第5話 騎士の告白
学校への道を二人で歩く。
途中までは美里もいて、空の周りをちょこちょこしていたのだが、すでに別れた後だ。
今、二人の間には特に会話はないが落ち着いた雰囲気がある。
しかし学校が近づくにつれて、徐々に空の顔色に陰りが見え始めた。
「ねぇ、りっくん。このまま一緒に登校して大丈夫?」
空が心配そうにこちらを覗きこんでくる。
その目に映るのは不安、だ。
二人が疎遠になったのは、小学校の5年生の頃にとあることがあったからだが、一番大きかったのは陸が空と一緒にいることに気恥ずかしさを覚えたからだ。
当時の空は蛹が蝶に羽化するが如く、一気に可愛らしくなっていた。
生まれた頃から一緒にいたからこそ、陸はそれを強く感じて変化についていけなかった。
でも今はもう違う。
誰に何と言われようと知ったことではない。
欲しい物から手を放そうとは思わない。
「いいよ。学校でも、普通にしてくれれば」
その言葉に空の顔がパァッ、と明るくなる。
今まで空は陸の気持ちに配慮したつもりであまり積極的に関わってこないでいてくれたのだろう。そのことが分かっているから陸もされるがままになっていた部分があった。
「うんっ、分かった」
「あ、でもお前と家が隣同士な事とか――夜一緒なことは誰にも言うなよ?」
最後の部分は声を潜めて言う。
もし、この事実が学校に知れ渡るとクラス中を敵に回しかねない。
何よりそれはあの時の事を思い出させられるから、少なくとも今はまだ誰にも知られたくはなかった。
「大丈夫、分かってるよ」
スキップでも踏み出しそうな足取りで空が頷く。
気持ちを反映してか、羽もパッサパッサと開いたり閉じたりをしていた。
本当にわかってるんだろうな?
そうもう一度問いたくなるのをこらえる。
空の顔は本当に嬉しそうで、そこに水を差すのが気が引けたからだ。
もう少しだけ、この笑顔を見ていたかった。
二人の学校はもう目の前だった。
◇
「なぁ陸、今日天野の奴超ゴキゲンじゃね?」
声を潜めて冬彦が言う。
「そうか?」
授業と授業の谷間の休憩時間、教室の前の方で友達と談笑している空を見る。
数人の女子と輪を作って話すその表情は、柔らかい。
ご機嫌なのは確かなようだが、いつもよりもという風には特別見えなかった。
「どの辺がだ?」
「いや、なんてーかさ……笑顔が三割増しで可愛いと言うか、明るいと言うか……」
「にゅふふ、自然な笑顔でガードが緩いって感じかなー?」
「ああ、そうそう! それだよ」
脇から挟まれた言葉に冬彦が手を打って頷く。
冬彦の同意にまたもにゅふふふ、と笑ったのは千秋だ。
「お前……」
「今日の空ちゃんなんだか昔の空ちゃんに戻ったみたい。何かあった?」
「!?」
最後の言葉は声を潜めて耳元にささやかれた。
内容もそうだが、いきなり耳元に寄られたことに心臓が跳ねる。
ポニーテールが顔の横にさらりと垂れて、甘い芳香を漂わせた。
この猫目の友人も、癖は多い物の男子からはかなり人気があるらしい。
陸としてはこんな迷惑な女の何がいいのかわからなかったが……。
「なぁー、何こそこそ話してんだよー」
冬彦が拗ねたように口を尖らせて言う。
「にゅふふ、内緒だよー」
「うぇーい、感じ悪いぞー。なぁ陸教えてくれよー」
こんな風に面白がっている千秋からは碌に話を聞き出せないことを、冬彦は既によく知っていて陸に話の矛先を変えてきた。
だが答えられないのは一緒だ。
「それよりも本当にそんなに可愛い感じがするのか?」
「当たり前だよ。見ろよ、この惨状をよ」
そう言ってクラスの中を指さす。
教室の中にはクラスメイト達が次の授業の準備をしつつ、雑談などに興じているわけなのだが、確かによくよく見て見れば、誰もかれもがちらちらと空の方を見ている気がする。
空の隣で話している友人Aなどは時折こっそり空の腰に手を回し、もう片方にいる空の友人Cは後ろから空のほとんど真っ平な胸をさわさわしているように見えた。
男女問わず、クラス中の視線が遠慮がちに、けれど確実に空へと集まっていた。
「まぁ天野は天使だからなーしょうがないけどさー」
「んー、でもしょうがないって言ってるだけじゃ済まなくなってきたみたいだよー?」
「はぁ?」
冬彦が空の人気っぷりに辟易してか机にぐでーっと体を伸ばすが、千秋は逆に鋭い視線を教室の前方へと向けた。
陸がその視線を追えば、そこには変わらず空を中心とした女子のグループが存在している。
だがそこに、一人の男子生徒が向かって行ったのだ。
「ありゃー、相本か。ついに行ったかー」
呆れとも期待ともつかない表情で冬彦が呟く。
相本は短い黒髪の男子で、何よりもその高身長が目立つ。身長は180センチあると聞いた。
「相本がどうかしたのか?」
「げっ、お前知らねーの!?」
「まぁ、見てればわかるよー」
冬彦が信じられないと言う顔をするのに対して、千秋は面白そうに目を細めるだけだ。
ひとまずは千秋の言葉に従って様子を見守ることにする。
ちょうど相本が空の後ろに立ったところだった。
空の身長が低いこともあって、高身長の相本とは身長差が激しい。
「天野さん」
相本が背後から空に声を掛ける。
その声は男子の割には高い印象で、短い髪と相まってさわやかな印象を受ける。
バスケ部のレギュラーであることもあって、女子からの人気も高いらしかった。
「相本君? どうかした?」
空がいつも通りに無邪気な笑顔で訊ねる。
基本的に空は誰に対しても優しい。陸の隣にいるカスがいきなり声を掛けても同じ反応をするだろう。周りの女子が黙ってはいないだろうが。
だがここで、相本が予想外の行動に出た。
いきなり片膝を折る。
すると相本の頭は立っている空の胸のあたりまで下がる。
視線の高さが逆転した状態で、相本はおもむろに空の手を握り言うのだ。
「天野さん、あなたの事がずっと好きでした、僕と付き合ってくれませんか」
相本の真剣な言葉が、空だけではなく教室にいたクラスメイト全員の耳朶を打つ。
波紋のように広がった声が教室の喧騒を一時沈めさせ、沈黙で教室を満たした。
だがそれは一瞬の事だ。
「ええええええええええ!」
「なになになになになに!?」
「やりやがったあいつぅぅぅぅぅ!」
「処すべし処すべし!」
爆発したように教室がざわめきに満たされる。
驚く者、理解できない物、蛮行を称える者、既に殺害予告じみた怨嗟の声を上げる者、様々な奇声を上げる者達の中、当人はと言えば、
「え、え、え?」
ごく普通に混乱していた。
相本の真剣な目に射抜かれて、空は耳まで真っ赤にしていたし頭のてっぺんからは蒸気でも吹き出しそうだった。
その様子を見て、相本の真剣な眼が揺れたような気がした。
「あ……ゴメン。こんなところじゃ返事難しいよね」
すぐに申し訳なさそうな顔になって謝る。
「笑ってる天野さんがあんまりにもいい表情だったから、我慢できなくってさ。その、もしよかったら放課後にもう一度お話しさせてもらえないかな?」
今度は上目遣いに、恐る恐ると言った視線で話す相本。
その言葉に空は、
「あう、う、うん……分かった、放課後、放課後ね」
未だ真っ赤な顔でカクカクと頷くことしか出来なかったのだった。
それだけ返事をもらうと、相本は「ありがとう」と言ってその場を離れる。
そしてそのまま窓際の自分の席へと座ったのだった。
教室内の空気は未だ熱いものだったが、それでも幾分か下がった気がする。
「あいつマジパネー、あの状況で普通に自分の席に戻るとか……心臓に糸でも生えてるんじゃねーのか?」
「それを言うなら毛、な」
冬彦の間違った言葉にしっかりと突っ込みを入れながら、陸もその意見には頷かずにはいられなかった。
教室の、それも人気のない時間ではなく休み時間に『告白』とは。
驚かざるを得ない。
空へと視線を向ければ、空を囲んで女子たちが興奮した声を上げている。
女子たちの隙間から見えた空の顔は、少し困っているようだったが興奮も落ち着いて来たのか顔色は普通の物になっているようだった。
「いやーでもさすが相本だな。いつかやるとは思ってたけど」
「え? 知ってたのか?」
相本が空の事を好きだと?
省略した言葉を正確に読み取った冬彦が肩を竦めて呆れたように答える。
「あいつが天野の事を好きだって知らなかったのはこのクラスじゃ本人とお前くらいだろうよ。片やうちのクラスの天使、片や高身長でバスケ部のレギュラー。いつくっつくのかって一部じゃ学食の食券がかけられてたらしいぜ?」
「マジかよ……そんなバカまでいたのか」
「にゅふふふ。ホントだよー。ところで急に食券が余る予定が出来たんだけどー。今日お昼一緒に食べない?」
千秋の上機嫌な声にもう一度教室の中を見渡すと、入口側の後ろの方に固まっていた数人の男子たちが崩れ落ちている。どうやらカモられたらしい。
「お前、人で遊ぶのもほどほどにしておけよ?」
「にゅっふふふふ~」
「でもどうして分かったんだ? 今日相本が告白するなんてわかんねーだろ?」
俺もやればよかった、というような顔で冬彦が訊ねると、
「今日は今朝から空ちゃんがご機嫌だったからねー。誰か一人ぐらい血迷う男子がいてもおかしくないかなー、って思ってたのはホント。まぁ相本君が本当に行くかまでは分からなかったけど……面白そうだったし」
「お前なぁ」
ため息交じりでカモられたクラスメイトに同情する。
だが千秋の面白がるような視線は緩まずに陸へと向く。
「ところで陸くん、そんなに落ち着いてるけど、いいのー?」
「いいって、何がだよ」
千秋の視線を受けて、嫌な予感に身構える。
「このままだと空ちゃん取られちゃうよ? ホントにいいのー?」
取られちゃう、という言葉を聞いて陸は胸にざっくりとナイフを差し込まれた気分になった。
だが内心の動揺は表に出さないようにしながら慎重に答える。
「い、いや、取られるってなんだよ。空は別に俺のじゃないし……」
「にゅふふふ~」
ダメだ内心の動揺が完全にばれている。
千秋の面白がるような表情が一層深まった。
「でもさー、空ちゃんのあの顔見てた? まんざらでもなかったと思うけどなー」
「う、ぐっ」
「確かにな。女子って生き物はよ、告白されてその場で断られなければ大抵オッケーになるらしいぜ?」
「なぁに、ソレ。どこ調べ?」
「俺調べ。今まで全部その場で断られた。直後に告った別の奴らはいったん保留になって、そのあと付き合いだした」
「おー、それは納得―」
「どう意味だよ」
千秋のからかうような笑みも、冬彦の拗ねるような声も陸は耳を通り抜けていく思いだった。
空が、相本の告白をオーケーする、だって?
頭の中はその考えで一杯だった。
動悸が激しくなっていく。
耳の奥で早鐘が鳴っているようだ。
いや、現実にちょうどチャイムが鳴って次の授業の先生が入ってきたところだ。クラスメイト達が各々自分の席へと戻っていく。
もちろん空もだ。
今はもう普通に戻っている。
まさか、本当にオーケーするのだろうか?
一瞬、陸の頭の中に空が相本と並んで笑いあっている姿を幻視する。
ガンッ――!
「どうしたー、大地?」
「いえっ、何でもありません」
いつの間にか始まっていた授業の中、額を机に打ち付けると教壇に立っていた教師が怪訝な目線を向けて来る。もちろん教室中の視線もだ。
だがその視線も、ある意味異常な雰囲気を発している陸の顔を見て大半が逸らす。
教科書もノートも出していない状態だったが、教師も無視することに決めたらしく教室の中に単調な声が流れ始めた。
だがさすがに教科書もノートも出していない状態では不審すぎる。陸は机の中から教科書とノートを取り出し一応は授業を受けている体裁を整えた。わずかにだが教師のほっとした雰囲気が伝わって来る。
授業に戻った教室の中で、陸は再び思考に戻る。
絶対に空を渡したくない。
頭の中にあるのはその思いだけだ。
だが理性では自分などよりも相本の方がお似合いだと考えたクラスメイト達の言が正しいとは思う。
それでも受け入れることなど出来ようはずもない。
ずっと好きだったのだから。
再び目の前に相本の幻影が現れる。
放課後、無人の屋上。
あかね色に染まった空の下、空が現れる。
相本が改めて好意を伝え、それに空が頷きを返す――
びりっ。
小さな音が陸の手元から鳴る。
無意識のうちに手元にあったノートを真っ二つに引き裂いていた。
今度は大きな音を立てずに済んだ。
教師も一瞬肩を跳ね上げたくらいでとどまっている。
落ち着け、落ち着け。
そう念じながら陸は授業を耐える。
悶々と嫌な想像ばかりをかけ巡らせることになった。
放課後、空がどんな返事をするのか。
そればかりを考えていた陸は、前の席の空が何度も後ろを気にして肩越しに振り返っていることには気が付かなかったのだった。
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