1-9 消えた美由紀

「朱莉・・・朱莉・・・っ!」


航はここが映画館の人混みの中だと言う事すら忘れて、朱莉の名前を呼びながら胸に埋め込まんばかりに強く強く抱きしめる。


「わ、航君・・お、落ち着いて・・・。苦しいから・・・。は・離してくれる?」


一方の朱莉は航に偶然会った事の驚きよりも、あまりにも強い抱擁で息がつまりそうだった。何とか航の名を呼び、落ち着かせようとしたが、航はまるで子供の様に首を振って離そうとしない。


「君、いい加減にこの人を離してくれないかな?すごく苦しがっているじゃないか。」


ついに見兼ねた修也が航の肩に手を置いた。


「なんだ?お前、邪魔するな・・・?!」


その時、航は修也を見て驚いて朱莉を離した。するとその隙に修也は朱莉の肩を掴んで自分の方に引き寄せると、航と対峙した。


「お、お前・・まさか鳴海翔かっ?!」


航は修也を指さすと言った。


「え?きみは翔を知っているのかい?」


修也の言葉に航は気が付いた。


「いや・・お前・・・鳴海翔じゃないな・・?誰だ?い、いや!そんな事よりも・・朱莉・・。」


航は朱莉を切なげな瞳で見つめた。


「航君・・・。」


朱莉も航を見つめた。いつの間にかあれ程混雑していた映画館の中は今は人がほとんどいなくなっている。


「朱莉さん。彼とは・・知り合いなの?」


修也は朱莉を自分の腕の中に囲い込みながら尋ねた。まるで・・航から朱莉を守るように。


「え。ええ・・。そうです。」


朱莉と修也の会話を聞いた航は声を荒げた。


「おい!お前・・・朱莉の何だ?さては鳴海翔の回し者か?その手を離せよっ!」


「悪いけど・・そうはいかないよ。だって君はさっき朱莉さんに随分乱暴な事をしたじゃないか。」


「!あ、あれは・・つい、久しぶりに朱莉に会えたのが嬉しくて思わず感極まってあんな真似を・・ごめん。朱莉・・・苦しかったか?悪気は・・無かったんだ・・。」


航の顔は今にも泣きそうになっている。


「航君・・・。」


朱莉は航の名を呼ぶと、修也に言った。


「あの、各務さん。航君は・・・大丈夫ですから離して頂けますか?」


「う、うん・・。分かった。」


修也は頷くと、素直に朱莉の体から自分の手を離した。朱莉は航に近づき、目の前で立ち止まると言った。


「航君、4年ぶり・・かな?元気にしていた?」


そして笑みを浮かべた。


「朱莉・・。」


(そうだ・・俺はずっと・・朱莉に会いたかったんだ。もう一度、声を・・聞きたいと願っていたんだ・・っ!)


「まさか、こんなところで偶然会うなんて思わなかった。航君も映画を観に来ていたんだね?一人で来たの?」


「え・・?あっ!」


その時、航は美由紀の事を思い出した。朱莉に会えた嬉しさですっかり美由紀の事を忘れてしまっていたのだ。だが・・。


(駄目だ・・・朱莉の姿を見ただけで・・俺は美由紀の存在をすっかり忘れてしまうなんて・・。こんな気持ちで美由紀と付き合っていても・・この先もあいつの事傷つけるだけだ・・)


「どうしたの?航君。」


「君・・どうしたんだい?」


朱莉と修也は突然航が黙り込んで俯いてしまったので、声を掛けた。


「俺・・・か、彼女と・・・一緒に映画を観に来ていたんだ・・・。でも、ここではぐれてしまって・・。」


航は声を振り絞るように言う。


「え?そうだったの?!」


朱莉はおどろき、目を見開いた。


「ああ・・・だけど・・・。いないみたいだ・・。」


航は映画館の周囲をぐるりと見渡したが、ほとんどのスクリーンで映画の上映が始まっているのだろう。館内にはまばらに人がいるだけであった。


「どこへ行ってしまったんだろうね?君の彼女は・・。館内にいないようなら電話をかけてみたらどうかな?」


「ああ・・そうだな・・。」


航は修也の言葉にうなずき・・・すぐに電話を掛けた。しかし呼び出し音はなるものの一向に出る気配がなく、留守電に切り替わってしまった。


(くそ・・っ!一体どこに行ったんだ?美幸・・・っ!)


「もしもし、美由紀?今どこにいる?メッセージを聞いたらすぐに連絡をくれ。」


それだけ言うと航は電話を切り、ため息をついた。そしてその様子を見ていた朱莉が声を掛けてきた。


「航君・・・連絡取れなかったんだね・・・?」


「ああ・・。どこへ行ったんだか・・・。」


再びため息をつくと、航は修也を見た。


「ところで・・・あんた、一体誰なんだ?あの鳴海翔に随分似ているみたいだが・・・。」


「航君。この人は・・・。」


朱莉が紹介しようとすると、修也は言った。


「いいよ、朱莉さん。自分で言うから。」


修也は朱莉に声を掛けると、改めて航に向き直った。


「初めまして。僕は各務修也と言います。君の言っている翔とは従弟同士で、今は仕事でカルフォルニアに行っている翔の代わりに副社長代理を務めています。どうぞよろしく。」


そして口元に笑みを浮かべた。


「へえ~・・・各務さんっていうのか・・。あんたは鳴海翔と違って、随分良識がありそうだな。俺は安西航。朱莉の・・知り合いだ。よろしく。」


すると修也は苦笑しながら言った。


「どうやら・・・安西君は・・翔の事をあまりよく思っていないみたいだね?」


「ああ、当然だ。何故ならあいつは朱莉を・・・。」


そこまで言いかけて航は口を閉ざした。


(そう言えば契約婚の話は・・内緒にしておかなければならなかったんだよな。)


すると修也は何かに気づいたのか、自分から言った。


「もしかして・・・契約婚の話かな?でもその話なら僕はもう知っているから気にする必要はないよ・?」


「え・・?そ、そうなのか?朱莉。」


「うん・・・そうなの。でも、それより航君。まだ・・彼女から連絡は来ないの?」


朱莉は心配そうに尋ねた。しかし、航の携帯には着信が入っていない。


「まだ・・連絡は来ていない・・くそっ!」


航は髪をかき上げながらスマホを見つめた。


「安西君。彼女は一人暮らしなのかい?」


修也が航に尋ねてきた。


「ああ。一人暮らしだけど・・?」


「もしかすると・・先に帰ってしまったんじゃないかな?」


修也の言葉に航は首を振った。


「いや、まさか・・・。だって俺達は2人で一緒に映画を見に来たのに、先に帰るなんて・・。まだ昼飯も食べていないのに・・。」


すると修也は言った。


「もしかすると、さっきの安西君と朱莉さんを見てしまって・・・ショックを受けて先に帰ってしまったって事は考えられないかな?」


「え・・?」


朱莉は驚いたように航を見た。


「まさか・・・。」


航は呟いた。だが・・可能性は大いにある。


「俺・・・行かないと・・。」


美幸の悲し気な顔が脳裏をよぎる。


「うん、そうだね。航君・・。」


航は朱莉を見た。


「朱莉、まだ・・・連絡先、変わっていないのか?」


「連絡先?うん・変わっていないよ。あ、でもね、引っ越しはしたのよ?同じ六本木だけど。」


「そっか・・・。」


航は笑みを浮かべると言った。


「朱莉・・・会えて良かった。・・またな。」


「え?ええ・・・またね?」


航は朱莉と修也に頭を下げると、駆け足で映画館を出て行った。


(美由紀・・・っ!)


そして航は美由紀が住んでいる日暮里に向った。



「「・・・。」」


航が映画館から去った後、朱莉と修也は少しの間互いに無言で立っていたが、やがて修也が言った。


「朱莉さん・・。」


「はい。」


朱莉は修也を見た。


「どこかで・・・お昼でも食べましょうか?お母さんのお見舞いもある事ですし。」


「ええ、そうですね。」


そして2人は映画館を出ると修也が言った。


「朱莉さん。オムライスは好きですか?」


「オムライスですか?ええ、大好きです。」


「そうですか、良かった・・・。それじゃオムライスを食べに行きましょう。実はこの先においしいオムライスの店があるんですよ。」


「そうなんですか?それは楽しみです。あ、そういえば蓮ちゃんもオムライスが大好きなんですよ?たまにオムライスを作るんですけど、蓮ちゃんはケチャップ味のオムライスが大好きで、いつも卵の上にケチャップで絵を描くんです。この間なんか・・・。」


朱莉は嬉しそうに蓮の話を笑顔で修也に話し続けた。そしてそんな朱莉を修也は優しい笑顔で話を聞いていた—。





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