16.運命
ガラリ、と戸が開いてタイのお姉さんが帰ってきた。けど、やっぱりタイのお姉さん一人きりで、乙姫様の姿はない。
「タイのお姉さん、どうでした?」
「はい。お気をつけて、とお伝えくださいと」
「それって、どういう意味?」
「残念ですが、やむを得ぬご事情なのでしょうから仕方がありません。乙姫様の代わりにお見送りするように、とことづけを預かってきました」
「それだけ?」
「はい」
「お土産とかは?」
「お土産、ですか?」
まるでいやしい人を見るような視線がわたしに集まる。しまった。これじゃあわたしがお土産を催促したみたいだ。だって手ぶらで帰るわけにいかないじゃない。『浦島太郎』なんだから玉手箱をもらって帰らないと。
そう思いながらもすっかり家に帰りたいモードに変わった浦島太郎の顔を盗み見る。浦島太郎のことを考えたら、きっと玉手箱なんてもらわないで帰ったほうがいいんだろうな。そもそも何であんな物騒なものを乙姫様が渡すのか、さっぱり意味がわからないし。 ただわたしたちは物語の内容を変えようとやってきたわけではなく、”本の虫”のいたずらによって本来の物語がメチャクチャに変えられてしまうのを防ぎに来たわけだから、勝手に玉手箱なんていらないというわけにもいかないし。
「タイどの」
突然すっくと立ち上がったのは浦島太郎だった。
「乙姫どののもとへ案内してくれませんか」
「乙姫様ですか」
「はい。これほどまで大変なおもてなしを受けて何も言わずに帰るわけにはいきません。ひと言乙姫どのにお礼を言わせてください」
おぉ、さすが浦島太郎! ようやく主人公らしいファインプレーを見せてくれた。そうそう、浦島太郎が会いたいって言っててくれないと。
「それでは一度、乙姫様に確認に……」
「いえ、それには及びません。何も直接顔を見せろというわけではありませんので。もし乙姫どのが会いたくないとおっしゃるのであれば、ふすま越しでのご挨拶でも十分ですので」
最終的に浦島太郎が押し切った形で、タイのお姉さんはわたしたちを乙姫様のいる部屋まで案内してくれた。長い長い廊下のつき当たりに、きらびやかなふすまがあった。 どうやらこの向こうに乙姫様がいるらしい。
「乙姫様、タイでございます。浦島太郎様たちが帰る前にせめてお別れのご挨拶をとおっしゃいますのでお連れしてまいりました」
「浦島様が……?」
ふすまの向こうで乙姫様が息を呑むのが伝わってくる。凛とした美しい声だった。
「乙姫どの」
浦島太郎がふすま越しにそっと声をかける。
「助けたカメのお礼とはいえ、とても素晴らしいおもてなしに感激しました。もしよければ直接お礼を申し上げたいのですが、このふすまを開けてはくださいませんか」
迷っているのか部屋の中からは何の返答もない。
「そうですか。それではこれから浦島は帰らせていただきます。楽しい時間を本当にありがとうございました。乙姫どのにお会いできないまま帰るのは大変心残りではありますが、 家には老いた母も残しておりますので、このあたりで……」
やっぱり乙姫様からの返事はない。仕方がない。じゃあこれで帰るしかないのか……なんてそんなわけにもいかないわよね。さて、どうしたものかしら。と思ったら――
「何ごちゃごちゃやってんだよ! 開けちゃえばいいだろ!」
と突然迷人がふすまに手をかけた。ちょっと迷人、いくらなんでもそれは強引すぎない? それとももしかして、まだ酔っ払ってるの?
「迷人どの!」
「おやめください!」
浦島太郎とタイのお姉さんが止めに入ろうとするものの時すでに遅く、迷人は力いっぱいふすまを開けようと引っ張った。ところが 、
「なんだこれ? 全然開かない!」
迷人がどんなに顔を真っ赤にして踏ん張っても、ふすまはぴくりとも動かなかった。
「乙姫様は中から鍵をかけられているのです」
とタイのお姉さん。すごい。そこまで徹底してるんだ。
「そこまで嫌がるのであれば仕方がありませんね。また会える日を願うこととして、今日のところは帰ることにいたしましょう」
「そんなわけにいかないだろ。もう二度と会えないかもしんないだぞ」
「それはそうかもしれませんが……」
食ってかかる迷人に、呆気にとられる浦島太郎。そうだよね、浦島太郎はまだ乙姫様に会ったこともないんだし、どうしても会わなくちゃならない理由なんてないもんね。浦島太郎と乙姫様の間に運命でもあるならともかく。
……ん? 運命? ないなら作っちゃえばいいじゃない!
「ねぇ、浦島さん! このふすま、あなたが開けてみたら?」
「えっ、わたしが?」
「そう。きっと浦島さんなら開けられる気がするの」
「しかしこのふすまには鍵が……」
「でも浦島さんなら開けられるはず! だって乙姫様とは会わなくちゃならない運命なんだから」
「運命……ですか?」
わたしは迷人に向かって手を出した。
「迷人、あれ出して」
「あれって?」
「きびだんご」
「きび……ってゆずは、お前力ずくで……」
言いかけた迷人にウインクして見せる。前にやられたお返しのつもり。そもそも最初に力ずくで開けようとしたのはどこの誰だ。運動エロおバカ。
「これはわたしたちが神様からもらった大事なおだんご。もし乙姫様との間に運命があれば、どんな障害も取り除く力があると言われているの。さあ、これを食べて試してみて」
「神様からのだんごですか」
疑う様子もなく、素直に浦島太郎はきびだんごを口に放り込む。もぐもぐごっくん。
「じゃあ次は、このふすまを開けてみて」
「開ければよいのですね?」
「そう。もし二人が運命で結ばれているなら、きっと簡単に開けることができるはず」
「……わかりました。乙姫どの、失礼しますよ」
浦島太郎は恐る恐るふすまに手をかけた。途端、スパーンとものすごい勢いでふすまが開き、弾け飛んだ錠前が宙を舞う。浦島太郎本人は気づいてないけど、普段の何倍もの怪力になってるんだから当然だ。
「あ……」
あらわになった乙姫様と浦島太郎が部屋の内と外から見つめ合う。チャンス! ここで畳みかけないと!
「やっぱり! 神様からいただいたおだんごの力だわ! 運命だったのね! 二人はこうして巡り合う運命だったのよ! ねえ迷人!」
「あ、ああ! こりゃあ運命だな! オレには開けられなかったのに、浦島は簡単に開けちゃったし! 運命で間違いない!」
「運命だなんて……素敵」
わたしたちが白々しく手を叩く横で、キラキラと目を輝かせるのはタイのお姉さん。
「う、運命ですか」
浦島太郎は照れた様子。乙姫様はといえば顔を真っ赤にしちゃって、まんざらでもないみたい。単純にきびだんごの力を借りた馬鹿力なんだけど。
「乙姫どの……なにはともあれ、こうしてお会いできて良かった。私はこれで帰らなければなりません。本当に素晴らしい時間をありがとうございました」
「わ、私こそ可愛いカメを助けていただきありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
二人はどちらからともなく歩み寄り、両手を取って見つめあった。うわー、なんだか本物の恋人同士みたい。
「こんなことならば、もっと早くお会いすべきでした」
「申し訳ありません。わたしに意気地がないばかりにいつまでもずるずるとお待たせして」
「いえ、わたしの思慮が足りませんでした。男として、やはりわたしからこうして迎えに来るべきだったのでしょう」
「まぁ」
歯の浮くようなセリフに感激する乙姫様。浦島太郎ってば、さっきまでのだらしない酔っ払い姿が別人みたい。よくもまぁ男子っていうのはきれいな女の人を前にするとかっこつけるんだから。この人も浦島エロ太郎に改名してやろうかしら。
「名残惜しいですが浦島様、これをお持ち帰りください」
乙姫様が取り出したのは黒い木でできた箱。 間違いない。これこそあの玉手箱だ!
「あちらにお帰りになった後、もしもう一度竜宮城へ来たいと思うことがあれば、この玉手箱を開けてください。お迎えにいきます」
「ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。またいつの日かお会いしましょう」
とか言いながらいつまでも見つめ合ったまま離れようとしない浦島エロ太郎と乙姫様。
あーもう、見てるこっちが恥ずかしくなっちゃう。
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