4-12 終息へ向けて・・・

 しんと静まり返った副社長室。規則的に時を刻む時計の針の音だけが聞こえてくる。重苦しい空気に包まれた室内には会長である猛、そして隣には秘書の滝川がソファに座り、猛の向かい側に翔、そして隣には修也が座らされている。


「さあ、修也。黙っていないで質問に答えるんだ。」


猛は眼光鋭く修也を見る。


「そ、それは・・・。」


修也は隣に座る翔をチラリと見たが、翔の顔は青ざめ、固く握りしめられた両手は小刻みに震えていた。


「修也・・・お前も一社会人なら分かるだろう?時がどれほど大切かと言うことくらい・・。私は無駄な時間を取られることが一番嫌いだ。早く話すんだ。」


猛は片時も目を離さず、修也を見た。


「わ、分かりました・・・。会長・・。お話しようと思っていた事は・・翔の子供の事についてです・・。」


修也は声を振り絞るように言う。


「ほ・・・う。翔の子供について・・つまり、蓮の事だな?面白そうだ。聞かせてもらおうか?」


猛は腕を組むと、ソファの背もたれに寄り掛かった。一方、蓮の名前を聞いた翔の肩がピクリと動く。


「蓮君は・・・朱莉さんの本当の子供ではありません・・・。蓮君の本当の母親は・・。」


修也の言葉に翔が反応する。


「修也っ!よせっ!」


すると猛が言った。


「ああ・・・その事か。母親は・・明日香なのだろう?」


「「!」」


翔と修也は驚きのあまり、言葉を失ってしまった。


「何だ、修也。話と言うのは・・・その事だったのか?」


猛の平然とした様子に翔も修也も唖然としていた。


「会長・・・知っていたのですか・・?」


翔は振り絞るような声で猛に尋ねる。


「当然だ。何も知らないとでも思っていたのか?」


猛の言葉に翔は震えながら尋ねた。


「い・・いつからですか・・?」


「お前が偽装結婚とやらを考えついた時からだ。」


「そんな前から・・・ですかっ?!」


「翔・・・ひょっとするとお前は私を騙し通せるとでも思っていたのか?」


猛は心外だとでも言わんばかりの口調で翔を見た。


「そ、それは・・・!」


「全く・・・初めから偽装結婚などと言う姑息な手段を使わずに朱莉さんを普通に妻として迎えていれば良かったのだ。お前は・・・結婚当初は随分酷い態度を取っていたようだしな?」


猛は溜息をつくと言った。


「・・っ!」


「私は初めからお前と明日香の仲は反対していた。私はな、翔・・・お前を試していたのだ。本当にこの鳴海グループのトップに立てる器の人間であるかどうか・・・。お前がどうしても明日香と一緒になるつもりだったら、確かに次期社長として選びはしなかったが、2人の仲は認めるつもりだった。まあ・・世間の体面を保つために鳴海グループからは出てもらい、別のグループ会社をお前に創立して貰おうと考えていたのに・・。」


「え・・・?」


翔は意外そうに猛を見た。


「それどころか、偽装結婚などと言う姑息な手段を使って私を騙そうとするなど・・・。だから私は修也を手元に呼び寄せたのだ。お前と修也・・どちらがより、次期社長としてふさわしい人間かを見定める為にな。」


猛は修也を見た。


「修也の父はとんでもないスキャンダルな事をしたことで、一時期酷いバッシングを受けた事があるが・・修也、お前は・・あいつの息子とは思えないほど気立ても良く・・・翔のように特別な教育を受けなくても頭が非常に良かったしな。」


「会長・・。」


(知らなかった・・・会長が僕をそんな目で見ていたなんて・・。)


「それなのに、翔。お前はどうだ?私の目をごまかす為だけに偽装結婚を選び、1人の女性の人生を狂わせた。まあ・・・それでも彼女を選んだの懸命だったかもしれないがな?初めから朱莉さんを本当の妻として迎え入れてあげれば良かったものを・・・何処までもないがしろにし続け・・・蓮が生まれても目が覚めなかったな?

明日香もお前も・・。まあ明日香は朱莉さんのおかげで少しは変われたのかもしれない・・・。結局、翔。お前は・・明日香が自分の元を去るまでずっと朱莉さんを尊重しなかった。自分の都合ばかり押し付けて・・・今頃になって自分の本心に気付き、彼女を本当の妻に迎え、蓮と3人で本当の家族になろうと考えているようだが・・。私は絶対に反対だからな?」


猛はジロリと翔を睨みつけた。


「か、会長!それは・・一体どういう事ですかっ?!」


ついに翔は我慢できず、声を荒げた。


「朱莉さんの事は偽装婚から・・・そしてお前から開放する。そして蓮は私が自分の息子として引き取る。私はな・・ぎりぎりまで待つつもりだったんだ。お前が私に本当の事を話してくれるのを・・。なのに、お前は先ほど修也の話を遮ろうとしたな?」


「!」


「全く往生際が悪い・・・そんなずる賢い人間に・・・この巨大グループを任せるわけにはいかないな。役員会議にかけるまでも無い。翔・・・お前は社長になれるだけの器の人間ではない。弱者を踏みにじり・・・私の目をごまかすために嘘を塗り固めてきた人間に、この会社を任せる事は出来ない。・・・アメリカへ戻れ。そして・・次期社長になる修也の為に尽力しろ。それが嫌なら、一族の名を捨てて出て行け。」


「あ・・・。」


翔は力なく項垂れた。

それは・・まさに翔にとっての死刑宣告であった。今、この瞬間・・猛の言葉によって翔の偽装結婚は終わりを告げた―。




 その頃・・・。


解熱剤のおかげで少しだけ元気が出た蓮はベッドの上で朱莉におかゆを食べさせてもらっていた。


「どう、蓮ちゃん。卵かゆ・・・美味しい?」


すると蓮は嬉しそうに言う。


「うん、とっても。僕ね・・・お母さんが大好き。お母さんの作る料理も大好きだよ。だから・・・。」


突然、蓮の目に涙が滲んでくる。


「ぼ、僕には・・・お母さんが2人いるけど・・・一番好きな人は・・お母さんだよ・・っ!」


そして蓮は朱莉に抱きつくと、声を殺して泣き始めた。


「蓮ちゃん・・・っ!」


朱莉も蓮を強く抱きしめた。


「お母さんも・・・蓮ちゃんが大好きよ・・・。蓮ちゃんには本当のお母さんがいるけど・・お母さんも、蓮ちゃんの事・・本当の子供だと思ってるから・・。」


そして血の繋がらない母と息子はいつまでも抱きしめあって、涙を流すのだった。


その様子を偶然尋ねてきた明日香に見られている事にも気づかずに―。





 この日、明日香は朝早くからイラスト作成の仕事をしていた。しかし、なかなか良いイラストのアイディアが浮かばず、気分転換にバルコニーに出て外の景色を眺めていた時、朱莉が蓮を抱きかかえて慌ててマンションから出て行く姿を目にしたのだ。


「え?朱莉さん・・・それに蓮?」


走り去っていく姿を偶然見た明日香はすぐにピンときた。恐らく蓮が熱を出したのだろう・・・と。そこで明日香はコンビニへ行き、ゼリーやプリン、ジュースを買いに行った。病人の蓮にあげる為にだ。


(帰宅して落ち着いた頃に尋ねればいいわね・・。)


そう思った明日香は頃合いを見つけて、朱莉のマンションを尋ねた。

朱莉のマンションはいつも用のために鍵をかけている。明日香はインターホンを押そうとして・・ためらった。


(蓮が寝てたら起こしてしまうかもしれないわね・・。)


そこでドアノブにコンビニの袋をぶら下げておこう思い、ノブに手を掛けたところ、カチャリとノブが動いたのだ。


「あら・・・朱莉さんらしくないわね。戸締りを忘れるほど慌てていたのね・・。」


そこで明日香は部屋の中へ上がり込んだ。すると寝室から話し声が聞こえてきた。


(蓮・・・起きてるのかしら?)


そして寝室の傍へ寄ったときに・・・偶然2人の今の会話を聞いてしまったのだ。


2人が抱きしめ会って泣く姿を目にした明日香は・・・どうにもやり場のない気持ちを抱えたまま、翔の住むマンションへと戻って行った―。



 そして・・・朱莉と翔、明日香の6年間の全てが終息へと向かって・・・ゆっくりと、しかし着実に動き出していく―。










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