2-14 何かが変わる前夜

「何を考えているかだって?それは俺の台詞だ。」


琢磨はジロリと翔を睨み付けながら言った。


「今迄散々朱莉さんの人権を踏み躙るような行動ばかり取っていたくせに、今度は明日香ちゃんに捨てられそうになっているから朱莉さんに縋っているのか?」


琢磨のこの言葉に流石の翔も黙っていられなくなった。


「おい・・・誰が捨てられそうだって?」


「違うって言うのかよ?今日だって俺は明日香ちゃんにせがまれて・・・それでお前にも頼まれたから仕方なく明日香ちゃんに会いに行って来たけどな・・。」


琢磨は缶ビールに手を伸ばし、プルタブを開けると一気に中身を煽るように飲みほした。そしてテーブルの上に置くと翔を見た。


「明日香ちゃんは一言も・・・お前の事を口に出さなかったぞ?」


「!」


翔の肩がピクリと動いた。


(そんな・・・明日香・・。俺の事はもうお前の心の中には残っていないのか・・?)


翔は唇を噛み締めると缶ビールに手を伸ばし、琢磨同様にビールを流し込むように飲んだ。


それをきっかけに2人はまるで競争でもするかのように無言でビールを飲み続け・・気付けば空き缶がテーブルの上に6缶並べられていた。

互いに気まずい雰囲気の中ビールを飲み続けた為、普段の2人ならこの程度では酔う事は無いのに、互いにもう悪酔いしていた。


「俺は・・・勘違いしていたようだったな・・・。」


琢磨はアルコールで顔を赤らめながら翔を見た。


「勘違い・・・何の事だ・・・?」


「俺は・・てっきり明日香ちゃんが・・お前に依存しているとばかり・・・思っていたが・・・本当はお前が・・明日香ちゃんに依存していたんだな・・?」


「俺が・・・明日香に依存・・?」


「それで・・・明日香ちゃんに捨てられそうだから今度は朱莉さんに依存しようとしているんだろう・・?」


酔いで、すっかり座った目つきで琢磨は言う。


「馬鹿を・・・言うな・・・。俺がいつ朱莉さんに・・・依存しているって・・言うんだ・・?」


翔も赤ら顔で琢磨を見た。


「そうだろう・・・?明日香ちゃんの・・・記憶が戻らなければ・・朱莉さんに子供の面倒を・・・ずっと見させようなんて・・翔・・お前もしかしてこのまま朱莉さんと本当の・・家族にでもなるつもりなんじゃないか・・・?」


「何言ってるんだ!そんなわけ無いだろう・・・?俺は朱莉さんの事は・・・何とも思っていないんだから・・・。俺が好きなのは明日香なんだ・・・。」


(そうだ・・・朱莉さんは只の契約関係・・偽装妻だ。それ以上でも以下でも無い。この先もずっと・・・。)


朦朧とした意識の中、翔はぼんやり思った。


「だったら・・・何故もっと明日香ちゃんの側にいて記憶が戻る手助けをしない?最初から・・朱莉さん1人きりに子供をみさせようとしていたくせに明日香ちゃんがあんな状態になってからは・・子育ての手伝いだとか言って・・・朱莉さんの所へ通って・・・もし・・明日香ちゃんの記憶が戻ってその事を知られたら・・・お前どうするんだ・・?」


「明日香には・・知られないよう細心の注意を払うつもりだ・・・。後は明日香の面会の件だが、今の明日香は・・・俺の事を嫌がっているから会いにはいけない。」


翔は自分で言いながら、その言葉に傷付いていた。琢磨は聞いているのかいないのか、すっかり悪酔いしたようで、頭を左右に揺らしながら言った。


「俺は・・・お前が羨ましいよ・・・。」


琢磨のその台詞に翔は顔を上げた。今迄一度も琢磨からそのような台詞を聞かされたこと等無かったからだ。学生時代から翔と琢磨はいつも一緒で有名人だった。2人とも女生徒からよくモテていたが、中でも琢磨は女生徒から受けが良かった。

甘いマスクで翔と違って、気立てが良く、気遣いも出来た。だからそんな琢磨を放っておくような女生徒はいなかった。明日香も琢磨に憧れる女生徒の1人ではあったが、何故か琢磨は明日香だけは別格扱いで、2人は顔を合わせる度に口論ばかりしていた仲だった。ある意味・・・明日香と翔は特別仲が良かったと言える。

そして、そんな2人を翔は羨ましいと思っていた。

その琢磨から羨ましいというセリフが出てくるとは思いもしていなかった。


 一方の琢磨はまるで独り言のように呟いている。


「お前は・・知らないだろうけど・・・そのビール・・・朱莉さんはお前の為に用意してくれていたんだぞ・・・・?バレンタインの時だって・・俺は市販のプレゼントでかたやお前は・・・手編みのマフラー・・・。本当の夫婦だって・・・あまりそこまでしてくれるような・・女性はいないんじゃないか・・・・?」


言いながら、琢磨はとうとうテーブルの上につっぷして眠ってしまった。それを見ていた翔は眠っている琢磨に声を掛けた。


「琢磨・・・お前、やっぱり・・・朱莉さんの事・・好きだったんだな・・?」


そして立ち上がると、眠ってしまった琢磨に毛布をかけると空き缶をビニール袋に入れて片付け、毛布を持って来ると服のまま翔はソファに寝転がった。


(シャワーでも浴びようかと思ったけど・・・駄目だ。アルコールで頭が朦朧とする・・・。明日の朝、浴びる事にしよう・・・。)


そしてテーブルに突っ伏して眠ってしまった琢磨を見て苦笑しながら言った。


「まさか・・・これぐらいの酒量で・・・2人供こんなに悪酔いするとはな・・・。」


急激に眠気が襲って来た翔は眠りにつく寸前に思った。


(嫌がられても構わないから・・・明日・・明日香の所へ行ってみるか・・・。)


「蓮・・・もう眠っているかな・・・。お休み、蓮・・・。」


そして翔は瞳を閉じた—。



 その頃、朱莉は蓮がお腹を空かして目を覚まし、泣き始めたのでミルクを飲ませている最中だった。

カーテンの隙間から上弦の月が見える。やがて蓮は眠くなったのか、飲むのをやめてそのまま眠ってしまった。朱莉の腕の中でスヤスヤと眠る蓮を朱莉は愛おしそうに見つめる。


(フフ・・・本当に何て可愛いんだろう・・。他の人の子供でもこんなに可愛いんだもの・・・。レンちゃんが自分の本当の子供だったら・・どんなにか良かったのに・・・。)


朱莉は数年後に必ず訪れる蓮との別れが怖かった。これ程愛情を注いで育てている蓮は・・・きっとこの先成長するにあたり、もっと愛らしく育っていくだろう。

笑顔を朱莉に向けたり、会話が出来るようになったり・・そして歩けるようになったり・・・。


(大丈夫なの・・?私・・別れの時が来た時・・・レンちゃんとサヨナラ出来る?)


先の事を考えるのは辛いけど・・今は何もかも忘れて、蓮との2人暮らしを楽しみたい・・・。

そう願う朱莉であった―。




深夜2時―


キーボードを叩く音だけが静かな室内に響き渡っている。PCの操作をしているのは京極であった。その時、京極のスマホにメッセージの着信の知らせが入り、作業の手を止めると、スマホをタップしてメッセージの内容を読んだ。


そして笑みを浮かべると呟いた。


「へえ・・・九条と安西が明日香に接触・・・か。・・・面白い組み合わせだな・・。」


そしてスマホをデスクの上に置くと、再びPCに向い・・・やがて手を止めると、息を吐いた。


(やっと・・・沖縄での仕事も終わり、東京のオフィスも開設する事が出来る・・・。)


そして京極は立ち上がると冷蔵庫から缶ビールを取り出し、カーテンを開けた。

満点の星空に浮かぶ上弦の月。


「朱莉さん・・・いよいよ東京へ戻れそうだよ。待っていて下さいね・・。」


そしてプルタブを開けると京極は月を眺めながらビールを口にした―。


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