第2話:兄妹喧嘩

 ふゆづきが着られそうな衣服を自分の寝室で探し出し、俺は寝室から廊下に出るなり違和感を感じた。

「やけに静かだな」

 リビングから声が聞こえてこない。

「ふゆづきとあきづきは姉妹だったよな。だったら何か会話をしていてもおかしくないのだけど……」

 それは実際に向こうにいってみて確かめる方が早いだろう。俺はそう思いながらリビングに続く扉を押し開けて、

「ふゆづき。着替え持ってきたぞぉ」

 俺は裸で寒い思いをしているであろう彼女の名前を呼んだ。

「あっ、お兄ちゃん……」

「おっ、お前……」

 俺はその場で抱えていた衣服を床に落としてしまった。俺は思わず彼女の姿に動揺してしまう。

「えぇ……」

「あら、お兄様。お待ちしておりました」

「ふゆづき。こっ、これは一体どういうことだよ……?」

「えっ、えとね……そのね……ふにゅ……」

 俺から見てダイニングテーブルの上座側の席にあきづきとふゆづきが座って並んでいる。戸惑いを隠しきれていないまごついた様子のふゆづきは、俺の問いかけにちゃんと答えられそうにないようだ。その姿を横で見ていたあきづきがひとつ咳払いをする。

「申し訳ございません。僭越ながら私が勝手に着替えさせて頂きました。実はこの子のいつも着用している洋服は。異次元倉庫と呼ばれる空間に何枚もストックがございまして。ですので、お兄様のお手元にございますお洋服はご不要というわけでして」

 マジかよ。つまりじゃあ、俺の気遣いは無用だったわけなのか……。

 俺はその言葉に対して胸がチクチクと痛むのを感じた。なんだこのやり場のない悲しみは……。

「ふぇえ、ごめんなさいお兄ちゃん……。ふゆづきはね。ふゆづきは、お兄ちゃんにお着替えをしてほしくてその……黙ってたの……グスン……ごめんなさい!」

「そうか……そうか……うん」

 コクコクと頷く俺は、ただその場で無機質に首肯しつづける。謝られたら否定なんてできない。

 俺とふゆづきが二人して落ち込んでいる側で、あきづきは何を考えているのかよく分からない笑みを浮かべている。

 この自称俺の妹が余計な事をしなければ、俺はウハウハな展開を満喫していたに違いない。

「己、許さん! 俺の憧れを踏みにじりやがってッ……!」

「そうだ、そうだ!」

 俺達の複雑な気持ちなど気づくはずもない当の張本人は、

「さっ、どうぞお兄様。そこにお座りください。取り急ぎ大事なお話がございますのでそちらにお座りください」

 完全にニコニコと、あきづきは聞く耳を持っていなかった。

「うっ、うん……」「でた、あきづきお姉ちゃんの聞かなかったふりのお猿さん芸……」

 ここは俺ん家なのに。何で下座の席に座れと言われないといけないんだよ。俺はもの凄く違和感を感じながら言われた通りに彼女達の前の席に座った。

「さて、改めてご挨拶をさせていただきます乾沢一お兄様。私の名前はあきづき。乾沢あきづきと申します。ホムンクルスコードは『DD115』で、またの名を『シーキャット』。つまりコードネームはウミネコにゃーです。にゃ~」

 あきづきは改めて自己紹介をした後に猫の仕草を真似ながら可愛い声を上げる。

「うん、それで。君はいったい何の目的でこんな所に来たんだ? 君があいつの回し者だと俺は理解している。だが、改めて聞くことになるが。本当にお前は俺の妹なのか?」

 彼女と話す前に疑問を払拭したいと俺は思っていた。

 その問いかけに彼女はその頬笑みを崩さずに、

「ええ、間違いなく血縁関係があります。それを証明できるものはございませんが。事実。私と隣にいる妹のふゆづきは。お兄様と同じくお父様の血が通っております。つまり血縁関係のある兄妹関係です。どうしてそのように言い切れるのかについて詳しい事はお教えできません。これはどなたにでも話すことの出来ない極秘事項ですので。例えそれが私達のお兄様であったとしても。知る権利はございません」

 その言葉に俺は思わずムッとしてしまう。だが、ここは冷静になろう。

「……なるほどな」

「はい、そういうことですお兄様」

「まぁ、いいだろう。どのみち俺の生活に支障がなければどうでもいいし」

「宜しいのですか?」

「別に俺の元に妹がひとりやふたり現れても何とも思わないしな。あいつのしている事なんてどうでも良いと思っているからな」

 とは言いつつも、俺の中ではふゆづきの事でお腹いっぱいだ。

「それで、目的はなんだ」

「はい、私がここに訪れた目的について。それはお父様が目指す崇高なる大義の実現のためにこの場所に訪れたとでも言っておくことにしましょう」

「あいつの目指す大義だと? 聞いたことがないな。どうせ聞いても極秘事項とやらで教えてくれないんだろう?」

「喧嘩を売るために私を煽ってきているのですか?」

「そう言ったつもりはない」

 これ以上俺の腹を探られるのが嫌だからそう言っただけだ。

「まぁ、せっかく来て貰って早々で悪いが。そろそろ帰ってくれ。俺はもうお前と話す事なんてないと思っている。それに今日は疲れたからもう寝たいんだ。ふゆづき、そろそろ寝るぞ」

 俺はそうあきづきに言い残して席から立ち下がろうとすると、

「そうですか……初めてお会いしたお兄様と私はもっとお話がしたかったのですが……。私、お兄様がどんな話題に興味をお持ちなのか。どんな口癖で話されるのか。はたまた、どのような女性がタイプなのか。その方にどのようなプレイを要求されるのかと。とても興味があったのですが。……とても残念です」

「根掘り葉掘り聞かれたくないプライベートな事ばかりだなッ!?」

 なんとも返答のしように困る発言を前に、俺はガタッと突っ込みを入れてしまった。悲しいけど、俺ってさ関西人なのよね。京都の人間だけど。

「ふふっ、冗談ですよお兄様。そう本気に取らないでくださいな」

 俺のとった反応に面白いと感じ、あきづきがクスクスと笑みをこぼしつつ冗談だと言葉を返してきた。俺はその場で思わずあれっ、のせられちゃった……? と、思ってしまった。

 ふと、俺たちの会話をを聞いていたふゆづきが唐突に、

「そうだよあきづきお姉ちゃん! お兄ちゃんはね。ふゆづきだけにお兄ちゃんの好きなプレイとかを赤裸々に話してくれればふゆづきがそれに答えて「ちょぉっと自重してくれるかなぁっ?!」ムゥウ!」

 やばい。さっそく俺にロリコン属性の疑惑が理不尽な形で浮上している。

 だが、俺が努力する間もなく虚しい結果になってしまったようだ。

「あぁうん、オワタ……」

 空気を読まない妹のせいで、あきづきの顔がもの凄く赤くなっている。

 しかも彼女の顔は笑っているのに目がそうでないという絶妙な猫の顔をしており、それから彼女ははぁ……と表情を変えて大きくため息をつく始末に。あれ、怒ってないの……?

「まったくもうふゆづきったら……。あなたっていつもどうしてお兄様の事になると盲目的になってしまうの。だめよ。あなたがそのような感情を持つなんてお姉ちゃんは許さないから。本当いいかげんにしなさいよね。少しはホムンクルスとしての自覚を持ちなさい!」

 なんとなくふゆづきの言ってしまった失言に対する彼女の言い分は分る。だが、俺はところどころ彼女が喋った言葉の端々に、何やら良くわからない違和感を感じてしまった。

「嫌だっ! お姉ちゃんの言っていること凄くおかしいよ!! ねぇ、どうしてお姉ちゃん! どうしてふゆづきはお兄ちゃんの事を好きになっちゃいけないのっ!? 嫌だ。ふゆづきはお兄ちゃんの事が大好きなのに!! ふゆづきはホムンクルスじゃないもん!」

「あのねふゆづき。あなたのその気持ちは一過性の恋愛感情で感じているものなの。兄妹で恋愛? おぞましいことよ。それにあなた。自分が何者なのか自覚してそう否定しているのかしら?」

「お兄ちゃんのお嫁さんだもん!!」

 えっ、マジか。じゃぁ俺は幼女のお婿さんになるっていうわけか。えぇ……。

「いいえ違うわ。あなたは私と同じくお父様の崇高なる大義の元に生み出されたホムンクルスよ。それと結婚は本当に好きな相手にしなさい。もちろんホムンクルス限定で」

「はっ!?」

 お前はふゆづきの父親かよと、俺は思わず突っ込みを入れたくなる衝動に駆られそうになった。それにしてもはっきりとした物言いをするんだな。ふゆづきの気持ちを無視した言い方だ。

 だが、俺としては兄妹間での恋愛というのは非現実的だなと率直に思っている。

 でっ、俺が思っていたとおりにあきづきとふゆづきが口論を繰り広げ始めた。

 俺はそれを仲裁しようと思い、彼女たちの会話に割り込もうとした。

「なっ、なぁ。姉妹喧嘩なんて良い事は何一つもないぞ……ははっ」

 だが、

「お兄ちゃんはそこで座って待っていて欲しいの! これはお姉ちゃんに私達の愛を深く理解して貰うために必要な戦いなの!」

「だから誤解を招くからっ! だから誤解を招くからなっ!?」

「だからふゆづきは何度言えば理解できるのかしら。いい加減にしなさい! それと、お兄様は余計な口を挟まずそこで座って黙っていてください!」

「あっ、はい。分りましたごめんなさい」

 何故か俺が謝らないといけなくなってしまった。俺がやらかしてしまった事は君子危うきに近寄らずと言うのだろう。おかげで口論がデットヒートしてしまった。

 激しく息巻きながらふゆづきが捲し立て、それをあきづきは冷静な態度で受け止めている。あきづきから大人の余裕が感じられると俺は思った。

 両者共々で引き際ないこの揉め事は、正直俺にとって困ったとしか言いようがない。

 俺はしばらく成り行きのままに眺めることにした。手出しのしようがないのだ。

 でっ、しばらくしてふゆづきが椅子を足で押し倒して立ち上がってしまった。彼女は威嚇と言わんばかりにガルルと、あきづきに向けて吠えだしてしまった。

 ふゆづきの取った態度にあきづきの反応はというと、

「キシャァッ!!」

 彼女は怒った猫のようになってしまった。

 端から見ていた俺は犬猫の戦いが勃発かと思ってしまう。

「ふゆづきもう怒ったッ!! ふゆづきは絶対にお姉ちゃんとお家には帰らない!! ここに住むもん!!」

「駄目よ! あなたはここに居てはならないの! 理由は知っているでしょ?」

「こいつが俺ん家に居てはならない理由ってなんだ……?」

「知っているもん!! お兄ちゃんに嫌な事をするんでしょ? そんなの絶対に許さないから! ガルルゥ!!」

 ふゆづきは喉を震わせて低い声で唸り続ける。ふゆづきは目の前で姉から距離を取る為にテーブルを回り込む形で跳躍し、俺の膝の上へと座り込んできた。

 俺の膝の上に乗った彼女は、俺の胸の中に顔を埋めて両腕を回して抱きついてきた。

「グスッ……グズッ……フェエエエン!」

 彼女は声を押し殺しながら泣いていた。

 俺の胴体がミシミシと悲鳴を上げている。だが、今の俺にはどうでも良かった。

 何故なら、彼女が大粒の涙で顔を濡らしながら顔を上げて俺の事を見てきているからだ。

「……ぐすん……ぉにぃちゃん……」

「ふゆづき……」

 その瞬間、俺は心の中でモヤモヤとした何かが晴れたのを感じた。

「おい、あきづき」

「はい、なんでしょう」

 俺が低い声で彼女の名前を呼んだ事で、あきづきの目には鋭い野獣の眼光が宿り、彼女の口からは淡々とした返答が帰ってきた。

 俺は彼女からあふれんばかりの苛立ちを感じ取った。

 俺はふゆづきの頭をやさしく撫でてやる。

「はぅぅ……気持ちいぃ……」

「ほら座れよあきづき。そんな顔をしていたらせっかくの美人が台無しだぞ」

 俺は優雅な態度で彼女に接する。

「大きなお世話ですお兄様……! あなたのようなブサイクに言われたくないです!」

「いっ、いいかたってもんがあるだろ……!?」

 俺の優雅さがものの三秒で崩れてしまった。

「そうだよあきづきお姉ちゃん! お兄ちゃんは格好いいもん!!」

「ふっ、ふゆづきお前……」

「大丈夫。お兄ちゃんがどんな顔をしていても私はお兄ちゃんの事が大好きだよ」

「あぁ……」

 本当にふゆづきは慈愛に満ちた天使ちゃんだ。

 俺はふゆづきをこれ以上泣かせるわけにはいかないと思った。

「…………」

 あきづきは俺たちの事が気にくわないようだ。

「……その様子だと。ふゆづきに何かよからぬ事を吹き込んだようですね……。そうですか。では、こうなってしまったとなれば。私もそれなりの対応をさせていただきます……!」

「それはなんだ……?」

 あきづきがスーツの内ポケットから指先で摘まむように、そこから一本の青いシャープペンシルを手前に取り出した。だが、よく見るとそれに見せかけたものだった。

「シャープペンシルだと……? いや、違うな……」

「ええ、シャープペンシルに似せたとある秘密道具です。今からお話しする質問に対して。返答次第によってはコレを使わざるを得ません」

 何やら物騒な展開になってきたぞ……!?

「なんだよ。ボンド映画に出てくるような奇天烈武器が登場する展開みたいになってきたじゃないか」

「無駄なお喋りはしてはいけません。これは警告ですよ。いいですか。お兄様は私の質問に対してのみしか喋ってはいけません」

「お、おう」

「では、お兄様。あなたのようなロクでなしの事を世間ではどのように言われているかお答えください」

「俺が社会不適合者とお前はそういいたいのか……?」

「ええ、そうです。分かっていらっしゃるではありませんか。あなたはお父様から逃げ出した碌でもない社会不適合者です。お父様はとても嘆かれております。なぜ息子はこんな出来損ないになってしまったのかと……。お兄様。その言葉を聞かされた時の私の気持ち。あなたには分かります?」

「さぁな」

「……そうですか。お兄様に聞いてしまった私がバカでした」

 彼女の表情が次第に険しくなりつつある。

 あいつが俺の事をどう思っていようが関係のない事だ。

 俺はこの場の空気が段々とピリピリしつつあるのを肌で感じている。目の前にいるあきづきが出している目には見えない怒りの熱いオーラが原因だ。俺は思わずその場で口の中のつばを飲込み、心の中で言葉に気をつけなければいけないなと思った。いつもの調子でふざけたら絶対に殺されるだろう。

「では、最後に質問です」

「…………おう」

「お兄様。今、この世の中には強大な悪意を持って善良な人々の生活を我が物顔で脅かしている反社会的組織が無象にうごめいております。最近のニュースではテロハッカー組織がサイバー攻撃を仕掛けました。この事件の黒幕は背後にいる世界を影で支配している悪の秘密結社組織によるもの。組織は近々日本に対する侵略活動の準備のため、今回日本のテロハッカー組織にその絶大な力でもって傘下に取り込み、そして仕事をさせたのです」

 悪の秘密結社だと? そう思いながら、そのテロハッカー組織はサードアイの事だろうと俺は思った。

 更に彼女の話は続き。

「簡潔に申し上げさせて頂きますはじめお兄様。お兄様の持っていらっしゃるお力がいま必要となっております。どうか。今一度お父様の元へ速やかにお戻りになっていただけませんでしょうか……?」

「…………」

 なるほどな。あきづきがここに来た理由はそういうことだったのか。それを受けて俺は、

「そのお前の言う、悪の秘密結社か。そいつらは俺に目をつけているのか?」

「調査によるとおそらくは……ないと思われます……ただ、個人情報が盗まれていますので……否とは言い切れない所もあります……」

「なら俺には全く関係の無い話だ。それになんだか信じられない話だ。特撮物の見過ぎだろ。陰謀論者だってもっとマシな論証を立てて話すぜそれ。仮に実在しているとしても俺にはどうでもいい事だからな。俺の生活に支障がなければそれで充分だ。これが俺のお前に対する答えだ」

 だが……俺にはある秘密を抱えている。誰にも言えないレベルの事だ。あきづきがさっき俺の力が必要だと言ってはいたが、おそらく彼女の中では俺のある情報についてはあいつに教えて貰っていない感じがした。明確に俺のある秘密について触れずに話してきたからだ。

 てか根本的にそもそもこいつの話を信用することが出来ない。

「そうですか。では、お父様のご命令通りに私は任務を遂行させて頂きます」

 あきづきの表情が無機質な物に変わり、彼女の口調が事務的な返答のものへと変わった。

「任務だと……?」

「はい、既にもう始まっておりますよお兄様。ふふっ、いえ、私のお兄様ではありませんね。ねぇ、乾沢一。お父様の大義を汚す邪魔となる存在よ。この私がお父様に変わってあなたろ直々にこの場で絶版にして差し上げます!」

 えっ、絶版……? と、俺はそう疑問に思いながら彼女の様子を伺おうとしたその直後。

「がっ、はぁっ!?」

 それは俺の目には見えなかった刹那の瞬間の出来事だった。

 俺は宙を舞った記憶が無い。俺はいつの間にか椅子ごと背中から床に倒れて後頭部を強打していた。

 俺の頭がフローリングに若干めり込んだ状態で半分埋まっている。幸い脳にダメージはなかった。いったい俺の身に何が起きたんだっ!?

「はっ、ふゆづきっ!?」

「いやぁああああ放してあきづきお姉ちゃん! やめてぇえええ!!」

 俺の膝の上に乗っていたふゆづきが、あきづきの左肩に抱えられるように捕まえられていた。

 俺はおそらくあきづきが目には見えない身のこなしでふゆづきを掻っ攫ったのだと思った。

「黙ってなさい。これから私は大事な仕事をしないといけないの。お父様に反発した人間は社会の悪よ。正義を汚す存在はこの私が排除しなければいけない。これは私に与えられた使命なのよ。乾沢一。あなたの存在は崇高なる大義の邪魔になる。それからふゆづき。今日この日をもって乾沢一という男はもうこの世には存在しなくなるわ。大丈夫よ。次は新しいお兄様が私達を優しくしてくれるはずだわ。もう目の前の男のことを忘れなさい……!」

 俺はその言葉にはとても悲しみの帯びたモノがあると強く感じた。

「絶対に嫌だッ!! はじめお兄ちゃんは私の大好きなお兄ちゃんよ!! 世界にたった1人だけのお兄ちゃんだもん!! あきづきお姉ちゃんはおかしいよぉ!! 本当はあきづきお姉ちゃんも嫌だと思っているはず!! ふゆづきはお兄ちゃんと一緒に死んじゃう!!」

「ふっ、ふゆづき早まるな……!!」

 俺から離れたくないあまりにふゆづきが暴走している。

 後頭部を強打した影響で頭の中がグワングワンとする中で、俺は平衡感覚がうまく保てずに立ち上がれそうになかった。

「くそっ、動けよ俺の身体ぁ……っ!?」

 あきづきが何故に俺を押し倒したのかが身をもって理解できる。俺が邪魔をしないようにと考えてこうしたんだろう。

 俺は這いつくばってでもこの場から玄関口に向かわなければならない。彼女達がここから廊下に向かっていったからだ。いまにもここから立ち去ろうとしているはず。

 時間と共に秒刻みで俺の感じていた痛みとめまいが徐々に和らいできた。だがそれでも俺はまだ立ち上がれそうにない。これほどにあきづきの一撃は重たかったのかと、彼女の底知れぬ力に恐れを俺は感じていた。

「お兄ぃちゃぁあああん!! 助けてぇええええ!!」

 ふゆづきの小さくて短い両腕と両手が俺に向けられている。涙を流しながら彼女は俺に悲痛な声で俺に助けを求めてきた。その姿をリビングで目の当りにしたのを思い出しながら、

「ふっ、ふゆづきぃ……!! 待ってろ……! いま助けてやるからな!!」

 這いつくばりながら匍匐前進で部屋と廊下の境界線の前にたどり着く。そして俺はそのまま廊下の通路を進んでいく。

 あきづきは俺が背後にいる事に気配で気がついたようだ。彼女は玄関口の一歩手前で立ち止まって振り向き、彼女は怪訝な表情で目線を下に向けて俺を見てきた。

「かなりの衝撃波を添えて押し倒したつもりだったのですが……。お兄様の持つ秘めたる力のせいで私の一撃が弱くなってしまったのでしょうか……」

 あきづきはひとりでブツブツとそう呟いている。

「聞かれても種明かしは出来ないな。それよりおい、ふゆづきを降ろせよ」

 俺は彼女に話しかけつつ間合いをジワジワと這いつくばりながら詰めていく。ある程度の所で全身に力が入り始めるのを感じた。俺はすかさず地面に両手をついて膝からゆっくりと立ち上がった。

「私にも理解できないあなたの秘めたる力。お父様の生み出した力はまさに危険と判断せざるを得ないようですね。残念ですが。こうなった以上はこちらも奥の手を使わざるを得ないですね」

「奥の手だと……?」

 ラノベでよく異世界ファンタジー物で魔王の幹部が口々に言う『戦士には奥の手が幾つもあるのよ……ふふっ』てな感じか。

「これでお別れよ乾沢一。さぁ、このまま瓦礫の山の中で息絶えるのです」

「それはまさか……!?」

 彼女が持っていたシャープペンシルに似せた秘密道具が再び手の中にあるのを俺は目にする。

 彼女は手にしているそれを俺に向けて掲げ伸ばしており、彼女の手の親指はノックバーの上に乗せられている。つまり次の展開は……。

「おい、まさか。その秘密道具は爆弾を起爆する為の機能が付いていたりしないよなっ!?」

「ふふっ。ええ、ご明察です。これは、このマンションを跡形もなく木っ端微塵に解体が可能な炸薬量を備えたセムテックス爆弾を起爆するための装置です」

「えっ、セッ「それ以上ふざけた事を言ったら押し殺しますよ?」おいおい! ただの言い間違いだぁ!?」

「…………」「セッって何なのお兄ちゃん……?」

 ふざけている場合じゃなかった。

「とっ、とにかくこのマンションの住人や、近所の人達も巻き添えにするつもりか!?」

「はぁ……。大丈夫です。このマンションはお父様の所有するアジトなので心配無用です。要するにあなたしかすんでおりません。ちなみにあなたのお部屋を斡旋した不動産会社はお父様の息のかかったカンパニーです。お父様はそこの不動産会社の筆頭株主です。そしてこれも全て仕組まれていた事なのですよ」

「あいつがすべて仕組んだことだったと……!? いったいどういうことなんだっ!?」

「あとちなみに、近隣住民の方達にはあらかじめ不動産会社を介して封書で一週間前に遠いところへ避難してもらっております。名目上は老朽化したマンションの解体業務の実施。行政の許可を得て避難していただいております。ですので警察や消防は来ません。誰も解体されるマンションの中にあなたが生き埋めになってしまっただなんて思いも知りもしませんし。そのまま圧死でひとり悲しくあの世にイッテイーヨになてもらいます……うふふふふふふっ」

 彼女の笑い方がとても黒くて不気味だ。俺は誰も自分の存在に気づかれることなく、崩れ落ちるマンションと共に圧死で死を迎える事に対して背筋が凍り付くような思いを感じた。

 あきづきの嘲笑を耳にしながら、俺は拳に強く力を込める。

 俺はそのまま唇を真一文字に引き結んだまま。

「そ……な……と……」

「えっ? いまなんて言いました……?」

「そ……んな……ことさせてたまるかよぉおお!!」

 俺は勢いをつけるために身構えて吠えた。

 俺のその姿を目の当りにして、

「お兄ちゃんカッコいい!!」

 ふゆづきが目をキラキラと輝かせて歓喜していた。

「ふゆづきっ!! 何でもいいからその場で思いっきり暴れて抵抗するんだっ!!」

「うんわかったお兄ちゃん! うぉりぃやぁああああ!!」

「なっ、何をッ!? 止めなさいふゆづき!! クソッ!!」

 ふゆづきの抵抗にあきづきが気圧されて身体をふらつかせている。

 その最中で彼女が俺に向けてきたキッという鋭い視線に、俺は直感的に強い殺意を感じ取った。まるで抜き身のナイフのようだと思った。

 だが、それでも俺はビビらない。

「させるかよぉ!!」

 俺は姿勢を低く取り飛び込みジャンプをして、そのまま彼女の元へと頭から突っ込む形でオレ流悪質タックルを仕掛けてトライを狙う。

「無駄で――がっ、はぁっ!?」

 俺の力の籠もった飛び込みタックルが彼女の無防備になっている腹部へと命中する。

 彼女の受けた一撃はプロラグビー選手二人分のタックルと同等の威力がある。

 タックルをかますことに成功した俺はその勢いのまま彼女を押し倒して馬乗りになる。

「……くぅぉ……!?」

「さぁ、その起爆装置を寄越せ……! でないと……!」

「かっ、はぁっ!?」

 俺は彼女に渾身のスリーパーホールドを仕掛けた。常人では耐えられない腕力を使って彼女に拘束攻撃を仕掛ける。

 だが、彼女は蚊の鳴くような声を上げながら必死の抵抗と言わんばかりに首を横に振っている。なんという精神力と忍耐力なんだと、俺は彼女の鋼のメンタルに対して恐れを感じた。そして、

「かぁ……ぁああああああああ!!」

「やっ、止めろぉおおおおおおおッ!?」

 俺の阻止も虚しい結果になってしまった。彼女は口から泡を吹き身体をビクつかせながら自爆装置のボタンを押してしまったのだ。

「クソッ! チクショウガァアアアアア!!」

「任務……完了……です……お父様……うっ」

 力無くだらりと、彼女はその言葉をのこして気絶してしまった。

「チクショウ……止められなかった……!!」

 俺は己の無力さに憤慨した。俺は両手の拳を床に向けて激しく叩きつける。その直後。

――ズドンッ!! ジリリリリリリリリ!!

 俺は激しい爆音と地鳴りを体感し、それと共に警報装置が作動したのを耳にする。

 そして激しい横揺れが俺達に襲いかかってきた。

 横揺れは次第に前後左右の激しい揺れとなり、俺たちは身動きがとれなくなってしまった。

「きゃぁあああああ、お兄ちゃぁあああん!! 怖いよぉおおお!!」

 ふゆづきはあきづきの下敷きになっており、彼女はその場で恐怖のあまりにパニック状態に陥ってしまっている。

「ふゆづきぃ! 俺の下に潜り込むんだッ! クッ……早くっ!」

「できないよぉお兄ちゃん! うぇえええええん!!」

 ふゆづきは恐怖のあまり身体が強張って動かせないようだ。

 号泣するふゆづきを前に、俺は彼女達の上から覆い被さる形で寄り添った。

「……ぐすん、お兄ちゃん……」

「安心しろ。お兄ちゃんが必ず守ってやるから」

「うん……」

 少しばかり慰めになったのだろう。俺の言葉にふゆづきの気持ちが落ち着いたようだ。

「……お兄ちゃん。これから死んじゃうのかな……?」

 ふゆづきがか細い声で悲しそうに俺に話しかけてきた。

「あぁ、そうだな……。俺たちはこれから死ぬみたいだな……」

「そう……なんだ……さみしい……」

「大丈夫。お前が死ぬときも俺がついている。短い間だったがありがとうなふゆづき。最初、お前が俺の妹だったなんて最初は半信半疑だった。だけど次第にお前の事をよく見ていたらさ……。本当に俺の妹なんだなっていうのはなんとなく感じたんだ」

「……お兄ちゃん?」

「お前の顔立ちがどこか母さんに似ているなぁと思ったときから確信に変わったんだ」

 これは俺が死ぬ間際に彼女に伝えたかった事だ。

「私のお母さん……?」

「あぁ、母さんにそっくりだ。しゃべり方もなんとなく似てる。まぁ、目の前で泡吹いて伸びているあきづきもそうだけどな」

「そう……なんだ……ふゆづき……お母さんに会いたかったな……」

「……俺もだふゆづき。会いたかったな……」

 こんな話をしていると胸が苦しくなるのは分かっている。だけど死に際になにか、やり残したこととか、それを踏まえての後悔した事とかはこの場で告白して、そのまま死を受けれたかったからだ。

 そして俺はその時が訪れるのを目にする。

 抗うことも出来ない運命が訪れる。

 崩れ落ちてきた瓦礫に飲込まれ、俺は痛みすらも感じる暇もなくそのまま意識を失ってしまう。

 そして俺は白い光と共に包まれて死んでしまった。


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