第5話:妹の誘惑

「あぁ、こんちきしょう……!」

 何で俺がこんな目に遭わないといけないのだろう。そう思いながら俺は四つん這いの姿勢で濡れぞうきんを使い、畳に染みついてしまったドロと格闘を繰り広げている。

「なんでイタズラをしてきたあいつが怒られなくて、逆に俺が悪者扱いなんだよ……」

 あきづきが言うには、

『例えそうだとしても、このような事になってしまったのはお兄様の責任です』 

 要するに、ふゆづきのイタズラを許した兄に責任があると彼女は言いたいのだろう。

 結局弁明も虚しい結果になってしまい、さらに彼女は一方的な主張を押し通してきた事もあって、俺は言い返すのがしんどくなってしまった。

 でっ、面倒だから俺は成り行きのまま彼女に与えられた仕事をこなす事にしたのだ。

「俺も早く風呂はいりてぇ……」

 身体から泥臭い匂いがプンプンする。

 だがそう思って動こうにも、今この家の主達が絶賛入浴中だ。しかも長風呂ときた。

「くっそ……おちねぇ……!」

 畳の表面がハゲるかと思える程の強さで、ゴシゴシと何度も拭いてみたものの、何故か黄ばんでしまう。相手も負けじと言わんばかりに徹底抗戦を仕掛けてきているようだ。

「なんかさっきより黄ばんでるような気がするんだよなぁ……」

 目の前の事で解らない事があれば、俺はいつもこういう時にグールグル先生を使って検索をかけることが多い。だがそれもマンションが崩落する前までの話だ。あの出来事により、俺は大切なスマホを無くしてしまった。

 今のところ俺は現代文明の最下位に位置する情報弱者だ。

 それはさておき。

「風呂ではしゃいでるなあいつら……」

 キッチンの近くにある扉越しから彼女たちのはしゃぐ声が聞こえてきている。

「ぶぅう……ふゆづき、お兄ちゃんと一緒にお風呂入りたかったなぁ……」

「お兄様にあなたの裸をこれ以上見させるわけにはいけませんから!」

 なんて聞こえてきているのは聞き流しておこう。てか、耳栓が欲しくてたまらない。

 俺の聴覚は普通の人よりも少し優れている。特異体質という事もあり、あいつらの会話はしっかり聞き取る事ができてしまう。ただし、音感は優れてはいないので演奏はできない。

「……やばいな」

 俺の頭の中に2人のあられもない姿が悶々と浮かび上がっている。

 ふゆづきの生まれたての姿は容易に想像できる。あいつと一度お風呂に入ったことがあるからな。

 彼女は浴槽に浸かりながらバシャバシャとお風呂遊びをしているようだ。

 一方、あきづきは風呂桶をつかってバシャーと、お湯を身体にかけて洗い流しているようだ。彼女は頭からザバーと、滝を浴びるようにお湯をかけていたに違いない。

「あいつの体形って意外と細身に見えたが、意外と着痩せしてたりして……」

 小柄な容姿の彼女を想像する。スーツを脱いで全裸になると、意外にも胸とお尻は大きくてグラマスなスタイルをしていたりして。

 あれよこれよと想像が膨らんでしまい、ドキドキが止まらない。

 彼女の肢体を思い浮かべて、俺はあれやこれやとエッッッッな妄想をし、鼻の下を伸ばしてムラムラとしていたら。

 ふと背後から、

「きゃははっ!! わーいっ!!」

 扉のバタンという音と共に、ふゆづきがこっちの部屋に出てきた。

 俺は条件反射でブンと、顔を後ろに向ける。

「えっ!?」

 俺は目の前で刹那の光景をシャッター描写で目の当りにしていた。

「わっふぅん! ふゆづきの必殺ぅー! ふゆづきジャンプかーらーのー、お兄ちゃんに愛のたぁーっくるぅ!! とぉお!!」

 そんな必殺技は特撮で聞いたことがない。

「おい、ちょっとまぁてってぇ!!――ギャァアアアアア!?」

――ドゴッ!

「グホッ!?」

 顔面に直撃すると思ったのだが、彼女の頭突きは俺の胸元に直撃してしまった。勢いに負けてしまった俺はそのまま後ろに押し倒されてしまう。

――ガシャン――ジャバーン!

「つめたーい! きゃははっわーい!」

「あぁあ……嘘だろぉ……!? 冷たっ!?」

 運悪く後ろにあったバケツを盛大に畳の上に倒して水をぶちまけてしまった。

「お兄ぃちゃぁん……えへへぇ……くんくん……はふぅ、良い匂いだねぇ……」

 ふゆづきがスリスリと俺のお腹に頬ずりをしてきてくすぐったくて仕方がない。

「おっ、おう……?!」

 俺は今のところテンパってまともに言葉を返せない。まったく経験のない慣れない事をされてしまうと、コミュ障のスイッチが入ってしまい、俺ははどうすれば良いのか解らなくなってしまうのだ。

 ふゆづきは頬を赤くしたまま笑みの表情を浮かべつつ、尻尾を盛大にブンブンと振って嬉しそうにしている。

 俺は絶対に彼女の腰元を見てはいけない。それ以上の領域を視界に入れてしまえば、俺の理性が再びオーバーロードを起こしてしまい、またマリーダサン理性によって羽交い締めにされてしまう恐れがあるからだ。

「おっ、おい! せっ、せっかく綺麗にしたのに俺にくっついてしまったらまたお風呂に入り直さないといけないぞ……!?」

 はやる気持ちを抑えつつ、恐る恐ると話しかけてみた。すると、

「えへへ、じゃあ。今度はお兄ちゃんと一緒にお風呂に入れるね。えへへぇ」

「あぁ……」

 なるほど、俺は自ら彼女がくっついてしまう口実を作ってしまったようだ。

「とりあえず服着てこい!」

「えーっ、お兄ちゃんがふゆづきのお着替えやって欲しいなぁ……くぅん」

「あっ、甘すぎるっ!?」

 なんという甘ったるい魅惑的な言葉なんだっ!? 妹萌えに目覚めてしまいかねない!

 ひとまず思うことは、妹と一緒にお着替えはハタチになってからだと思うんだ!

 ふと、

――ダンッ!

「「……ッ!?」」

 突如奥から床を激しく踏みつける音が部屋中に響き渡り。その盛大な音に対して笑顔を浮かべていたふゆづきがギクッと振り向き、俺もその音のした方向へと顔を向けた。

「お兄様……?」

 音を鳴らしたのはあきづきだった。彼女は俺達に低い声で話しかけてくる。

「あっ、あきづき……こっ、これはそのっ……なっ……。いっ、いわゆる不可抗力いう奴で起きてしまった事故によって巻き込まれたわけで……なっ?」

「何も私は言っていないのですけど。お兄様の態度とその独り言で察しがつきました。例えそうだとしても、それとこれとは別なわけです……うふふっ、あの時に殺しておくべきでした……」

「あっ……悪魔ぁ……」

 絶望ライフ。そう俺は、仏の能面を被ったあきづきの微笑みを前にして、俺はそのように例えてしまう。この瞬間から絶望的な人生が始まろうとしていたからだ。

 そして蒸気が纏わり付いたバスタオル姿なのにも関わらず、彼女の両手には何処ともなく取り出された銀色に輝く一本の三徳包丁が右手に握り締められている。ヤンデレかな?

 俺達の前で仁王立ちで立つ彼女の身体からは、殺意という真紅色のプレッシャーがユラユラとにじみ出している。

 で、俺は窓際に引き下がろうとしたが、ふゆづきが身体にまたがって邪魔しているので身動きがとれない。てか、端から見たらこれ、浮気の修羅場みたいなシチュエーションじゃね……?

 ふと、ふゆづきが唐突に空気の読めない事をし始める。彼女はその裸体をゆったりとした動作で、俺の身体に密着させるように肌を重ね合わせて抱きついてきたのだ。

 それを前にして俺は唖然とし、あきづきはこめかみに青筋を浮かび上がらせてしまい、彼女が更なる殺意のオーラを纏わせたのを、この目で捉らえる事になってしまった。

 うん、俺は正直に詰んだと率直に思う。

「ねぇねぇお兄ちゃん。お姉ちゃんのことなんか放っておいて私と良いことしようよ」

 このやばい状況に対して、ふゆづきは全く配慮のかけらのない言葉を俺に投げ掛けてくる。

「……おい、とりあえず空気読めよこのバカ妹……」

「えへへ。私はバカでーす! わぁっふぅん!」

 えへへと開き直ってくるふゆづき。こいつワザとやっているようだ。

 ふと、俺はあきづきの方に目をやると、

「ワタシハ オニイサマヲ ムッコロス……!」

 完全に我を忘れて、顔を真っ赤にすっごく鬼の形相をしていらっしゃいました。

「…………」

 そういえばあきづきはなんて言ってたっけ……? 

 たしかあのときはブッコロシテヤルッって、言っていた気がする。

 それがムッコロスとなると……。

 俺の気持ちを読み取ったのかは定かではないが、あきづきが俺の耳元まで瞬間移動を果たし、

「私言いましたよね? お兄様がふゆづきに手を出したらナイフをもってブッコロシテヤルッ!! って、私はいいましたよね? なので、ふふっ」

 あふれる笑みをこぼしながらあきづきは俺に向けてザクッと、手に持っていた三徳包丁を下に投げつけるように振り落としてきた。間一髪の所で俺の両耳の数センチ手前に包丁が突き刺さる……。

「お前をムッコロス!」

「笑いながらやることじゃねぇよなっ!?」

「えっ、笑っているつもりはありませんよ?」

 とはぐらかしつつ、彼女は両手重ね合わせてバキボキと指の関節を鳴らしている。

 俺は超がつく理解力をもってこの後の展開を察した。

「なっ、なぁふゆづき!」

「なぁにぃお兄ちゃん?」

「そっ、そこどいてくれるかな?! ほらっ、横に姉がいるだろっ!? お兄ちゃん。いまにも待てゴーからの片足でシュートからのイッテイイーヨッ! って事になりそうになっているんだけどっ!? そのっ、つっついでに助けてくれないかなっ!?」

 俺はプライドなどかなぐり捨ててふゆづきに救いを求めた。

 身体を起こして唇に人差し指を当てて考える素振りをし、ふゆづきは目をぱちくりと瞬きをした。それから彼女は、

「うーん、ごめんねお兄ちゃん。ふゆづき。いまからお着替えしてくるから待っててね。それからお兄ちゃんの事助けてあげるね。覗いちゃ駄目だよ? ハックション!」

 可愛らしくクシャミをする妹は完全に人の話を聞いていなかったようだ……。

 そしてそのまま彼女は俺から離れて浴室へと行ってしまった。

 彼女の背中に手を伸ばしながらも、俺は絶望が俺のゴールだと悟る。そして、

「ふふっ、残念でしたお兄様。あの子はああみえて気遣いの出来る自慢の妹なんですよ。さぁ、私とステキなパーティーをしましょうね。うふふっ……ムッコロシテヤルッ!!」

『あきづき・クリティカルブーストフィニッシュ!!』

「海破蹴り(シーブレイクキック)!!」

「ヒデブッ!?」 

 青い光を伴った蹴りを頭部に受けてしまい、俺は玄関に向かって一直線に吹き飛ばされてしまう。

 頭を玄関に向けて宙を舞い、身動きがとれず横回転する視界の中で、俺の目の前には鋼鉄の扉がはっきりとぐるぐるしながら見えている。

「ひっ、ひぃいい!?」

 迫るーショッキングな展開を想像し、甲高い悲鳴を上げて上擦る自分。

 そして俺はマンガのような流れで顔面から激突し、ぶつかった衝撃で扉が盛大な音を立てながら開く。そして俺は目の前の鉄柵に衝突して冷たい地面に落ちた。

 外へと追い出される形になってしまった自分。すると奥から、

「そこでしばらく頭を冷やしてくださいお兄様ッ!! それまで入らないでください!!」

 部屋の奥から聞こえてくるあきづきの怒鳴り声。感情的になった俺は思わずカッなり、

「あぁ、出て行ってやるこん畜生ッ!!」

 俺はたまらずこの場から立ち去る事を決めたのだった。

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