第4話:葛藤と奇跡

「……お兄様……?」

「あっ、あきづき……っ! 大丈夫かっ!?」

 あれからどれくらいの時間が経ったのだろう? 

 あきづきが目を開き意識を取り戻した。それは奇跡の瞬間の事だった。

 彼女の微かな声に俺は必死に耳を傾ける。

 あれから理性を取り戻し、俺はあきづきを和室へと引きずって運び込んだ。

 その場で彼女の身につけている血で汚れたスーツをおぼつかない手つきで脱がし、それから近くのチェストボックスから寝間着と下着を掻き出すように探しだし、そして俺は手元に持っている衣服を彼女に着せた後に、彼女を抱え上げて布団の上にそっと寝かせてやった。 

 彼女の身体から流れていた血液は、衣服を着替えさせる段階で既に止まっていた。

 ホムンクルスの体質によるものなのだろうか? 

 まるで俺みたいな特異体質に近い感じがする。

 彼女は目を覚ますまでの間を深手の傷による激痛にもがき苦しんでいた。

 そして今に至る。

「うっく……ぐすっ、あきづき……よかった……うぇっぐ! 生きててくれでぇ!」

 俺は自分でも抑えきれない程に号泣していた。

 言葉に言い表せることの出来ない熱い感情。胸の奥からこみ上げてくる締め付けを感じ、彼女の事などお構いなしに涙を流している。

 涙で前がかすんでよく見えない。きっとあきづきは俺が泣いているのを目の当りにして幻滅しているに違いない。彼女とはまだ仲違いのままだからだ。

 ふと、あきづきが朧気な表情で左手を差し伸べてきた。

 彼女の左手が俺の右頬にそっとおぼつかない手つきで触れてくる。俺はその手を頬にあてがいながら両手で受け止めた。

 あきづきの手からほのかに感じる暖かな温もりが、俺の冷たい心を癒やし温めてくれている。

「泣いて……いらっしゃるのですか……?」

「……ああ、うん。その……大丈夫か……?」

 彼女の差し伸べてきた手を放したくない。手が落ちた瞬間に悲劇が起きるかもしれないと思ったからだ。

「かなり頭が痛いです……しばらくの間……この場から動けそうにないです……」

「……そっか」

「はい……申し訳ございませんお兄様……」

「気にするな。いまはとにかく安静にしていろ」

「……はい」

 彼女の頭の痛みは何が原因なんだ?

 意識を取り戻したばかりの彼女に何が起きたのかを聞くのは無茶だろう。

 だが、事は急を要している。

 あいつに何が起きているのか分らないからだ。

「その、目を覚ましていきなりだけど……」

 すこしためらいを感じてしまうが、

「いったいお前に何があったんだ? 教えてくれあきづき……」

 持ち前の気遣い無しの性格で彼女に問いかけた。

 ふと、俺は唐突にあることを思いだした。

 あのとき自分自身に誓った言葉だ。

――自分の身体がこうであったとしても、俺は普通の人間として生きていこう。

 この胸の内に秘めた誓いを彼女達に話していない。話したくない過去があるからだ。

「私はあれから……ふゆづきが攫われた場所に心当たりがあって行ってみたんです」

 頭の痛みを我慢し、あきづきは自分自身が覚えている限りの事を俺に教えてくれた。

「そうか。その施設という場所にふゆづきが居るのかもしれないんだな?」

「ええ……恐らくそうだと思います……。ごめんなさいお兄様。その施設に入ってから目を覚ますまでの間の記憶がないんです……。知っているハズなのに……思い出そうとすると頭が変になって……そして何も思い出せないんです……うっく、ごめんなさい……! この頭痛さえなければまたあの場所に行けるのに……!」

 あきづきはその直後に涙を流して号泣しだした。

 その表情からは辛さや、苦しさ、そして悔しさがにじみ出でていた。

 大切な妹を失ってしまった事で、あきづきは心の中に重い喪失感と共に悲しみを抱いてしまったようだ。

「……どうすればいいだよ」

 見えそうで見えない所で暗躍する何者かの陰謀に、俺達は巻き込まれてしまった。

 俺達はこれからどうすれば良いのだろうか? 

 マンガの主人公のように戦えばいいのか?

 正直に言おう。今の俺にマンガに出てくるようなヒーロー達のように特別な力なんてない。

 そう俺はただの、幼い頃からずっと今日まで残酷な体験を幾度なく経験し、何度も心に癒えない深い傷を負ってしまい、精神的に病み、ひきこもることで自我を保ち続けていたただの一般人なんだ。

 この特殊な体質だって過去の経験で得た負の遺産にすぎないんだ……!

 こんな俺がヒーローみたいになれる資格なんてない。絶対にあり得ない。これからもずっとそうだ。

 俺は自分の事が大嫌いだ……っ!

 現にこうやって深い傷をおって悲しんでいる妹の前で、気遣い一つもしてやれずにただ泣く事しか出来ないんだ。

 何を言われようが俺は無力で何も出来ない臆病者なんだよ……っ!

「ぐすっ……あのお兄様。お願いがあります」

「……なんだ?」

「私が来ていたスーツのジャケットの内ポケットにある物を持ってきて欲しいのです。お兄様にお見せしたい大切な物があります」

「俺に見せたい大切なものだと?」

「はい。それは、あの子を助け出す為に必要な鍵となる物なんです。もしかしたらお兄様のお力になれる物かもしれません」

 それを聞いて俺は思わずハッとなり、慌てふためき急いでキッチンのゴミ箱の中からさっき捨てたばかりのスーツを床に放り投げた。

「あっ、あっぶねぇ……危うくそのまま焼却ゴミに出していたぞ……!?」

 俺が動揺するのを見て、あきづきの小さくため息をつく声が後ろから聞こえてくる。

「私のスーツを捨てるなんて……なにを考えているのですか……? それ、もの凄く高い高級オーダーメイドスーツなんですよ……?」

「うっ、ううん。なっ、なんかその。安っぽいなぁとか「安っぽいですって……?」その……間違って捨ててしまいました……。ごめんな……堪忍して……」

 再び彼女の大きなため息が聞こえてくる。病人でも怒ると怖いのは変わりないか。

 とりあえず。あきづきの言っていた物は無事に見つけ出すことが出来た。

「これは……マイクロチップか?」

 手に取り指先で摘んで見ている物。

 この黒いマイクロチップは一体なんなのだろうか?

「ええ、そのようだと思います。ただ、それは何の筐体に差し込む物なのかがよく分からないのです」

 パソコンとかスマホとかでは駄目だと言いたいのか?

「これに対応しているモノを探せば良いんだな?」

「ええ、私の断片的な記憶の中で覚えている限りでは。それは施設にあった物です。申し訳ございませんお兄様。これ以上は……お兄様のお力にはなれそうにないです……」

「あぁ、そこまでしてくれただけで充分だ。本当に……」

 命がけで手に入れてくれたかすかな希望と奇跡の象徴を彼女に託された。

「ふゆづき……ごめんね……お姉ちゃん。あなたの事を助けられなかった……ぐすっ」

「あぁ……」

 俺は思わず言葉にならない声を上げて悲観的になってしまう。

「俺が家出なんかしたからだ……!! あぁ、もうクソッ!! そうしなかったら今頃はここで俺は妹に振り回されながら、新しい日常を送れるはずだったんだ……ッ!!」

 失って始めて気づくふゆづきの居ない事への寂しさ。

 あの愛くるしい姿が今にもひょっこりと顔を出し、そして笑顔と共に俺の目の前に現れていたはずだ……!

「お兄様……泣かないでください。私。もっと悲しくなってしまいます……」

 あきづきは唇を噛みしめながら、目を涙で潤ませてそう俺に話しかけてくる。

 これ以上はお互いに良くないな……。

「あぁ、そうだな……。なぁ、あきづき……」

――彼女に打ち明けるべきかもしれない……。

「はい、なんでしょうか……」

 この流れなら言えるかもしれない。

 自分自身の事を。俺が今まで秘密にしてきたこの特異体質について。

「俺は……俺は……」

「…………」

 駄目だ……打ち明ける勇気がない……。

 あきづきが顔をほころばせて笑みを浮かべてきている。何を考えているんだ……?

 ふとその笑みに対し、俺は遠い昔に失ってしまった大切な人の顔を思い出した。

「何か私に話したい事があるみたいですね? だけど伝える勇気がない」

 見抜かれていたようだ……。さらに。

「大丈夫です。お兄様があのとき家出をした事や。お兄様が経験した戦いでとった行動について。私はなにも怒ってなどいません。お兄様は何も間違った事はしていないんです。普通の人間なら当然の行為なのですから。実は私。お兄様と初めて喧嘩ができてとても嬉しかったのですよ? そっ、そのやり過ぎたのは認めますけど……」

「あきづき……お前……」

 普通の人間。その言葉が何物にも変わらない救いの言葉に聞こえた。

「それに。お兄様が何者なのか。私は薄々気づいております。だって私はあなたの妹ですから。さぁ、勇気を出してください。お兄様の胸の中にしまい込んでしまったご自身の事を。どうぞ私に全てを打ち明けてくださいませんか?」

 その言葉に救いを感じた。そして、

「俺は……俺は……改造人間なんだ……!!」

 彼女に勇気を教えてもらい。俺は自身の胸の内に抱えていた全てを話すことを決意したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る