2-4 心の変化
翔は小さな鳴き声の気配で目が覚めた。見ると主寝室からオレンジ色の明かりが隙間から漏れている。
「ここは・・・?」
翔は今迄自分が見知らぬソファの上で眠っていた事に気が付いた。身体の上には布団がかぶせられていた。時計の針は2時を少し過ぎている。
まだぼんやりとした頭で起き上がると、突然主寝室のドアが開き、中から朱莉が蓮を抱きかかえて現れた。
「あ・・・。す、すみません・・起こしてしまいましたか・・・?」
朱莉は慌てて頭を下げた。腕の中には蓮が小さな鳴き声を上げている。
「そうか・・・ここは・・・・朱莉さんの部屋だったのか・・・・。」
翔は頭を押さえるとソファから起き上がった。
「蓮・・・起きたのかい?」
「はい。今おむつを替えた所です。これからミルクを作る所なのですが・・・。」
朱莉はチラリと翔を見た。
「何?朱莉さん。」
「い、いえ。どうぞそのままお休みになって下さい。あ・・・それともご自宅へ戻られますか?」
「いや・・・。朱莉さんはこれから蓮のミルクを作るんだろう?俺がその間・・・蓮を見ているよ。それで・・・・どうやって抱けばいい・・?」
翔は恥ずかしそうに朱莉に尋ねた。
「え・・・?いいん・・・ですか・・?」
すると翔は言った。
「いいもなにも・・・元々は俺の子供なんだから・・・本来は俺が面倒を見なければいけないんじゃないかな?」
翔は苦笑しながら言った。それを見て朱莉も笑みを浮かべると言った。
「すみません・・・それでは蓮君をお願いします」
そして朱莉は翔に首の未だ座らない蓮の抱き方を教えた。
「そう、そうです・・・。胸に抱き寄せるようにして、首の後ろを支えてあげて・・。」
「こ、こうかい?」
ぎこちない抱き方をしながら翔は朱莉に尋ねた。
「はい、大丈夫です。お上手です。それでは5分程お願い出来ますか?」
朱莉は言うと、手早くミルクを作り始めた。翔はその間腕の中で泣く蓮を見て思った。
(本当に・・・こんなに小さくて・・・温かくて可愛らしい子供を・・・俺と明日香は平気で手放して、朱莉さんに押し付けようとしていたなんて・・・我ながら何て馬鹿な真似をしていたんだろう・・・。)
そして翔はミルクの準備をしている朱莉を見た。
真夜中で眠いだろうに、笑顔で楽しそうにミルクを作っている朱莉を見ていると、心が温まる気がしてきた。
(そうか・・・だから琢磨は朱莉さんに惹かれたのか・・・。今なら何となくその気持ち・・分かる気がするな・・。本当に今迄俺は一体何をしていたんだ・・?)
その時、朱莉が哺乳瓶を持って翔の所へやって来た。
「あの・・ミルクが出来たので蓮君に・・。」
「あ、ああ・・。」
翔は朱莉に蓮を手渡そうとし・・・動きを止めると言った。
「朱莉さん・・・俺にやらせて貰えないか?蓮にミルクを飲ませるの・・・。」
その言葉を聞いた朱莉は一瞬驚いた顔をしたものの、笑顔を見せると言った。
「はい、是非お願いします。」
朱莉から哺乳瓶を預かると、翔は蓮の口元に持って行く。すると、泣いていた蓮は小さな口を開けて哺乳瓶を咥えるとコクンコクンと飲み始めた。
「ハハハ・・飲んでる・・・。」
翔は嬉しそうに言った。
「はい、飲んでますね・・・。」
朱莉も嬉しそうにその様子を見守っている。やがて蓮は飲み疲れたのか、途中で眠ってしまった。
「ああ・・・まだ少しミルクが残ってるのに・・・。」
翔が言うと朱莉は笑った。
「きっと今に足りないって泣く日が来ますよ。」
「ああ・・そうだな。それじゃ・・・朱莉さん。俺は自分の部屋に帰るから・・・蓮の事を頼む。」
翔は朱莉に蓮を手渡すと、朱莉は胸に抱きかかえた。そして翔は立ち上がると玄関へ向かった。
「あの・・朱莉さん・・・。」
翔は玄関で靴を履くと背中を見せたまま朱莉に言った。
「また・・・蓮の様子を見に来ても・・・いいかな?」
そして振り返って朱莉を見た。その顔は・・・赤くなっており、今迄一度も見た事が無いような・・少年のような照れた顔をしていた。
「!」
朱莉は初めて見せる翔の顔に驚きつつも、笑顔で答えた。
「はい、蓮君は・・・翔さんのお子さんで・・・ここは翔さんの家です。いつでもいらして下さい。」
そして朱莉は頭を下げた。
「・・・ありがとう、お休み。」
そして翔はドアを開けて、出て行った―。
「翔先輩・・・。」
朱莉は呟くと腕の中で眠る蓮を愛おし気に見つめると呟いた。
「良かったね・・・。レンちゃん。パパが会いに来てくれて・・・。」
朝の5時―
「ふわああ・・・。」
欠伸を噛み殺しながら、朱莉は腕の中で泣く蓮を抱きながらお湯を沸かしていた。
「ごめんね。レンちゃん。今ミルク作ってるからもう少し待っててね・・・。」
やがてお湯が沸いたので朱莉は電動バウンサーに寝かせた。これは新生児からも使用できるバウンサーで、お店に行って吟味して買って来たのである。
泣いている蓮をそこに移動させ、スイッチを入れるとまるでゆりかごの様に自動で揺れ出す。すると蓮の泣き声が止まった。
「レンちゃん、バウンサー気に入ったのかな?さて、今の内にミルク作らなくちゃ。」
ミルクを作り終えた朱莉は蓮をバウンサーから抱き上げると哺乳瓶を咥えさせる。
すると蓮はすぐに哺乳瓶に吸い付いて、ミルクを飲み始めた。
「フフフ・・・余程お腹が空いていたのかな?本当に・・・何て可愛いんだろう・・・。」
朱莉は幸せな気持ちでミルクを上げながら欠伸を噛み殺した。
「それにしても・・本当に新生児ってすぐに目を覚ますのね・・・。確かネットで調べたら3〜4カ月頃になれば昼夜の区別がつく・・・なんて書いてあったけど・・・。」
うつらうつらしながら朱莉は呟いた。そして蓮を見るといつの間にミルクを飲み終えていて眠りについている。
「あ・・眠っていたなんて・・。さて、それじゃレンちゃん。ゲップしようね。」
朱莉はレンを立て抱きにして首を支えると背中を撫で続けた。すると蓮がゲップをする。その様子がまたおかしくて朱莉はクスクス笑った。
(本当に・・・赤ちゃんとの生活がこんなに楽しいなんて思わなかったな・・・。私も・・・この契約婚が終わったら、いずれ他の誰かと結婚して・・自分の赤ちゃんが欲しいな・・・。)
しかし、そこまで考えて、朱莉は思った。
「馬鹿だな・・・。私ったら。そもそも結婚相手だっていないのに・・・。」
そして朱莉は眠ってしまった蓮を抱きかかえ、寝室に連れて行くとそっとベビーベッドの上に寝かせると、自分もベッドの中へ入った。
(レンちゃんが眠っている間に・・・自分も寝ておかなく・・・・・・・。)
朱莉は考え事の途中で、眠りについてしまった―。
朝9時―
「おはようございます。副社長。」
オフィスに現れた翔に姫宮はを掛けた。
姫宮は翔の事を社外では名前で呼んでいたが、社内では副社長と呼んでいた。
「ああ・・お早う。姫宮さん。」
「副社長・・・どうされたのですか?今朝はだるそうに見えますが・・・コーヒーでもお淹れしましょうか?」
姫宮は立ち上がると、コーヒーサーバーへ向かった。
「ああ、有難う。いや・・・実は昨夜、蓮に会いに朱莉さんの元を訪ねたんだよ。」
「え・・?」
姫宮のコーヒーを淹れる手が一瞬止まった。
「そう・・・だったのですか・・・。」
「ああ、・・・やっぱり・・・朱莉さんに蓮をお願いして正解だったよ。それに・・・朱莉さんなら・・。もし、このまま明日香の記憶が戻らなければ・・・。」
翔はそこで言葉を切った。
「副社長・・・大丈夫です。必ず何とか方法を見つけだして明日香さんの記憶を戻せるように手を尽くしますから。」
姫宮は強い意思を込めて翔に言った―。
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