2-1 父と息子
あれから1週間の時が流れた。
土曜日の朝7時―
「お母さん、それじゃ行ってきます!」
蓮がリュックを背負い、明日香に手をつながれマンションの玄関で朱莉に手を振る。
「はい、行ってらっしゃい。蓮ちゃん。それでは明日香さん、よろしくお願いします。」
「ええ、大丈夫よ。任せて頂戴。」
明日香は大きなキャリーバックを持ち、Tシャツにジーンズ、そしてスニーカーと普段ではあまり見せないようなラフなスタイルで立っていた。
「僕、すっごい楽しみだな~キャンプでお泊りなんて初めてだもの。」
蓮は目をキラキラさせて言う。
「フフ・・蓮君。キャンプと言ってもすっごいのよ。『グランピング』って言って、大自然の中に、きれいなホテルのようなお部屋が置いてあるんだから。お風呂もついているし、バーベキューもすぐできるのよ。近くには動物園と水族館があって、餌やりの体験もできるんだから。」
明日香は蓮の手を握りしめながら言う。
「うわ~い、楽しそう。早く行こうっ!」
蓮はすっかりはしゃいでいる。
「蓮ちゃん。楽しんできてね?」
朱莉は蓮に声を掛けた。
「うん、お母さん。お土産持って帰ってくるね。」
蓮は笑顔で朱莉に言う。
「フフ・・・ありがとう。楽しみにしてるわ。」
朱莉は蓮の頭をなでながら言った。
「よし、それじゃ蓮君。行こうか?」
明日香に促され、蓮は頷くと元気よく朱莉に手を振って2人は朱莉の住むマンションを後にした―。
ドアが閉められ、1人きりになると朱莉は溜息をついた。
先程迄にぎやかだった部屋が途端に静まり返る。部屋の奥では時折ゲージの中で動き回っているネイビーの気配はあるものの、寂しいほどの静けさが部屋の中を満たしていた。
蓮は明日香の誘いで、今日から1泊2日で千葉県にある『グランピング』に泊りで遊びに出掛ける事になったのだ。
この話が出たのは月曜の夜で、突然明日香が朱莉と蓮の元を訪ねて提案してきたのだ。蓮と2人で1泊2日で千葉の『グランピング』施設に宿泊したいと申し出があった時・・正直朱莉は迷った。
蓮はまだ4歳。朱莉と丸1日離れた経験は無い。それなのにいきなり明日香と2人きりで宿泊などして大丈夫なのかと不安がよぎった。しかし蓮はとても行きたがり、明日香からも頭を下げられた。それによくよく考えてみれば明日香と蓮は実の親子。2人の旅行を朱莉に止める権利など無かった。それで朱莉は2人での旅行にうなずいたのだった。
(蓮ちゃん・・・夜、おうちが恋しいって泣かないといいけど・・・)
しかし、その反面寂しがってくれないのも育ての母としては悲しいものだと朱莉の中には相反する気持ちがあった。
(考えても仕方ないわね・・・。どのみち・・・今年中に私は蓮ちゃんとは・・お別れする事になるのだから・・。少しずつ私も蓮ちゃん離れを今からしておかないとね・・)
朱莉は窓の外を見た。季節はもうすぐ5月。1年でも過ごしやすい時期に入っている。早いもので来月には翔との契約婚が6年目になる。
(翔先輩・・・それに九条さん・・元気にしているのかな・・。)
朱莉は2人の事を久しぶりに思いだすのだった―。
ここは安西弘樹の事務所―
「・・・それで、来週からこの人物の行動を追ってくれ。張り込み時間は毎週金曜日の午後6時から深夜2時までだ。車を使って移動することもあるらしいから事務所の車を使え・・・って、おい、航。聞いているのか?」
弘樹は向かい側の長椅子に座る航に声を掛けた。2人の前には長テーブルがおかれ、写真や資料が並べられている。
「あ、わ・悪い。聞いてるよ。」
航は我に返ると居住まいをただした。
「嘘つくな、航。お前先週からおかしいぞ?ぼ~っとしている時が多い。そんな調子で・・・今に仕事で失敗したらどうするつもりだ?何かあったのか?」
弘樹は手元に置いたコーヒーに手を伸ばしながら尋ねた。
「べ、別に何もないさ。」
航は視線をそらせながら言う。
「下手な嘘をつくな、航。・・・ひょっとして彼女と・・・美由紀さんだっけ?何かあったのか?」
いきなり美由紀の名前が父の口から出たので、航の肩がビクリと跳ねた。
「ははあ~ん・・・さては図星だな。」
「な・・・?!と、父さんには関係ないだろうっ?!」
しかし弘樹は続ける。
「どうしたんだ?航。お前にしては随分長く交際が続いているとは思っていたが・・あれか?もしかして倦怠期でも入ったか?もうお前達、付き合い始めて4年になるしな・・。お互い本気ならそろそろ結婚を意識しても・・・。」
「もうその話はやめてくれっ!」
航は大声をあげて弘樹の言葉を制した。その様子を見て弘樹はピンときた。
「おまえ・・・ひょっとして・・美由紀さんと別れたのか?」
「・・・。」
しかし航は答えない。
「ふむ・・・答えないってことは肯定を意味しているって事だな?一体何故別れたんだ?お前たち・・お似合いだと思っていたのに・・・・もしかして航。お前・・振られたのか?」
「・・・違う。俺の・・・俺のせいだ。」
航はボソリと呟くように言った。
「・・・。」
弘樹は黙ってコーヒーを飲むと言った。
「まあ・・お前ももう大人だ。俺がどうこうと口を挟むことでは無いが・・・仕事はきちんとやれよ?」
「分かってる・・そんな事。」
「今日は定休日だし・・気分転換にどこかへでかけたらどうだ?車なら貸すぞ?」
弘樹は航の前に車のキーを置くと言った。航は黙ってキーを見つめながら思った。
(そうだな・・・気分転換にどこかドライブにでも行ってみるか・・・。)
「ありがとう、それじゃ車借りるわ。」
航は車のカギをジーンズのポケットにねじ込むと立ち上がり、事務所を後にした。
部屋に帰った航はじっとスマホを握りしめて見つめていた。やがて深呼吸すると航はスマホをタップした―。
掃除、洗濯を終えた朱莉はミシンで縫物をしていた。蓮が幼稚園に通い始めてからは少しずつ自分の時間が取れるようになった為、ミシンで蓮の通園バックやちょっとした洋裁をするようになっていたのだ。
今、朱莉が作っているのは蓮の為の巾着式のランチバック。大好きなアニメキャラクターのデザインの生地でランチバックを縫い上げる。後は2本の紐を通せば完成だ。
「フフ・・・蓮ちゃん、喜んでくれるかな?」
朱莉が笑みを浮かべると、突如スマホの着信が鳴った。
(もしかして明日香さん?蓮ちゃんと何かあったのかな?)
朱莉は急いでスマホを確認すると、それは航からであった。
「え・・?航君・・?」
朱莉はスマホをタップすると電話に応じた。
「はい、もしもし。」
『あ、朱莉か?』
「そう、私だよ。1週間ぶりだね。航君。今日はどうしたの?」
『い、いや・・今朱莉は何してるのかなと思って・・・蓮と一緒なんだろう?』
「それが・・・蓮ちゃんは明日香さんとキャンプに行ったの。」
『な?何っ?!キャンプだって?!』
電話越しから航の驚きの声が聞こえる。
「うん、キャンプって言っても・・航君はグランピングって知ってる?」
『ああ。勿論だ。以前グランピングでの調査依頼を受けたことがあるぞ?もっともこっちは泊まりなしだ。そんな予算出てこないからな。え?それじゃ今蓮は明日香とグランピングに行ったのか?』
「うん、そうなの。しかも泊まりで・・・。」
朱莉は寂しそうに言う。
『な・なあ・・・朱莉・・・。』
すると電話越しから航のためらいがちな声が聞こえてきた。
「何?航君。」
『それじゃ・・・今暇なんだろう?俺と・・どこかドライブに行かないかっ?!』
「ドライブ・・・。」
朱莉はスマホを持って呟いた―。
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