第2話:妹との食事


 意識が戻って気がつけば、

「えっ」

 なぜか俺は犬耳の少女の膝の上で膝枕をされていた。

 俺は驚きのあまりにパニックに陥ってしまい、勢い余って彼女を押し倒してしまった。

「ふぇぇぇんっ!?」

「わっ、わわわわっ!?」

 俺はすかさず彼女の側から離れる為に距離を置いた。

 だが、犬耳の少女は俺に差し迫り、羞恥の混ざった怒りの表情と共に激しい往復ビンタを仕掛けてこようとした。

 しかし――

「えっ……」

「…………」

 彼女は寸止めで何もしてこなかった。 

 お互いに見つめ合いながら顔を赤くしていたのは今でも鮮明に覚えている。

 それから場所が変わり自室のすぐ近くにあるリビングルーム。

 壁掛け時計の針が午後四時を指したのを目にした所だ。

 俺と犬耳の少女はテーブルで対面するように座っている。

 そして目の前のテーブルの上には、絢爛豪華でおいしそうな料理の数々が皿に盛り付けられて並べられている。

 ほのかに皿から漂うおいしそうな匂いに対し、俺のお腹がグーと小さく鳴る。

ふゆづきちゃんは目の前の料理に目を輝かせ、わふわふと興奮している。

「わふっ……」

「しっ、尻尾が動いてるだ……と……?」

 彼女の背中からひょこひょこ顔を覗かせているふさふさの尻尾。よく精巧に出来ているコスプレのアクセサリーなのか……?

 犬耳の少女あらためて『ふゆづき』ちゃん。彼女はひと言でいうと変な奴だ。

 若干時間を五分程遡って理由を話そう。

 最初はお互いに自己紹介をする所から始まった。

『はっ、初めまして。はじめおお兄ちゃん! わっ、私はあきづきお姉ちゃんのいっ妹のふっふゆづきともっ、もうしましゅっ! ふぇぇ……』

 はわわとふゆづきちゃんの顔が茹で上がったタコように赤く染まる。かなりテンパってしまい、慌てた挨拶をしたふゆづきちゃん。彼女は花のようにしおらしく態度を萎縮してしまう。

『将来の夢は。ふゆづきのお兄ちゃんのお嫁さんになることですっ! きゃーっ言っちゃったぁ! 恥ずかしぃよぉ!!』

『んーっ』

 首を傾げて三秒前。

(へっ、変な奴きたぁああああああああああああああああああ!?)

 宇宙来たアアアアアァッ!! と言わんばかりに、俺はその場で勢いよくイスから立ち上がって叫びそうになった。

 だが間一髪の所でなんとかメンタルを保つ事に成功。慌てふためきながらも笑って、

『へぇ、かわいいお名前だね。それに素敵な夢だね』

 と、彼女に優しく接してあげた。だが、俺の心の中ではドン引きしており、裏を返すと、今時の幼女は何を考えているのだろうかと怖くなってしまった。

『ふぇぇ、お兄ちゃんに可愛いっていわれたぁ……くぅん』

 顔を赤らめて恥ずかしそうに、背中の尻尾をパタつかせているふゆづきちゃん。

『ん? いや、普通だとおもうぞ?』

 と、相槌を打つ。すると、

『ワフッ!?』

『ふぁっ!?』

 突然ふゆづきちゃんの頭から蒸気がボフンッ!! と噴き出した。

『はうぅ……お兄ちゃんにそんなこと言われたってふゆづき嬉しくないんだもん……くぅぅん』

 ご主人に甘えるような愛くるしい子犬のような声で言葉を返してくるふゆづきちゃん。

(尻尾は動くし、耳も、それに頭から蒸気が噴き出すってなんだよこいつは……? 新手のドッキリか何かなのか……? もしかして何処かにモニタリングをしている奴がいるのか? ていうかこいつ。新型のロイロイドだったりして) 

 どのみちあまり詮索しない方が身のためなのかもしれない。

 そして5分が過ぎて今に戻るわけだ。そして時は動き出す。

 とりあえず俺は両手を合わせて「いただきます」と合掌する。

 まず始めに、俺は目の前の皿の上に盛り付けられた明太子パスタに手をつける。

「ぁむ……」

 口に入れた瞬間に感じるピリッとした香辛料の辛さ。咀嚼すると素材の風味豊かでまろやかな味わいが口の中に広がっていくのを感じる。

「おっ、これはうまいな。和えるだけで簡単にできる奴だから不味いかと思ったけど。以外といけるなこれは。うん、うますぎるっ!」

 久々の有機物の食事。案外悪くないな。

 あっちの世界では食事なんてしなくても生きていられる。食っても無味無臭のガムみたいな味なんて最低だろ? 

 だが、それでも俺はあのゲームのそういう所が好きだった。

「ふみゅ……」

「ん? ほら、ふゆづきちゃん。そんなシュンとした顔しないで食べなよ。腹減ってるんだろ? 遠慮なんてしなくていいからさ。ほらっそれ、結構いけるぜ」

「そそっ、そんなこと……」


――グゥウ……ギュルギュル……。


「はわわわっ!? うぅ、やぁ……」

 彼女よりも先にお腹が正直に返事をしてくれた。

 すると彼女は、羞恥のあまりまた頭からボシュー! と、今度は蒸気機関車のごとく蒸気を勢いよく噴きだしてしまった。これで二度目だ。癖なのだろうか?

「あっ、あっあの。そのっ。こっこんなに沢山おいしそうなご飯をふゆづきの為に作ってくれたの?」

「おう、そうだ。なにか気になることでも?」

「……ううん、なんでもないよお兄ちゃん! えへへ」

 ふゆづきちゃんがはにかんだ笑顔を浮かべてくる。変な奴だが可愛いなと思った。

 とりあえず彼女が何を言いたいのかよく分からない。

 もしかして、嫌いな物でもあったのだろうか? 

「何か嫌いな物でもあったかな? 野菜があった方がよかったとか?」

「ううん。大丈夫だよお兄ちゃん。ふゆづきの嫌いな物はその……お兄ちゃんに構ってもらえないことが嫌かな……」

(えっ、ナニそれ。食べ物の好き嫌いとか。全く関係のない話じゃないかっ!?)

 突っ込みどころ満載で返答に困ってしまう。

「なっ、なぁふゆづきちゃん。ふゆづきちゃんは兄妹とか姉妹とかいるのかい?」

 とりあえず話題を切り替えて彼女の事について話を聞いてみよう。

 彼女がよく口癖で『お兄ちゃん』と言っていることに興味が湧いたからだ。

「ふゆづきはね。一番下の妹なの」

「ふむ。末っ子ていうやつか」

「うん。ふゆづきにはお姉ちゃんとお兄ちゃんがいるの」

「へぇ、とても楽しそうだな」

 生まれてこの方。俺には兄とか姉とか、弟とか妹とかいないから新鮮に思えてくる。

「うん。でもね。お兄ちゃんはね……」

 彼女は少し寂しそうな面持ちになり。

「ふゆづきのお兄ちゃんはね。どこに居るのか分からないの。私が生まれて物心ついた時からずっと居ないの。ふゆづきはずっと真っ白な四角いお部屋で。つい最近までそこで過ごしていたの。お兄ちゃんが写っている写真はお姉ちゃんが独り占めにしていたから。だから私はお兄ちゃんの顔が分からないの」

 なんか振ってはいけない話題を俺はかけてしまったようだ……。

「……あぁ。そっ、その。無粋な事を聞いてしまったね……ごめん」

 いままで病弱な生活を送っていたのだろうか?

 俺は何やら彼女の聞いてはいけない禁忌(タブー)に片足を突っ込んでしまったようだ。

 ふゆづきちゃんとそのお兄さん。ふたりは何かしらの理由で生き別れてしまったのだろう。

 彼女は特殊な環境下で育てられた訳ありの家出少女なのかもしれない。

「こんな小さな子が酷い目にあうなんて……あんまりだろ……」

 理由はともかく、目の前で落ち込んでいる純粋無垢なふゆづきちゃんを、俺はこれ以上寂しがらせるよな事をしてはいけないなと思った。

 別の話題に切り替えることにしよう。ただそう思って。

「その、用意した料理が冷凍物ばかりでごめんな」

 あまり場に適した話題の振り方じゃない気がするけど。

「えっとね、お兄ちゃんが作ってくれる物ならふゆづきはなんでも食べるよ。えへへ」

「健気だなふゆづきちゃんは。君のお兄さんがうらやましい限りだよ」

「えへへ、おせじでも嬉しい。ありがとうお兄ちゃん!」

 若干はに噛みながらも、嬉しそうにえへへと笑うふゆづきちゃん。よかった。

「いや、まぁそのさ。俺も作ったかいがあるな。ありがとうなふゆづきちゃん!」

「えへへ、ふゆづきの為に誰かが作ってくれたご飯は絶対に食べなさいって。お父さんによく言われていたから。ふゆづきはちゃんとお利口さんにしたよ!」

「そうだね。お父さんの言うことをよく聞いている君は偉いよ」

 俺とは違って聞き分けの良い子だなぁと素直に思った。

「お父さんか……あのさ。ひとつ聞いてもいいか?」

 ふゆづきちゃんはフォークを片手にもぐもぐと、頬を膨らませながらニコニコと笑みを浮かべて食事に夢中になっている。

 俺が話しかけた事に反応した彼女は顔を上げ、パチリと目を瞬きして首を傾げ。

「んg¥ふ? なふぃおしぃしゃん?」

「……すまん。よく噛んで飲み込んでからでいい。あと、口の中に食べ物を入れたまま喋らないの」

 彼女はコクリと小さく首肯した。

 俺は話しかけるタイミングがまずかったなと思いながら、とりあえず彼女が咀嚼を終えるのを待つ。

「あのさ。この左手首のオレンジ色の腕時計みたいなやつ。これはなんだ? 俺が君と出会う前までにはなかった物なんだけど。見たこともない機械だから、君が持っていた機械なのかな? これって最近はやりのデジタル時計みたいなやつなのかな?」

 ひとめ見た感じで言うと丸型のスマートウォッチにも見える。

 筐体の縦横は約40ミリメートル。厚さは約20ミリメートル位だろう。メッキで装飾が施された画面の額縁がキラびやかさを演出している。俺はこいつを見て、無駄のないかっこよさを感じた。

 そんな筐体を固定する為にあるオレンジ色のシリコンバンドには、時計でよく見るような留め具がない。手ではずそうにもつなぎ目がなく、それに加えて手首にガッチリと巻き付いており、どうやっても外せそうにない。

 俺の質問に対してふゆづきちゃんは、

「うーん、わからない」

「わからない?」          

「うん」

 と、首をかしげてから短く返答した後に頭を起こして首肯した。さらに、

「えとね。ふゆづきはその機械のこと。よく分からないけど。お父さんが言うにはね。えっと、その機械を身につけている人がもしも命の危険にあってしまった時。その機械が作動して。この世界のありとあらゆるモノ全てを無に帰す事が出来る力が封じ込められている眠れる幸運のお守りなんだって! 凄いんだよぉ!」

 それを聞いて思わず宇宙の法則が乱れそうだと思った。なので、

「うん、ごめん。君が何を言っているか俺にはすっげぇよく解らない。どっかの似非カルト的な新興宗教とか。すっげぇ怪しげな。詐欺まがいのセールスをする悪の商社マンが。いかにもそう喋りそうな台詞に俺は聞こえてしまったぞ」

 と、俺はにわかに信じがたい話だと感じたので彼女の話を否定した。すると。

「むっ、むむ……ッ!」

 俺がとった冷ややかな対応に対して、ふゆづきちゃんは機嫌を損ねてしまいブーッ!と、頬を風船のように膨らませた。まるで雨蛙みたいだなと俺は思った。

 俺は彼女の冷たい視線にビビってしまい慌てて平謝りを繰り返す。

 ムスッと、ふゆづきちゃんは不満げな表情を露わにしつつも、

「むぅ……それはね。ふゆづきのお兄ちゃんが逃れられない運命に立たされたとき。そしてその事に立ち向かう時に。お父さんはその時計が必要になるだろうと思って用意したんだって。ふゆづきはね。お兄ちゃんのお嫁さんになりたいから、時計じゃなくて指輪がいいってお父さんにお願いを言ったらね。そしたらお父さんに怒られちゃったの。やだなぁ……ふゆづきはとても悲しいよぉ……」

 そりゃあ当然の反応だな。アニメじゃないし。

「そんな大切な物をなぜ俺なんかに付けてしまったんだよ? お兄ちゃんって呼んでる奴にあげるつもりだったんだろ?」

「お兄ちゃんが今にも死んじゃいそうだと思ったから。そっ、その幸運のお守りがお兄ちゃんの事を救ってくれるかもしれないって思ってつけたの!」

「……そうなのか?」

「うん……あのね。ふゆづきがお兄ちゃんの事を何度もお手々で叩きすぎてしまったからね。お兄ちゃんは死にそうになってたの。それでね。その機械をつけてしばらくしたらお兄ちゃんが目を覚ましたの」

「そっ、そうなのか俺。死にかけてたんだ……」

 てか、あの平手打ちはどう考えても、金属バットで何度も顔面に強く殴りつけられた時とほぼ変わらなかったと思うんだ。

 まぁ……、それで俺の顔が潰れたりするような事はない。俺の身体は普通の人と違って特異体質だから何とか無事に済んだだけの話だ。

 ただ、この事は彼女には絶対に話せない。

 俺の命を救ったというこの機械。少しばかりはふゆづきちゃんに恩を感じている。

 しかしそれでも俺はこの左手首にある機械が気にくわなかった。

 俺は右手でその機械を強引に外すことにした。

 それを目の当りにしてふゆづきちゃんが、

「ふぇっ!? なにしているのお兄ちゃん!? だめぇ! それを外したらお兄ちゃん死んじゃうよぉっ!!」

 と、慌てふためきながら大声で止めてきた。反射的に思わず俺は、

「んなっ!?」

 と言いながら、サッと右手を機械から放した。

 いきなり大声でそんな話を聞いた事もあり、俺の心臓がバクバクと激しく動悸をしており、それにふゆづきちゃんは、嗚咽混じりに激しく咳き込んでお互いに苦しんでいた。

 彼女の咳き込む声を聞きながら俺は左手首の時計をまじまじと見つつ。

(この機械をはずした瞬間に死ぬ……だと……? 嘘だろ……?)

 と、そう思いながら、俺は彼女の言っていることは本当なのだろうかと疑問に思った。

 考えが纏まらないゴチャゴチャとした思考の中。

「し、死ぬってどっどういうことだよ? なぁ……ふゆづきちゃん……嘘だろ……?」

 恐る恐る顔を上げて彼女にその意味について説明を求めた。

 すると、ふゆづきちゃんは目尻に涙を溜め苦悶の表情を浮かべて。

「グスッ……それをつけた瞬間に。その機械はすでにお兄ちゃんの心臓なの……」

「心臓だと? つまり……俺の心臓は動いていないということなのか?」

「ううん、違うよ。お兄ちゃんの心臓は動いているよ。でも、お父さんが言っていたの。その機械は装着すると自動的に装着者の心臓と直接リンクするようになっているの。その機械は生命維持マネジメントの役割も担っていて。もし機械が身体から離れた時。お兄ちゃんの心臓は機械から出た高圧電流で完全に停止してしまうの……。あと、お兄ちゃんの脳みそも電流で……。その機械は心臓以外の臓器にもリンクしていて。ちゃんとした方法と手順で外すことをしないで無理矢理にはずしちゃったら。そのままお兄ちゃんは直ぐに死んじゃうの……。せっかくお兄ちゃんのこと。ふゆづきが助けたのに死んじゃうのは……ふゆづきは嫌だよ……っ!」

「かっ、感電死かよ……」

 外せば機械から発せられる高圧電流で『死』あるのみらしい。こればかりは彼女の言うとおりにしないといけないなと思った。

 ふゆづきちゃんは物悲しげに俯いてしまっている。また俺は彼女を悲しませるような事をしてしまったと感じた。

「……どうしてそんな大事なモノを持っていたのかな?」

「ふゆづきのお兄ちゃん。顔と名前は分からないけど。ふゆづきのお兄ちゃんにプレゼントしようと思ったの。それでね、ふゆづきはね。今日ね。お家から家出したの。その時に黙ってお兄ちゃんがつけている機械を取ったの。お兄ちゃんのことを身近に感じられると思ったからなの……」

「そうか……ふゆづきちゃんは寂しかったんだね……」

 家出をしてまで大切な兄にプレゼントをするなんて、どこまでこの子は健気なんだ……! 感電死するような機械については触れないでおこう。

 それは兎も角だ。ふゆづきちゃんのお父さんはとんでもない機械を生み出してしまったようだ。

 だがそれでも、彼女が俺の命を救ってくれたことに心から深く感謝しよう。

 それからしばらくしてふゆづきちゃんに元気が戻った。

 少しずつだが彼女との会話の中で、彼女の事をある程度知る事が出来たと思う。

 それと共に彼女と話をしていると楽しいと感じている自分がいた。

「ははっ、それは面白いね」

「うん! そうなんだよ。その時にね。お姉ちゃんったら慌ててお父さんの大事なお仕事の用紙を自分の机の引き出しの中に隠してしまったの」

「でっ、それがバレて怒られたのか」

「えへへっ、そうなの」

「そうかそうか……。んっ?」

 ふと俺はふゆづきちゃんと会話をしている最中にあることに気がついた。

 それは俺が笑いを堪えようと我慢をして顔を下に向けたときに気づいた事だ。

「えっ、ない……」

 料理がない。テーブルの上にあるのはソースで汚れた白い皿ばかりだ。

 俺が全て平らげたような記憶はない。

「ということは……」

「ぷはぁ……あぁ美味しかったぁ!」

 どう考えても目の前で満足そうに表情を浮かべているふゆづきちゃんしかいない。

 彼女のお腹は太鼓腹になっており、彼女はそのお腹を両手でさすりながら労っている。

(普通の小学生でもこんな量は平らげられるわけがないぞっ!? なんだコイツっ!?)

 きっと俺は白昼夢でも見ているのだろう。アニメじゃないし。

 満足そうに笑みを浮かべているふゆづきちゃんの事を見て、俺は年相応の育ち盛りなんだと思う事にした。

「ふゆづきちゃん。食後の飲み物は水でいいかな?」

 と、俺は萌え萌えキュンな展開になるのかなぁと、ちょっと淡い期待を抱いている。

 さっそく、ふゆづきちゃんが甘い言葉遣いでおねだりをしてきた。

「お兄ちゃんあのね。ふゆづきはね。その……ね。ビックサイズのコーラが欲しいなぁ……くぅん……」

 うむ、注文のチョイスがマニアックすぎる宮沢賢治だ。

 ふゆづきちゃんはぶりっ子ポーズで俺に猛アピールを仕掛けてきている。

 彼女の側にある透明のグラスには元々オレンジジュースが注がれていた。

 コンビニに行ってコーラを用意するという考えもある。だが、そんな理由で家を出たくないと思い直した。

 とりあえずリビングから離れよう。俺はリビングルームに隣接するキッチンまで歩き、備え付けの流し台に取り付けられている浄水器の蛇口を捻り、そのまま出ている水を用意した新しいグラスに注いだ。

 それからリビングに戻ってふゆづきちゃんの座る席まで歩み寄り、そのまま水の注がれたグラスを彼女の手元近くに置いた。

「悪いがこれで我慢しろ」

「ぶーっ。ふゆづきのお願いは聞いていたのかな。プンスカ!」

 不満たらたらに、俺の差し出したグラスをふゆづきちゃんは両手で受け取り、そのままグラスに口をつけてあっと言う間にゴクゴクと、グラスの中の水を飲み干してしまった。

 俺は呆れ混じりに肩をすくめて飄々とした態度を彼女にとった。

「悪気はない。だが、コーラはいま切らしているんだ。我慢してくれ」

「ぶぅ、もうしょうが無いなぁお兄ちゃんったら。お兄ちゃんって本当ダメダメだね」

「おい、そこはごめんねっていうところだぞ?」

「ふぇっ!?」

 ふゆづきちゃんの可愛げの無い言葉に対して、俺は少し苛ついてしまった。

 俺の低い声を聞いてふゆづきちゃんがビクッと驚いてしまった。

 彼女は呆けた表情を浮かべ、そして伏し目がちになり顔を俯いてしまった。

「おい……どうした……?」

 彼女の様子に俺は思わず気まずくなった。少し言い過ぎたのだろうか……?

 ふゆづきちゃんが顔を上げた。彼女は目を潤ませながら半泣きの表情で俺を見つめてきている。

 また彼女があの絶叫で俺を殺しにかかってくるのでは? と、俺はそう思ったのだが、

「ごめんねお兄ちゃん。ふゆづきのわがままさんでごめんね……グスン……ふぇぇ……」

 彼女は意外な事に申し訳なさそうに謝ってきた。

 その事に思わず動揺と共に後ずさりをしてしまう。

「なっ、なんだと……?」

 そう俺は無意識に言葉を漏らしてしまった。なんだこの破壊力のある表情は……。

 ふゆづきちゃんの鼻を啜って目尻をゴシゴシと、両手で涙を拭い取る仕草に俺の心がポッキリと折れる音がして、

「あぁあもう、許ちゃうぅ!!」

 俺は負けてしまった。彼女のあどけない可愛らしさに。 

「えへへ、よかったぁ嬉しい!」

 ふゆづきちゃんがはにかんだような満面の笑みを浮かべる。

「うっ……かっ、可愛い……!」

「くぅん……」

「はぐっ!?」

 キラキラと朗らかな笑みを浮かべて可愛らしさをアピールしてくる始末。

 俺は彼女の底知れない女子力に危機感を感じていた。良い意味でだけどな……!

 そんなこんなとしていたら。

「どうしたの。ふゆづきちゃん?」

「ん……んっしょ。あっありぇ?」

 ふと、ふゆづきちゃんがスカートのポケットに両手を突っ込んで何かを探し始めた。

「……あっ、あった!」

 探していた物が見つかったようだ。その探し物は彼女の右手の中に握り締められている。

「えへへ、あのねはじめお兄ちゃん。お兄ちゃんにすこしお願いがあるの!」

「ん、なんだ? お願いって」

 ふゆづきちゃんに初めて俺の事をはじめお兄ちゃんと呼んでくれた事に対して、思わずドキッと胸の高鳴りをかんじた。

 ふとその言葉を聞いた直後に、俺の脳内でフラッシュバックが起きた。

 目の前にはもじもじと、ふゆづきちゃんが恥ずかしそうに上目遣いでこちらを見つめてきているという妄想が広がっている。

『あのね……お兄ちゃん……そっ、そのっ……。ふっ、ふゆづきはね。お兄ちゃんと一緒にモフモフなことをね……お兄ちゃんだったらね……ふゆづきにね……何でもして良いよ……はわわっ!?』

 思わず俺は、

『ロォリィコォオオオオオオオオオォン!!』

 と、危ない所で叫びそうになったのをグッと堪えた。だが脳内では緑光を纏った走馬灯が見えてデストロイモードになっている自分がおり、更にはオーバーロード状態になって、彼女にあんなことやこんなことでモフモフとしそうになっている。そしてなけなしのマリーダサン理性が、俺の理性を戻そうと羽交い締めに掴みかかってきていた。

「ねぇ、お兄ちゃん。私のお話は聞いてた?」

「あっ……はぁぇっ?」

 頭の中でエッッッ! な事を考えていたので、彼女の話を完全に聞いていなかった。

「ぁの……その…………ごめんなさいふゆづきさん。あなたの話を聞いていなかったです」

「…ふゆづきちゃんって呼んでほしいの」

「その……ふゆづきちゃんさん……ごめんなさい……」

 ふゆづきちゃんに俺はもう一度お願いをした。完全にお怒りモードである。

「もぅ、どうせお兄ちゃん。ふゆづきの変な事を考えていたのでしょ? 私の戦術予測システムがそう予感を告げているよ」

(イーッ!?)

 呆れ混じりのため息と共に冷たい態度をとるふゆづきちゃん。何でバレたんだよ!?

「せっ、戦術予測システム?」

「戦術予測システム。英語でね。Tactical prediction system ギョーカイヨォゴで『TPS』って呼んでるの」

「英語の発音上手だな」

 するとふゆづきちゃんは、

「べっ、別にお兄ちゃんの為に言ったわけじゃないんだからねッ!?」

 何故、ツンデレまがいの言葉を返して来たのかが What the f[自主規制(ピー)]k だった。

「それで、俺に話したいことがあったんじゃないのかな?」

「はっ!? いけない忘れてたっ!?」

「…………」

「ええとね!? そのね。はいっ! こっ、これ。お兄ちゃんに読んでほしいの!?」

 彼女が俺に差し出してきた手の中のモノは、四つに折り畳まれている小さな紙だった。

 俺はすこし膝を曲げて姿勢を低くし、彼女が手の上に乗せている紙を指で摘まみ取る。

 受け取った後に紙を広げて中を確認してみた。

「これ……俺の名前だ……」

 PC入力で書き起こされた文章。そこに俺の名前が書いてあった。

 しばらく目を通した後に、俺はある人物の名前に目が留まって絶句する。

「ねぇ、お兄ちゃん。なんて書いてあるの? あとね。はじめお兄ちゃんのお名前はなんていうの? カンジはどうやって書くの? ねぇ教えてよぉ」

 ふゆづきちゃんが目の前でぴょんぴょんと、何度もジャンプをしてせがんできている。

「えっ、あっ」

 俺はそれを聞いて、そういえば彼女に自分の名前を名乗っていないことを思い出した。

 俺はズボンのポケットからスマホを取出して適当なアプリを使い文字を起こした。

 ちなみに、このご時世でスマホは時代遅れなガジェットだ。今は軍事用から転用された生体ナノマシンを使った通信手段が一般的だ。

 具体的に説明すると、視界上に画面がポップ状に浮かんでおり、それを指で操作していろんな事をする。

 まぁ、俺は旧世代になりつつある機械を使って文字を起すオールドタイプの人間なので関係の無い事なんだけどな。

(あぁ、そういえばさっき。通知画面で変わったニュースがあったな……)

 それはスマホの通知のバナーからインターネットにジャンプした時にみた記事だ。

『今日未明。国際テロハッカー組織『Third eye』のサイバー攻撃により、国内大手オンラインゲーム企業『GMコーポレーション』が被害にあった。全てのサービスがダウン、および重大なクラッキング攻撃を受け被害はなお続いている模様。現在も復旧作業が続行中。なお、組織からの犯行声明などはなく、警察の調べで顧客の個人情報並びに、GMコーポレーションが提供していた全てのゲームに関するデータが盗まれていたとのこと。これに対して公安の関係者は「なんらかのテロ活動の為に必要な情報の収集活動を行ったのでは」と述べている。これを受けてGMコーポレーションCEO代表取締役ダ――』

 やたらと小難しい内容だけど分る。

「ヒーローズ・クロニクルはもう遊べないのかなぁ……」

『マイティー・ヒーローズ・クロニクルX』は、フルダイブ技術を用いたオンラインゲームだ。プレイヤーは独自で作り上げたヒーローアバターを使い、広大なオープンワールド中を思うようにPVPやPVEなどのゲーム体験をする事が出来る。

 俺が愛して止まないゲームは、悪人の手によって壊されてしまい、もうあの場所には戻れなくなってしまった。

 ウルフドックは強大な悪の力の手によって消滅してしまったのだ。

 フルダイブ技術で遊べるゲームは限られている。超人気オンラインゲームとなれば尚更だ。こんなひどい事をして良いはずはない。俺の居場所を犯罪者組織に奪われたなんて許せないし、とても残念に思う……。

「ごめん。待たせたな」

「うん、いいよお兄ちゃん。早くふゆづきにお兄ちゃんのお名前を教えて」

「おう、これが俺の名前だ。よろしくなふゆづきちゃん」

「ふぇ? これって……知ってる……」

「ん、どういうことだ?」

「そのね。そのお兄ちゃんの持っている紙にね。同じ形の文字でお兄ちゃんと同じ名前が書いてあるの……」

 彼女はじーっと細目で首をかしげて俺を見つめてくる。そんな顔をされてもなぁと俺は思った。

「…………」

 俺は何も言葉を返せない。言葉を返せない理由があるからだ。

「それでねお兄ちゃん。紙にはなんて書いてあったの? その紙はね。ふゆづきが家出をする二日前に。お父さんから貰ったの。でもふゆづきはね。それが読めないの」

 ふゆづきちゃんの父親が渡した一枚の手紙。

 俺は彼女に対してどう伝えれば良いのだろうか。あまりにも非情すぎるだろこれは。

「ねぇ、教えてよ。意地悪なんてしないでお兄ちゃん」

 彼女の顔から不安と共に切なげなさが浮かんでいる。

 彼女の眼差しを前にして、俺は無意識に目をそらしてしまう。

 だが、ここで何もアクションを起こさなければ彼女にとって苦痛でしかないな……。

「……わかった。回りくどいことをしてごめんよ。とりあえず……手紙に書かれている内容をゆっくり読み上げるからよく聞いてくれよ。いいか?」

「うんっ! わかったはじめお兄ちゃん!」

(だからそんな無邪気な笑みで俺を見るなよっ! これから君がどうなるのかくらい察してくれよっ!?)

 彼女の尊い笑顔を汚したくない。その強い思いが俺の心の中をかき乱している。

「まず、ふゆづきちゃん」

「うん」

 俺は全て洗いざらいに手紙の内容を読み上げることにした。

『乾沢ふゆづき (ホムンクルス兵器番号:DD118)

 命令内容:乾沢一に会え。その男がお前の兄だ。

 住所:京都府舞鶴市余部下××―1○○ ハイツタケナカ502号室

 乾沢 雅人』

 二度、同じ内容を読み返すにつれて、俺はいままで忘れかけていた憎悪と憤怒が蘇った。

 許せない。あいつがこんな形で関わっていたなんて……! 

 だが、ふゆづきちゃんの前で怒りを露わにするわけにもいかなかった。

 再びグッと、俺はこみ上げてくる灼熱の感情の波に抗いながら、俺は彼女に悟られないように平静を装う。

 そして、

「俺なんだ。……俺が、ふゆづきちゃんの探していたお兄ちゃんなんだ……」

 あぁ、もう俺は戻れない所まで来てしまったんだな。俺はそう思いながらネガティブな気持ちになっていた。声が震えてどうしようもない。

「……はじめお兄ちゃんがふゆづきのお兄ちゃん?」

「うん、そうだ。俺がふゆづきちゃんの兄貴なんだ……」

 ふゆづきちゃんは小首をかしげてキョトンとした表情を浮かべる。

(最後まで君は俺は笑わせてくれるな……ほんとに……)

 このまましばしの沈黙が訪れるのだろうかと思った。

 だが、

「……やっと会えた。ぐすん……ふゆづきのお兄ちゃん。うぇえええん!! お兄ちゃんと会えでよがっだぁよぉおおおお!! うぇええええええええええん!!」

 ふゆづきちゃんが突然大声で盛大に号泣しだしたのだ。

「あっ、あれぇぇ……?」

 おかしいなぁ……。俺の顎が無意識に勢いよく下がってしまったぞ。

 彼女が胸の前で両手を組み交し、感激の涙を流しながら瞳をうるうるとして、俺に熱い視線を送ってきている。

 俺はその神々しい眩しさのあまり直視できず背中を彼女に向けてしまう。

(なっ、どっどういうことなんだよこっこれって!? あっ、ありのままの事を思い出すぞ……っ!? まっまず俺は最初にあれは――)

 俺はこんがらがった頭の中で今まで見てきた事を思い出して振り返る。

 駄目だ。どう足掻いても、俺の低い知能指数では理解できそうにない。

「お兄ちゃんっ!! えへへ……」

「うぁっ!? なっ、なんだふっ、ふゆづきちゃん?!」

 ふゆづきちゃんが元気100%で俺に声をかけてきた。

 俺は驚きのあまり飛び跳ねてしまい、振り向いた瞬間に後ずさりをしてしまった。

 ふゆづきちゃんは目元を涙で赤く腫らしており、瞳を涙で潤ませたまま微笑を浮かべ上目遣いにじっと俺を見つめてきている。

「生まれてからこの言葉を言いたかったから呼んでみたかったの。あとね。私を呼ぶときはふゆづきでいいよ……えへへ、恥ずかしぃ……」

「……お、おう」

「おにいちゃん。あのね」

「う、うん……」

「お兄ちゃんを初めてみてね。最初はすごく怖いお兄ちゃんなのかなって思っていたの。でも、ふゆづきの為にいっぱい美味しいご飯を作ってくれたお兄ちゃんは、本当はとても優しいお兄ちゃんなんだって分かってね。ふゆづきはいつの間にかお兄ちゃんのことが好きになっていたの。ふゆづきはお兄ちゃんの事をずっと見ていたい。お兄ちゃんだったらふゆづきはその……なんでもしてもいいよ……」

「うん……んっ? はっ、はぃ!?」

「本当にっ!?」

「えっ!?」

「わっ、わふっ!?」

 彼女の唐突で意味不明な告白に思わず、俺の頭が真っ白になってしまった。 

 ふゆづきちゃんはボフッと、頭から真っ白な蒸気を盛大に吹き出してあわわと、羞恥で顔を真っ赤に染めあげながら慌てふためいている。

「ゆっ、夢だよなこれって。そうだ。俺は悪夢を見ているんだきっと!」

「ううん、これは全て現実なんだよお兄ちゃん。えへっ、もう恥ずかしがり屋さんなんだからぁ……」

「ウソダソンナコトォ……!」

 さらにふゆづきちゃんは。

「えへへ、はじめお兄ちゃん! もっかいふゆづきとアツーイちゅーをしようよっ! はぅ……またお兄ちゃんのやわらかいお口の中に舌をいれりゃれると思うとぉ……ね?」

 ふゆづきちゃんは暴挙な言葉を言いながら両目をハートマークにしている。

「ねっ、じゃねぇよっ!? 迷惑千万だ!! ちょっ、おい待てよ。あっ――無理無理無理無理無理ダァッ!?」

「わぁっふぅう! ふゆづきホールドォ! とぉお!!」

 俺の事など気にもせず、彼女はダイナミックジャンプからのコアラ大しゅきホールドを仕掛けてきた。

「ウゲェッ!?」

 豪腕の両腕で挟み込まれて締め付けられてしまい、俺は立ったまま身動きがとれなくなってしまった。腹の中の内容物が逆流しようとしてきている。

 彼女から漂う甘いクリームの香りが俺の鼻腔がくすぐってきている。でも、

「ぎょぇえええええええええッ!?」

 そんな事より胴体から感じる圧迫感に悲鳴を上げることで頭がいっぱいだった。

「わーいっ、わーいっ!! お兄ちゃんとふゆづきの愛のばんざーいっ!!」

――グギィィ!!

「うぎゃあぁあっ?! 折れだっ!?」

 肋骨あたりから盛大に折れる音が聞こえた。

 ふゆづきちゃんのヘルシェイク攻撃により、俺の身体は上下に激しくシェイクされている。そんな状況で肋骨か背骨のどちらかが折れたのだからたまったもんじゃない。

 俺は激しく揺れる頭の中で、自分はどこで人生を踏み外してしまったのだろうか。

 いや、そんな事を考えている場合じゃないな。今は自分の不幸な境遇に対して悲痛な思いをもって叫び倒すことにしよう。

「ぜっ、絶対にいやだぁあああああああああああああ!!」


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