2-7 眠れぬ夜
「蓮・・・。その修ちゃんて人は・・・よく会ってるのか・・?」
航はなるべく冷静に蓮に尋ねた。
「うん、そうだよ。お母さんがおばあちゃんの面会で病院に来るときは必ずマンションに来てくれるんだ。僕は小さいから病院に面会にはいけないんだよってお母さんが言ってるから。それでお母さんがいない時、修ちゃんが来てくれるの。」
航は蓮の話を真剣に聞いていた。そして映画館で偶然朱莉と再会した時の事を思い出していた。
(あ・・・あいつか?あいつが・・蓮と朱莉のマンションに出入りしていたのか?!鳴海翔がいない間ずっと・・・?!)
航は頭が割れそうなほどズキズキと痛みだしてきた。
「ねえ、航お兄ちゃん。どうしたの?どこか痛いの?」
航の様子にすっかり驚いてしまった蓮はオロオロしながら航の服を握りしめる。
「い、いや。大丈夫だ、蓮・・・。ごめんな。心配かけさせてしまったみたいで。もう・・寝ようぜ。」
航は蓮に布団を掛けながら言う。
「お母さん達を待たなくてもいいの?」
「ああ。別にいいだろう?女同士で何か話をしているかもしれないな。」
「僕と航お兄ちゃんみたいに?」
蓮は目をキラキラさせながら言う。
「ああ、そうだな。」
すると蓮は布団を自分の鼻まで引っ張り上げると言った。
「航お兄ちゃん。僕ねえ・・修ちゃんも好きだけど、航お兄ちゃんも好きだよ。」
「そっか、ありがとな。蓮。」
航は笑みを浮かべて蓮の頭を撫でた―。
その頃、朱莉と明日香はコテージへと向かっていた。朱莉と明日香はこの施設で販売されているニットの上下のサーモンピンクカラーの部屋着をお揃いで着ている。
「この部屋着・・・肌触りがすごくいいですね。」
朱莉は歩きながら明日香に言った。
「ええ、そうなのよ。ここでしか販売されていない限定品みたいで、ネットの口コミで評判が良かったの。だからパジャマはあえて持ってこなかったのよ。」
「そうなんですね・・・あら?」
朱莉はコテージの明かりが半分消えていることに気が付いた。
「あら・・・ひょっとしてもう蓮は寝ちゃったのかしらね?」
明日香が首をかしげる。
「そうですね。先程温泉を出た時、時刻は夜9時を過ぎていましたから。」
「あら、残念だわ。蓮にお休みを言いたかったのに・・・でも、まあいいわ。いずれは毎日言えるようになるのだから。」
明日香の言葉に朱莉はそうですねと小さく答えるのだった―。
コテージへ戻った明日香と朱莉は部屋の電気を消すと、それぞれ互いのベッドへと入った。明日香は疲れていたのだろうか。すぐに寝息が聞こえてきた。しかし朱莉は寝付くことが出来なかった。頭の中では明日香の言葉が蘇ってくる。
< 家族。私と・・・翔、そして蓮との3人家族・・。 >
そこには朱莉の名前は無い。決して中に割って入ることは出来ないのだ。すっかり目がさえてしまった朱莉はベッドから起き上がると窓へ向かった。大きな窓からは満点の星空と月が見える。
「今夜は満月なんだ・・・。」
朱莉はポツリと呟き、コテージに備え付けの大きなビーズクッションを持ってくるとその上に座った。
膝を抱え、月を見上げている内にジワジワと朱莉の目に涙が浮かんでくる。いずれ蓮との別れが来るのは覚悟はしていたけれども、実際に蓮と暮らしたい旨を明日香の口から告げられた事に朱莉は自分でも驚くほどショックを受けていた事に気が付いた。
朱莉は誰にも気づかれないように声を殺して静かに泣いていると、背後で人の気配を感じた。
「朱莉・・・?」
名前を呼ばれて振り向いた朱莉の前には航が立っていた—。
航は蓮の言葉がショックで少しも眠ることが出来ずにいた。
(各務修也・・。鳴海翔のいとこで朱莉とは高校時代から顔見知り・・・。いや、蓮の話だと朱莉にはこの話は内緒にするようにと言い含められているって事は・・朱莉はその事実を何も知らないって事なのか・・・。だが、一体2人はどこで会ったんだ?それに・・・あいつ・・・朱莉の事を好きだなんて・・!)
航は自分が朱莉から離れていた4年の間、修也は朱莉と蓮に毎週末会っていたと言う話を聞かされ、穏やかな気分でいられなかった。今にも嫉妬で、もし仮に目の前に修也がいれば、その胸倉をつかみかかりたいほどの衝動が沸き起こっていた。
「こんなんじゃダメだ。・・・・。」
航は朱莉が絡んでくると、冷静でいられなくなる自分に嫌気がさしていた。
(朱莉に出会うまでは・・・こんな・・誰かに執着する事なんか無かったのに・・・。)
航はベッドから起き上がり、ロフトを降りた。冷蔵庫に冷えた缶ビールが入っていることを思い出した航はキッチンへ行き、冷蔵庫を開けてビールを取り出すとプルタブを開けた。
プシュッ!
しんと静まり返った部屋に響き渡る音。航は缶ビールに口をつけ、まるで水のようにゴクゴクと飲んだ。
「ふう~・・・。」
そこで何気なく窓を振り向き、航は驚いた。朱莉が大きなビーズクッションによりかかっている後ろ姿を目にしたからだ。航は缶ビールを手にしたまま朱莉に近づくと、声を掛けた。
「朱莉・・・?」
驚いたように振り向いた朱莉の頬は・・・涙で濡れていた―。
「ど、どうしたんだよ?朱莉・・・泣いていたのか?」
航は缶ビールを持ったまま、慌てて朱莉の傍に来るとしゃがみ、視線を朱莉に合わせた。
「あ・・・わ、航君・・・。や、やだ・・。」
朱莉は慌てて目をごしごしと擦り、笑みを浮かべると言った。
「どうしたの?航君。もう眠ってると思ってたけど?」
「いや・・眠れなくてビールを・・・。」
航は視線を自分の持っている缶ビールに落とすと朱莉も航の手にした缶ビールを見つめ・・ポツリと言った。
「私も・・・缶ビール飲もうかな・・。」
それを聞いた航は立ち上がった。
「よ、よし!朱莉!俺が・・俺が今持ってきてやるからここにいろよ。」
「え・・?いいの?」
「ああ、待ってろよ。」
航はすぐに立ち上がると、キッチンへ向かった。冷蔵庫には千葉県のクラフトビールが並んでいる。航は自分の分と朱莉の分、2缶取り出すと朱莉の元へ向かった。
「ほらよ、朱莉。」
「ありがとう、航君。」
涙は止まってこそいたが、朱莉の目は・・・赤く充血していた。航も朱莉と同じビーズクッションを持ってくると隣に座り、言った。
「・・乾杯でもするか?」
「うん・・・そうだね。」
朱莉は小さく頷くと、2人はプルタブを開けて、かちんと缶ビールを合わせた。
「朱莉、これは千葉県のクラフトビールなんだ。うまいぜ。」
「本当?それじゃいただきます。」
朱莉は缶ビールを口につけるとコクンコクンと飲んだ。月明かりに照らされた朱莉の姿はとても・・・美しかった。
「おいしいね。すごく。」
朱莉は笑顔を向けて航に言う。
「あ、ああ。そうだろう?俺も初めて飲むけど、こんなに旨いとは思わなかったよ。」
(朱莉・・・さっきまで泣いていたのに・・何で笑ってられるんだよ・・。俺の前だからって・・無理に笑う必要はないのに・・・。)
そこで航は尋ねた。
「なあ・・・朱莉。何で・・泣いていたんだ?」
「!」
朱莉の肩がピクリと動く。
「あ・・そ、それは・・・。」
朱莉は口ごもった。明日香が寝ているのに・・・蓮の事を話す気にはなれなかったのだ。だから朱莉は言った。
「航君・・・・今度・・今度話すから・・今は何も聞かないでくれる・・?」
そしてじっと航を見つめた。
「朱莉・・・あ、ああ。分かったよ。今は・・・何も聞かない。とりあえず飲もう。」
「うん・・・飲みましょ。」
言うと、朱莉は一気に缶ビールを飲み始めた。
「お、おい。朱莉。そんなに一気に飲んで大丈夫か?」
「うん。これくらい大丈夫・・・。」
朱莉は缶ビールを飲み終えると、トンと床の上に置いた。
「綺麗な月だね・・・。星も綺麗だし・・・。」
朱莉は夜空を見上げながら言う。
「ああ、そうだな・・・。あ、そうだ。朱莉、冷蔵庫にワインがあるんだ。飲まないか?それと、チーズがあったんだよ、つまみにいいと思うんだ。切って持ってくるから待ってろよ。」
航は立ち上がった。
「うん、ありがとう。」
朱莉はビールで赤くなった顔で笑みを浮かべた。
「・・・・!・
航はその笑顔に思わず赤面し・・クルリと背を向けるとキッチンへと向かった。
「・・・よし、こんなもんだろう。」
カッティングボードに切ったチーズを並べ、赤ワインをグラスに注ぐと航はトレーに乗せて朱莉の元へ戻ってきた。
「朱莉、おまた・・・せ・・?」
「・・・・。」
朱莉からは返事がない。
「朱莉・・・?」
みると、朱莉はビーズクッションに身体を預け、まるで猫のように身体を丸め、完全に眠りについていた。
「朱莉・・・全く、大人のくせに子供みたいな恰好で寝るんだな・・。」
航は溜息をつくと、トレーをテーブルの上に乗せて朱莉をそっと抱き上げた。
「朱莉・・・軽いな。お前は・・。」
そしてベッドへ運び、朱莉を寝かせて布団を掛けた。隣のベッドでは明日香が眠っている。
航は朱莉の唇を震える指先でそっとなでると、どうしようもない気持ちが沸き起こってきた。
(朱莉・・・俺は・・お前が好きだ・・。大好きだ・・・!)
「ごめん・・・。朱莉。」
そして航は身をかがめると、眠っている朱莉に・・・そっとキスをした。
その隣では明日香が息をひそめて起きていることに航は気づく事も無く―。
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