第3話

 アイツが去った部屋の中にはまだ彼の悲しみや絶望が残っているようで、いつもよりも寒く感じる。俺はアイツのことを部下に任せた後もこうして部屋の中で一人物思いにふけっていた。

 果たして彼の救いとなる道は見つかるのだろうか。今回の事件はあまりに非人道的かつコントロールがきかない。こんなことをたった一人の人間で抑えられたことを喜ぶべきなのか嘆くべきなのか。当事者ではない自分には到底想像もできない。

 しばらくの間そうしていると、アイツを送り届けた部下が部屋の中へ戻ってきた。

 「主任、被検体は計画通り送迎班への引き渡しが完了しました。我々の任務の一切が完了しましたこと、ここに報告致します」

 部下は何の迷いも葛藤もなく淡々と報告を行った。

 俺は部下を下がらせ再び一人で考える時間を設けた。

 そうして俺はこの計画によってアイツが変わっていく様子を見続けた日々を思い出していた。無理やり睡眠状態にさせられた状態で刺激を覚えさせ、認識を、力を、最後に価値基準を覚えさせることで常に爆発寸前の怪物を作り上げた。そんなやつを文字通り想像し、創造してみせたある種の天才に向けて俺ははじめ尊敬の念を向けていた。それが今となっては畏怖に近いなにかへと変化してしまった。いったい誰が俺の目の前で喋り、表情を変えた男があんな怪物になると誰が予想できるだろうか。そして、その怪物は今世界へ放たれようとしている。

 これは世界を変えるための発明だ。

 あの男は確かにこう言った。それが目の前に先程まで鎮座していたのだ。冷や汗の一つくらいかいてもおかしくはあるまい。 

 俺は少し眠りたいと思い、席を立とうとした。その時、

 「お疲れ様でした。あなたのおかげで彼には過去が生まれました。いずれ内なる悪魔を怒らせるための布石となるでしょう」

 扉の先から落ち着いた、ひどく落ち着いた調子のよく通る声が聞こえた。

 俺が目を向けるとそこにあの男が立っていた。世界を変えるための発明を、ひとりの悪魔を作り出した邪悪そのものが。

 「ありがとうございます。お役に立てて何よりです」

 俺が形式的な挨拶をすると、なんとその男はわざわざ部屋の中へと足を踏み入れ、先程までアイツが座らされていた椅子に座った。本来照明が当たるはずの位置に居ながらその顔を見ることはできない。まさしく邪悪という表現が正しいだろう。

 「さぁ、せっかくこうして前段階が終了したのです。もうすぐ我々の、いや究極的には私の目的が果たされんとしている。あなたさえ良ければ、一緒にこの喜びを分かち合うのはいかがですか?」 

 男はそう言ってダンスに誘うかのように優雅な動きでこちらに手を伸ばしてきた。椅子から垂れる拘束具がまるでドレスの装飾のようだ。こんなにも恐ろしいと感じるのに、本能では求めてしまいたくなる。

 俺はその答えとして目の前の椅子を引いた。

 すると、目の前に座る男は嬉々とした声音でなにか言いたいことや聞きたいことはあるか、と聞いてきた。本来ならこの計画の成功やこの男への賛美の言葉というのがふさわしかったのだろうし、少し前の自分ならそういったことを口にしただろう。だが、今だけはそういった言葉よりも先にあることが気になって仕方がなかった。俺の口は気がつくと動き出していた。

 「一つご質問があります」 

 「うん。なんだい?なんでも言ってごらん」

 俺はその瞬間、無意識に質問の許可を取ったことを後悔していた。この男は口では優しい所を演出するがその実なにをするか計り知れない。そんな男に質問を投げかけるなど自殺行為もいいところだろう。しかし今となっては質問を取り消す方が危ない。そう判断した俺は恐る恐る自身の疑問を投げかけていた。

 「あなたはなぜ、睡眠というタイミングを選んだのですか?」

 「へぇ、君はそういうことに興味があったんだね」

 これはハズレだろうか、俺は急いで謝罪の言葉を述べようとしたが先に男のほうが素晴らしいと一声入れて、語り始めた。

 「君の着眼点は素晴らしいよ。だれも僕にそのことを聞きに来ようとしなかったからね、だれも関心がないものだと思っていたけど君は違ったようだ。いいよ、君の疑問になんでも答えてあげよう。まず、なぜ睡眠時を狙ったか。それはその個人にとっての無意識はそこに芽生える新たな他者の意識になり得るからだよ。分かるかい?自我を意識させるのに必要なのは二つの刺激なんだよ。例えばそれは視覚と触覚だったり、聴覚と触覚だったりする。二つ以上の刺激が関係することでそこに交わり、個という点が生まれるんだ。ちょうど二本の曲線が触れ合うみたいにね。そうすることで人はここにいる、存在していると認知するようになるんだ。ここまでの話にはついてこれているかな?」 

 俺は突然の饒舌っぷりに答えに窮してしまった。本当ならここで機嫌を損ねる可能性もあったが、幸いこの時にはあまりに上機嫌でそんな些細なことは関係なかった。おかげで俺は命拾いした。

 「あぁ、すまない。少々口が滑りすぎたようだね。ここからは君とも会話を交えながら説明していこう。まず自我とは何かについて考えていこう。君の自我はいつ生まれたか君自身は知っているかい?」 

 「私の自我ですか?いえ、そんなこと考えたこともありませんでした」

 「そうだ、君も僕も含めてほとんどの人間がその自我の発生の起源というものを意識したりなんかしない。それでも、だれも疑ったりしないものさ。自分の中に別の自我が生まれる可能性についてね」

 その台詞の最後に男は指をクイっと動かして決めポーズをとって見せた。男としては会話を盛り上げる演出の一つのつもりかもしれないが、俺からすればなにかの暗示かなにかと思い気が気じゃなかった。

 せっかくのポーズがうけなかったことを気にしているのか、男は少し早口になりながら続けた。

 「僕も自我が生まれる秘密を解き明かしたわけじゃないさ。まだまだ人間は探究のし甲斐があるってものさ。そんな僕が考えたのは、個人がここにいるという感覚を生んだ要因についてなんだ。それはつまり僕や君が、僕であり君であることを意味している。僕という意識、感覚は今この瞬間ここに座る体にのみあるし、君の意識は僕の中にはない。それが入れ替わることもなければ一個体を二人で共有することもないだろう。あぁ、双生児のような特例に関してはすまないが僕も勉強不足でね。詳しいことは述べられない。僕の言っていることがわかるかい?」 

 「はい、私が私であることは、私があなたやほかの人間ではないという感覚があってこそということですね」

 「そうだ、いいよその調子だ。では、そうした感覚はなぜ起こると思う?それはその体を有するのがその個人のみだからさ。その痛みは、苦しみは全てその個人のものとして認識される。加えて人間は視覚や聴覚を通して自分自身以外の他者という存在を知る。そうした中で個人と他者という区別は自然発生するんだ。君が転んだって僕は痛くないし、僕が刺されたって君は死なない。ね?これが僕が最初に言った二つの刺激のことさ。人間は最悪この二つの刺激さえあれば個人という意識を有するはずなんだよ」

 俺には彼の語る理論の正誤を判断することはできない。だが、ここまで生きてきた人生が、ここまで続いてきた俺自身の感覚がその理論を否定しようとする。もしくは疑問を呈する。本当にそんなことがあり得るのかと。

 それを目ざとく感じ取った彼がそのことについて更に話を展開させていく。

 「まだ疑っているようだね。なら具体的な例を上げて一緒に考えてみよう。君はVR、いわゆるヴァーチャルリアリティっていうのを体験したことはあるかい?」

 「VRですか?ゲームでなら昔やっていましたが」

 「そうか、それならよかった。この話はVRを経験したことがないとちょっと実感しずらいからね。やったことがあるならVR酔いっていうのも聞いたことがあるかい?」

 「あぁ、聞いたことがあります。なんでもVRの感覚に酔ってしまうとか」

 「そうそう。あれなんかもそうじゃないかな?いわゆる刺激の齟齬、違和感がそれの原因さ。VR上では上り坂なのに足踏みしてみると平面の床だったり、高いところから落ちる映像を見て、リアルとヴァーチャルの合間で脳みそが混乱してしまう。そういった要素が酔いの正体さ。逆にVRの映像にリンクした水や風なんかの演出が加わると人は一気にその世界に引き込まれるよね。その瞬間、人間は別の空間に存在していると言っても過言ではないだろうね。結局人間の脳は感じ取った刺激を元に個人とそれが存在する世界を構築しているんだから。将来人間は部屋の中で寝たまま、山に登ったり海で泳いだりすることができるようになるかもしれない。自分が今どこにいて、どこに自我が存在しているかは脳が受け取る刺激次第なんだから」

 「はぁ・・・」

 「ついでにもう一つ。夢について話をしよう。君は過去にどんな夢を見たことがある?」 

 「夢ですか?そうですね、私がまだ幼い頃に見た夢でいまだに覚えているのは、エイリアンと素手で戦ったこと、そして夢の中で女性と、しかも実の姉とキスをしたことですかね」

 「エイリアンと素手で!?しかもキスまで済ませてしまったのかい?面白いな、今からでも君の脳みそを解剖したい気分だよ」

 俺はその言葉に背筋が凍った。この部屋を出るころには俺の命はもうないのかもしれない。そう思うと、今すぐに部屋を出たいと心臓が訴えかけてくる。俺は必死にその気持ちを押さえつけながら話を聞くふりを続けた。

 「ところで君は姉とキスをしたと言ったね」

 「え、えぇ。はい、しました・・・」

 「そこで一つ質問なのだがね。君はどうしてその女性が姉だと思ったんだい?」

 「え?」

 「子供のころの記憶だから曖昧なのは承知の上さ。なんとなくでもいい、君が感じたままに聞かせてくれないかな」

 「えっと、髪型というか雰囲気が似ていました。それで私は、姉だと思ったんです」

 「なるほど、その時目や鼻、口元の辺りはどう映ったかな?」

 「そこまで細かいところは流石に覚えていないですね。もう大分昔のことなので」

 「うん、それもそうだろう。そんなにも昔のことを、そこまで細かく覚えていたらまた僕の解剖意欲を刺激してしまうところだったね」

 「うっ・・・・」

 「冗談さ。とにかく君は雰囲気が似ていると思ってその女性を姉だと判断したわけだね。ここで一つ疑問だが、夢の中とはいえどうして君はその女性を一番はじめに姉だと判断したのだろうか。そこについて考えたことはあるかい?」

 「い、いいえ。ありませんでした」

 「そうか、なら一緒に考えてみてほしい。なぜ君はその女性を実の姉と判断したのか。僕が思うにそれは、君が見た夢だからだと思うね」

 「私が見た夢だからですか?」

 「そうだ。それには記憶と夢という主観的な感覚というのが関係してくるだろう。例えば、君の目の前に君の姉と雰囲気が似ている女性が並んでいるとしよう。そして、君の横には本物の姉がいる。その状況で君は目の前の女性たちの中から姉を探すかい?いいや、探さない。だって本当の姉はそこにいると知っているから。でも夢の中では君の姉はどこにも存在しないが記憶の中には存在する。そして、君は主観的な映像として夢の世界を見ている。この時眠っているから君の感覚はそのほとんどが機能していない。唯一視覚は機能しているといえるかもしれないね。そんな状況で君の目の前に実の姉に雰囲気が似ている女性が現れ、しかもキスをした。この時、君の脳みそは視覚と記憶の二つの刺激を元に君の自我をその世界に投影した。しかし、この時、投影された自我の受け皿となる体は一体誰のものだったのだろうね。僕が言いたいのはここさ。君が夢を見ている間、その自我のもと行動した体も、君が姉だと判断した人物も、決して君の体でも君の姉でもないんだ。ただ君がそこに自我をおいたから君のものになっただけなんだ」

 「はい・・・・」

 俺は段々とこの男の話にのめり込んでいく感覚を覚えていた。もはや相槌も返答も必要としない。彼の語るステージが今ここに出来上がったのだ。

 「さて、ここまでの話で僕がなにを言いたかったというと、人間の自我というのは二つ以上の刺激の交点でしかないし、それは刺激の与え方次第では別の空間や存在に飛ばすこともできる。つまり、一つの体に一つの人格っていうのはある意味、人間が生きやすいように制限をかけた状態だということさ。僕はそこにメスを入れた。無意識という開拓されていない空間に刺激を加えることでそこに自我を目覚めさせようとしたんだよ。結果はこれからのお楽しみというところかな」

 男は語り終えたという風に椅子に座り直すと、一呼吸おいて楽しそうに笑った。

 俺はまさに夢から醒めるような感覚に陥っていた。いったいいつから夢を見ていたのか。俺の自我はどこをさまよっていたのか。この人の前では、今ある自我すらも確固たるものではないのかもしれない。そう思うと目の前で悦に浸る男のことが怖くなった。

 「さてと、それじゃ僕はそろそろ行くよ。一緒にお話できてとても楽しかったよ。じゃあね」

 気が付くと男はもう扉の向こうへと姿を消すところだった。

 俺は一気に緊張が解けたようで、糸の切れた操り人形のように弛緩してしまった。邪悪から解放された喜びからか自然と笑みがこぼれる。

 すると、胸ポケットから振動が響いた。胸ポケットからスマホを取り出すとメールを一件受信していた。

 件名は「作戦移行」

 俺たちの計画は第一段階「メカクシコード」から第二段階である「メカクシコ-ル」へと移行した。

 もうすぐこの世界に呼び声が響き渡るのだ。

 目のない怪物を目覚めさせる、呼び声が。




 メカクシコール 了

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メカクシコール ネコイル (猫頭鷹と海豚🦉&🐬) @Stupid_my_Life

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