3.忘れ物

 桃太郎は歩いた。

 看板も道もない中を、まるで鬼ヶ島がどこか知っているみたいに脇目も振らず歩いていく。草原を渡り、こんもりとしたおにぎりのような山を登っては下る。しかも早い。疲れを知らないように、スタスタと休みなく歩き続ける。


「桃太郎、鬼ヶ島の場所わかるのか?」

「なんとなく。あっちの方角な気がします」


 生まれる前から頭の中にインプットされてるのかしら? 指差す方向には幾つもの山々。いったいどこまで歩く気?


「お前タフだなー。疲れたりしないのか?」

「鬼と戦おうというのだから、泣き言を言うわけにはいきません。一刻も早く、鬼を退治しなければ」

「スゲーな。やっぱり桃太郎だけあるわ」

「わたしは急ぎますが、ゆっくりついて来てくださって結構ですよ。目的地は一緒なのですから。鬼ヶ島へ向かうついでに、一緒に戦ってくれる仲間を探さなくては」


 運動おバカな迷人が感心するぐらいだから、図書館めぐりと読書が趣味のわたしがどんな状況かなんて言うまでもなく……


「ちょっと迷人待ってよ! 少しぐらい休ませて!」

「馬鹿! 桃太郎に置いてかれちゃうだろ。頑張れよ!」

「もう無理! これ以上歩けない!」


 途中で迷人が見つけてきてくれた棒を杖がわりに、ひいひい言いながら桃太郎を追いかける。いくらなんでもこんなの無理! 絵本の中の『桃太郎』なんておじいさんおばあさんの家を出たらすぐイヌやサルやキジに出会って、あっという間に鬼ヶ島までたどり着いていたのに、実際にはこんなに長々と歩かなくちゃいけないなんて。でもどんなに迷人が励ましてくれようとも、わたしたちと桃太郎の差はどんどん広がる一方だった。


「ちくしょう。見失ったかな」


 一時は諦めかけたその時、はるかかなたに再び桃太郎の背中が見えた。


「いたっ!」


 ところが桃太郎、それまでの歩みが嘘のように立ち止まってしまっている。どうやら困っている様子だった。……なんだか嫌な予感がするなぁ。


「どうしたんだ一体?」


 近づくと桃太郎が一人じゃないことに気づいた。桃太郎の前には、イヌとサル、それからキジの姿があった。良かった。やっとおともたちが見つかったんだ。いったいどれだけ歩かせるのよー。なんてホッとしたのも束の間、なにやら様子がおかしい。


「お願いだからぼくと一緒に来て下さい。力を合わせて鬼を退治しましょう!」

「嫌だ!」

「巻き込まないで!」

「一人で行って!」


 桃太郎が一生懸命お願いするにも関わらず、三匹とも顔をプイッと背けて全然聞く耳を持たない。『桃太郎』のおとぎ話だと、すぐに仲間になってくれたはずなのに……これも”本の虫”のイタズラ?


「あっ」


 わたしは重大な失敗に気づいた。


「どうした?」

「忘れてた! きびだんごよ!」


 おじいさんおばあさんの家を出る時に、何か忘れたような気がしたけど……桃太郎、きびだんご貰ってない!


「みんな、きびだんごがないとおともになってくれないんじゃない?」

「きびだんごって……おじいさんとおばあさんが作るあれだろ?」


 顔を見合わせ、振り返るわたしたち。目の前に広がるのは遥か先まで続く若草色の草原と、こんもりと連なる山々。おじいさんおばあさんの家は、さらにあの山を越えた向こう側にある。……嘘でしょ?


「またあそこまで戻るの?」


 ここまでの道のりを思い出しただけでげんなりしてしまう。


「何か他に方法ないのかよ」

「他に方法って……」


 考え込んだわたしたちは、二人で声を揃えた。


「打ち出の小づちっ!」


 大きな桃を割ったあの打ち出の小づちを使えば、きびだんごぐらい簡単に出せるんじゃないかしら?


 あれ? えいっ! それっ!


 しかしわたしや迷人が何度振ったところで、打ち出の小づちはわたしたちがこの世界にやってきた時や、大きな桃を割った時のようなポンッという小気味よい音を鳴らしてくれなかった。きびだんごどころか、小判やお米だってさっぱり出てきてくれない。どうしてよ? 何か使い方のコツとかあるのかしら?


「全然ダメだっ!」

「もうどうにもならないわ!」


 へなへなとその場に座り込むわたし。


「ゆずは、諦めんなよ。なんとかしようぜ」

「なんとかって、どうするのよ。とにかくいったん休ませて。わたしもう無理っ!」


 わたしは原っぱの上にあおむけに横になった。足は痛いし腕は重いしもうへとへとだ。

 空にはどこまでも広い青空が広がっていた。きれい。こんなに広い青空を見たのは初めてだな。やっぱりおとぎ話の世界だけあって景色がきれいなのかも。あ、違うか。周りに何にもないからだ。家もビルも何もなくて、見渡す限りの平原ばかり。だから空が広く感じるんだ。


「そう言わずに一緒に」

「お断りします」

「嫌です」

「拒否します」


 桃太郎と三人の空しいやりとりを聞きながらぼーっと空を眺めていたら、


「よし、わかった!」


 突然迷人が叫んだ。


「オレが行って取ってきてやる!」


 わたしに向けて親指をつき出したと思ったら、すぐさま走り去ってしまった。取ってくるって……まさかおじいさんとおばあさんの家まで?


     ※     ※     ※


 ぴーぴよぴよ。

 相変わらず小鳥がさえずる空の下、


「そこをなんとか、わたしと一緒に来てくれませんか?」

「嫌です」

「一歩も動きません」

「できません」


 桃太郎とイヌ、サル、キジの押し問答が続いていた。だいぶ長い時間が経つけれど、迷人が帰ってくる様子もない。何もできずに、草の上に座り込んだままぼーっと桃太郎たちのやり取りを眺めるわたし。そういえば、だいぶ足の疲れも引いた気がするなぁ。迷人、無事に着いたかしら?

 ……あれ?

 わたしは地面に着いた両手が震えていることに気づいた。あれれ? 手はそんなに疲れてないつもりだったけどなぁ。さっきまで平気だったのに、どうして……。

 いや、違う。揺れているのはわたしじゃなくて、地面だ。手のひらを通じて、地響きみたいな振動が体に伝わってくる。


「揺れている!」

「地震か!」


 桃太郎たちも気づいたみたいで、きょろきょろと周囲を見渡した。すると――


 ドドドドドドドドドドっ!


 土煙をあげながら、何かがこちらに向かってくるのがわかった。あっちはおじいさんとおばあさんの家の方角だ。っていうことは、まさか……。


「だぁーーーーっ! 遠かったぜっ!」


 地響きとともにやって来たのは迷人だった。車みたいに信じられないスピードで走ってきた迷人は、


「桃太郎、これを使えっ!」


 と巾着袋を放り投げる。中から出てきたのはもちろん……きびだんご!


「そ、それは!」

「われらにも一つくれませんか!」

「ぜひ!」


 きびだんごを一目見た瞬間、イヌ、サル、キジは目の色を変えて桃太郎にすり寄り始めた。えー? いくらなんでも露骨過ぎない?


「あげましょうあげましょう! 鬼退治に一緒に行ってくれるのなら!」

「行きましょう!」

「喜んで!」

「地の果てまで!」


 ちょっとちょっと。このイヌ、サル、キジ、態度変わるの早すぎなんだけど。さっきまで絶対嫌だなんて言ってたくせに、意地汚いなぁ。こんな『桃太郎』なんてイヤだけど……やっと物語が進んでくれるのなら何よりだ。それよりも――


「迷人、ありがとう。疲れたでしょう?」


 運動おバカなんて言ってゴメンね。迷人がいてくれたから良かったものの、わたし一人だったらどうなっていたことか。もうおバカだなんて軽々しく口にできないな。


「大丈夫だ!」


 迷人は息一つ乱さず、親指を突き出した あれ、ちょっとカッコいいかも。そう思ったのも束の間――


「オレもきびだんご食ったからなっ!」


 得意げに言う迷人に、わたしは開いた口が塞がらなかった。


「く、食ったって、きびだんご食べちゃったの?」


 あの勢いはそのせいだったのか! どおりでとんでもない速さだったわけだ!


「おう! 一つ食うだけで百人力よ! しかも見てくれよこれ」


 満面の笑顔で見せたのは桃太郎に渡したのと同じ巾着袋。まさかそれって……


「おじいさんとおばあさん、あの後ずっときびだんご作り続けてたんだ。もしかしたら取りに戻ってくるんじゃないかって。いっぱいあったから、多めに貰ってきたんだよ。ゆずはも食うか?」


 わたしは黙って首を左右に振った。さっきのロケットみたいな勢いで走ってきた迷人の姿が思い出される。あれをやったら、女の子として終わりな気がした。


「行きましょう行きましょう」

「あなたについてどこまでも」

「家来になっていきましょう」


 桃太郎にくっついて、歌いながら旅立っていくイヌ、サル、キジ。なにはともあれ、こうして物語が進んでくれるのならまぁいいか。

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