3-12 家族の真似事

「・・・さん、朱莉さん・・」


「え・・?」


誰かに揺さぶられる気配を感じ、朱莉は目を覚ました。するとそこには驚くほど至近距離で朱莉を見つめている翔の姿があった。


「え?え?!しょ、翔さんっ?!」


あまりにも驚いたので、朱莉の頭は一瞬で覚醒した。すると朱莉の反応に翔が言った。


「ごめん、朱莉さん。驚かせてしまったようだね?いくら呼び掛けても目を開けないから・・。」


翔が申し訳なさそうに言う。


「あ、いえ。私の方こそ、レンちゃんの様子を見ないで寝てしまって・・・。」


朱莉はそう言ったが、新生児がまとめて眠れるようになったり、ミルクを飲めるようになるにはまだ月齢は足りない。この頃の新生児を育てる母親は数時間ごとに新生児のお世話をしなくてはならないので、朱莉が寝不足気味になるのは致し方ない事だった。


「大丈夫かい?もしかして疲れがたまっているのかい?何か助けが必要なら・・相談に乗るけど?」


「翔さん・・・。」


朱莉は今迄翔から辛辣な言葉は浴びせられた事はあるけれども、労いの言葉を掛けて貰った事が無いので正直、驚いてしまった。

以前の朱莉なら盲目的に翔に恋焦がれていたから、この言葉だけで自惚れてしまっていたかもしれないが・・・今の朱莉は違う。


(駄目よ・・・もう翔先輩の言葉で浮かれては・・・。後で冷たい言葉を投げかけられた時、それだけショックが強くなってしまうんだから・・・。)


朱莉は自分に言い聞かせると、翔に返事をした。


「いえ、大丈夫です。車内があまりにも心地よくて・・つい、眠ってしまったんです。」


「ハハハ・・そうなのかい?それならまた言ってくれれば乗せてあげるよ?勿論蓮も一緒にね。」


あまりにも想像もしていない返しをしてきたので、朱莉は驚いた。


(え?う、嘘でしょう・・・?うううん、きっと冗談に決まってる。)


「そうですね・・・いつか機会があれば・・・。」


朱莉は曖昧に言うと、蓮をチャイルドシートから降ろし、ベビーカーに乗せると翔にスリングを渡した。


「翔さん。これはスリングと言って、抱っこ紐のようなものです。最初は慣れないと使いにくいかもしれませんが、使いこなせると本当に楽に抱っこできるようになるんですよ。」


「ええ?これが抱っこ紐なのか?初めて見る形だ・・・。」


帯状に広がった大きな布にリングが通った形状の抱っこ紐は今迄見た事が無かった。


「私は普段は横抱きにしているんですけど、今日はレンちゃんに着物を着せてあげないといけないので、タテ抱っこにした方がいいと思うんです。私がやりますので少ししゃがんでいただけますか?」


「分かった、これぐらいかな?」


翔は朱莉の背丈ほどにしゃがむと朱莉はスリングを翔に被せた。そして蓮をベビーベッドから降ろすと、器用な手つきであっという間に蓮をスリングの中に入れてしまった。


「はい、これでタテ抱っこが出来ましたよ。」


「・・・。」


「翔さん?どうかしましたか?」


「い、いや・・・驚いているんだ。複雑な形状をしているのに、どうやったらこんなに器用に蓮を抱っこさせられたんだろうと思うと・・。朱莉さんはすごいね。感心するよ。」


「あ、ありがとうございます・・。」


朱莉は恐縮しながら翔を見た。


(やっぱり、今日の翔先輩はおかしい・・・何かあったのかな・・?そう言えば翔先輩の私を見る目つき・・以前に比べれば今日は随分穏やかに見えるし・・。)


そこで朱莉は気が付いた。


(あ・・・。そうだ。今日は会長も一緒だから・・それで翔先輩は意識して言葉を選んで私に話しかけているのね・・?)


だからこそ、朱莉はその後の事を考えると憂鬱な気持ちになった。翔はいつも朱莉に対して飴と鞭を使って来る。その飴が普段以上に甘ければ、振るわれる鞭はいつも以上に強いのでは無いだろうか・・・?

そう考えると朱莉の心は憂鬱になるのだった。



その後—

朱莉は大きなスタイを付けた蓮を抱っこした翔を覆うように着物でつつみ、帯の間に縁起物のお守り袋を通して着せると、2人の姿はとても様になっていた。


猛とは混雑の場合、見失わないようにと水天宮の寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)の前で待ち合わせをしていた。

2人並んで待ち合わせ場所に向って歩きながら朱莉は言った。


「素敵ですよ、翔さん、レンちゃんも。よく似合っています。境内に着いたら早速お2人の写真を撮りましょうね。」


「あ、ああ・・そうだね。」


「あ、会長も中に入って、3人で御写真を撮ればいいですね。」


朱莉がにこやかに言うのを翔は顔を曇らせながら言った。


「あ、ああ・・・。その事なんだけどね・・朱莉さんも良ければ一緒に・・。」


そこまで翔が言いかけた時、こちらに向かって猛が2人のスーツを着た男性と一緒に現れた。


「もう、着いておられたのですね?遅くなってしまい申し訳ありませんでした。」


「いや、気にするな。時間通りだからな。それに大変じゃ無かったか?蓮にそれほどまでの準備を朱莉さんが1人でするのは・・・。」


「え?」


(会長は私が1人で準備したことをどうして知っているんだろう・・?)


朱莉は思わず翔を見上げるが、視線を合わせようとはしない。


「うん。それにしても・・・・本当に立派な着物だな。・・有難う、朱莉さん。」


猛は目元を嬉しそうに緩め、朱莉に頭を下げて来た。


「い、いえ。そんな事ありません。当然の事ですから・・・。」


(まさか・・・っ!大企業の会長が・・・私なんかに頭を下げるなんて・・っ!)


そして翔は、そんな2人の様子を黙って見つめていた—。




その後—


3人で本殿で御参りを終えた後、神札所がある施設へと移動し、御祈祷の受付をした。

呼ばれるまでの待ち時間、翔は猛と重々しい表情でずっと2人きりで何かを話しあっていた。

その様子を少し離れた場所で朱莉は見守っていた。


(一体何を話しあっているのかな・・・?でもきっと会社の事なんだろうな・・。)


その時、朱莉のスマホにメッセージの着信があった。


(誰からだろう・・・?)


すると相手は姫宮からであった。開いてみると、短い文章が添えられていた。


『朱莉様。お天気に恵まれて良かったですね。』


(姫宮さん・・・。プライベートな事なのに・・ここまで思っていてくれるなんて・・。)


朱莉はすぐに返信をする事にした。


『ありがとうございます。お休みの日なのに、気に掛けて頂いて本当に嬉しいです。』


そしてメッセージを送り、京極の事を思い出して溜息をついた。


(それにしても京極さん・・・。私の質問にはぐらかして答えていたけど・・本当にあの場に現れたのは只の偶然だったの・・?それとも・・ずっとあそこで私が現れるのを待っていたの・・?どうしていつもいつも肝心な事に答えてくれないんだろう?ひょっとすると、はっきり答えられない理由でもあるのかな・・・彼はいい人なのかもしれないけど・・・私は以前の様に京極さんを信頼する事が・・もう出来ない・・。)



 祈祷も無事終わり、境内で記念写真を撮る事になった。



「さあ、朱莉さん。貴女も写真に一緒に写りなさい。撮影なら彼等がやってくれるから。」


境内の前で写真を撮るときに猛が言った。


「い、いえ。私は後で映りますから・・・まずはお二人で写真を撮って下さい。」


朱莉は遠慮するが、猛は全く引こうとしない。


「何を言ってるんだね。朱莉さん。それならまずは夫婦二人で写真を撮るのが筋だろう?」


「いえ、ですが・・・。」


(私は契約妻だから・・・後数年で離婚するので写真には・・。)


朱莉は助けを求めるべく翔を見たが、翔は意外な事を言った。


「そうですね。では先に朱莉さんと写真を撮る事にしますよ。朱莉さん、おいで。」


翔は笑顔で手招きをした。


「え?!あ・・はい・・・。」


ここで抵抗しては猛に変に勘繰られるかもしれない・・・と朱莉は思った。


(それに・・・翔さん自身が言って来たんだから・・・いいんだよね・・?)


朱莉は遠慮がちに翔の隣に立った。すると翔が突然朱莉の肩を掴むと自分の方に引き寄せながら小声で言った。


「あまり離れていると祖父に疑われる。」


「あ・・は、はい。分かりました・・・。」


(そうよ、これは・・・演技なのだから・・・。)


この一時の翔の優しさも演技・・・。朱莉はそう思う事にした―。








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