7-1 彼女に初めて会ったあの日

 朱莉の住む35階の一番奥の部屋。ここは京極が買い上げた部屋である。京極はここをリフォームして10部屋に区切り、レンタルオフィスとして貸し出しをしていた。いわゆるこの部屋の不動産オーナーである。

レンタル方法は様々でウィークリー方式やマンスリー方式等借主の要望に応じた賃貸契約を結んでいる。そしてそのうちの1部屋だけはレンタルオフィスとして貸し出しをしてはいなかった。そこの部屋だけは京極の部屋だったからである。


「・・・。」


京極はカードキーを使って部屋に上がり込むと自分専用の個室に入り、ソファに座り込んでため息をつき、朱莉の姿を初めて見た時の事を思い出していた。


 京極が須藤社長の妻と朱莉を見つけたのは朱莉が契約婚を結ぶ直前の事だった。葛飾区にある古い賃貸アパートに一人暮らしをし、近所の缶詰工場でパートの仕事をしている事を突き止めた時はようやく須藤社長の恩に報いる事が出来ると思った。

朱莉を探し求めるのに数年を要してしまったが、ようやく居場所を探し出せた時には歓喜で胸が震えた。そして現在朱莉が置かれている不幸な境遇を知った時は、自分と似通ったものを感じ取り、何とかして今の状況を救ってあげたいと思った。

成功した京極は地位と財産を手に入れた。

なので一生朱莉達の面倒を見てあげようと考えていたし、相手が恐縮して援助を断るのであれば、娘の朱莉と婚姻関係を結んでも良いと考えていた位であった。

京極は鳴海家に報復する事だけを考えて今日まで生きて来たので、恋愛には全く興味は無かったので恋人もいなかった。

しかし朱莉なら・・・鳴海家によって人生を滅茶苦茶にされてしまったという共通点がある。例え愛情が無くても同士として、うまくやっていけるのでは無いかと考えたのだ。それに須藤社長の妻はハーフと言うだけあって、美しい女性だった。また、須藤社長も顔立ちが整っており、美男美女の夫婦であった。きっとあの夫婦の娘であれば美しい外見をしているだろう・・・。京極はそう思っていた。


 そして、いざ初めて朱莉を見たあの日―


それは本当に偶然の出来事だった。朝、朱莉の住んでいるアパートがどんな場所なのか様子を見に行った時の事だった。

玄関のドアが開き、黒いスーツ姿に眼鏡をかけた女性が出てきたのだ。そこは朱莉が住んでいる部屋だった。


(あれが・・須藤朱莉さんか・・・。)


物陰から隠れて京極は朱莉の様子を伺った。髪を1本に後ろで結わえ、殆ど化粧っ気の無い顔だったが、その下の素顔はとても美しい事が京極にはすぐに分かった。

だからこそ京極には理解出来なかった。何故朱莉は自らの美を隠すように生きているのだろう。俄然興味が湧いた京極はそのまま朱莉の後を付ける事にした。




(な・・何だって朱莉さんはこんな所に・・・?)


朱莉が入って行ったビルを見上げて京極は言葉を失った。何故ならそこは京極の敵ともいえる鳴海グループ総合商社の本社ビルだったからである。


(何故だ・・?朱莉さん・・・君は缶詰工場で働いていたんじゃないのか?だが・・あの黒いスーツは面接の為だったのかもしれない・・。)


本当であれば今すぐに朱莉の元へ行き、馬鹿な真似はするなと言ってやりたいところだったが、恐らく朱莉は採用される事は無いだろうと京極は思った。

鳴海グループ総合商社と言えば、世界中に知れ渡る程の超一流企業だった。そんな巨大企業が高卒で、しかも缶詰上場と言う場所で勤務している経歴の女性を採用するはずは断じてない。


そこで京極は朱莉が出て来るのをビルのロビーで待つ事にした。


それから約1時間半後―


朱莉は何やら大きな紙袋を手に持ち、青ざめた顔でこちらに向かって歩いてきた。しかも何故か酷く落ち込んでいるようにも見えた。



(え・・・?一体何があったんだ・・?このビルに入って行く姿は生き生きとして見えたのに・・・今の朱莉さんは真っ青な顔色をしている。恐らくあの様子では普通に考えれば面接を落されたようにみえるが・・・何故重そうな紙袋を手に持っているんだ・・?)


紙袋には鳴海グループのロゴマークがプリントされているので恐らく面接時に手渡されたものに違いない。朱莉はかなり打ちのめされた様子に見えた。


(朱莉さん・・・一体何が君の身にあったんだ・・・?)


その姿はとても哀れで・・・見るに堪えない程だった。本当は声を掛けてあげたいが、朱莉と京極はまだ一度も顔を合わせた事が無い。声を掛ければ不審がられるか怖がられるだけだ。だから京極は朱莉の後姿を見届ける事しか出来なかった。


 そして、そのすぐ後の事である。


朱莉がお金の為に鳴海翔と偽装結婚をした事を知ったのは―。




 この部屋を購入したのは本当に単なる気まぐれだった。朱莉の後を追うように京極はこの億ションに住んだ。引っ越す時期が悪く、空いている部屋は一番最上階の40階になってしまった。この階は最も高い部屋だったのだが、朱莉と同じ億ションに住めるならお金は惜しくないと思った。


 偶然を装って朱莉に近付き、知れば知る程朱莉に惹かれていった。穏やかな話し方に控えめな仕草。そしてその美貌・・・。それこそ自分の理想の女性だった。

だから尚の事、偽装結婚という立場に追いやり、明日香と恋人同士の生活を楽しむ翔が許せなかった。朱莉を苦しめる張本人を苦しめてやろうと考えた。妹の明日香を巻き込み、徐々に追い詰めてやるのだと・・・。


しかし、朱莉の信頼を得る為に良かれと思って京極の取って来た今迄の行動は・・・逆に朱莉を怖がらせる事になってしまった。

近付けば近づこうとするほど、ますます朱莉との距離が遠くなっていく・・・。

京極に取ってはこれ程辛い事は無かった。


そんな矢先・・・。

この部屋が売りに出されたのだ。そして気付けば京極はこの部屋を購入していた。

恐らく無意識のうちに、心の距離が遠くなってしまった代わりに・・せめて住む場所だけでも朱莉の近くにいたい・・・そういう思いが、この部屋を買いあげるきっかけになっていたのかもしれない。


だが、京極は引っ越しはしなかった。何故なら仮に引っ越し作業中の自分の姿を朱莉に見つかれば、ますます怖がられる事は分かっていたからだ。だからと言って、折角買い上げたこの部屋を眠らせておくような真似もしたくなかった。

そこで思い着いたのが「レンタルオフィス」だったのだ―。



「朱莉さん・・・。」


ソファの背もたれに寄りかかり、朱莉の名前を呟いた時に京極のスマホが着信を知らせた。


「誰だ・・?」


スマホを確認し、京極は電話に出た。


「もしもし・・・静香か・・・。一体どうしたんだ?こんな時間に電話をかけてくるなんて・・。・・いや、まあ・・・言われてみればそれ程遅い時間でも無いか・・。それで要件は?」



京極は受話器越しから聞こえて来る姫宮の声に耳を傾けた。


「え?来月?・・・ああ、そうだな。言われてみれば確かに来月は父さんの命日だ。え?何だって?・・・・お墓参りか・・そう言えばここ何年も行ってなかったな。俺達は親不孝者だな・・。」


苦笑しながら京極は姫宮に言った。


「4月24日?随分具体的な日程だな。・・・まあ、その日しかお前が日程の都合が付かないなら仕方ないだろう。え?泊まりたいのか?うん・まあ翌日は日曜日だし、別に俺は構わないぞ?・・・・ああ。それじゃあな。」


そして京極は電話を切った―。





 





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