3-11 待ち伏せ
翌朝―
「うわあ・・・レンちゃん。とってもよく似合ってるわ。」
朱莉は羽織付き袴のロンパースを着せた蓮を見て、微笑んだ。そして着物用ハンガーには事前にネット通販で購入したお宮参りに着せる黒の着物が掛けてある。
背中に鷹をメインに宝船などが描かれた黒地の着物で柄は鷹を中心に松や小槌、軍配、飛翔鶴などの縁起の良い柄が描かれている。更にこの着物は仕立て直せば七五三の三歳時のお祝い着としても、袴を合わせて着用出来るようになっていた。
「お天気にも恵まれて良かったね〜。」
朱莉は手足をバタバタさせてこちらをじっと見ている蓮のほっぺにそっと触れながら言った。
朱莉はテーブルの上に置いたスマホに手を伸ばし、改めて内容を確認した。
昨夜、日付が変わりそうな時間に翔からメッセージが届いたのだ。
それは本日のお宮参りについての内容で、9時に迎えに行くから用意して待っていて貰いたいと書かれていた。
時間を確認すると8時を過ぎていた。蓮のオムツの準備や、ミルクの準備は終わっている。ネイビーに水と餌をやり終えると朱莉は自分の準備を始めた。今日のスタイルは濃紺のワンピースに低めのヒール。朱莉は蓮の為にはお宮参りで色々と購入したが、自分の為には一切お金は使わなかった・・・とういうか、使う事が出来なかった。翔にはカードで好きなだけ買い物をしても構わないと言われていたが、妻と言っても所詮偽装妻でしかない朱莉に取っては、どうしても遠慮せざるを得ない立場だった。
やがて時間になり、玄関のインターホンが鳴らされた。ドアアイで確認するとそこにはいつものスーツ姿の翔の姿が写っている。
「おはようございます。」
ドアを開けながら翔を見て、朱莉は笑顔で挨拶をした。
「ああ、お早う。」
翔は元気が無さげに挨拶を返してきた。
「翔さん・・・今朝はどうしたんですか?瞼は腫れぼったいし・・目の下にクマが出来ていますよ?」
朱莉は心配そうに尋ねた。
「ああ・・・分かってしまったかな?実は昨夜あまり眠れ無くてね・・。」
気恥ずかしそうに翔は言う。
「何かあったんですか?」
「あ・・・い、いや。車の中で話すよ。蓮を連れて来てくれるかな?」
「はい、分かりました。」
朱莉はスリングを付けると蓮を抱き上げた、ママバックと畳んだ着物が入っているケースを持って来た。それを見ると翔は慌てて言った。
「あ、すまなかった朱莉さん。まさかそんなに荷物があるとは思わなかったから・・・。全部荷物は俺が持つよ。」
「有難うございます。」
朱莉は素直に礼を言うと、玄関の戸締りをした。蓮を連れて3人でエレベーターホールへ向かいながら翔は言った。
「知らなかったよ・・・子供がいると、こんなにも荷物が増えるんだね。」
「ええ・・確かに多いかもしれませんが、今日は特別ですよ。そちらの衣装ケースにはレンちゃんが着る着物が入っているんです。」
エレベーターの前に到着すると、翔は下向きのボタンを押すと言った。
「蓮に着物を買ったのか・・。どんなのか楽しみだな。それで朱莉さんは何か買ったのかい?」
その時丁度エレベーターが到着し、2人は中へと乗りこんだ。
「あの・・特に私は何も買っていません。」
エレベーターに乗り込むと朱莉は言った。
「え?そうなのか?」
翔は驚いた様に朱莉を見た。
「はい。今日の主役はレンちゃんですし。後今日のお宮参りは翔さんが蓮ちゃんを抱っこしてあげて下さい。」
「それは構わないけど・・・どうして?」
その時、丁度エレベーターのドアが開いた。2人は並んで降り立つと、朱莉が先程の話の続きを始めた。
「私は・・・あまり写真に残らない方がいいと思うんです。それに御宮参りでは通常はおばあちゃんか、パパが抱っこするみたいですよ。」
「何故母親では無く、父親が抱くんだい?」
「はい、調べてみたのですけど、母親は出産後悪露も終わってないことから赤不浄といって2ヶ月ほどは穢れた状態であるとされている為・・という理由の様ですよ。後、それ以外の理由としては育児で疲れているママに負担を掛けさせない為に・・とかあるみたいですね。」
「ふ~ん・・・そうなのか。朱莉さんは色々勉強しているんだね?・・これなら・・。」
翔は口の中で呟くように言った。
「どうかしましたか?」
「あ、いや。何でも無い。それじゃ朱莉さん。車をここまで持って来るから待っていてくれ。」
「はい、分かりました。」
朱莉がエントランスの前で待っていると、突然背後から声を掛けられた。
「朱莉さん・・?」
(え・・・?その声は・・・?)
ドキッと心臓の音が高鳴り、鼓動が激しくなってくる。朱莉はゆっくり振り向くと、そこに京極の姿があった。彼の手には紙袋が握られている。
「京極・・さん・・。」
朱莉は息を飲んで京極を見つめた。
「朱莉さん。今日はいつも以上に素敵ですね。」
京極はにこやかに話しかけて来る。
「い、いえ・・・そんな事は・・・。京極さんは何故ここに・・?」
朱莉が言い淀むと、京極が近付いて来た。
「何故ここに・・・ですか?それは僕がここに住んでいるからですよ?ここの住人ですからいても不思議な事では無いですよね?」
耳元に口を寄せるように語りかけて来る京極から朱莉は逃れるように後ずさると言った。
「あの・・本当に周りから誤解されるような事は・・お願いですからしないで頂けますか・・?」
朱莉は蓮を強く抱きしめたまま、京極を見た。朱莉の足は・・少しだけ震えていた。
「朱莉さん・・・。そんなに僕が怖いですか?」
京極は悲し気に朱莉を見つめながら尋ねて来たが、朱莉はそれには答えられず、黙って俯いていると、京極がため息をついた。
「分かりました・・・。怖い目に遭わせてすみませんでした。それでは失礼しますね。」
「は、はい・・失礼します。」
朱莉は視線を合わせないように挨拶をすると、京極は立ち去って行った。するとそこへタイミングよくレクサスに乗った翔が現れた。
「朱莉さん。お待たせ。」
エントランスの前でドアが開き、翔が降りて来た。そして朱莉を見て驚いた。
「え・・?朱莉さん、どうしたんだ?顔色が真っ青だけど・・?」
翔はほんの少しの間離れていただけなのに朱莉のあまりの変貌ぶりに驚いた。
「あ・・だ、大丈夫です。少し気分が悪くなっただけですから。」
朱莉は無理に笑顔を作って返事をした。
(駄目・・・言えない。翔先輩にはここに京極さんが現れた事は・・・。)
「そうか?なら後部座席に座って水天宮に着くまで休んでいるといい。まあ時間にすれば30分位で着くみたいだから、あまり休めないかもしれないけど。チャイルドシートも後部座席に付けてあるからね。」
「え・・?あの、会長を迎えに行くのではないのですか?」
朱莉はてっきり鳴海家へ寄るものだとばかり思っていたので尋ねた。
「あ、ああ・・・。祖父はお宮参りが済んだら・・またすぐに中国に戻るそうなんだ。だから別の車で来るよ。現地で待ち合わせなんだ。」
「そうですか、それでは失礼します。」
朱莉は車に乗り込むと、腕の中の蓮をチャイルドシートにそっと移した。幸い、蓮はぐっすりと眠っている。
ベルトで蓮の身体を固定し、朱莉がシートベルトを付けるのを見届けると、翔も車に乗ってシートベルトを付けた。
「それじゃ、出発するよ。」
「はい、お願いします。」
そして車は滑るように走り出した。朱莉は窓から流れゆく車窓を見ながら思った。
(流石高級車・・・音も静かでこんなに乗り心地がいいなんて・・・。」
そして朱莉はあまりの乗り心地の良さに眠気に襲われ・・・そのまま眠りについてしまった。
「行ったか・・・。」
ノートパソコンの画面に視線を戻すと京極が言った。京極がいるのは億ションの施設の1つであるカフェである。そしてここからはエントランスの様子がよく見えた。
「会長が一緒に現れるかと思っていたが・・・姿を見せなかったな・・。なかなかうまくいかないものだ。」
そして、すっかり冷めてしまったコーヒーに手を伸ばして一口飲むと、再びキーを叩き始めた—。
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