第4話 妹裁判開廷


「で? これは一体どういう状況なのかな?」


 リビングの床に正座する陸と空を前にして、腕を組んで真っ平な胸を張るのは妹の美里だ。その目には兄である陸を蔑む色がありありと見えている。

 それもそうだろう。朝起きて兄の部屋に入ったところ、しどけない姿で同衾する隣の部屋の女の子がいたのだから。

 だが、それは事実ではあっても真実ではないッ!


「待ってくれ美里、これには深いわけがあるんだ!」

「……言ってみればいいよ」


 まるで犯罪者を前にした裁判官の様に鷹揚に話を促す美里に陸はこれまでのいきさつを洗いざらい話すことにした。


「あれは数日前の事だ。夜中に隣の部屋から大きな音がして、俺はベランダを使って隣の部屋に向かった」

「……ベランダの秘密の抜け道ね」


 隣の部屋である空の部屋とはもちろんパーテーションで区切られているのだが、幼い頃陸と空はその一部をこっそりと壊していて秘密の抜け道として使っていた。そのことは妹である美里も知っている。


「その日の日中に、空の背中に羽が生えたことは学校で知ってたからな。何かあったんじゃないかと心配になった俺は――」

「喜々としてそらねぇの部屋に不法侵入したんだね」

「喜々とはしてねえよ!? 非常事態だと思ったの!」


 本当はここ数年疎遠になっていた空の部屋にいきなり上がり込むのはかなり迷ったのだ。

 だが、幼馴染の事を心配する気持ちが勝った。


「で、俺は床の上で頭を押さえてうずくまってる空を見つけて――」

「寝間着姿のそらねぇに欲情して、思わず押し倒してしまったと」

「お前どこでそんな言葉覚えたの!? ちょっと黙って聞いててくれよ!」


 だが、床に転がる空があられもない格好だったのは確かだ。

 下はパンツこそ履いていたものの、上は何も着ていなかった。羽が邪魔で着るのがめんどくさかったとは後で聞いた話だが、この時「空!」と声を掛けて床から振り仰いだ時は大きくはない物のはっきりと主張する胸の先端などに激しく動揺させられたのだ。

 もっとも、空の方はそんなことはどうでもよかったようだが。


「で、話を聞いたら寝てる間に浮いちまうらしくて、落ちて頭を打って悶絶してたって聞いてさ。それじゃ、危ないから夜寝るときは俺の部屋で一緒に寝ようということに」

「ピーッ! ダウト! ダウトですよおにいちゃん!」


 口笛が吹けない美里は口でピーと言いながら陸の言葉を遮る。


「どうしてそこでおにいちゃんと一緒に寝るなんて言う発想になるの! そういうことだったらみさとのと一緒でもよかったでしょ!」

「ぐっ……!」


 確かにそうだ。

 本当は同性である美里と一緒に寝かせる方が間違いなんてなくて済む。

 陸も悶々として夜を過ごさなくてもよかっただろう。

 でも好きな人と一緒に寝たかったんだ!

 口から洩れそうになる本音を押さえて、あの時の事を正直に話すかどうか迷う。


「それはね、私の方からお願いしたんだよ。美里ちゃん」

「そらねぇ……」


 隣で正座したまま船を漕いでいた空がようやく目を開けて美里に告げる。

 美里は驚きにどんぐり眼を開いた。

「昔もそうだったけど、私りっくんの傍が一番落ち着くの。だから私がどうしてもってお願いしたんだよ」

 言い聞かせるような空の声。

 その声に美里の目が潤む。

 本当はこいつも大好きな空ともっと遊びたかったのだろう。だが陸と空が大きくなるにつれて二人の間には距離が生まれ始めた。

 そして小学校5年生の時にあの事件が起きた。


「ゴメンね、お兄ちゃんを独り占めしちゃって」

「うっ……」


 昔と変わらない、やさしい口調に美里が狼狽える。

 空は立ち上がると美里の前まで行ってその頭を優しくなでる。

 美里はされるがままになって、気持ちよさそうに目を細めていた。


「ハッ!?」


 しかしすぐに我を取り戻した美里が空から飛び離れる。

 そしてぶるぶると頭を振ると振り返ってキッチンに向かって叫ぶ。


「おかあさん! おかあさんも何か言ってよ!」

「そうねぇ」


 おっとりとした声がキッチンの方から聞こえてくる。

 実は先ほどから、キッチンの方では料理をする音がずっと聞こえていた。

 カチッ、と火を止める音がしたあとぱたぱたと足音を立てながら母の水面が姿を現した。

 外見は20台後半くらいにしか見えない。

 これで二人の子持ちだと言うのだから世の中はおかしい。


「じゃあ、空ちゃんは今日からウチに来なさいな」

「え?」


 にこりと、見る人を安心させるような笑みを浮かべて水面は言う。


「本当はずっと気になってたのよ。先月、おばあちゃんも亡くなっちゃったでしょう」


 その言葉を聞いて空の顔が暗くなる。

 先月空の祖母――天野ひかげは病気で亡くなった。

 天野ひかげは元々は娘夫婦とは別に暮らしていたのだが、二人の仕事が忙しくなったことと高齢になったこともあって空が小学校に上がったころに同居を始めた。その当時は陸もよく空と一緒に可愛がってもらったものだった。

 そのひかげが亡くなったことで、両親がほとんど帰ってこない空はほとんど一人暮らし状態だった。


「みちるちゃんも空ちゃんの事はいつも心配してるけど、あの二人が仕事を投げ出すところは考えられないものね」

「お母さんと連絡し合ってたんですか?」


 少し驚いた様子の空。

 みちるとは空の母親の名前だ。


「ええ、みちるちゃんとは幼馴染だもの。いつもあなたの事を心配してたわ。最近あんまり連絡し合ってないの?」

「……はい」

「そう、あの子かなり不器用だからうまく伝えられないのね」


 水面は空の元までゆっくりと歩み寄ると、おもむろにその体を優しく抱きしめた。


「え?」


 ふわりと水面の両腕に包まれた空が声を漏らす。


「今度、何でもいいから連絡してあげて。あなたの声を聞きたくてしょうがないくせに、何て言ったらいいかすら考えられなくて、不器用な子なの」

「……はい」


 空が目を閉じて水面の背中に腕を回した。

 ゆっくりと呼吸をしながら頷く。


「さ、朝ごはんにしましょ。これからは毎朝一緒に食べるのよ」

「……うん」


 幼い子どものように頷いた空がゆっくりと体を離した。

 そこへ小さな影が飛び込んでくる。


「そらねぇこれから一緒なの?」


 美里だ。

 その顔には喜色が全面に張り付いている。

 つい先ほどまで実の兄を床に正座させて詰問していた様子とはまるで違う。


「うん、そうだよ。これからまたよろしくね」

「うんっ」


 美里が元気よく頷く。

 嬉しくて仕方がないと言った様子だ。

 元々美里にとっては赤ちゃんの頃から自分の面倒を見てくれていたお姉さんのようなものだ。ずっと黙ってはいたが、やはり寂しかったのだろう。

 二人が仲良く笑って食卓に向かうさまは仲のいい姉妹にしか見えない。


「陸くんも、もうつまらない意地は張らないのよ?」


 床に座ったままの陸の傍にいつの間にか水面が立っている。

 その目は空に向けていたものと同じくどこまでも優しい。


「……ああ、もう大丈夫だよ」

「夜はちゃんと一緒に寝てあげてね?」

「分かってる」

「学校でも助けてあげるのよ」

「分かってるよ」

「避妊はするのよ」

「分かって……は?」


 今なんて言った?

 ぎょっとした表情で母親の顔を確認すると、なぜか頬を上気させてこちらを見下ろしていた。


「だって、健全な男女が毎晩一緒のお布団で寝てたらコウノトリさんだって黙ってはいないでしょう?」


 とんでもないこと言い出しやがったこの母親!


「しねぇよ!?」

「あら、そうなの? 思ってたよりもずっと早く孫の顔を見ることになっちゃうかと思ったんだけど……」


 少し残念そうな母親の姿に陸は二の句を次げなかった。


「どれだけ陸くんの理性が持つのか楽しみね~」


 そう言いながら水面が食卓へ向かっていく。

 基本的には底抜けに優しい母親なのだが、時折こうしてファンキーな一面を見せるのが水面だった。一緒に食卓へ向かおうと立ち上がりかけた体が硬直して動かなくなった。

 だが、水面の言うことも正しいのかもしれない。

 正直いつまでも理性が持つ保証はない。

 今晩辺り、コウノトリさんが来てしまうかもしれない。


「……その前にまず、空に俺を男として認めさせる」


 エロマンガみたいな展開には絶対にさせない。

 ちゃんと告白して、正式に付き合うのだ!

 その決意と共に朝食へ向かうべく立ち上がった陸は。

 足がしびれてその場に転げまわることになったのだった。

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