作ってくれただろ」
「えへへ、ばれた?」
料理が陸よりもうまいとはいえ、流石にここまで凝ったものを作ったりはしない。
美里はせいぜい味噌汁を作ったくらいだろう。
「でも、教えてもらったから次からはみさとも作れるもん」
「それじゃ、次回に期待だな」
全員が食卓に着いて「いただきます」といって食べ始める。
口に運んだ筑前煮はとてもおいしかった。
下味からしっかりつけられている。
同居していたお祖母ちゃんの影響で、空は和食を作るのが上手かった。
「うまいよ、空」
「そうかな、ありがと」
と言葉短めに言うのだが、その時にも目線を合わせてくれない。
「ねぇ、おにいちゃん」
「ん?」
隣の席に座る美里が耳元に口を近づけて小さく訊ねて来る。
「今日そらねえなんか機嫌悪くない?」
その言葉にはっとする。
空の左手が、耳たぶをいじっている。
それは空の機嫌が悪い時のサインだ。
幼い頃から全く変わっていない。
「ねぇ、おにいちゃん、何かしたの?」
「いや……それは」
思い当たる節が多すぎる。
だが今朝はあれだけ機嫌がよかったと言うのにこの急降下は一体何なのか。
「とりあえず、謝っちゃいなよ」
「そ、そうだな」
何が原因かは分からないが、とりあえず謝って機嫌を直してもらおう。
そう考えて飲み干した味噌汁のお椀を置いて、居住まいを正す。
「空、そのゴメン」
「え? 何が?」
陸が頭を下げると、空は驚いた顔で固まる。
「えっと、体育の事とか、色々……なんかずっと不機嫌だっただろ」
そう指摘してやると、首を傾げてきょとんとした顔をする。
「そんなつもりなかったんだけど……?」
おや、と陸は思う。
この顔は本当に気が付いていない顔だ。
まさか無意識で、か?
「えっと、何か勘違いさせちゃってたならこちらこそゴメンね。美里ちゃんも、怖がらせちゃった?」
「ちょっとだけ、怖い雰囲気だったかも」
「そっか。じゃ、お詫びにお風呂で頭洗ってあげるから一緒に入ろ」
「やった!」
そう言ってニコニコする空の顔にはもう不機嫌な雰囲気はない。
いつもの空だ。
一体何だったのか、気になるところではあったが藪をつついて蛇を出すつもりもない。
仲良く談笑し始めた空と美里を見ながら陸は夕食を続行した。
◇
「天野さん、この後一緒に僕とデートしてくれませんか」
教室で、またもいきなりそう言ったのは相本だった。
教室内の人間が全員ピシリと石化の魔法にでもかけられたかのように動きを止めて、二人の様子をうかがっている。
時刻はホームルームが終わってすぐ、クラスの全員が帰る仕度をしているさなかに起こった。
当然、陸も声を掛けられた空の後ろの席にいるわけで、二人の様子がよく見える。
相本にデートに誘われた空はと言えば、固まったままだ。
「そ――」
「おおーっと、それ以上は」
「私達を通してもらおう、かな?」
再び相本が何かを言いかけたところで割って入る影が二つ。
栄子と椎だ。
二人は相本と空の間に無理やりに割り入って通せんぼするような形を作っている。
「んでぇ? 当然デートプランは考えてあるんだろうね?」
「しっぽりむふふなところには私たちの目が黒いうちは行かせませんから、ね?」
ずいっと相本に迫る二人。
どちらも完全にこの状況を面白がっているようだ。
元々二人は相本の告白を邪魔させないように動いていたのだ。
デート自体を邪魔するつもりが毛頭ないことは分かり切っていた。
「いや、デートとは言ったけど少し歩きながら話をしたいと思っただけなんだ。もしよければ駅前のモールに行きたいな、と」
なるほど、駅前の方の大きなショッピングモールに行くつもりらしい。
この辺でデートなどと言えばカラオケか、ゲーセンもあるそのショッピングモールくらいしかない。
「僕はまだほとんど天野さんと話したりできていないからね、少しでも僕のことを知ってもらいたいんだよ。何だったら話しながら公園を少し散歩するだけでもいいと思ってるんだ」
「ふむ、デートと言うには色気が足りないように思えるけど……」
「むしろちょうど良い、かも?」
栄子も椎も相本はもっとがつがつ空に迫って来るものと思っていたのだろう。
ちょっと毒気を抜かれたようになっている。
「よろしい、そう言うことならば許可しよう!」
「ちょっと栄子ちゃん! 勝手に許可しないでよ……」
二人のガーディアンが相本の前に陥落したところで、ようやく空が再起動を果たしたようだった。
顔を赤くしてわたわたとしている。
「にゅふふふ~始まったねぇ」
後ろの席からその様子を眺めていると、冬彦を伴って千秋がやってきていた。
「陸くんは混ざらなくていいの?」
「いや、俺は……」
さすがにあそこに割って入る勇気はない。
「でも、このままだと空ちゃん、相本君に取られちゃうかもよ」
他の人に聞こえないように、千秋が耳元で小声でささやく。
耳を撫でる風が、背筋をゾクリとさせた。
「……分かった、ショッピングモールね。行くよ」
だがそんなこと気にしていられなくなる。
戸惑っていた空が一転、オーケーを出したのだ。
背中の小さな羽がピンと張っている。
「でも、栄子ちゃんと椎ちゃんも一緒でいい?」
「もちろん、構わないよ。僕から無理に誘っているからね」
相本の高揚した笑顔が何だか憎い。
胸の奥がなんだかムカムカしてくる。
それは空に対してもだった。
何でデートの誘い、受けちゃうんだよ――
「ね、陸くん、本当にいいの?」
小声で、けれど今度は本当に心配して言ってくる。
その目の前で空が栄子と椎を連れて立ち上がった。
相本は自分の席から鞄を取って待っている。
二人の距離が、徐々に開いていく。
けれど、陸は何も言えなかった。
「も~しょうがないにゃ~。夏木君」
「んぉっ!? な、何だ?」
千秋と一緒にやってきていた冬彦は今までずっと黙っていたのだが、いきなり千秋に名前を呼ばれて肩を跳ね上げていた。
「私達3人も混ざれるように言ってきて」
「え? 何で?」
「いいから~。早く行かないとあのこと、言っちゃうよ?」
「あのこと?」
戸惑う冬彦の耳元に千秋が口を寄せる。
耳元で囁いた直後、冬彦の目が大きく見開かれた。
「お、おまっ、何で知って!?」
「にゅふふ~それは秘密。さ、分かったら行く」
「……ちっしゃーねーな」
そう言うと冬彦は立ち上がった。
「ちょっと待った! そのデート、俺たちも参加させてもらうぜ!」
冬彦の大きな声に、今まさに教室を出ようとしていた一団の足が止まる。
同時にクラス中の視線が冬彦を通り抜けて、陸へと突き刺さった。
多すぎる視線の数に心臓が跳ね上がる。
昨日の体育の一件で、どうやら空と陸の間にただならない関係があることが噂になって広がったらしい。つい先ほど、空がオーケーを出した時から既に視線の半分くらいは陸に向かっていた。
「なーんであんたがしゃしゃり出てくんのよ」
冬彦の声に、栄子が苛立たし気な声を上げる。
過分に棘のついた声だった。つり目がちの目元がさらに釣りが上がり、短髪が逆立っているように見える。
「いいじゃねえかよ。俺達もクラスの人気者同士の恋の行方がどうなるのか気になるんだよ。それに、人数が多い方が天野も緊張しなくていいんじゃねーの?」
「それは、いいかも?」
冬彦の適当な言い分に、椎が同意を示す。
「やめなって、どうせ今適当に後付けで考えただけだよ」
「でも、事実?」
「うっ」
どうやら栄子は冬彦が一緒に来るのが嫌なようだ。
「僕は別に構わないよ。人数が多い方が楽しいだろうしね」
結局、その場をまとめたのは相本だった。
デートの発起人がオーケーを出したことで、空気は一気に同意へと傾く。
「よし、決まりだな。ほら、行くぞ二人とも!」
その言葉と共にデートへの同伴が決まったのだった。
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