2-15 蘇る明日香の記憶

 翌朝―


翔が目を覚ますと、そこにはもう琢磨の姿は無かった。テーブルの上にはメモが乗っていた。メモの内容は昨夜翔に対してきつく言い過ぎてしまった事への謝罪と泊めてもらった事への礼が述べられていた。


「そうか・・・琢磨・・・帰ったのか・・・。」


時計を見ると朝の9時を過ぎていた。


「少し寝過ごしたようだな・・・。」


翔は着替えを取ると、バスルームへ向かった。

熱いシャワーを頭からかぶり、身体を洗ってすっきりさせる。そして着替えを済ませ、汚れた衣類を洗濯機に放り込み、ついでに他に洗濯するものを持ってくると、同様に洗濯機へ投入し、洗剤を入れてスイッチを押した。

その後、キッチンへ行き野菜を刻んでコンソメでスープを煮ながら、トースターにパンをセットし、ハムエッグを焼く。


 翔は料理が好きであった。元々この億ションに明日香と引っ越してきてからは家事が苦手な明日香に変わり、料理や掃除、洗濯全てを翔がやっていた。そしてそれを笑顔で感謝する明日香の事が好きだった・・・。


「明日香・・・。」


翔はポツリと呟いた。

そして出来上がった全ての料理をテーブルの上に並べるとテレビをつけて無言で食べ始めた。そして改めて思った。


(この部屋は・・・1人で住むにはあまりに広すぎる・・・。そんな部屋で朱莉さんは1人きりで1年半も暮らしてきたのか・・・。)


明日香が不在の今、翔は今迄の過去の自分をようやく少しは振り返る事が出来るようになっていた。

食事が終わり、後片付けをした後に洗濯済み衣類をバルコニーに干しながら呟いた。


「明日香には嫌がられるかもしれないが・・・洗濯を干し終えたら明日香のいる療養所へ行ってみるか・・・。」




「だから、明日香ちゃん。俺は今日は行けないって言ってるだろう?用事があるんだよ。」


琢磨は自分のマンションへ帰って来ていた。コンビニで買ってきたサンドイッチに珈琲で朝食を食べようとしていた所、明日香から電話がかかって来たのである。


『ええ~!琢磨の意地悪っ!来てくれたっていいでしょう?!ここは田舎で退屈で暇すぎて死にそうなのよ。』


受話器越しからは明日香の金切り声が聞こえてくる。その声にうんざりしながら琢磨は思った。


(全く・・・翔の奴・・よくこんなヒステリックな明日香ちゃんに今迄付き合っていたな?俺なら金を積まれてもお断りだ。)


「大丈夫だって、いいか?人はそんなに簡単に死なない。第一そんな台詞・・軽々しく言ったら駄目だろう?」


なるべく優しく、宥めすかす様に言うと明日香は少し声のトーンを落とした。


『だけど・・・私、いつまでここにいなくちゃいけないの・・・?それにここを出たら何処に行けばいいのよ・・・。鳴海家にはいたくないし・・。』


「何言ってるんだ?翔と一緒に暮らせばいいだけだろう?」


『嫌よっ!だって、すぐ翔は私を束縛しようとするんだもの・・・。それに翔を見ていると何か不安な気持ちになって来るのよ。だから一緒に暮らしたくは無いわ。』


「明日香ちゃん・・・。」


(本気で言ってるのか?とてもじゃないが・・・今の話は翔には聞かせられないな・・・。)


『あ、そうだ・・・!せめて琢磨が駄目なら航を呼べばいいんだわっ!』


「お、おいっ?!一体何を言い出すんだよっ!」


明日香はとんでもない事を言って来たので、琢磨は焦った。


(冗談じゃないっ!航にはもう二度と明日香とはかかわりを持ちたくは無いから二度と連絡を入れてこないように言われているのにっ!)


「明日香ちゃん。航の仕事は休みが不規則なんだよ。あいつは今日は仕事があるんだ。その代わり、翔が今日はそっちへ行くと言ってたぞ?だから退屈はしないだろう?」


『ええ~・・・・翔が来るの・・・?まあ・・・仕方ないわね。それじゃ我慢するわ。それじゃあまたね。』


そう言うと明日香からの電話は切れた。


「ふ~・・・。全く・・・冗談じゃない・・・。一刻も早く明日香ちゃんには記憶を取り戻して貰わないと色々と面倒だぞ・・・。」


そして琢磨は窓の外を見ると呟いた。


「今日もいい天気だな・・・。」




 午後2時―


六本木の自宅から1時間半かけて翔は明日香のいる鶴巻温泉の療養所の駐車場へ来ていた。


「ここが明日香の滞在先の療養所付近か・・・。」


駐車場に車を止めると翔は周辺の景色を見渡した。秋の紅葉も大分進み、冬の景色へと徐々に移り変わっている。

翔は枯葉をサクサクと踏みながら、明日香がいる療養所の施設へ向かった。


(明日香・・・迷惑に思うだろうか・・?)


電話で本日、そちらへ面会に行く話をした時、明日香からはあまり良い返事を貰えなかった。


「来たかったら勝手に来れば?」


そんな対応をされて、翔の心は少なからず傷付いていた。それにしても・・翔は苦笑した。何故記憶を無くした時間が10年分なのだろうと。せめて9年分だったなら、この頃は既に翔と明日香は恋人同士だったので、こんな面倒な事にはならなかったのに・・・そう思うとやるせなかった。


「明日香・・・どうすればお前の記憶は戻るんだ・・・。』


建物の前に着くと、翔は空を見上げて溜息をついた―。




「何だ、翔・・・本当にここへ来たのね。頼んでもいないのに・・・わざわざここへやって来るなんて貴方って本当に物好きよね?」


明日香は冷たい表情を浮かべながら翔を迎え入れた。


「当り前だろう?電話で話したじゃないか。今日、そっちへ向かうって。」


「まあ、そうだったわね。」


明日香はスマホをいじりながら翔の話を聞いている。


「明日香・・・一体スマホで何をしているんだ?」


翔が尋ねると明日香は言った。


「煩いわね・・・別に何をしていようが私の勝手でしょう?ところで翔。この療養所は翔が選んだの?何だか・・常に誰かに見張られている気がして落ち着かないんだけど・・・。」


「うん?いや・・・秘書の姫宮と言う女性だけど・・・?」


するとその言葉に明日香が反応した。


「え・・・?姫宮・・・?何処かで聞いたことがあるような・・・。」


突如、明日香が頭を押さえてうずくまった。


「お、おい?!どうしたんだ!明日香っ!」


「う・・あ、頭が痛い・・・。」


明日香が突然頭を押さえると、そのままうずくまってしまった。


「お、おいっ?!どうしたんだ、明日香っ!すみませんっ!誰かっ!誰か来てくださいっ!」


翔は慌てて大声を上げると、職員と思しき人達が数名駆けつけて来た。


「どうしたんですか?!鳴海さんっ!早く救急車をっ!」


看護師とおぼしき女性が明日香を抱えながら叫んだ。


「おいっ?!明日香!しっかりしろ、明日香っ!」


翔の呼びかけにも応じる事無く明日香はその場で気を失ってしまった―。



 施設から車で5分程の場所にある総合病院―


翔は神妙な面持ちで両手を組み、膝に肘を置いて座っている。その時、明日香が運び込まれた個室のドアが開けられた。出てきたのは男性医師と看護師であった。


「先生っ!明日香は・・明日香は大丈夫なんでしょうか?!」


「ええ。今患者様の目が覚めました。どうぞ中へお入り下さい。中で患者さんがお待ちですよ。」


「有難うございます。」


翔は頭を下げると、男性医師は会釈をして去って行った。翔はその後姿を見届けると、ドアをノックしながら言った。


「明日香・・・俺だ。入るよ。」


そしてガチャリとドアを開けて中へ入ると明日香がベッドから起き上がって翔を見ていた。


「翔・・・・。翔よね・・?」


「あ?ああ・・・そうだが・・?」


すると明日香がベッドから降りて来ると翔の方へと歩み寄って来た。


「明日香・・?どうした?」


すると明日香は目に涙を浮かべながら言った。


「ごめんなさい・・翔。私・・・思い出したわ・・。貴方に冷たい態度を取ってしまって・・本当にごめんさない・・・。」


「明日香・・・記憶が・・・戻ったのか?!」


翔は信じられない思いで明日香を見た。すると明日香は泣笑いの表情を浮かべて頷いた。


「明日香・・・!」


翔は明日香をきつく抱きしめると明日香にキスをした―。



 その後、翔は明日香を連れて療養所へ戻り、記憶が戻った事を告げて、本日付で退所し、職員に見送られながら、2人は六本木の自宅へ向かったのだった・・・。




夕方―


京極が電話で誰かと話している。


「・・・ああ。分かった。・・・うん。報告・・有難う。それじゃ、また・・・。」


そして電話を切ると呟いた。


「鳴海明日香が退院か・・・。思ったより随分早く記憶が戻ったんだな・・。ならこちらも早めに東京へ帰った方が良さそうだ・・・。」


そして京極はPCの前に座り、東京行の空席をチェックし始めた—。



 










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る