出来損ないヒーローのおおかみ少女と始める妹物語

天音碧

1章:ここから始まる出来損ないヒーローとおおかみ少女の出会い

第1話:出会いはキスと共に()



 俺は乾沢一(いぬいさわはじめ)。職業は引きこもりの高校生とでも名乗っておこう。

 それは兎も角だ。俺はとてつもなく頭にきている。

「クソッ! なんでこんな仕打ちを受けなければならねぇんだよッ、チクショウッ!!」 やり場のない怒りにマットレスを叩きつける。

「いつもの迷彩服にマシンガンをもったマッチョのウルフドッグの身体じゃない!!」

 そうだ。これは夢なんだ。そうだきっとこれは夢に違いない。

「…………おい」

 だが、時間が無駄に過ぎていくばかりだ。

 側のサイドテーブルにあるホログラフィック時計が『二〇三〇年十二月八日午後一五時分四五秒』と表示している。

 あれから約一時間が過ぎていた事に気がつく。

 ふとある偉人の言葉を思い出す。

 アメリカで最も尊敬されている黒人女性作家マヤ・アンジェロウが言った言葉だ。

『夢を追って、失敗してもいいじゃない。それでも何とかなるものよ』

 それは確かに言える事かもしれない。

 だが俺はこう解釈をしている。

『現実を追いかけて、失敗したらそこまでなのよ。どう足掻いても無駄無駄なのよ』

 そうだ。そういうことなんだ。

「くそぉ……俺の努力すべてがパァになっちまったじゃないか……!! はぁ、なんて惨めだぁ……」

 ベッドの上で俺は身体をうずくまらせたまま頭を両手で抱える。

 あの世界での名は『ウルフドック』。

 オオカミのように思慮深く。そして犬のように忠実にという意味合いを込めた名前だ。

 その名を聞けば誰もが恐れおののいたものさ。だが今はもう、俺を見てひれ伏すものなどこの場にはいない。

 俺が今まで手に入れてきた栄光は全て過去の物となってしまった。

 そう思うと実に虚しい。

 もう一度あの頭の中を満たすような気持ち良い感覚を再び味わい続けたい。

「…………はぁ」

 考え事をし過ぎたせいか胸に何か鋭利なモノでつつかれているような痛みを感じる。

 それと共に訪れたのは空虚な喪失感だ。何を思ってもこれ以上は悲観的にしか考えられない。

「あぁ……何もする事がねぇな……」

 本当に退屈過ぎる。自分がしたいことがここでは見つからない。

 俺が心の底から好きだっ! と、豪語する事や出来る物などの趣味がない。

「チクショウガァアアアアア!!」

 両手で頭を抱えるように全身を激しく動かし、俺は怒りに身を任せて乱舞する。

 部屋を震わせる声量で怒号を上げ、俺は目の前の壁を力任せに拳で殴りつける。

「うぅ……痛い……あんまりだぁ……俺様は不滅なんだよぉ……ッ!」

 グキッという音が拳から鳴り響き、それと共にジワジワとくる、鈍くて痛い感触に思わず目尻からじわりと涙があふれ出す。

「……このままここで苛ついても無駄だよな……はぁ……」

 少し熱が冷めた。

 サイドテーブルの上に置いてある黒縁の眼鏡を手に取ってかける。

 それから俺はそのまま身体を動かすと、

「あいてて……身体のあちこちがガチガチに固まってるな……」

 全身がまるで石化したミイラのように固まってしまっていた。

 冬の気候のおかげでこのようになってしまったらしい。

「自動空調マネジメントシステムの設備が施された住居を選ぶべきだったな……」

 貧乏性の俺が選んだ部屋。ネット環境が最強で部屋も4LDKと超広々。おまけにめちゃくちゃ安くてとてもお得だと思ったので、思わずその場で契約してしまったのがアダとなってしまった。

――そう思うと自業自得か?

 いや、元をたどれば不動産屋の営業マンがこのマンションを提示してきたのが悪い。

 なので俺に否はない。

 たまにその営業マンが着ているようだが、あいにく俺は引きこもりだ。人と面と向かって話をするなんて自殺行為に等しい。

 まぁ、それは良い。それよりもこの身体に早くなじまないといけない。

「とりあえず飯にするか……」

 そう思い部屋を出ようとドアノブに手をかける。

 ふと近くにある木目調の額でかたどられた姿見が目に留まる。そして思わず俺は、

「醜いなこの顔……」

 自分の顔を見てそうボソッと呟いた。

 ひと目見るだけで誰もが気分を害するような、まるでチンピラ風情の面。久しくこの鏡で自分の姿をまじまじと見つめるのはいつぶり以来だろうか。

 中肉中背の体つきにボサボサの短髪。

 目の奥まで陥没した奥二重のまぶたと、いびつな形をした眉に死んだ魚のような濁りのある瞳。どうみてもイケメンなんていう柄じゃない。

 もし俺がこの後に死んで異世界送りになったら。俺は女神様とかにお願いしてイケメンで美少女達にモテモテ。そしてリア充な自分に生まれ変わりたいと願うことにしよう。

 そして俺は凄く包容力のある神がかった美少女メイドと結婚がしたいです。コレはマジだ。

「……剃らないとなぁ……」

 無精髭が稲刈りの後のような生え方をしている。手のひらで撫でるとチクチクと痛い。

「……くそっ!」

 左頬に生々しくある一生物の小さな三日月の形をした古傷。

 これは小学校の時にあることで望まずして負ってしまったものだ。

「どうでもいいか……ふんっ」

 姿見の俺を見ても何も良い事が無い。そう思って俺は視線を前に戻し、手にかけていたドアノブを下げようとした。すると、


――ガシャン、ジャリジャリ、ガタガタガタ――バッキンッ!!


「ん?」

 短く瞼を瞬かせ、眉をひそめてじっとそのまま立ち尽くす。

 玄関から聞いたことのない異音がした。

 俺の住んでいるマンションは防音加工が施されている。

 だが、俺の耳でもそれが聞こえてきた。

 何事かと思いながらもドアに耳をあてがい様子を探る。いったい何事が起きているのかが見当も付かない。しばらくこのまま様子を探ることにした。

 立て続けに聞こえてくる騒音は『ガチャッ』から始まり、次に『ドタバタドドドドドド!!』と足を踏みならす豪快な音に移り変わっていく。そして、

『ふぇええええええええええええええええええええん!!』

「えっ、おっ女の子の声?!」

 俺の家中に響き渡る幼さを残した甘い声。少女が泣叫びながら走り回っているようだ。

 しかも、その声は着実にこちらに向かって来ているようだ。

 相手に気付かれないよう、口に手をあてがいながら息を潜めさらに様子を探る。

(まっ、間違って迷子のガキが押し入ってきたのか?!)

 凄く。いや、それ以上にもの凄く嫌な予感がする。

 現在進行系で『バリッ、バリバリメキャ』と、何者かがゴ○ラの如く破壊活動を行っている。侵入者は何かしらの道具を使って手当たり次第にやっているのだろう。

 ふたつ目のドア砕け散る音が聞こえてくる。

 次に壊されるドアは後ひとつ。

「俺のいる寝室だ……」

 俺は脳内で理解したのと同時に、正体不明の奇行種は近くまで来ている事に焦りを感じてしまう。

「やばいっ?! このままじゃっ――」

 こちらに到達するまでおよそ3秒しかない。

思わずドアノブから手を離し、背を向けて飛び込みジャンプで身を守ろうとした。

 そしてまさにハリウッドアクションを起こそうとしたその刹那、


――ドシャッ! バリバリバリッ!!


 遅かった。

 豪快にドアが粉砕した。それを目の当りにした俺は口を大きく開きながら驚愕する。

「びぇええええん!! おにいじゃぁんいだぁああああああ!!」

「ヴェッ?!」

 俺は一瞬。何か人の形をした黒い影のようなモノを目にした。

 腹に襲いかかる凶悪な重い一撃。まるでそれは、トップアスリートが投げた砲丸を直に受け止めてしまった時のような、重厚感のある鈍痛が俺にのしかかってくる。

「かっ――がはぁっ!?」

 俺はくの字に飛ばされ、背中から勢いを殺すことなく床に滑りながら着地する。

「みみがぁ……うぐっ……いたい……」

 三半規管が麻痺して気持ち悪い。視界のボンヤリが邪魔で仕方ない。

 軽い脳震盪が起きているようだ。俺はその状況の中で顔を上げて視線を前に向ける。

 上半身は起こすことができない。身体の上にある重い物のせいで下敷きになっているからだ。

「ん……なんだこの甘い匂いは?」

 ふと甘いクリームが香るケーキのような匂いが、俺の犬のように敏感な嗅覚を刺激してきている。

 全身の痛みが次第に引いていくのを感じるが無理は禁物だろう。

 俺をドアごと粉砕して突き飛ばした黒い影の正体は女の子の声をしていた。 

 実際にいま、俺の側で少女の声で泣きじゃくっているのがその証拠だ。

 いったい何者なんだ? 俺は苛立ちを募らせながらそう思っている。

 ふと俺は、両腕に生暖かなプニプニとした感触に気づく。

 すべすべで滑らかな弾力のある感触。まるで赤ちゃんを手で触れているかのようだ。

「えっ、えぇえええっ!?」

 俺の怒りは一瞬にして冷めきってしまった。

 なぜなら、

「か、かわいい……」

 目の前で両目を涙で潤ませ、俺の腹の上で馬乗りに座る子犬の姿をしたケモ耳少女がいたからだ。

 その子のせいで一瞬にしてズッキュン!! と、俺の心が奪われてしまった。

 年は十代前半。いや、それよりも下だろうか。ハスキー犬の子犬を連想させられる愛くるしさがある。

 髪はわた飴のように、ふわふわとした胸元まで伸びた癖のある銀髪のセミロング。頭頂部には三角形のウルフグレーの犬耳に、ふわふわとボリューミーな尻尾がパタパタと動いている。前髪を左のこめかみにつけた三日月の形をした髪留めを使ってかき分けているのが目に留まる。

 胴はすらりとしたおうとつの無い容姿だ。背丈は俺のみぞおち位はある。

 服装はフリルだらけの桜色の甘ロリータファッション。肌は白く透き通って濁りがない。

 眉は細く緩やかなカーブが描かれており、二重の瞼と天空色(スカイブルー)の碧眼との相性は抜群だ。

 幼さの残る端正の整った童顔。ほんのりと桜色の唇が可愛らしいさを称えている。

 俺はその少女を西洋人形のような少女だと思った。

 そんな可愛げのある犬耳の少女が俺の身体で馬乗りになっている。

「だ、誰だよ……?」

 思わず恐る恐る問いかけてみる。すると犬耳の少女は、

「ひぐっ、えぐっ! グスン……ふぇええええええええん! お兄ちゃん、だじゅげでぇえええええぇえ! びぃええええええええええええええええええええええん!!」

「おっ、お兄ちゃん!? おっ、俺がっ!? てか、うっうるせぇ!?」

 甘い蜜の声で泣叫びだした犬耳の少女は俺の胸に顔を埋めてくる。

「アダダダダダッ!?」

 俺は突然の痛みにもがき苦しむ。その幼い肢体で俺の身体をジワジワと締め付けてきているのだ。

 でっ、

「グスン……うぅ……」

 犬耳の少女は落ち着きを取り戻したようだ。顔を上げてこちらを見つめてきている。

 互いに視線がぶつかり合い、そして間の空いた沈黙が訪れる。

「なっ、なんだよ……」

「うーっ、寂しいからお兄ちゃんとチューする」

「はっ?」

 そう言った犬耳の少女はグスンと鼻から垂れている鼻水をすすって、


――バッチーン!!


「はがぁっ?! くぁwせdrftgyふじこlpッ!?」

 俺の頬をその小さな両手で挟み込むように叩きつけてきた。

 そしてさらに、

「ふぅぐぅううううううう!?」

 あまりの勢いに耐えきれず背中からバキボキと音が鳴り響く。

 それと同時に、俺は上半身を無理矢理に細身の腕で起こされてしまう。 

 彼女の両手の力はまるで万力だ。そして細身の腕の力はまるでクレーンのアームのように豪腕だ。

 どう考えようにもこの少女は普通じゃない……!

 そして、

「あのね。その……私のね……初めてを……おっ、お兄ちゃんにあげる……!」

「ふっ?」

 頬を紅潮させた犬耳の少女は上目遣いになってそう呟く。

 そして彼女はそのまま目をつむり。

(まっ、まずいっ!! 本当に不味いって!!)

 初めてのファーストキスは包容力のある神メイドとしたい……!

 その思いとは裏腹に彼女の幼い唇が迫ってきている。

 そしてついに。

「んっ……」

――ズッ「ウブッッ!?」キュゥウウン!!

 俺は初めてのキスの感触を知ってしまった。それも幼女の。

 ふわっとした彼女が持つ唇の柔らかさ。押し潰れそうにも思えるが弾力があって、抱擁感もある優しさと暖かさがある。彼女から漂ってくる甘いクリームが俺の脳を侵しはじめ、そのままだらりと俺の意思にあわせて身体全身の力が抜け落ちていく。

「んっ、ぷはぁ! あぁ、おいしかったぁえへへっ」

「あっ……あぁ……」

 悪魔のキスによって色々な感情が入り乱れている俺の心の中は混沌の中にある。

「ハハッ……」

 思考を巡らさずに薄ら笑いを上げて苦笑せざるを得ない……。

 俺の唇を奪った犬耳の少女は目の前でちょこんと床に正座をしている。

 彼女の顔はゆでだこのように赤く染まっており、彼女は両手で顔を隠すようにして、指の間から目を覗かせるようにこちらを見てきている。

「……おっ、俺のファーストキスが……幼女に……」

 そう話をすると、犬耳の少女はかなり興奮した様子でキァキァとはしゃぎだした。

「きゃぁーっ! 初めてお兄ちゃんとラブなキスしちゃったぁ! きゃぁーっ!!」

「はっ……」

 俺はどう反応すれば良いんだ。ただ呆然とその光景を眺めるしかない。

 ふと、

「えへへ、お兄ちゃん!」


――ミジッ!


「ひぎぃ!?」

 突然こめかみのあたりから痺れるような圧迫感のある痛みが襲いかかる。

 それは彼女が振りかざしてきた平手打ちが、俺の顔の左半分を打ち付けたときになった音だった。 

 想像を絶するような力の籠もった平手打ちに恐怖の感情を抱く。

 さらに――

「へブチッ!? おっ、おいやめっ「キスした後に感じる」アベしっ?!「この気持ちはまさにそう……っ!」ひでぶぅっ!?」

 立て続けによく分からない言葉を聞かされながら、俺の顔に幾度なく平手打ちが降りかかる。

 興奮のあまりに前が見えなくなっている暴走状態の犬耳の少女は、

「これが愛なんだね……お兄ちゃん。こうしているとドキドキが止まらないんだね……」

「コレの何処が愛なんだってばよっ!?」

 もうこれ以上は止めてください。身が持たないです幼女様。

 一抹の瞬間。彼女の怒濤の平手打ちはピタリと止まった……。

 目尻がとろぉんと垂れ下がり、彼女はそのまま両手を頬に添えて快楽に浸っていた。

(くそっ、俺の体質でどうにか耐えきれてはいるが。これ以上はまずいぞ……ッ!!)

 俺は残された力をフルに活用し、この場から後ろに引き下がろうと足を動かす。

 だが、

「ぶぅ! 抜け駆けはいけないよ! めっ! 悪い事をするお兄ちゃんは大好きだけど。ここはお兄ちゃんの為だと思ってお仕置きだよ!」

「あっ、うん、マジで……」

 次に強烈なやつがきたら死ぬかもなと思った次第です。はい。

 目尻に涙を浮かべながら恐怖に怯えるしかない。

「頼む。だれでもいいから助けてくれ……!」

 と、心の奥底から叫んだ。それと祈ってもみた。

「命乞いっていうんだよねそれ。残念だけどねお兄ちゃん。この場所には私とお兄ちゃんしかいないから無理だよ」

「ぎゃああああああああああああああ!!」

 現実はそう簡単に上手くいかないらしい。正義のヒーローは現れることはなかった。

 犬耳の少女は満面の笑みを浮かべている。両手が大きく背中に向けていっぱい伸びていく。あの構えはジャワンピースでよくみるアレだ。

 俺は今日、やられ役はこんな気持ちで必殺技を受けているんだと初めて知った。

「ははっ、もうどうにでもなれよ。どうせ生きていても何も良いことなんてないからな。いっそぉ死んだ方がマシだし俺の為になる」

 ため息をついて生きる事を諦めることにしよう。

 そして次の瞬間が訪れる。

『ふゆづき。ラブ・アンド・クリティカルフィニッシュ!!』

「お兄ちゃん。私の愛を全力で受け止めてぇ!!」

 うん、どうやら幻と幻聴まで聞こえ始めたぞ。

「平手打ちのせいで俺の頭がおかしくなったんじゃね?」

 それが最後に喋る言葉となってしまった。


――スパァァァァァァアン!!


 スリッパで地面を叩きつけた時のような破裂音が、耳を通じて脳内で大音量で伝わると同時にキーンという耳鳴りが鳴り響く。

 身体がふらつき、それと同時に俺は背中から床に倒れる形で頭を強くぶつけてしまった。

 目の前の世界は白黒映画のように染まりつつある。

 自室の天井。窓から差し掛かっている日差し。ありとあらゆる物が白と黒で構成されている。

 それから俺の見えていた光景が狭まり始め、しばらくして何も見えなくなった。

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