2-13 琢磨の帰国と嵐の予感

翌朝7時―


「おかあさん。それじゃ行ってきます。」


リュックサックを背負い、明日香に手を繋がれた蓮が朱莉に笑顔で言う。


「はい、行ってらっしゃい。蓮ちゃん。」


帽子を被った蓮の頭を愛おし気になでながら朱莉は笑顔で言う。


「朱莉さん。それじゃ明日の夜帰って来るわ。食事も済ませてくるから気にしないでね。」


明日香の言葉に蓮は顔を上げた。


「ねえねえ。明日はどこでご飯食べるの?」


「そうねえ・・・電車の中で調べましょう?」


明日香は蓮の手をギュッと握りしめながら言う。


「うん!」


蓮と明日香は笑顔で笑いあっている。それを見ている朱莉の胸はズキリと痛んだ。まるで・・2人と自分の間には目に見えない仕切りがあるように感じられた。そう、それは決して他人である朱莉が踏み入る事が出来ない仕切りが・・・・。


「それじゃ、電車の時間に間に合わなくなるといけないから、私たちはもう行くわね。」


「行ってきます。お母さん。」


「はい、行ってらっしゃい。 蓮ちゃん、明日香さん。」


蓮は明日香に手を繋がれ笑顔で朱莉に手を振ると、2人は玄関から出て行った。ドアがバタンと閉じられると、途端にシンとした静けさに部屋が包まれる。


「ふう・・・。」


朱莉は寂し気に溜息をつくと、蓮が脱ぎ捨てて行ったパジャマを拾うとギュッと抱きしめた。


「蓮ちゃん・・・・。」


朱莉は小さく呟いた―。




 その頃―


朝食後、コーヒーを飲みながら経済新聞を読んでいた修也のスマホが鳴った。


「え・・?誰からだろう・・?」


修也はスマホをタップして驚いた。それは二階堂からだった。慌てて修也は電話に出た。


「はい、もしもし。」


『ああ、おはよう。各務君。』


「おはようございます。二階堂社長。いったいどうしたんですか?土曜の朝に・・。」


『アハハハ・・・すまん。こんな朝早くに電話して悪かったな。いや、実は今日九条が帰国してくるんだよ。』


「え?九条さんが?」


『ああ、それで今夜帰国祝いを兼ねて六本木の店を予約したんだ。各務君、今夜都合が良ければ、出てこないかい?九条の事は披露宴で会ってるから知ってるんだろう?』


「ええ、知ってますよ。」


(披露宴どころか・・・中学時代から知ってるんだけどね・・。)


修也は会話をしながら心の中で思った。


『食事会には静香も顔出すからよろしくな。』


「え・・?お子さんは大丈夫なんですか?」


『ああ、大丈夫だ。今夜は姫宮家のお母さんが子供を預かってくれる事になってるんだ。もうお義母さんもお義父さんも孫が可愛くて仕方がないみたいで・・・。』


(やれやれ・・・しばらくの間は子供自慢の話が続きそうだな・・・。)


苦笑いをしながら修也は相槌を打ちながら二階堂の話を聞いていた。


『・・・それじゃ、今夜18時に店でな。』


「はい、よろしくお願いします。」


そして電話を切ると修也は溜息をついた。


(ふう・・・二階堂社長は相当子煩悩だな・・。まさか30分も我が子自慢のトークを聞かされるとは思わなかった・・。)


そこで、ふと修也は蓮の事を思い出した。


(そういえば・・・ここ最近は蓮君を見ていないけど・・・朱莉さんも蓮君も元気にしているのかな・・・。明日香さんはいつまで東京に残るつもりなんだろう・・?)


その時、背後から修也の母が声を掛けてきた。


「修也、今電話で少し話が聞こえたんだけど・・・今夜は出かけるの?」


「うん。だから夜の食事はいらないよ。」


修也はコーヒーを飲みながら答える。


「ねえ・・・最近翔君の子供の面倒を見に行っていないけど・・・明日も行かなくていいの?」


母が心配そうに尋ねてくる。


「うん・・・。朱莉さんから最近何も連絡が入ってこないからな・・。後で電話してみるよ。」


そして再び修也は新聞に目を落とした―。




 午後3時―


「ふう・・・やっと日本に帰ってこれた。」


羽田空港に降り立ったのは琢磨だった。そしてロビーを見渡して真っ先に思ったのは朱莉の事だった。


(そう言えば・・・3年前、一度日本に帰国した時・・・朱莉さんが蓮を連れて出迎えてくれたんだっけ・・。)


あの時はせっかく数年ぶりの再会だったのに、二次会で酔いつぶれた琢磨は見覚えのない内に見知らぬ女性にお持ち帰りされてしまい、目が覚めたらベッドの中だったと言う思いがけないアクシデント?に見舞われ、早々に帰国することになってしまった。あの後・・琢磨は1年間禁酒するほど、激しく後悔したのは言うまでも無い。


(もうあんなへまは二度としない。それに・・・ついに今年で翔との契約婚は終了するんだ。だから・・・・今度こそ、自分の思いを朱莉さんに告げる・・・!)


琢磨はグッと荷物を持つ手に力を込めると、出口へ向かって歩き出した―。





 午後1時―


 1人で昼食を終えた朱莉はミシンで蓮の新しい手提げバックを作っていた。最近の朱莉はすっかりミシンでのモノづくりにはまってしまい、気付けばかなりの量の手作り品が増えていた。


「フフフ・・・。我ながらなかなか上手に出来たわ・・。」


朱莉は満足気に呟いた時、スマホに着信を知らせるメロディが鳴った。


「あ・・・各務さん。」


朱莉の顔の笑みが浮かんだ。朱莉は各務の優しい話し方が好きだった。聞いていると心が穏やかになって来る。ここ2週間一度も連絡を取り合っていなかったので、朱莉はウキウキした気持ちで電話に応対した。


「はい、もしもし。」


『こんにちは。朱莉さん。』


電話越しから穏やかな修也の声が聞こえてくる。


「こんにちは、お久しぶりです。」


『うん、久しぶりだね・・・。蓮君は元気にしてる?』


「はい、元気にしています。ただ・・・今日も出かけていないんですけど・・。明日の夜、帰ってきます。」


『ええ?出かけてるって・・・一体どこへ?』


慌てた様子の修也の声に朱莉は言った。


「明日香さんと・・茨木の大きな水族館へ行ったんです。」


『え・・?茨木の水族館って・・・まさかアクアワールドの事?』


「各務さん・・・ご存じだったのですか?」


『うん、知ってるよ。あそこの水族館はとても大きいからね。そうか・・蓮君出かけていないのか・・・。』


寂し気にポツリと言う声が聞こえてきた。


「各務さんも・・・寂しいんですね。」


『え・・・・?』


「私・・私も・・・・蓮君がいなくて・・すごく・・寂しいです・・・。」


朱莉はいつの間にか・・・修也に本音を漏らしていた—。




 18時―


六本木の高級イタリアン料理店の個室に二階堂、静香、修也、そして琢磨がテーブル席に座り顔を見合わせていた。


「このメンツで集まるのは本当に久しぶりだな。皆、今夜は楽しんでいってくれ。」


皆で乾杯をした後、二階堂はワインを手に上機嫌で言う。それを恨みがましい目で琢磨は言った。


「先輩・・・何故、イタリアンなんですか?俺は・・久しぶりに日本へ帰国してきたんですよ?ここは普通・・和食じゃないですか?!」


「まあまあ・・・九条さん。落ち着いて・・・。」


それを宥める修也。


「全く・・・私は割烹料理店がいいってさんざん言ったのに・・・。」


静香はワインをグイッと飲みながら言う。



「そう言うなって。久しぶりに帰国してきた可愛い後輩の嫌がる顔を見るのも乙なもんじゃないか。」


二階堂が笑顔で言う。


「あっ!やっぱり・・・やっぱり嫌がらせだったんですねっ?!俺が・・俺がどれだけ和食に飢えているか、先輩は知らないからっ!」


琢磨はやけくそになってワインを煽る。


「おいおい・・・お前、そんなに急ピッチで飲んでいいのか~・・また見知らぬ女にお持ち帰りされるぞ?」


二階堂の言葉に琢磨は危うく吹き出しそうになった。


「え?何の事ですか?」


修也は首をかしげる。


「ああ・・・実は、九条はな・・・俺たちの二次会の時に酔っぱらって見知らぬ女にホテルまで持ち帰られてしまったんだよ。な~?」


言いながら九条の首に腕を回す。


「うわ~っ!!せ、先輩っ!な、なんてこと言うんですかっ!」


九条は恨みがましい目で二階堂を睨みつける。それを聞いていた静香はワイングラスを傾けながら言う。


「あら・・珍しい偶然もあるものね。実はこの間久しぶりに学生時代の友人と集まったんだけど・・そのうちの1人が私たちの結婚式の2次会に参加していて、男の人をナンパしたって言ってたわ・・・。それで確か今2歳の子供がいるって・・・・。」



「「「え・・・・?」」」


その話を聞いた全員が顔を青ざめさせたのは言うまでも無い―。



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