2-2 忘れられない人

 朱莉はマンションのエントランスの中で航と待ち合わせの為に立っていた。どこにドライブに行くのかを聞いていなかった朱莉は動きやすいパンツスタイルにワンショルダーバックを肩から下げて航が来るのをじっと静かに待っていた。


 やがて黒いワンボックスカーがマンションの敷地に入ってきた。


(あ、あの車かな?)


朱莉はエントランスから出てくると、やはりこちに向って運転しているのは航であった。航の乗った車はエントランス前で止まり、すぐに運転席から航が降りてくると駆け寄ってきた。


「わ、悪い・・・朱莉。待ったか・・?」


(朱莉には言えないな・・・着ていく服を迷って、アパートを出るのが遅くなってしまったなんて・・・。)


「ううん、大丈夫。5分も待っていないから。」


朱莉は笑顔で言う。その顔を見て航は思わず赤面しそうになり、顔をそらすと言った。


「よ、よし。朱莉、とりあえず車に乗ろう。このままじゃ・・人目につくだろう?」


「そうかな・・?」


朱莉は首をかしげながらも助手席のドアを開けようとして・・・・。


「ま、待て。朱莉、俺が開けるから。」


航は朱莉の前に立つとドアをガチャリと開けると言った。


「さあ、乗ってくれ。」


「うん。ありがとう。」


笑みを浮かべて車に乗り込む朱莉。朱莉の一挙手一投足すべてが航の胸を高鳴らせた。こんな感情を持てるのは、やはり朱莉だけだった。

朱莉が乗り込むのを見届けると航も運転席に回り込み、ドアを開けて座るとシートベルトを締めて・・・固まった。


(ま・・まずい・・・。着ていく服を迷っていたから、肝心の行先を決めていなかった・・・!)


朱莉は運転席に座り、じっとしている航を不審に思い、声を掛けてきた。


「ねえ?航君・・・どうしたの?」


「あ!い、いや・・・っ!そ、それで朱莉・・・これからどこへ行こうかっ?!」


航は引きつった笑みを浮かべながら朱莉を見た。


「う~ん・・・どこでもいいんだけどな・・・。そうだ、ねえ。航君。こうして2人でドライブなんて・・沖縄にいた時を思いださない?」


「沖縄か・・・うん、そうだな。言われてみれば確かにそうかもしれない。」


(思えばあの時が・・・俺にとって人生で一番幸せだった時間かもしれない・・・。朱莉と初めて沖縄で出会って、居候させてもらって・・・そして・・朱莉を好きになって・・。)


だが、その反面自分は何て薄情で最低な男なのだろうと航は思った。4年も付き合った美由紀と先週別れたばかりで・・もうこうやって朱莉に会いに来ている自分がいるのだ。我ながら、最低ぶりに溜息をつきたくなってしまう。


「航君・・・・本当にどうしたの?何だか考えこんでばかりみたいだけど・・何か悩み事があるなら・・私で良ければ話聞くよ?あ、ひょっとして・・・美由紀さんと何かあったの?」


「な!み、美由紀だってっ?!」


航は突然美由紀の話が朱莉の口から出てきたので驚いてしまった。


「うん。先週・・美由紀さんと映画館ではぐれちゃったでしょう?その後、どうなったのかなって思って・・・。」


「・・・。」


航は口を閉ざしたまま話さない。朱莉には・・・美由紀と別れた話をしずらかった。だから航は言った。


「朱莉、とりあえず・・このまま車の中にただじっとしていても意味がない。どこかへ行こうぜ。運転しながらでも話は出来るわけだし。そういえばさっき海の話をしてたよな?どうだ?江の島の海にでも行ってみないか?俺は今日も明日も仕事がオフなんだ。朱莉も蓮がいないなら遅くなっても大丈夫なんだろう?」


「うん、そうだね・・・。」


朱莉の顔が曇ったのを見て航は焦った。


「あ、そ・その・・・悪かったっ!蓮がいない事・・・別に悪気があって言ったわけじゃないんだ!」


すると朱莉は笑顔で言う。


「大丈夫だよ、航君。そんなんじゃないから。ただ、一瞬蓮ちゃんの事を思い出しただけだから・・気にしないで?」


「そうか?なら行こうぜ、江の島に!」


「うん、いいよ。」


そして航はエンジンをかけ、ハンドルを握るとアクセルを踏み込んだ―。




 その頃美由紀は―


(はあ・・・私って・・・ダメな女だわ・・・。)


安西事務所のドアの前で溜息をついて立っていた。




 美由紀は航と別れたショックで3日間、有休を取ってしまった。4日目から仕事に復帰したが、始終ぼんやりすることが多く、ミスばかりしてしまい5日目に上司に呼び出されてこっぴどく叱られてしまった。そして6日目の今日・・・。実に4年ぶりの一人きりの週末を迎えてしまった。


美由紀は寂しさを紛らわせる為に金曜日の仕事帰りに大量にDVDをレンタルしてきた。そして土曜の朝からベッドの中でDVDを観ていたのだが、美由紀が借りてきた内容は全てが恋愛物だった。それを1人で観ているとむなしさだけが込み上げてくる。こんなことならコメディー映画で借りてくればよかったと思ったが、それはもう後の祭り。

結局美由紀は途中でDVDを観るのをやめて、スマホに手を伸ばした。お気に入りのアプリゲームを起動したが、それもやはり女性向けの恋愛シュミレーションゲームだった。


「・・もうっ!」


美由紀はベッドの上にスマホを投げつけた。美由紀の頭の中は恋愛脳だったのだ。美由紀にとって、恋愛は人生全てを表していた・・つまり、航を中心に美由紀の世界は回っていたのだ。なので航を失ってしまった今、美由紀の喪失感は計り知れないものだった。


 美由紀は両ひざを抱え、自分の部屋をグルリと見渡した。テレビを見れば、航と2人で見た事を思い出し、テーブルを見れば、2人でこの部屋で食事をした事を思い出し・・そして今美由紀が座っているベッドの上は・・・。航に抱かれた記憶が蘇ってくる。


「航君・・・。」


あれだけ泣き暮した美由紀の目に再びジワジワと涙が滲んでくる。


「航君・・・もういやだよぉ・・・お願い・・・戻って来てよ・・・。」


美由紀はベッドの上に放り投げたスマホを握りしめ、航の電話番号を表示させた。そして震える手で画面をタップしようとして・・・手を止めた。


「出来ない・・・電話したくても・・出来ないよ・・・。だってこれ以上しつこくしたら・・今度は本当に嫌われちゃうもの・・・。」


そして美由紀はベッドから起き上がり、目をゴシゴシと擦ると外出着に着替え、貴重品をショルダーバックにしまうと、ふらふらと玄関へと向かった―。


 気づけば美由紀は上野駅に立っていた。無意識のうちに航の住む上野へ足をはこんでいたのだ。


(話をしなくてもいい。せめて・・遠目からでも構わないから・・・航君に一目会いたい・・!)


美由紀は急ぎ足で安西事務所へ足を向けていた—。




 そして今、事務所の前まで美由紀は来てしまっていたのだ。本当なら航の住む上の階に行きたいのはやまやまだったが、そこまでの勇気は美由紀には無かった。

かといって、事務所のドアをノックする勇気も・・・。


(どうしよう・・・とうとうこんなところまできてしまったけど・・。)


美由紀は入り口の前で何度も行ったり来たりを繰り返し・・ついにあきらめて帰りかけた時、事務所のドアがガチャリと開けられた。


「航君っ?!」


美由紀が振り向くと、そこには怪訝そうな表情の航の父、弘樹が立っていた。


「君は・・・?」


「あ・・あの、私・・・!」


美由紀はそこまで言うと言葉に詰まり、俯いた。弘樹は美由紀の肩が小刻みに震えているのに気づき、声を掛けた。



「君は・・・美由紀さん・・だね。とりあえず中に入りなさい。」


弘樹はドアを開けて美由紀を中へ招き入れた―。



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