17.玉手箱

「これはいったいどうなっているのでしょう」


 カメに連れられて最初の砂浜に戻ってくるや否や、浦島太郎が動揺し始めた。


「これがわたしの住んでいた村なのでしょうか。まるで別の土地へ来たようだ」


 そう言われても、わたしたちにはピンと来ない。青い海ときれいな砂浜、少し離れたところに見える民家の屋根。特に変わったようにも思えないんだけど。


「はっ。お母さんはどうなったのだろう! お母さん!」


 突然走り出した浦島太郎に、わたしと迷人も後を追った。集落にたどり着き、一つの家へと飛び込む。


「お母さん!」


 しかし中にいたのは、全く見知らぬ家族だった。おじさんとおばさん、小さな子どもたち。


「な、なんだ急に! お前は誰だ!」


 突然入ってきたわたしたちに、警戒心もあらわに子どもたちは身を寄せ合い、おじさんは身構えた。


「だ、誰だとは? あなたたちこそ何者なんですか。ここはわたしの家ですよ!」

「はぁ? 何言ってやがる! 見たらわかるだろう。ここは俺の家だ!」


 一瞬にして青ざめる浦島太郎。もしかして、ここが浦島太郎の家だったの? なんだか苦いものが胸にこみ上げる。だって、わたしたちは何が起こったのか知っているんだ。


「待ってください。ここは浦島の家です。わたしは浦島太郎と言います。おっかさんを知りませんか?」

「な、なんだと!」


 今度は相手のほうが驚く番だった。


「あ、あんた浦島太郎だっていうのか! そういえばそっちの二人も見覚えがあるぞ! あんたたち、あの時カメを探してたやつらだな!」

「あの時って……まさか、あなたあの時の男の子なの?」


 わたしたちにカメや浦島太郎のことを教えてくれた男の子が、こんなおじさんになってるなんて! もちろん『浦島太郎』のおとぎ話がそういうお話だっていうことは知っていたけど、いざ自分が体験してみると驚きしかなかった。だって、竜宮城に行ってた時間ってほんの数時間の話よ? その間に、こんなに変わってしまうなんて。


「あんたたち、今までどこに行っていたんだ。浦島太郎って人はカメと一緒に海に潜ったまま、ずっと昔に行方不明になったはずだぜ」

「昔って、いつ?」

「もう四十年も前の話だ」


 四十年! そんなに時間が経っていたんだ!


「よ、四十年? そんなまさか。では、わたしのお母さんは?」

「もうとっくの昔に死んでしまったよ。あんたがいなくなってからすぐの話だ。お気の毒にな」

「そ、そんな……」


 がっくりと膝を落とす浦島太郎。物語の成り行き上しかたがないとはいえ、こうして目の前で見るのはやっぱり辛い。ちょっと遊びに行っている間にお母さんが死んでいて、もう二度と会えないなんてショックだよね。


「残念だったな、浦島」


 慰めるように迷人が肩に手を置くけど、浦島太郎はなんの反応も見せなかった。


「どうする? その様子だとあんた行き場もないんだろう。良かったら今夜一晩だけでも泊っていくかい? といっても布団もないから、その辺で横になってもらうしかないけどな」

「い、いえ……大丈夫です」


 おじさんの好意を断り、よろよろと家を出る浦島太郎についていくわたしたち。

 浦島太郎は気力を全て奪われたゾンビみたいに頼りない足取りで、砂浜へと戻ってしまった。そこで崩れ落ちるようにドスンと座り込んでしまう。


「わたしが竜宮城でいい気になって遊んでいる間に、お母さんを死なせてしまった。なんてことをしてしまったのでしょう。ああ、元に戻れるなら戻りたい。わたしの時間を返して欲しい。お母さん、ごめんなさい!」


 だれもいない海に向かって涙を流す浦島太郎。うんうん、そうだよね。悲しいよね。思わずつられて涙が浮かんで来ちゃう。こういう時は迷人の出番なんだけどなぁ、と隣を見ると姿がない。あれ? どこ行ったんだろう? かんじんな時に頼りにならないんだから、あの運動エロおバカ。


「お母さんもいなくなってしまった今、このまま一人で生き続けたところでどうしようもない。これからどうしていったらよいものか。いっそお母さんの後を追って死んでしまおうか」

「そ、そんなこと言わないで。ほ、ほら、乙姫様にもらったお土産もあったじゃない」


 自殺をほのめかす浦島太郎に慌てて声をかける。玉手箱! 思い出して! ……とはいえそれを開けたらどうなってしまうかわかっているから、心苦しくもあるんだけど。浦島太郎の最後って、どうしてこう悲しい出来事が続くのかしら。


「そういえば……もう一度竜宮城に来たい時に、あの箱を開けるよう言っていましたね。確かにここにいても意味がない以上、竜宮城へ行ったほうが良いのかもしれません」


 そう言って玉手箱を取り出し、開けようと手をかけたその時――


「待った待った! 浦島、ちょっと待った!」


 はぁはぁ息を乱しながら、迷人が戻ってきた。両手に抱えているのは……網? もしかしてそれを探しに行ってたの?


「開ける前に網をかけさせてくれよ! 開けるんならその中で開けてくれ!」

「網の中で?」

「ああ。オレの勘だと、変なものが入ってそうな予感がするんだ」


 わたしに向かってウインクして見せる迷人。あ……とわたしは両手で口をふさいだ。そうか、すっかり忘れていた。わたしたちは”本の虫”を捕まえに来たんだ。残り少ない『浦島太郎』の物語を考えると、”本の虫”が隠れているしたらきっと……。


「そ、それでは……開けますよ」


 網でがんじがらめにされた玉手箱のふたを、開けにくそうに開ける浦島太郎。


 どろろぉぉぉん。


 大きな音とともに白煙がふき出し、一瞬にして浦島太郎の体が包まれた。その中に――何かがドタバタと暴れる影が見える。煙が晴れると、そこには呆然と立ち尽くす白髪頭のおじいさんが一人。足元には体中に網が絡まって動けなくなった”本の虫”が転がっていた。

 迷人、やるじゃない!


「こ、これはいったい……」


 自分の体の異変に気付いた浦島太郎が玉手箱をのぞき込む。そこには鏡と、一枚の羽根が残されていた。


「こ、これは……これがわたしの体なのですか。なんてことだ。すっかりおじいさんに」


 鏡で自分の姿を見、涙ながらに羽を拾い上げた浦島太郎の体はまばゆい光に包まれ、次の瞬間には一羽の鶴に姿を変えていた。玉手箱に入っていた羽根って、鶴の羽根だったのか。

 鶴はわたしたちに向かって二、三度挨拶するようにつばさを広げると、大空へと飛び上がった。夕暮れの真っ赤な空を、白い鶴がどこまでも飛んでいく。


「ゆずは、あれ」


 迷人が指す方向を見ると、鶴を追いかけるようにして波間に浮かぶなにかの姿が見えた。カメだ! きっと浦島太郎を迎えに来たに違いない。

 そうして鶴とカメの姿はどんどん小さくなって、水平線の彼方へと消えていった。

 よし、これで『浦島太郎』の物語はめでたしめでたしっと。


「それじゃあ……」


 わたしたちは砂浜に転がる”本の虫”へと向き直る。

 さんざん走りまわされたけど、ついに年貢の納め時だ。


「ゆずは」


 迷人にうなずきを返して、リュックから打ち出の小づちを取り出す。”本の虫”に狙いを定めるように頭上高々と小づちをかかげると――


「これで終わりっ!」


 とわたしは思い切り振り下ろした。


 ポンッ!

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