7-7 突然の刺傷事件

 その日の夜―


コツコツコツコツ・・・


 仕事帰り・・靴音を響かせて、姫宮は広尾にある自宅のマンションへと向かって歩いていた。人気のあまり少ない路地を歩く背後から飯塚がつけているのを姫宮はまだ気付いていない。公園付近を通り過ぎた時、姫宮は人の気配を感じて振り返った。

するとそこにフード付きのコートにジーンズ、スニーカーをはいた飯塚が姫宮から少しだけ距離を空けて立っていた。

飯塚はフードを目深に被り、その表情は暗かった。


「え・・?貴女・・まさか飯塚さん・・・・?」


姫宮は恐る恐る声を掛けた。


「はい、そうです。私の事覚えていたんですね。」


するりとフードを外した飯塚は姫宮を恐ろしい目で睨み付けている。


「飯塚さん・・・何故ここに?貴女の自宅は広尾では無かったわよね?」


「ええ、そうですよ。私は貴女のようにセレブな暮らしをしていませんからね。しかも今は無職ですよ。」


暗い声で語る飯塚を姫宮は信じられない思いで見つめた。たった2週間ほどで飯塚は以前の面影が無くなるほどに変貌していた。

髪は手入れをしていないのかぼさぼさで、街灯の下からでも分かるくらい、青白い肌に頬の肉はすっかり落ちている。


「飯塚さん・・一体何があったの?会社を辞めたと聞いて驚いていたのよ?人事部に連絡先を聞こうとしても個人情報の関係で教えてくれなかったし・・。」


姫宮は飯塚の変貌ぶりに驚きながらも冷静に語り掛けた。


「何があったかですって?そんな台詞を貴女が言うんですか?私がこんな風になってしまったのは・・・全て姫宮さんのせいじゃないですかっ!」


「え・・?一体何の事?」


姫宮はさっぱり訳が分からなかった。


「とぼけないで下さいよっ!姫宮さんが私を秘書課から降ろしたんでしょう?!副社長の愛人の座を私に奪われそうになったから・・・!」


「え?誰が副社長の愛人ですって?それに飯塚さんは何か勘違いしているかもしれないけれど、私は貴女を秘書課から降ろしてなどいないわよ?ただ貴女には副社長の専属秘書を降りて貰っただけで・・・。」


しかし飯塚は聞く耳を持たない。


「嘘よっ!誰がそんな話信じると思ってるの?!兎に角私は貴女のせいで今まで築き上げてきたキャリアを全て失ってしまったのよ!絶対に許さないっ!」


飯塚は右手のポケットに手を突っ込んだ。そして次にその手をポケットから出した時には果物ナイフが握られていた。


「!」


街頭の下でキラリと光る刃先を見た時、姫宮はあまりの光景に頭がついて行かず、身体が固まってしまった。


「姫宮さん・・・。私の人生を・・・返してよっ!」


飯塚は恐怖で動けなくなっていた姫宮に刃を向け、身体から突っ込んでいった。


ザクッ!!


鈍い音と共に姫宮の身体に今まで感じたことの無い程の激痛が走った。


「あ・・・。」


飯塚は震えながら姫宮の身体から離れた。姫宮の腹には果物ナイフが突き刺さり、傷口からにじんでいる。


「う・・・・。」


まるで熱く焼けた杭を打ち込まれたかのような激しい激痛に姫宮は耐えきれず、地面に崩れ落ちた。


「あ・・貴女が悪いのよ・・・そうよ・・私は・・・ちっとも悪くない・・っ!」


飯塚はうわごとのように言うと、身を翻してその場を逃げ出した。


「い・・飯塚・・・さ・・ん・・・。」


薄れゆく意識の中、姫宮は飯塚に手を伸ばし・・そのまま気を失った―。




 その頃、翔は朱莉の部屋へ来ていた。今夜はたまたま仕事が早く終わったので、朱莉と引っ越しの件について話し合いをしていたのだ。その時、突如翔のスマホに着信が入って来た。


「ん・・?何だ?この番号は・・全く知らない相手からだ。」


翔は着信先を見て首を傾げた。


「翔さん。でも・・念の為に出たほうが良いのではないですか?」


お茶を出しながら朱莉は言った。


「あ、ああ。そうだね。」


朱莉に促されて、翔は電話に出た。


「はい、もしもし・・・・。ええっ?!姫宮さんが・・・刺されたっ?!」


「えっ?!」


(そ、そんな・・・姫宮さんが・・刺された・・・一体誰に・・?)


朱莉は足が震え、自分の身体を抱え込んだ。翔の電話はまだ続いている。


「はい・・はい。分かりました。すぐに向かいます!」


電話を切った翔は朱莉を見た。


「朱莉さん・・・大変だ。姫宮さんが何者かに刺されたらしい。道端に倒れていた処を近所の人が見つけて救急車を呼んだそうだ。今、広尾の救急病院で手術を受けているらしいからすぐに行ってくる。」


翔が席を立った時、朱莉がその腕を掴んだ。


「待って下さいっ!私も・・・私も一緒に連れて行って下さいっ!」


その眼はいつになく真剣だった。


「あ・・朱莉さん・・だけど・・蓮が・・。」


翔はベビーベッドで眠っている蓮を見た。


「レンちゃんは・・・連れて行きますっ!お願いです・・どうか私も・・姫宮さんの傍に・・・。」


朱莉は翔の腕に縋りつき、涙を浮かべている。


「!わ・・・分かった。一緒に行こう。」


「はいっ!」


朱莉は急いで蓮の為に準備してあるママバッグを持ってくると、ベビーベッドで眠っている蓮をそっと抱き上げると言った。


「ごめんね・・・レンちゃん。一緒に病院へ来てね?」


そして3人は翔の運転する車で姫宮が救急搬送された病院へと向かった―。



 広尾にある救急病院へ着くと既にそこには二階堂が到着していた。

実は車の中で翔が朱莉に頼んで二階堂に連絡を入れるように頼んでいたのだった。


「翔!朱莉さんっ!」


二階堂は手を振ると2人に駆け寄って来た。


「先輩、姫宮さんの様子はどうなんですか?!」


翔は二階堂に詰め寄った。


「二階堂さん・・・姫宮さんは・・無事・・なんですよね?」


朱莉は目に涙を浮かべながら二階堂を見た。


「あ、ああ・・・。命に別状はないみたいなんだが・・・まだ手術中なんだ。それで・・・京極が今手術室の前に来ている。」


「「!」」


翔と朱莉に衝撃が走った―。




 京極は祈る気持ちで手術室の前の長椅子に座っていた。


(静香・・・すまなかった・・・!)


京極は今までの自分の行動をこの時ほど後悔したことは無かった。今まで姫宮に指摘されながらも強引な真似を押し通してきた。時には自分の目的を達成する為には人を平気で利用し、踏みにじって来た。

今回の件に関しては、姫宮が自分を裏切ったと思い、恨みを持っていた飯塚をそそのかした。しかし、まさか飯塚が姫宮をナイフで刺すとは思ってもいなかった。

飯塚が震えながら自分に電話を掛けてきた時は耳を疑った。泣きながら訳の分からないことを電話越しで訴えて来る飯塚を何とか落ち着かせ、話を聞いた京極は肝をつぶした。


 < 私・・・姫宮さんをナイフで刺して・・・逃げてしまいました・・・っ! >


急いで場所を聞きだして姫宮が刺された場所へ向かうと、既に警察が来ていて規制線が張られていた。そしてその直後だった。

姫宮が搬送された病院から電話がかかってきたのは―。


「京極・・・。」


長椅子に座っている京極に声を掛けたのは翔だった。


「え・・?な、何故・・京極さんがここに・・?」


何も事情を知らない朱莉は戸惑うばかりだった。


「そうだったな。朱莉さんは・・・何も知らなかったんだっけ。京極は・・姫宮さんの二卵性の双子の兄なんだよ。」


翔の説明に朱莉は衝撃を受けた。


「え・・?ま、まさか・・・。」


朱莉は蓮を抱きしめたまま京極を見つめた。


「そうか・・・静香の奴・・・全部お前たちに話していたのか・・。」


朱莉は京極の口調にも驚いた。いつも丁寧な言葉づかいで話していた京極がまるで別人のように朱莉の目に映っていた―。




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