第3話 変わろうとする意志


 部屋の中を軽快な電子音が満たしている。

 陸はベッドの上から、床にぺたんと座ってゲームをしている空の背中を見ていた。

 ベッドの上で横になった視界の中、空の背中の羽がぴこぴこと上下している。空はテレビの画面を食い入るように見つめていた。

 画面の中ではドット絵のキャラクターたちが戦っている。

 古の王道大作RPGだ。

 空の部屋には今も昔もゲーム機の類はない。

 いつも陸の部屋でやっていたということもあるが、幼い頃から空は親にあまり物をねだると言うことをしない子供だった。

 おそらくそれは小学校に上がって、元々仕事で忙しかった両親がさらに家を空けるようになって加速した。

 学校での過剰なまでの世話焼きぶりも、おそらくきっと――


「どうかしたの、りっくん?」

「……いや、何でもない」


 陸は起き上がると、空の隣に腰を下ろした。

 画面の中では勇者たちのパーティが3回目の死を迎えたところだ。

 空はこの手のRPGは異常に弱かった。


「貸してみな。ここは――」


 コントローラーを受け取って操作する。

 ボス戦の直前でセーブしてあったデータをロード。

 すぐに勇者たちをボスに挑ませる。

 戦闘が始まると、陸は意味のない行動を交えながらボスの攻撃をアイテムを使ってしのぎ続ける。途中からはボスが一定の行動をとるようになり、そのタイミングに合わせて攻撃を加えていった。


「これでハメ確定――っておい空? 起きてるか?」


 いつの間にか肩に柔らかい重みがかかっていた。

 陸の肩に空が頭を乗せたまま寝入っている。

 首だけを曲げて覗き見ると、瞼が落ちて安らかな寝息を立てているようだった。

 学校の誰も空のこんな姿は見たことないだろう。

 もしかしたらもう一人の幼馴染である千秋だってほとんど見たことはないかもしれない。

 基本的に空は自分の家族と陸たち一家以外にはしっかりした自分の姿しか見せないようにしている。

 いや、あるいは両親にすら見せていないのはないか。ふとそんな疑念がよぎる。

 じっと、黙って肩のあたりから聞こえる安らかな寝息を聞いていた。

 こいつはもっと自由にやっていい、そう思う。


「ほら、起きろ。こんなところで寝たら風邪ひくぞ」

「ふぇぁ!? お、起きてるよ!?」


 声と共に羽がピンと後ろに張る。まるで猫の尻尾の様だ。


「いや、それは完全に寝てたやつの反応だろ……」


 空の古臭さすら感じる反応に思わず呆れる。


「そんなことより、ここからどうするの?」

「どうするも何もあと一撃で終わりだっての」

「えぇ!?」


 目の前でボタンを押し攻撃を選択。

 勇者の一撃がボスに炸裂し、空があれほど手こずっていた敵は憐れ消滅した。


「あうぅ、参考にならないよ。もう一回、もう一回見せて!」

「参考にならないって、お前が寝てたからだろ」

「寝てないもん」

「いや、寝てたから見てないんだろ……」

「いいからもう一回!」

「あ、こら」


 ふくれっ面を作った空が陸の手から無理やりコントローラーを奪い取ろうとする。

 けれど陸はもう一度やって見せるなど面倒で、渡すまいとコントローラーを腕で離す。


「もう!」

「!?」


 すると空は陸の肩に腕を付いてコントローラーを奪い取ろうと躍起になる。

 それはつまり、陸の目の前に空の薄いがはっきりと凹凸のある胸が来ることになって。


「うわっ」

「きゃっ」


 目の前にそんなものを差し出されて動揺しないなんて高等戦術陸には不可能だった。

 体のバランスが崩れて二人もろともに床へ転がることになる。

 背中から倒れ込んだので、当然陸が下だ。

 上から覆いかぶさるように倒れ込んだ空が怪我をしないようとっさにその体を支える。

 腕の中に飛び込んできた空の体は本当にちゃんと食べているのか心配になるほどに軽かった。

 というか本気で心配だ。


「あたたた、ゴメンねりっくん。今どくから」


 そう言って体の上から離れようとする空。

 だが――


「りっくん?」


 陸が空の体を押さえた状態のまま、放そうとしない。

 硬直する二人。

 だが真実硬直しているのは陸の方だけだ。

 空の顔を目の前にして、胸にこみ上げてくる何かをどうしても口にしたくて。

 でも唇が震えるだけで言葉にならなかったのだ。


「ねぇ? ちょっと怖いよ、りっくん?」


 眉根を寄せて、空が困ったように言う。

 その顔を見て、陸の胸の中で思いが固まった。


「空」

「ん?」

「俺、お前の事、ずっと……」


 のどがカラカラで、なかなか声が出ない。

 唇が絡まっているかのように上手く動かなかった。

 それでも意志の力でねじ伏せて、言う。


「好き。好きなんだ」

「……」


 言った。

 ようやく言えた。

 頬が熱くなって、見なくても真っ赤になっていることがわかる。

 だが胸の内はすっとした感じだ。

 ずっと言いたかったことだったから。

 ようやく落ち着いてきて、目の前の空へと視線を戻すと、空は目を大きく開いたまま固まっていた。

 その桜色の唇が、動く。


「私も、好きだよ? りっくん」


 固まっていた表情が笑みの形をとってどくん、と胸が跳ねる。

 陸の腕から力が抜けて、空がするりと体を離した。

 床の上で寝転がったまま、陸は自分の頭の中でファンファーレを聞いた気がした。


「だって、りっくんはいっつもお兄ちゃんみたいなものだもん」


 そして一瞬でギロチンが落ちる音に変わった。


「え?」


 床に転がったまま視線だけを向けると、空はベッドの上から優しい視線を向けてきている。


「私だって、りっくんに負けないくらいりっくんの事が好きなんだよ? だってりっくんは私の大切な家族みたいなものだもん。今さら何言わせるんだよぉ」

「……え?」


 にへへと笑ってベッドの上でくねくねと身もだえしている空の姿に、ぽかんと口を開けたまま固まってしまう。


「こ、こいつ……」


 俺の告白を家族的な愛情表現と勘違いした!?

 頭の芯まで射抜かれたような衝撃を受ける。

 目の前の視界が暗く狭まり、焦点がふらふらした。


「もうっ、恥ずかしいから寝るよっ。ほらこっちきて」


 頬を染めながら伸ばされた手を掴むと、力なく陸は空の隣で横になった。

 動かない陸をよそに空は部屋の明かりを消してきて、二人の上にかけ布団をかぶせていつも通りに手を握って来る。


「お休み、りっくん」


 そう言うと目を瞑って、すぐに規則正しい寝息を立て始める。

 だがその距離はいつもよりもぐっと近い感じがした。

 ちゃんと言葉にしたことで、こうして隣で一緒にいることに安心感を覚えたのかもしれない。

 だが、陸は思わずにはいられなかった。


「どうしてこうなった……」


   ◇


 遠く、どこかで電子音が鳴っている。

 ブーブーという振動音もセットだ。

 聞き覚えのあるそれに目を開けると、目の前には空の安らかな寝顔。

 どうやらまだ目を覚ましていない様子だ。

 陸は無意識のうちにいつも通り自分が空の体を抱きしめるようにして寝ていたことに気が付いてため息をつく。

 本当はもっと何かが変わる気がしていたのだ。

 確かに陸の中で空は家族に近い部分がある。

 だがそれ以上に目の前の女の子が好きでたまらなかった。

 突発的な状況だったが前から伝えたかった思いをとどめておくことが出来なかったのだ。


「空……」


 小声で、言う。

 空は規則正しい寝息を立てたまま、起きる様子はない。


「俺、やっぱりお前の事……」


 ゆっくりと、目の前の空の寝顔に顔を近づけていく。

 あともうちょっとで、桜色の唇に届く、その時だった。


「おにいちゃん! 目覚ましうるさいよ!」


 バァン、とドアを勢いよく開けてきたのは妹の美里だ。

 陸は驚いて起き上がって、ベッドの上に上体を起こしたところで固まった。


「もうっ、いつまで鳴らしっぱなしにしてるの? いい加減起きな……よ?」


 美里のしょうがないなぁ、と言う視線が床の上でさっきからずっと鳴りっぱなしの携帯電話を捉えて、次にベッドの上に起き上がる陸を見据えて。

 その隣、ベッドの人型に盛り上がった布団とそこから覗く黒髪を見つけて目を丸くする。毛布の下からはほっそりとした白い空の足の上を丸くした目が滑ったのが分かった。

 大きな丸い目はそのまま陸の方へと戻ってきて、沈黙したままぶつかり合う。

 美里は部屋の入り口を踏み越えたところで硬直し、一瞬の静寂が場を支配した。


「お母さああああああああああん! お兄ちゃんが女の人連れ込んでるうううううううう!」

「やめろおおおおおおおおお!」


 静かだったのは一瞬だけだった。

 部屋から飛び出し、叫ぶ美里。

 静止の声が空しく響き渡る陸。


「ほぇ?」


 ようやく起き出したのは空だった。

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