第6話 アマゾネスは友人のために戦う


 最後のホームルームが終了した後、さりげない動きで相本が空の机の脇を通り抜け様に小さく折りたたまれた紙片を置いていく。

 当然その後ろの席にいる陸の脇を抜けて廊下へ向かって行くのだが、こっそりとその顔を見上げる。真剣だ。

 からりと教室の後ろのドアが開かれて、相本が教室を出る。

 その瞬間に数人の女子が空の机へと群がった。


「何? 何? 何て書いてるの?」

「天野さん、行くの?」

「YOU付き合っちゃいなYO!」


 前の机が一気に女子で囲まれ黄色いざわめきに包まれる。


「あ、屋上だって。待ってるって書いてあるよ」


 その声が聞こえた瞬間にクラス中の男子の耳のサイズが倍になった気がした。

 中には机を揺らして音を立てている者もいる。


「もう、しばらくほっておいてよ」


 困ったように笑いながら、空が荷物を持って席を立つ。

 口々に声援を送る友人たちに見送られながら、空は教室を出て行った。

 その数秒後、教室の中に一斉に椅子をずらす音が鳴る。

 クラスの男子の大半が一度に立ち上がっていた。

 それぞれが探るような視線を交わし合いながら、教室の前後の扉へと向かって行く。


「おっと」

「ここは」

「「通さねぇぜ」」


 だがその前に二人の女子が立ちはだかっていた。

 それぞれ空の友人Aと友人Cだ。

 教室の前の扉の前に仁王立ちする友人A――名前は代田栄子だったか。彼女の目には好戦的な光が宿り、周りに集まって来た男子たちへ睨みを利かせている。

 対して教室の後ろの方に陣取っているのはセミロングほどの髪を頭の後ろで結んで小さなポニーテールを作っている友人C――黒井椎だ。周囲を取り囲む男子たちを前に、こちらはおどおどと視線を揺らしているが、手には竹刀がしっかりと握られている。


「な、おい! 邪魔するなよ」

「そ、そうだ。俺達はただ帰るだけなんだから」


 すぐにでも教室を出て空の後を追いかけようと思っていた男子たちが口々に騒ぎ立てる。もしまかり間違って、空と相本がいい雰囲気にでもなったときにはそれを邪魔しようと画策していた者達。それが彼らだ。

 だからそんな嘘ははっきりと見抜かれていた。


「へっ、大した理由がないならあと15分くらい待ちな!」

「え、えと。ごめんなさい、ここはしばらく通せません」


 栄子の大きな声と、椎のおどおどした声が集まった男子たちの野次をかき消す。


「もし、ここを通りたいなら」

「力ずくでどうぞ」


 その言葉がきっかけとなり、二人を囲んでいた男子たちが一斉に動き出した。

 力ずくでどかそうとする。

 だが、


「セイヤッ!」

「破ッ!」


 そんな男子生徒たちは一様に吹き飛ばされ床を舐めるはめになった。

 後に立つのは栄子と椎だけだ。

 栄子は迫りくる男子たちを片っ端から足を絡め倒し、あるいは投げ飛ばしていた。

 椎は素早い動きで面を打ち胴を抜く。

 二人はそれぞれ柔道部と剣道部でレギュラー入りをするような実力者だった。


「にゅふふふ~、面白いことになって来たね~」

「面白いって、この惨状がか?」


 隣にやってきてにやにや笑う千秋に指さす。

 そこには投げ飛ばされ、腹に竹刀の一撃を受けながらも最後ゾンビの如く立ち上がる男子生徒の姿がある。


「いい光景じゃん。己の欲望のためにいたいけな女子に襲い掛かる男子生徒の図、ってね~。コレ動画投稿サイトに流したら炎上するんじゃない?」

「いたいけな男子に暴力を振るうアマゾネスの姿ってタイトルにしとけよ」


 実際それくらいの戦力差に見えた。

 どちらも県大会で結構上位に食い込むくらいの実力者なのだが、見たところ試合の土俵外の方がどうやら強いタイプらしい。


「で、陸くんは行かなくていーの?」

「いや、俺は……」


 飛びかかって行っては返り討ちにあうクラスメイトの姿を見て、椅子から腰が浮かない。

 だがこのまま手をこまねいていては今日一日悶々と想像していた通りになってしまいかねない。

 目の前の暴力と、屋上で起きるかもしれない事態への不安に圧迫されて陸の心臓はぺしゃんこになりそうだった。


「あ……大地君も、行くの?」


 教室の後ろ、椎の前に立つと竹刀とおどおどした視線を向けられる。


「帰るだけだ、って言ったらそこ通してくれるのか?」

「ううん、もうちょっとだけ、残ってもらうかな」


 その声と共に椎が竹刀を初めて両手で、しかも正眼に構える。

 重心を少し下に落とし後ろに下げた左足に重心を乗せている。

 明らかに本気の構え。


「おい、今までそんなマジにやってなかっただろ!?」

「大地君は、喧嘩強いんでしょ? 友達から聞いたよ?」


 そう言いながらすり足で間合いを詰め始める。


「いや、俺、喧嘩なんてやったことないんだけど……」

「問答、無用……!」


 おどおどしていた目が、一瞬で武芸者の真剣な目に切り替わる。

 ぼんやりとした雰囲気が霧散し、殺気のようなものを身に纏う。


「くそっ、仕方ない」


 陸は悪態をつきながら、拳を固く握る。

 どうにかしてここを突破して、屋上に行かなければならないのだ。


「いざ、尋常に……勝負!」


 その言葉と共に椎が自身の重心を乗せた左の蹴り足に力を籠める。

 左足がばねのように跳ねて二人の距離が一気に詰まる、はずだった。

 いきなり教室のドアが二つ同時に開かなければ。


「こぉら! 黒井! 教室で竹刀を振り回すなと何度言えばわかる!」

「代田ぁ! 部活の時間だぞ! 今日はパフェなどと軟弱な物を理由にさぼらせはせんからな!」


 扉を開けてそれぞれ入ってきたのはどちらも女生徒だった。

 椎の名を呼んだのは剣道着に身を包んだ凛とした雰囲気の女子生徒。

 栄子の名を呼んだのは女子の割には大柄な、柔道着に身を包んだ女子生徒。


「いっ、部長!?」


 目の前の椎がぎぎぎ、と擬音がするような動きで後ろを振り向く。


「お前はまた教室でそのような蛮行を……! 来い、その根性今日こそ叩き直してくれる!」


 そう言うなり部長と呼ばれた女子生徒は椎の襟首をつかんで引きずっていく。


「あ、ちょっと! ま、待って下さい!?」


 ずるずると引きずられながら抗議の声を上げる椎だったが、部長は手を緩めることなく無情にも声は遠のいていく。


「こ、これで勝ったと思わないで~!?」


 遠くから椎の声が聞こえてくる。

 教室内にようやく静寂が戻って来たことを確認し、ほっと一息をつく。

 教室の前の方を見て見れば、床の上に転がる死屍累々の中に冬彦が混ざっていた。その手足はなぜかあらぬ方向を向いており、どうやら椎同様先輩に連れ去られた栄子によって関節技でも極められたらしかった。

 時計を見れば空が屋上へ向かってから既に30分が経過している。

 もう間に合わないかもしれないが、行かずに悶々としているよりはいいだろう。

 陸は床の上に転がる者達に手を合わせてから教室を飛び出した。

 屋上へと向かう階段を駆け上がる。

 途中、頭にあったのはやはり授業中に浮かんでは消えた妄想だ。

 放課後の特別な雰囲気。

 その中で告白し、肩を抱き寄せる相本と抱き寄せられる空……。


「いやダメだダメだダメだ……!」


 頭を振って妄想を追い散らす。

 ようやく階段を上り終え、屋上への扉に手を掛ける。

 だがもし、空がそれでいいと思っていたら?

 ノブを回そうとしていた手が凍り付いたように止まる。

 陸自身は空が自分以外の誰かと付き合うのは嫌だが、肝心の空が相本の事をどう思っているのかがわからない。

 昔だったら、分かったかもしれない。

 朝から晩までほとんどずっと一緒にいたのだから。

 だが二人の間には小学校の五年生からついこの前まで時間の断絶があった。

 その原因は、陸に大部分があったのだが。

 だからもし、空が相本の事を好きだと言うのならば、それを邪魔する権利は陸自身にはないのではないだろうか。

 所詮、空にとって陸は隣の部屋に住む幼馴染に過ぎないのだから……。

 陸の背中を悪寒が駆け巡る。


「そんなのは、まっぴらごめんだ」


 小さくつぶやくと、ようやく体の硬直が解けてドアノブに力が入る。

 そっと扉を押し開けると、隙間から夕陽が差し込んできた。

 目を細めながら、屋上に素早く視線を走らせる。

 校舎一棟丸ごと分の広さがある屋上には、高いフェンスが張り巡らされ、ぽつぽつとベンチが置かれていた。普段はここをたまり場にしている生徒もいるらしい。


「いない……」


 だが今そこに人影は一つもなかった。

 空の姿も、相本の姿も。

 どうやら二人の話はとうの昔に終わって、帰ってしまったらしかった。


「はは……」


 陸の口から乾いた笑いが漏れる。

 どうやら栄子と椎は見事に必要な時間を稼いだらしい。


「終わった……」


 陸は肩をがっくりと落として階段へと戻った。

 相本は端的に見て十分に優良物件だ。

 もし、教室内で返事を求められれば当惑して断ることもあったかもしれないが、今見て来た屋上の雰囲気でもう一度告白されれば嫌だと思う女子などほとんどいないだろう。

 それこそ他に好きな相手がいるなどと理由がなければ……。


「帰ろう……」


 階段を下りる足取りはふわふわとして頼りない。

 家に着くまで陸は自分がどうやって帰って来たのかよくわからなかった。


   ◇


「で? どうしてこうなってるわけ?」

「ふぇ?」


 重たい足を引きずりながら家に戻って、自室に入ったところで陸は若干の苛立ちを含めて呟く。

 部屋の中では、妹の美里と空がなぜか一緒にテレビでゲームをしていた。

 陸の部屋で。


「だって、おにいちゃんの部屋にゲームあるし」


 コントローラーを手放さないどころか、目線を一切画面から切らずに美里が言う。

 一方の空はと言えば、ごく普通に「お帰りー」と言って目線を切ったので、出来た大きな隙に美里の操るキャラクターが勝負を決めにかかった。

 画面の中のマスクをかぶったレスラーが剣を振り回す空のキャラクターにがっぷりと掴みかかり、ど派手なアクションと共にバックドロップを決める。画面にK.O.の文字と共にファンファーレが鳴り響いた。


「勝ったぁ! みさとの勝ちだよ、そらねえ!」

「うーん、流石に強いね、美里ちゃん」


 勝ち誇る美里に空が小さく拍手を送っている。

 その顔はいつも部屋で見る自然な空の顔だった。

 とても今日学校で告白された女の子の姿には見えない。


「……美里、空に大事な話があるんだ。悪いけどちょっと部屋から出ててくれるか」

「えー? もっと遊びたいー」

「冷蔵庫に入ってるアイス、食べていいぞ」

「おっけー、アイス食べて来る!」


 そう言ってコントローラーを置くと美里が陸とすれ違って部屋から出て行く。


「でも大事な話って何? 告白とか?」


 キャー、と声をすれ違いに上げながら部屋から出て行く美里。


「それはもうやった」

「は、え? 今なんて言ったのおにいちゃ――!?」


 部屋から出たところで足を止めて振り返る美里の眼前で無情にドアを閉めて抑える。

 しばらく向こうからドアを叩く音と、ドアノブをガチャガチャしていたが、部屋の中から扉を押さえておくと遠のく足音と共に静かになった。

 それを確認して、陸は空に向き直る。

 部屋の中で空は変わらず床の上に座ってこちらを見上げている。

 やはりいつも通りの空だった。


「空、その、相本との話は、どうだったんだ?」


 若干の言いにくさに言葉をつっかえさせながら、陸は訊ねた。

 自分の好きな女の子に告白の返事をどうした、などと聞くのはかなり恥ずかしい。

 陸は身をもって知った。


「うーん、断ったんだけどねぇ」

「……なんだ? しつこく食い下がられたか」


 相本め、意外にしつこい性格だったか。

 明日学校裏の池にでも沈めてやろうか、そう考えていると困ったような笑みを浮かべながら空が続ける。


「明日の体育のバスケで、かっこいいところ見せるから見ててほしいって。絶対いつか好きだって言わせるからって」

「あいつ本当にイケメンだな!?」


 陸はそう言わざるを得なかった。

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