7-12 朱莉の買い物

「くそっ!まだ・・・まだ翔の話は終わらないのか?」


琢磨は病院のロビーでイライラしながら時計を眺めていた。その時、朱莉の姿が見えた。朱莉は琢磨の方へ向かって歩いてくる。

「朱莉さんっ!」


琢磨はここが病院だという事も忘れ、朱莉の傍まで駆け寄って来た。


「九条さん。すみません・・・お待たせしてしまって。」


朱莉は笑みを浮かべながら言うが、その顔色は酷く悪かった。


「朱莉さん・・・大丈夫かい?顔色が悪い・・・。少しここで休んで行かないか?」


しかし朱莉は言った。


「いいえ・・・。大丈夫です。それよりも色々と買い物があるので。」


それを聞いた琢磨の顔が途端に険しくなる。


「買い物だって?また何か頼まれたのか?こっちは既に明日香ちゃんの大量のクリーニングだって渡したのに・・まだ何かあるのかい?」


「いいえ、違いますっ!今回は・・・私個人の買い物なんです。」


「買い物?それは一体・・・。」


そこまで言いかけて、琢磨は口を閉じた。


「朱莉さん・・・ひょっとするとマタニティ用の服でも買うつもりなのかい?」


「!」


朱莉の肩が小さく跳ねるのを琢磨は見逃さなかった。


「そうか・・・。翔に・・言われたからだな?」


琢磨はギリリと歯を食いしばるように言った。朱莉は黙って頷くと言った。


「で、でもマタニティ服でも普段着として使えますし・・い、いずれ・・私もこの契約婚が終わった後・・・。」


そこまで言うと朱莉は眼を擦り、俯いた。


「・・・。」


琢磨はそんな朱莉を黙って見降ろしていた。


(朱莉さん・・その後の台詞は・・一体何て言おうとしていたんだ・・?)


「・・・付き合うよ。」


琢磨は言った。


「え?」


「俺も朱莉さんの買い物に付き合うよ・・と言うか、付き合わせてくれないかな?お願いだ。」


「九条さん・・・。いいんですか・・・?そう言って頂けると・・・助かります。」


朱莉は丁寧に頭を下げた。


「いや、いいんだよ。どのみち、明日から朱莉さんはマンションで暮す事になるんだから買い物は必要だよ。実はね、今日の内に朱莉さんが使う日用品の買い物に1日付き合おうと決めていたんだ。」


琢磨は笑顔で答えた。


「え?1日ですか?それでは・・・ご迷惑をかけてしまいます。だって九条さんは明日の飛行機で東京に帰るんですよね?そしてその足で職場に向かうんですよね?翔さんが言ってましたよ?。」」


「ああ・・・確かにそうだけど・・・。でも出張と似たような物だよ。今までだって遠くの出張先から東京へ戻ってそのまま出社・・・何て事は多々ある事だから。」


「でも・・。1時間程お付き合いただければ、後は大丈夫ですから。」


「いいんだ、だって今日も沢山買い物があるはずだろう?そもそも明日香ちゃんが昨日あんなに沢山の買い物を朱莉さんに頼まなければ・・・昨日と、今日の2日間でゆっくり必需品を買う事が出来たはずなんだから。それに・・・俺がそうしたいんだ。朱莉さんは俺のせいで・・・。」


「九条さん。そんな風に言わないで下さい。いつも自分のせいで・・・って言っていますけど、私は一度もそんな風に思った事は無いですよ?だって九条さんが私を選んでくれたから・・・私は母に高額の治療費を支払う事が出来たし、通信教育で勉強する事も出来ているんです。それに・・・私の人生では信じられ無い位立派な部屋に住む事が出来て・・・今は教習所に通わせて貰ってもいます。だから・・・私は・・本当に幸せ者だと思っています。」


「朱莉さん・・・。だけど・・・。」


(だけど、朱莉さん・・・この先後何年も・・君は自分の好きな男が別の女性を愛する姿を近くで見守っていないとならないんだぞ?しかも・・・自分の産んだ子供では無い子供を我が子として育て・・・その子に情が移っても・・今度は手放さなければならないっていう残酷な未来が待っていると言うのに・・・。)


しかし、この言葉を琢磨は朱莉には伝えなかった。何故なら・・・今の自分の台詞を朱莉に言えば・・・きっと泣かせてしまうと思ったから。


(俺は・・・朱莉さんを翔のように泣かせる真似は・・・絶対にしないっ!)


琢磨は一瞬俯くと、すぐに顔を上げた。



「それじゃ、朱莉さん。時間がもったいないからすぐに出かけよう。」


「はい、お願いします。」



そして2人は琢磨の運転する車で、まずは朱莉の新しい生活に必要な日用品を買い揃え、次に琢磨が探し出した新しい教習所へ転入届に行き、最後にベビー用品専門店へと足を運んだ。



店内には可愛らしいベビー服やベビーカー、おむつや哺乳瓶・・・そしてマタニティウェアと様々な品物が売られていた。


「朱莉さん・・・俺、こんな店来るの初めてなんだけど・・・何だか照れ臭いと思わないかい?」


琢磨が朱莉に耳打ちするかのように言って来た。


「私も初めてですよ。何だか不思議な空間に感じてます。」


朱莉も小声で琢磨に言う。


(そっか・・・マタニティ服の事ばかり考えていたけど・・・これから生まれて来る赤ちゃんは私が替わりに育てる事になるから・・・やっぱり私の方で色々買い揃えるんだろうな・・・。)


「どうしたの?朱莉さん。」


ボンヤリ考えていると琢磨が声を掛けて来た。


「い、いえ。このベビードレス、可愛いなと思って。」


朱莉はその中の一着、新生児用のベビードレスを手に取って言った。


「うん。確かに・・・・可愛いね。」


琢磨は朱莉の背後からベビードレスを覗きこみながら言う。


すると琢磨の背後で声が聞こえて来た。


「ねえねえ、お母さん、見て。あの若い夫婦・・・すごく素敵だと思わない?」


「確かにそうだね・・・。美男美女ですごく幸せそうに見えるね。」


琢磨の耳に偶然その会話が耳に飛び込んできて、一瞬で耳まで真っ赤に染まる。チラリと声の方を横目で伺うと、どうやら妊婦の娘と実母の組み合わせのようだった。

朱莉の方は2人の会話が聞こえていなかったのか、真剣な眼差しで新生児用の肌着やスタ等を見ている。


(あの人達には・・・俺と朱莉さんが・・・夫婦に見えたのか・・・?)


琢磨は思った。

それだったら・・・どんなに良かった事か。しかし、琢磨は絶対に朱莉に対して抱いている思いを言葉にする事が出来無い。何故なら自分にはそんな資格は一切無いからだ。だから琢磨に出来る事は・・・なるべく朱莉の手助けをし、翔と離婚後は自分以外の他の誰かと結婚して、幸せになれるよう祈る事だけだった・・・。


 その後、朱莉はこの店でマタニティ用の服を3着と、新生児用の肌着にベビードレスを買った。


店を出ると琢磨が言った。


「え?朱莉さん・・・もう新生児用の下着やドレスを買ったの?」


「はい。だって・・・とても可愛らしいドレスを見つけたので。・・あの・・気が早過ぎましたか?」


「い、いや・・・どうなんだろうな?ごめん、朱莉さん。実は俺の友人の中で結婚しているのは何人かいるけど、まだ誰も子供がいないんだ。だから・・・俺もそう言う話・・・良く分からなくて・・・。」


途端に朱莉が頬を染めて琢磨に言った。


「す、すみません!独身の九条さんに・・・変な事を訪ねてしまって・・・。と、取りあえず今日買ったこのドレス・・・・今度明日香さんの面会に行く時に持って行って見て貰おうかと思っています。明日香さん・・・このベビードレス、気に入ってくれればいいんですけど・・・。」


「朱莉さん・・・。」


そんな朱莉に琢磨は何と声を掛けてあげればよいのか分からず、朱莉の横顔を見つめるのだった—。



 





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