8-3 ショットバーにて
GWも終わり、5月最後の週末の金曜日―。
六本木にあるショットバーに珍しいメンバーが集まっていた。
メンバーは翔、二階堂、姫宮、修也の4人である。4人は丸テーブルを囲むように座っている。
「忙しい中、今夜は俺と静香の誘いに来てくれてありがとう。」
二階堂はマンハッタンを右手に少し掲げると言った。
「本当に、ありがとうございます。その切はご迷惑、ご心配をおかけしてしまい申し訳ございませんでした。」
姫宮は頭を下げた。
「何言ってるんだ?あの事件は姫宮さんのせいじゃない。姫宮さんには内緒で飯塚を総務部へ追いやった秘書課の課長、それに京極・・そして勝手に姫宮さんに恨みを抱いた飯塚のせいじゃないか。姫宮さんが謝る処じゃない。むしろ被害者なんだから。」
翔は姫宮に言った。
「それで・・・もう傷の具合は大丈夫なんですか?」
修也は心配そうに尋ねた。
「ええ、お陰様で。まだ傷跡は残ってはいますが以前に比べると薄くなっていますし、もう痛むこともありません。仕事に差し支えもありません。」
笑顔で姫宮は答える。すると二階堂は言った。
「俺としては、まだ手術後2カ月しか経過していないから、もう少しゆっくり休んで欲しかったんだけどな。静香がじっとしていられないって言うから。」
「当り前でしょう?前任の秘書の方がやめてしまったし、正人の会社も吸収して大幅に規模も人員も増えたんだから、じっとしてなんかいられないわ。」
姫宮はむくれたように言う。
「ハハハ・・・先輩、結婚したらしりに敷かれそうですね。」
翔は面白そうに笑った。
「結婚しても姫宮さんは仕事を続けるのですか?」
修也は姫宮に尋ねた。
「ええ、勿論です。家事は得意ですし、仕事との両立も出来る自信があります。もっとも子供が生まれれば別ですけど。」
「姫宮さん。先輩は大食漢だから大変じゃないか?」
「いいえ、そんな事無いです。料理を作るのは好きなので、毎日作り甲斐が有りますよ。」
翔の質問にサラリと姫宮は答える。
「ああ、そうなんですね。お二人はもう一緒に暮らしていたんですね。」
修也が言うと、二階堂はこれ見よがしに姫宮の肩を抱き寄せながら言った。
「どうだ?羨ましいだろう?」
「ちょっと、明。」
姫宮は迷惑そうに言うが、手を振り払おうとはしない。
「はい、仲が良くていいですね。」
修也は邪気の無い笑顔で返事をする。
「全く・・・何をやっているんだか・・・。」
一方の翔は面白くなさそうにマティーニを口にしている。そんな対照的な2人を見ながら二階堂は言った。
「しかし・・・こうしてみると本当にお前たち2人はよく似ているな。これで髪型を同じにしたら、周りに気付かれないんじゃないか?そうだ!え・・と、各務君だっけ?鳴海と同じ髪形をして朱莉さんの前に出て見たらどうだ?」
少し酔いが回ってきたのか、二階堂が修也をからかうように言う。
「え・・・?朱莉・・・さん・・?」
修也は首を傾げた。
「先輩!何て事言うんですかっ!」
翔は二階堂に抗議した。
「ハハハ。冗談だよ、そんなに怒るなって。」
二階堂は笑いながら言う。しかし、修也は神妙そうな顔つきになり、何か考え事をしているかのような素振りをしている。
「各務さん、大丈夫ですか?」
その様子に気付いた姫宮が声を掛けてきた。
「あ、はい。大丈夫です。」
そして修也は翔を見ると言った。
「翔・・・朱莉さんって・・・?」
「あ、ああ。俺の・・・妻の名前だ。」
翔が言いにくそうに口を開いた。二階堂と姫宮は翔の契約婚の事を知っている。だが修也は翔の契約婚はおろか、妻の名前すら話してはいないのだ。
「朱莉さん・・・・」
修也は口の中で呟いた。
「何だ?鳴海・・・お前、朱莉さんの事を各務君に話していないのか?」
「え、ええ・・まあ・・。」
翔は言いにくそうに言葉を濁した。
「え?何の事なんだい?翔。」
修也は訳が分からずに首を傾げる。修也は秘書になったあの時に翔から妻について詮索するなと言われてからずっとその言いつけを守って来たのであった。
「翔さん・・・。各務さんには朱莉さんの事、きちんと伝えて置くべきだと思いますよ?秘書なのですから・・。」
姫宮も翔に意見した。
「翔・・・。」
3人の目に見つめられた翔は溜息をついた。
(仕方ない・・・観念して話すしかないか・・・。)
すると二階堂が姫宮に目配せすると言った。
「俺達は別のテーブルで飲んでいるから、お前達2人で話をしろよ。終わったら声を掛けてくれ。」
「では後程。」
二階堂と姫宮はグラスを持って席を移動してしまった。そして翔と修也の2人きりになると、翔は溜息をつくと言った。
「いいか・・・修也。今から話す事は・・絶対に誰にも漏らすなよ・・?」
「分ったよ、翔。絶対に誰にも話さないと誓うよ。」
修也が頷くと、翔は朱莉との契約結婚の話を始めた―。
「それじゃ・・・あと4年で2人の契約婚は終了するって事なんだね?」
修也はギムレットを飲み干すと尋ねた。
「ああ・・・そうだ。」
「それで・・その後はどうするの?」
「・・・。」
修也の質問に翔は答える事が出来ない。
「朱莉さんて人に・・もし契約婚を続ける意思がないなら・・・僕は解放してあげるべきだと思うよ・・・?」
遠慮がちに修也は言った。
「だが・・・。」
翔は言葉を切ると、苦し気に顔を歪めた。それを見ると修也は慌てたように言った。
「ご、ごめんっ!翔!また僕は出過ぎた事を言ってしまって・・・。さっき言った事は忘れて。やっぱりこれは翔と朱莉さんの問題だからね。」
「修也・・・。」
(お前だったら・・・こんな真似は絶対にしないだろうな。お前は俺と違って誠実な男だから・・。)
翔は修也に嫉妬していた。子供の頃から修也は何でもそつなく、いとも簡単にこなしていた。一方の翔は誰にも見られないように影で努力を重ねていたが、結局何をやっても修也には適わなかった。勉強もスポーツも・・・だから翔は高校時代、たいして興味も無い音楽に手を出した。柄にもなく吹奏楽部に入り、ホルンの楽器を演奏する事にした。恐らく、これならさすがの修也にも真似は出来ないだろうと思っていたのだが・・結局この楽器すら、修也は少し練習しただけで演奏出来るようになっていた。まさに真の天才と言える存在だと翔は考えている。
だから翔は修也の陰に怯えていた。高校時代に修也が翔に成りすましていた時に、ちょっとした事件が起こり、修也はその件に関して深く係わりを持ってしまった。その時に翔は修也に対し、激しく激怒した。何故余計な真似をしたと修也にくってかかったが・・優しい修也には見過ごす事が出来なかったのだろう。
あの時、何故自分があれ程までに修也に対して激怒してしまったのか・・・今なら分かる。鳴海翔という人間が修也に乗っ取られてしまうのではないかと恐怖を抱いたから、修也を叱責したのだ。そしてそれがきっかけで、翔は修也に背を向け、修也もまた翔から逃げるように地方の大学へと進学したのだった。
修也は神妙な顔つきで黙ってカクテルを飲んでいたが、やがて空になったグラスをトンとテーブルの上に置くと翔を見た。
「翔・・・確か朱莉さんて女性は高校時代、翔と同じ高校に通っていたんだよね?」
「ああ、そうだ。でも1年の夏休み前に退学している。」
「1年の夏休み前に・・退学・・?」
修也は何かを考え込むかのように顎に手を当てていたが、ぽつりと言った。
「まさか・・・。」
「うん?どうした修也。何か言ったか?」
「い、いや。何でもないよ。それじゃ、話しも済んだことだし・・二階堂さん達を呼んでくるよ。」
修也は慌てた様に立ち上がると、二階堂と姫宮の席へと向かった。
そして、その後4人は再び一緒にお酒を飲み、来月行われる二階堂と姫宮の結婚式の話で盛り上がるのだった―。
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