8-2 翔の葛藤
翔は朱莉をじっと見つめた。
(朱莉さん・・・やはり・・俺では駄目なのか?蓮の母親にはなれても・・・俺の妻にはなれないって事なのか・・?だけど・・俺は朱莉さんを諦めたくはない。彼女ほど蓮を愛情を持って育ててくれる女性は何所にもいるはずがない・・・っ!)
「あ、朱莉さん・・・。だけど、長野へ行くって・・・いつ行くつもりなんだ?その間・・・蓮はどうするつもりなんだ?」
もしも朱莉が長野へ行っている間は自分に面倒を見てもらいと言って来れば仕事があるので忙しくて面倒を見る事が出来ないと翔は言うつもりだった。卑怯な手だと思われてしまっても、それでも翔は朱莉と家族になりたかった。例え嫌われてしまったとしても・・・。
(朱莉さんには悪いが・・・何とかして長野行きを諦めてもらわなければ・・・。)
しかし、朱莉は言った。
「レンちゃんは・・・一緒に長野へ連れて行くつもりです。」
「えっ?!蓮を・・・長野へ・・?!だ、だけど・・・蓮はまだ7ヶ月だぞ?そんな小さな子供を連れて・・・。」
「いえ、蓮ちゃんはもうだいぶまとめて眠れるようにもなりましたし、ミルクも飲む量が増えた分、授乳の回数が減りました。車で高速に乗って休みながら行くつもりなので大丈夫ですよ。」
朱莉の言葉に翔はさらに驚いた。
「ええっ?!朱莉さん・・・しかも車で行くつもりだったのか?!新幹線では無く・・・?」
「はい、かえって新幹線を使った方が移動が大変だと思うのです。荷物もありますし・・・。」
「朱莉さん・・・。」
(朱莉さんは・・・それほどまでに明日香を連れ戻したいのか?だけど・・・明日香のあの白鳥を見つめる瞳は・・本気だった。俺にだってあんな表情を見せたことはなかったのに・・・。それに・・・今俺が一番大事に思っているのは・・蓮と朱莉さんなのに・・。)
翔はズキズキと痛む心を隠しながら言った。
「朱莉さん、今の明日香には・・俺じゃなく別の男を好きなんだ。朱莉さんも明日香の性格を良く知っているだろう?こうと決めたら絶対に何があってもその意思を変える事が出来ない。だから・・・行っても徒労に終わるだけだよ?」
(だから・・・長野へ行って明日香に会う事なんて・・・考えないでくれ・・っ!)
「レンちゃんを・・。」
「え?蓮を?」
「はい、レンちゃんを連れて行って明日香さんに会わせてあげれば・・情が沸いてくるかもしれませんよ?何といっても本当のお母さんなんですから。」
「朱莉さん・・・。」
「だけど・・・。」
不意に朱莉の顔が曇った。
「もし・・・もし、仮に明日香さんに翔さんとやり直すつもりが無いとして・・・今一緒に暮らしている男性と結婚を考えていたとしたら・・・そしてレンちゃんを引き取ると言われたら・・翔さんはどうしますか?」
朱莉は視線を伏せながら言う。
「明日香が・・・白鳥と結婚して翔を・・?」
しかし、翔は首を振った。
「駄目だ、明日香に蓮を渡すわけにはいかない。何せ会長や社長は明日香が産んだ子供だとは思っていない。朱莉さんが産んだ子供だと思っているんだ。」
「・・そうですよね・・・。でも・・お母さんがいないとレンちゃんが気の毒で・・。」
「だったら・・・。」
翔がそこまで言いかけた時、朱莉が言った。
「私と契約婚が終了したら、翔さん・・。再婚されたらどうですか?」
「え?!」
翔は朱莉の言葉に衝撃を受けた。まさか朱莉の口から再婚の話を持ち出してくるとは思ってもいなかったからだ。
一方、朱莉は突然翔の顔色が変わったのを見て不思議に思った。
(どうしたんだろう・・・翔先輩・・・。私何かそんなに変な事を言ったかな・・?でも不思議・・・。初めて契約婚を交わした時はあれ程翔先輩に恋い焦がれていたのに今はレンちゃんのお父さんとしか見る事が出来ないんだもの・・。)
今の朱莉は、翔に対しての恋心は嘘のように消え失せていた。だから翔が朱莉に思いを寄せている事にも気付いていなかったのだ。
「朱莉さん・・・。ちょっと気分がすぐれなくて・・今夜はもう帰るよ。」
翔は頭を押さえながら立ちあがった。
「え?大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。それに今度のマンションはお隣同士だからね。・・もし具合が悪くなったら・・・電話してもいいかな・・?」
弱気になってしまった翔はつい、朱莉に甘えた事を言ってしまった。
「ええ、勿論ですよ。その時は必ずお部屋に伺いますから。」
「ありがとう・・・朱莉さん。」
翔が玄関へ向かうと、朱莉も後からついて来た。
「朱莉さん。頼みがあるんだが・・・。」
翔が玄関のドアノブに手を触れながら言った。
「はい?何でしょうか?」
「俺も・・・一緒に長野へ行くよ。」
「え・・?でもお仕事が・・・。」
「ああ。だから・・夏休みを利用して一緒に長野へ行こう。8月になったら蓮を連れて3人で長野へ行くんだ。どうだろう?」
「8月ですか・・・。」
朱莉は少し考えた。確かに契約婚の終了まではまだ4年はある。そんなに焦る必要は無いかもしれない。
「ええ、そうですね。では8月になったら一緒に行きましょうか?」
「ありがとう。俺の意見を聞き入れてくれて。」
翔は心の中で安堵のため息をついた。
「いえ、翔さんも当事者ですのでやはり一緒に長野へ行かれた方がいいかもしれませんよね?」
朱莉は笑顔で言う。
「あ、ああ。その通りだよ。それじゃ・・俺は帰るね。」
「はい、あ・そうだ。翔さん、私からも結婚記念日のプレゼント・・・考えておきますね。」
「いや、その気持ちだけで十分だよ。何せ朱莉さんには蓮のお母さんをしてもらっているからね。それじゃ、お休み。」
「はい、おやすみなさい。」
笑顔で玄関で手を振る朱莉に見送られながら翔はドアを閉めた。
「・・・。」
真っ暗な自分の部屋に戻った翔は途端に虚しさを感じた。先程まで朱莉と過ごしていた空間はとても温かく、安らぎを感じていたのが嘘のように寒々しい雰囲気の漂う部屋である。
翔は深いため息をつくとソファにどさりと座り、天井を見上げた。
(不思議なものだ・・・。部屋の広さは以前に比べて狭くなったのに・・以前よりも広々と感じてしまうなんて・・。)
「シャワーでも浴びて来るか・・・。」
立ち上がり、ネクタイを緩めて背広をハンガーにかけるとバスルームへ向かった。
頭から熱いシャワーを被りながら翔は考えた。
(朱莉さんは恐らく4年後には完全に契約婚を終わらせようとしている・・。でも何故なんだ?蓮の事を可愛いと思っていてくれるなら・・このままずっと母親の役を続けようと言う気持ちにならないのか?それとも・・ひょっとすると朱莉さんには誰か好きな男がいるのか?それで俺に再婚を進めたのか・・?)
考えれば考えるほど、翔はジレンマに陥ってしまった。
「もういい、考えるのは辞めよう。とりあえず8月までは朱莉さんが長野へ行くことを引き留める事が出来たんだから・・。その頃になると朱莉さんの気持ちも変わっていくかもしれないしな。」
翔はシャワーを止めると、バスルームから出てきた。
着がえを終えてリビングへ戻ると、スマホが点滅している。
「誰からだ・・・?」
画面をタップすると相手は修也からであった。内容は明日の日帰りの出張の件について書かれている。
既にスケジュールの内容は頭に入っているのに、事細かに書かれたメールで送られてきた内容を読み、翔は苦笑した。
「全く・・・本当に生真面目な奴だ。」
翔は修也に返信すると、冷蔵庫から缶ビールを取り出してプルタブを開けると一気に口の中に流し込んだ。
「そういえば・・・一度も修也とは酒を飲んだことが無かったな・・。今度誘ってみるか・・。」
翔は小さく呟いた―。
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