第8話 ライバルは騎士さま
目が覚めた時、一番に目に入ったのは隣の席から覗きこんでいる空の心配そうな顔だった。
狼狽えて体を引き離そうとする陸に対し、空が飛びつくようにして抱き着いて来る。
「うおっ」
「りっくん!」
体にかけられている布団ごとホールドされて、全く身動きが出来なくなった。
「こ、ここは、保健室か」
体を動かせないまま、頭だけ動かして周囲を確認するとそこは見慣れた保健室だった。
等間隔でベッドが3つ並び、今は陸以外誰も寝ていない。外の様子はカーテンが引かれているためによくわからない。柔らかな光が白いカーテン越しに見えて、まだ夜ではない事だけが分かる。いつも養護教諭が詰めている机には誰もいない。
どうやら2人だけの様だった。
「心配、したんだよ?」
「……悪い」
ぼそり、と呟かれる声。
布団の上から回された両腕は微かに震えていた。
胸に押し付けられて顔は見えないが、触れている体温はかなり低く感じる。
その様子を見て、ふと思い当たることがあった。
「空、お前もしかしてお祖母ちゃんが亡くなったときの事、思い出したんじゃないよな」
びくり、と肩が跳ね上がったのが分かる。
「だよな、ゴメン」
「りっくんは! ……悪くないよ」
陸が謝るとばっと顔を上げた空と目が合う。
さっきは分からなかったが、目元がうっすらと腫れている。
そのことを確認して陸がさっと顔色を曇らせると、空がそれを察したのだろう。顔を再びうつむけて胸に押し付けてくる。
「私が、勝手に心配しただけだもん」
声が震えている。
「だったら、やっぱり俺が悪いよ。ちょっと、ムキになり過ぎた」
「どうしてあんなに頑張ったの?」
少しだけ鼻をすすりながら、空が顔を上げてこちらを見上げる。
まっすぐな視線を受けて思わずうっ、となる。
とても「相本のアピールを妨害するため」とは言えない。
「今日はちょっと、走りたい気分だったんだよ」
「ふーん……」
明らかに信じていない目線。
じりじりと逃げるように視線を逸らす。
「今日、なんだか朝からヘンだったよ? 千秋ちゃんともずっとコソコソしてるし……」
どうやら気づかれていたらしい。
まぁあれだけ授業中に笑っていればつながりを疑われるのも当然か。
言うつもりはないので目を逸らし続けていると、空が不意に小さくため息をついた。
「でも、今日のりっくん結構かっこよかったよ」
「え?」
ぐいっと振り向くと、少し頬を赤らめた空が体を離してベッドから立ち上がるところだった。
「大丈夫そうだからもう行くね。ホームルームも終わってるから、それじゃ」
「あ、おい、空」
陸が止める間もなく空は早口にそれだけ言うと保健室を出て行ってしまった。
扉がちょっと乱暴に閉められる音がこだまして、すぐに静かになる。
急に静かになってしまって少しだけ寂しい。
「結局、相本とはどうなったんだ……?」
聞けなかった言葉が空しく響く。
誰もいなくなった保健室に、廊下から生徒たちのにぎやかな声がうっすらと聞こえてくる。
空の言う通り時刻はとっくに放課後だった。
誰もいないなら、もう少ししてから帰るか――
そう思ってもう一度布団に横になったのだが、
からり、と軽い音を立てて扉が開いた。
保健室に入って来た男子生徒を見て、ベッドに戻ろうとした半端な姿勢で固まってしまう。
「起きたんですね」
「相本……」
相本は静かに保健室へ入って来ると、陸の座るベッドの脇の椅子に腰を下ろした。
そして開口一番に、
「ゴメン」
と謝罪を口にしたのだった。
「え?」
「僕がもう少し配慮していれば意識を失ったりせずに済んだでしょう? だから、ゴメン」
そう言って頭を下げるのだった。
「い、いや! あれは佐々木が突っ込んできたからで……!」
佐々木と言うのは最後に奇声を上げながら突っ込んできたクラスメイトだ。
よほどイケメンが嫌いらしい。
「それに俺もムキになってたから……」
「いや、まさかあそこまで食いつかれるとは僕も思っていなかった。もし来るとしても、他の男子だと思ってたんだ。でも、来たのは君だった」
相本の目線が、陸を貫く。
穏やかで温かみのある相本の雰囲気が、コート上で向かい合った時と同じ物に代わった。
「聞いたよ、天野さんとは幼馴染だってね。今日の事、天野さんから聞いてた?」
首元に剣を突き付けられたかのような真剣な雰囲気。
謝罪は詰問へと代わっていた。
一瞬、相本の纏う雰囲気に気圧されそうになるが、精神を総動員して踏みとどまる。
「ああ、聞いてた」
「そうか。やっぱりそうなんだね」
「やっぱり?」
「聞いていないのかい? いや、自分では言えないか。君が倒れた後、天野さんはかなり狼狽していたんだよ。それこそ女子側のコートからすっ飛んでくるくらいにね」
相本が顔をわずかに歪めながらそう教えてくれる。
「そうか……やっぱり、悪いことしたな」
「どういう意味だい?」
「あいつのお祖母ちゃん、先月亡くなったんだよ。きっと俺が倒れたことでその時のことを思い出して……」
つらいことを思い出させてしまっただろうな、と思うと胸の中に自責の念が湧く。
「いや、待ってくれ。君たちは付き合っているんじゃないのか?」
「は? どうしてそうなる?」
相本の予想外の問いに思わず言葉が尖るのを止められなかった。
「僕は天野さんに告白した。好きだとね。でも結果は玉砕だ。だから僕は彼女を振り向かせたいと今日は頑張ってたわけだけど、それは彼女と君が付き合っているからじゃないのか?」
「いや、違うって、あいつは俺のことを男だなんて認識してくれやしないって。いいとこ兄とかだろ」
「それはそれでうらやましいが……そうか?」
相本は顎に手を当ててぶつぶつと呟く。
「だけどあの時の表情はとてもそうは……いや、本人が、そんなこと」
「おい、どうした?」
急に普通ではない様子で思考の海に没頭する姿に思わず心配になる。
陸が声を掛けると、はっとした様子で相本が顔を上げた。
「……本当に付き合っていないのかい?」
「付き合ってないって言ってるだろ。何だったら告白を流されたわ!」
相本の再度の問いに自分の中の何かが切れたのを感じた。
「俺は兄みたいな存在なんだってよ」
「あー、なるほど。近すぎた感じなのか……」
陸が拗ねたように言うと相本が納得したようにぼそぼそと何かを言う。
「はぁ?」
「いや、何でもないよ。でもそうか、なら――」
すっくと相本が立ち上がる。
元々高い相本が立ち上がると、ベッドに座ったままの陸からはかなりの身長差が出来る。
高いところから相本が見下ろして、真剣な声を出す。
「僕と君はライバルってわけだね」
そんなことを言いだすのだった。
「い、いや何を言って」
「君も天野さんの事が好きなんだろ?」
「それは……」
「だったら、僕と君はライバルってわけだね」
再度そう宣言する相本の口元には笑みが浮かんでいる。
言っているセリフは歯の浮くようなセリフなのに、嫌味な感じがなぜか全くしない。
これが騎士サマの力か……と、呆然としていると急に時計を見て焦りだした。
「そろそろ部活に行かなきゃ。それじゃ、宣戦布告はしたからね。抜け駆けはなしだよ大地君」
「あ、おい! ちょっとまてよ!」
だが止める間もなく相本は足早に保健室を立ち去ってしまう。
「いったい何だってんだよ……この状況」
勝手にライバル認定されて、陸としては戸惑いしかなかった。
相本はどう見てもクラス内カーストの上位に居そうなタイプの人間だ。
対して陸は自分をクラス内でも不良寄りに位置していると自己評価している。
そんな相手から敵として認識されたのが不思議であると同時に、なんだか妙な高揚感を覚えてしまう。
「……とりあえず帰るか」
今度こそベッドから起き上がり、ドアへと向かう。
だが、その足が止まった。
背後、窓が軽くノックされたからだ。
窓にはカーテンが引かれており、音はその向こうからだった。
「陸くん、私だよ~」
「千秋か?」
動けないでいるとカーテンの向こうから千秋の声が聞こえてくる。陸は足早にカーテンへ歩み寄ると、一気に開け放つ。
すると西に傾き始めた陽光が一気に目を刺す。
一瞬白くくらんだ視界が戻ると、窓の向こうにこちらをのぞき込む千秋の姿があった。
かかっていた鍵を外すと、窓を開ける。
一気に初夏の熱気がエアコンを利かせた保健室に入り込んでくるのだった。
「お前、こんなところで何してんだよ?」
「いや~、ホームルームも終わったからお見舞いにって思ったんだけどね~。ずっと空ちゃんが付いてて入り辛くて……」
にゅふふ~、と笑う顔には若干元気がない。
頭の後ろのポニーテールも心なしかしょんぼりしているようだった。
「その、何ていうか悪かったね~。正直まさかあそこまで本気でやるとは私も思ってなかったんだよね」
「いいよ、別に。チーム組は妥当だったと思うしな」
授業中腹を抱えて笑っていたことは少し腹が立つが、許してもいいだろう。
「あ、ホント? よかった~。いや~面白くしようと思って相手チームには強めの運動部を集めてたんだけど、相本君が積極的に動かないように言ってたみたいでちょうどいい試合展開になって面白かったよね~」
「おい、待てそれは知らないぞ」
「まぁまぁ。それよりも倒れた後のこと聞きたくない? 二人からは聞けてなかったでしょ」
「まぁ、それは……」
確かに聞きたいことではあった。
その言葉に千秋がにんまりと笑って話し始めた。
「陸くんが倒れてからは相本君が言ってた通り、空ちゃんがすごい血相変えて男子側のコートに飛び込んできたんだけど、それ以上にそんな空ちゃんに皆すごいびっくりしてたよ」
「う、そう、だよな」
クラスの中心にいた人物が、今までほとんど関わりを見せてこなかったクラスの不良に対していきなりそんな態度を取ったらそれは騒ぎにもなる。
「相本君は固まってたし、佐々木君は真っ白になってたし、男子も女子もあんなに心配してもらってる陸くんには困惑してたと思う。一部の人の目が嫉妬に燃えてたかもね~」
「これから教室に戻らなきゃいけないってのにそんなこと聞かせるなよ……」
大きくため息をついて、窓枠に寄りかかる。
「にゅふふ~、だからね陸くん」
うなだれる陸に窓の向こうからぐいっと千秋が身を乗り出してくる。
「ばれないようにしっかりやらないと、今度は陸くんが危ないことになるよ?」
そう耳元で囁くのだった。
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