<終章> 5-1 明日香との別れ
その日の夜7時―
突然朱莉のスマホに猛から着信が入ってきた。
(えっ?!会長から・・?!)
朱莉はすっかり動揺してしまった。相手は巨大産業グループの創設者のトップなのだ。緊張しないはずがない。朱莉は深呼吸するとスマホをタップした。
「はい、もしもし。」
『こんばんは、朱莉さん。今、電話いいかね?』
「はい、大丈夫です。」
『実は今、翔と修也が我が家に来ているんだ。朱莉さんも来ないか?迎えの者をよこすから。』
「い、いえ・・・申し訳ありませんが・・・今夜は無理です。実は蓮ちゃんが風邪をひいて熱を出したんです。」
朱莉は申し訳なさげに言う。
『な、何だってっ?!蓮は?蓮は大丈夫なのか?今から主治医を呼んで蓮の診察を頼もうっ!』
珍しく猛の慌てた様子を電話口で聞いた朱莉は少しだけ猛に人間味を感じて緊張が解けた。
「いえ、大丈夫です。午前中にかかりつけの小児科へ連れて行きましたので。今はすっかり熱も下がりました。つい、さっき夜ご飯にうどんを食べたところなんですよ。今はリビングのソファで横になってテレビを見ています。でも明日は念のために幼稚園はお休みさせますけど。」
『そうか・・それなら良かった。ふむ・・・そうだ、朱莉さん。明日蓮の体調がすっかり良くなったら、19時に迎えを寄こすから我が家へ来ないか?』
「そうですね・・・。では明日の蓮ちゃんの体調次第でお邪魔させて頂きます。」
『ああ、会えるのを楽しみにしてるよ。では、またな。』
「はい、失礼いたします。」
そして電話は切られた。
「ふう・・・。」
朱莉は溜息をつくと、スマホをテーブルの上に置いた。
(会長の家に呼ばれるって事は・・・何か重大なお話があるって事よね・・・やっぱり蓮ちゃんの事・・よね・・・。)
だけど、朱莉にはもうどうする事も出来なかったし、翔も明日香も・・そして修也も逆らうことが出来ない、絶対的な存在であると言う事も朱莉は十分承知していた―。
鳴海家本宅―
「蓮が・・・・今日熱を出したそうだ。」
電話を切った猛は翔と修也に言った。
「えっ?!」
「蓮君が?」
翔と修也がほぼ同時に声を上げた。
「ああ・・そうだ。本日は幼稚園を休んだそうだ。今は熱が無いらしいが・・。蓮は身体が弱いのだろうか・・。」
猛は心配そうに言う。
「いえ。今まで僕の知る限り、蓮君は殆ど風邪をひいたことがありません。熱だって1年に1回しか引いたことがありませんでした。」
修也が言うと、翔は修也を睨みつけた。
「修也・・・お前、随分と蓮の事・・・詳しいんだな・・・?」
すると猛が言った。
「翔、言いたいことがあるなら修也にではなく私に言え。蓮と朱莉さんの面倒を見るよう頼んだのは、この私なのだからな。」
「か・・会長が頼んだのですか?修也に?父親は・・この私ですよ?!何故私に内緒で・・・。」
「蓮はお前の子供でもあるが、私にとっては大切な曾孫だ。口を挟む権利くらいある。おまけに父親であるお前は海の向こうなのだ。咄嗟に動けるのは修也しかいないだろう?」
「・・・。」
翔は悔しそうに唇を噛む。その様子を黙って見ている修也。
(やっぱり・・・会長は本気なんだ・・・。本気で翔と朱莉さんを離婚させて・・・翔と明日香さんから親権を奪って自分の養子にするつもりなんだ・・。)
「朱莉さんは・・・今日は呼ぶことが出来なかった。それなら明日香を呼ぼう。翔、明日香に連絡を入れろ。」
「え・・・ええっ?!な、何故私が・・・っ!」
これにはさすがの翔もしり込みをした。
「いや、駄目ですっ!俺は・・・明日香にはもう嫌われていますから・・っ!それにここ数年連絡を入れていないのですよっ?!」
「翔・・お前、私の言う事が聞けないのか?今すぐ別の場所に飛ばしてもいいんだぞ?」
「う・・・っ!」
(くそ・・っ!これじゃまるでパワハラだ・・・。だが・・・悔しいことに俺には何も逆らう頃が出来ない・・・!)
「わ・・・分かりました・・・。で、ですが・・・ここでは入れにくいので・・別室で電話を掛けてきます。」
翔は観念して明日香に連絡を入れる事にした。
「ああ、好きにしろ。」
猛が言うと、翔はスマホを握り締めると部屋を後にした。修也は猛と2人きりになると言った。
「会長・・・僕はどうしたらいいですか?明日香さんは僕の存在を知りません。僕はここに残っていても良いのでしょうか?」
すると猛は言う。
「お前は次期鳴海グループの社長になるんだ。マスコミに発表される前に明日香と会っておいた方がいいだろう。きっと・・驚かれるだろうがな?何せお前と翔は・・顔が良く似ている。私も昔はよく騙されたものだ。」
「!会長・・・知っていたんですか・・・?」
修也は驚きの声を上げた。
「当り前だ。私を誰だと思っているんだ?他の連中の目はごまかせたかもしれないが・・私は知っていたぞ?そして・・・朱莉さんの事もな・・・。彼女には本当に悪い事をしてしまった。私が蓮を引き取るのも・・朱莉さんの事を考えてなんだ・・。」
「会長・・・?」
しかし、それ以上猛は口を開くことは無く、無言で窓から夜の庭を眺めていた。
それは・・・満月がとても美しい夜の出来事だった―。
翌朝―7時
ピンポーン
突然朱莉の部屋にインターホンが鳴り響いた。
(あ・・明日香さんかしら。)
蓮は今朝はまだ眠っている。
「はい。」
朱莉は玄関へ向かいドアを開けるとそこには明日香が立っていた。しかも大きなキャリーケースを手にしている。
「おはよう、朱莉さん。」
「おはようございます。あ・・明日香さん?どうしたんですか?その荷物は・・・?」
すると明日香が突然頭を下げてきた。
「ごめんなさい、朱莉さん。」
「え?突然どうしたのですか?」
「今更、蓮の母親面して・・・朱莉さんから蓮を奪うような真似をしてしまって・・反省してるわ。」
「明日香さん?何をおっしゃってるのですか?だって蓮ちゃんは明日香さんのお子さんじゃありませんか?」
「それは・・ただ私が生んだだけよ。蓮がお母さんと慕ってるのは・・・朱莉さんだけよ。」
「明日香さん・・・。」
「私ねえ・・・やっぱり長野に戻ることにしたの。」
「え?」
朱莉は耳を疑った。
「実は長野に住んでいる別れた恋人が・・どうしても私とやり直したいって以前から連絡が入っていたのよ。そして・・結婚を申し込まれたの・・・。」
「まあ・・結婚ですか?」
「ええ。それにね・・・長野には生き別れになった・・母が住んでるのよ。行方を捜してみようかと思って・・。だけど、朱莉さん。離れていても・・・蓮の事は忘れないし、必ず年に数回は会うわ。だって・・・私は蓮を・・愛してるから・・。」
明日香は涙ぐみながら言う。
「ええ・・。分かっています。明日香さんが蓮ちゃんを・・愛している事は・・。」
すると明日香は笑顔になると言った。
「鍵、返しておくわ。それじゃ・・新幹線の時間があるからもう行くわね。」
「あ、待ってください。蓮ちゃんには・・・会わないのですか?」
朱莉は慌てて引き留めようとした。
「会うと・・・別れがたくなってしまうから・・会わないで行くわ。」
「・・・分かりました・・・。」
不意に明日香が朱莉の右手を取ると言った。
「朱莉さん。今度は・・・貴女が幸せになる番よ?誰を選ぶかは・・・分からないけど、私は貴女の幸せを祈っているから。」
「え・・・?」
朱莉は何のことか分からず首を傾げた。するとそれを見た明日香はフッと笑みを浮かべると言った。
「また・・・会いましょうね。今度は・・結婚式で・・・。」
「は?はい・・・そうですね。」
朱莉は何の事か分からず、首を傾げる。
そして明日香は朱莉と蓮の元から去って行った。
「さよなら・・・明日香さん。」
窓の外から明日香の歩き去っていく姿を見つめながら朱莉は呟いた。
朱莉が明日香の言葉の意味を知るのは・・・もう少し後の話になる―。
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