15.乙姫様
「乙姫様はどこにいるの?」
「乙姫様?」
タイのお姉さんたちがざわめきだす。すっかり忘れていたけど『浦島太郎』といえば浦島太郎にカメ、そして乙姫様の物語だ。浦島太郎がカメを助けたお礼にと、竜宮城で乙姫様からもてなしてもらうはずなのに。わたしたちどころか、浦島太郎も乙姫様に会ってないっていうじゃない!
「ゆずはどの、その乙姫様というのは……」
「この竜宮城のお姫様よ! その人が浦島さんをここへ呼んだはずなの。タイのお姉さん、そうでしょう?」
名指しされて、ぴくりと体を震わせたタイのお姉さんは、はい、とか細い声で答えた。
「確かに、皆さんをこちらへ招いたのは乙姫様です」
「じゃあ、どうして顔を見せないの? いったいどうなってるの?」
「それが、その……」
顔を見合わせるタイのお姉さんたち。なんだか様子がおかしい。
「はっきりしないな。カメを助けた浦島に直接お礼しなくていいのかよ。そのために呼んだんだろ?」
「実は……」
酔っ払ったせいか、目のすわった迷人に睨まれて、タイのお姉さんたちはようやく重い口を開いた。
「乙姫様、人前に出ることができないのです」
「はぁ?」
なんじゃそりゃ?
「それって、病気とか?」
「いえ」
「じゃあ、どんな事情が?」
わたしと迷人は前のめりになって、彼女たちに迫った。タイのお姉さんたちは戸惑いもあらわに視線を交わし、やがてため息とともに言った。
「乙姫様は……恥ずかしがりやなのです」
なんと乙姫様、重度の人見知りで知らない人の前には出てこれないんだって。だからカメを助けた浦島太郎を読んでおもてなしはしても、直接お礼を言いには来れないって。
これはもう……きっと金太郎が臆病者だったのと同じように、”本の虫”の仕業にちがいない。
どうしたらいいのかしら?
「ゆずは、オレ考えたんだけど、最悪乙姫って会えなくてもいいんじゃねえの?」
「そんなわけにいかないでしょ。玉手箱もらわなくちゃならないんだし」
「だから、玉手箱さえもらえればいいんだろ?」
迷人の口からからまともな考えが飛び出してびっくり。運動おバカのくせにどうしちゃったの? しかも酔っ払ってるのに。……ってまさか、酔っ払ったほうがまともになるとかいうんじゃないでしょうね?
「タイのお姉さん!」
「は、はい!」
「わたしたち、いつになったら帰れるですか?」
「そ、それは……どうなんでしょう。わたしたちにはさっぱり……」
「乙姫様だけが知ってるっていうこと?」
「はぁ。わたしたちは乙姫様のご命令にしたがって、みなさんのおもてなしをしているだけなので」
「じゃあ、乙姫様に聞いてきてもらえませんか? そろそろ帰りたいんですけどって」
「も、もう帰るのですか?」
それを聞いて腰を浮かしたのは浦島太郎。もうってあなた、今までさんざん楽しんでおいてまだ言うか。この人、ずーっと酔っ払ってるだけだし今までの主人公役の中で一番役に立たないかも。
「ちょっと聞いてきてみますね。少しお待ちいただけますか?」
タイのお姉さんはそそくさと部屋を出て行ったものの、しばらく経つと戻ってきてこう告げた。
「乙姫様は、もう少しごゆっくりされて行っては、と申しています」
「そ、そうでしょうな。せっかくやって来たのですし。ささ、迷人どの、もう一杯やりましょうぞ」
見るからに嬉しそうな浦島太郎にそそのかされて、迷人もまた宴会へと引きずり込まれちゃった。そうと決まればと、お姉さんたちはまた周りで盛り上げ役にまわる。
「ゆずは様も、一杯いかがですか?」
タイのお姉さんもわたしのところへと戻ってきた。いえ、あの、せっかく酔いも冷めてきたところなのに。
「迷人様、かわいい顔してるのね」
「ほんと、将来は色男になるのでしょうね」
「女の子を泣かせてはいけませんよ」
「いやぁそんな、将来はだなんて。実は今でも結構モテてたり」
お姉さんたちにおだてられて、だらしなくニヤニヤ笑う迷人。なによアレ。自分でモテるとか言うかなぁ、普通。確かに学校に行けばきゃーきゃー言う物好きな女子もいるけどさ。
ホント、美人に弱いのよね。迷人ってば最低。
「……ください」
「どうぞどうぞ」
お姉さんに注がれた飲み物をわたしはぐいっと飲み込んだ。
※ ※ ※
そうしてまたしばらく時間が過ぎた。ひっく。もういい加減にしてもらわないと。わたしたちだって元の世界に帰らなくちゃならないし。ひっく。何より”本の虫”を捕まえなくちゃ。
「ねえ、タイのお姉さん」
「なんでしょう? おかわりですか?」
「乙姫呼んで」
「はい?」
「乙姫呼んできてって言ってるの!」
ダンッと叩きつけるように盃を置いたわたしに、宴会場の空気が一瞬にして凍り付いた。
「た、ただいま!」
タイのお姉さんは震える声で宴会場を飛び出して行った。
「もうそんな時間ですかのう〜」
浦島太郎だけ名残惜しそうにもじもじしてる。やっぱりこの人もおかしいわよね?
そうこうしているうちに戻ってきたタイのお姉さんが言うには、
「乙姫様は、もう少しごゆっくりされて行っては、と申しています」
と同じセリフを繰り返すばかり。
「そうでしょうそうでしょう。せっかくやって来たのですし」
それを聞いた浦島太郎はそれ見たことかと言わんばかりに、再び迷人を宴会に引きずり込もうとする。いったいどうなっちゃってるの? ひっく。このままずっと同じこと繰り返さなくちゃならないのかしら?
「ちょっと、迷人!」
「いたたたたっ! 何するんだよゆずはっ!」
わたしは浦島太郎と肩を組む迷人を引きずり出すように、耳を引っ張った。
「このままだといつまで経っても帰れないじゃない! ひっく。いい加減にしなさいよっ!」
「そんなこと言ったって、乙姫様が出てこないんじゃどうにもならないだろ。せめて玉手箱だけでももらわないと」
「ずっとこうしていたって仕方ないでしょうが! 何か方法考えなさいよっ!」
「考えてる。考えてるよ! だからオレはこうして浦島と……なぁ?」
「そうですそうです。われらはこうして懇親を深めているわけです」
隙を見せるとニヤニヤと煙に巻こうとする男子二人。もう我慢ならないわ。一度ぐらい本気でとっちめてやろうかしら。
「ゆずは、知ってるか? 浦島ってお母さんと二人暮らしなんだってよ。金太郎と一緒。しかも浦島のお母さん、だいぶ年とってるらしいんだ」
「そうなんですよ。ここ最近は風邪をこじらせて、寝てばかりいましてな。わたしが身の回りのお世話をしてやらなければならないような次第でして」
「毎日魚釣って働いて、帰ったらお母さんのお世話してって、浦島も大変なんだよ」
「ですから今日は久しぶりにこうして羽を伸ばしたというわけです。ゆっくり休めるのは母が寝ている時ぐらいですからな」
「苦労人だよなぁ、浦島って」
「いえいえ、女手ひとつでわたしを育ててくれた母に比べたらなんてことありませんよ。母あってこそのこの身ですから」
「じゃあ帰ったらたっぷり親孝行しないとな」
「それは迷人どのも一緒ですぞ。ご両親にはくれぐれも孝行すべきです」
わたしのことなんて完全に蚊帳の外。男子二人でああでもないこうでもないと親孝行の話なんかしちゃって。もうこの際、わたし一人で乙姫様の部屋に乗り込んじゃおうかな。無理やり玉手箱奪って帰ってやる。最悪迷人と浦島太郎はここの置き去りにしてやろうかしら。
……あれ? ふと、わたしは男子二人の会話が途切れていることに気づいた。見れば浦島太郎の目に涙が浮かんでいる。いったいなにがあったの?
「タイどの……わたしはそろそろ帰らねばなりません」
神妙な面持ちで、浦島太郎は言った。はぁ? なんなのこの豹変ぶり。今の間にいったい何があったっていうの?
「家には病に伏せる母が待っているのです。これ以上わたしだけ遊んでいるわけにはいきません」
「そうですか。それは大変ですね。乙姫様に伝えてきます」
タイのお姉さんも、これまでとは違った深刻そうな顔で宴会場を出て行った。そっか。『浦島太郎』の物語でも、何度も引きとめる乙姫様に浦島太郎自身が「帰る」って言い出すんだっけ? わたしたちがどんなに「帰りたい」と言っても無駄なわけだ。
……ってことは迷人はそれを狙って浦島太郎と宴会してたってこと? お母さんを思い出させるために。
「迷人様、もう帰ってしまわれるのですか?」
「もう少し遊んで行かないのですか?」
「わたし、寂しくなってしまいます」
「オレも寂しいに決まってるじゃ〜ん。このままずっとここにいたいよ〜」
そんなはずないか。あーやだやだ、鼻の下伸ばしちゃって。今度から運動エロおバカに改名してやろう。
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