7-13 変わらぬ翔と明日香の成長
「明日香、朱莉さんがクリーニングを持って来てくれたぞ。」
検査が終わり、部屋にベッドごと戻って来た明日香に翔が言った。
「あら、そうなの?朱莉さんが自分から持ってきてくれたのかしら?」
「いや、俺が朱莉さんを呼んだ。ほら、明日から俺と琢磨は東京に戻るだろう?その間明日香の面倒を見て貰わないとならないからな。」
翔は明日香の髪を撫でながら言う。
「・・・・。」
しかし、当の明日香は何か考え込んだ風に黙っている。
「どうしたんだ?明日香。」
「ねえ・・。翔、朱莉さんに何て言ったのかしら?」
明日香はじっと翔の目を見つめながら尋ねた。
「え・・・?週に3回は明日香の面倒をみに病院へ来るように伝えたが?」
「3回・・・。」
明日香は口の中で小さく呟くと言った。
「それじゃ朱莉さんにちょっと悪い気がするわ。週に2度でいいわ。それに洗濯物だけお願いするわ。後は大丈夫よ。この病院には看護師以外にヘルパーもいるから。」
明日香の言葉に翔は耳を疑った。
「え・・・?明日香・・今の台詞・・本気で言ってるのか?」
「何よ、本気に決まってるでしょう?子供を産むんだから・・・もっとしっかりしないと・・・ね。それに朱莉さんにだって自分の生活だってあるだろうから・・・。教習所にだって行くわけでしょう?」
「教習所・・・、そうだ!教習所だ。沖縄にいる間は・・・休んでもらわないと!」
翔はスマホを取り出して、朱莉に連絡を入れようとすると・・・。
「ちょっと待ってよ、翔。何故朱莉さんの教習所を休ませようとするの?」
「だってそうだろう?朱莉さんには妊婦の恰好をしてもらわないとならないんだ。・・・あまり妊婦で教習所へ通う人は・・・少ないだろう?」
「その事なんだけど・・・翔。何とか・・朱莉さんを妊婦にしたてないで御爺様達の目をごまかす方法は無いかしら・・・?」
明日香は目を閉じると言った。
「え・・?」
「いくらなんでも・・・朱莉さんが出産したことにするって言うのは・・やはり無理があると思うのよね。だって、現に私はこうしてこの病院に運び込まれてしまったわけだし。・・・幸い、病院では私たちの関係は兄妹として認識されているけど・・。でもこの病院で出産するのは辞めようかと思っているのよ。落ち着いたら・・海外で出産しようかと考えてるのよ。海外で出産すれば・・目立たないし・・。」
「明日香・・最近ネットで良く何か調べていると思っていたけど・・そんな事を調べていたのか?」
翔は明日香に尋ねた。
「ええ、そうよ。いくら何でも・・・日本で出産するのは危険だと思うのよね・・。なるべくリスクは避けたいから。」
「・・・分かった。俺の方でも何か良い方法が無いか探してみるよ。それじゃ・・朱莉さんには今まで通り生活して構わないと連絡を後で入れておこう。」
「うん、それで構わないわ。」
一方の朱莉と琢磨は2人の間でそんな会話がされているとは露とも知らず、今は買い物を済ませ、2人でカフェに入りコーヒーを飲んでいた。
「ごめん、朱莉さん。」
アイスコーヒーを飲み終えた琢磨が突然謝って来た。
「え?どうしたんですか?九条さん。いきなり謝ってくるなんて。」
朱莉は眼を丸くして驚いた。
「いや・・本当なら沖縄に俺がいる間に朱莉さんを連れて観光案内をしたいと思っていたんだ。ここは・・・色々観る所があるからね。なのに・・結局何一つ案内してあげる事が出来なかったよ。」
琢磨は残念そうに言う。しかし朱莉は言った。
「九条さん・・・観光案内を考えていてくれたんですか?でも大丈夫ですよ。だってこの先私は当分の間ここに住むわけですし、教習所にも通います。免許が取れたら自分で運転して好きな所へ行く事だって出来るし・・だから大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます。」
朱莉はにっこりと微笑んだ。
「朱莉さん・・・。」
琢磨は朱莉の答えに少しだけ失望してしまった。出来れば朱莉には残念がって欲しかったのだが・・・。
(そうか・そうだよな。よくよく考えてみれば俺と翔は明日東京に帰るけど、朱莉さんは・・当分沖縄に残るんだから観光案内なんか必要無いって事だし・・・。結局朱莉さんと観光したかったのはこの俺だけって事か・・・。)
その時、突然朱莉のスマホに着信が入って来た。
「翔さんから・・・!」
それを聞いた琢磨はピクリと反応すると言った。
「朱莉さん・・・その電話、俺に貸して貰えないか?」
そして手を差し出してきた。
「え・・?でも・・・。」
朱莉が躊躇っていると琢磨が言った。
「朱莉さん・・・お願いだ。」
その声は何処か辛そうに聞こえたので、朱莉は琢磨に電話を託した。
「もしもし・・・。」
『え?何だ?琢磨か?』
翔はまさか琢磨が朱莉の電話に出るとは思わず驚きの声を上げた。
「ああ、俺だ。朱莉さんの買い物に付き合って、今2人でカフェにいた所だ。翔・・まだお前朱莉さんに何か要求を突きつけるつもりなのか?」
その言葉に電話を聞いていた朱莉は悲しそうに目を伏せた。
『まさか!そんなんじゃない。実は朱莉さんには週に3回明日香の面倒を見て貰う為に病院に来てくれるように話したんだが・・。』
「何?!週に3回だとっ?!翔っ!ふざけるなッ!」
『おい、琢磨・・・落ち着いてくれよ。確かに俺は朱莉さんに週に3回病院に来てくれるように頼んだが・・・明日香がそんなに必要無いって言ったんだ。週に2回だけ、洗濯だけ頼みたいって。』
その言葉を聞いた琢磨は我が耳を疑った。
「何?明日香ちゃんが・・・自分から言ったのか?」
『ああ、朱莉さんにも自分の生活があるだろうからと言って・・・。子供を産むんだから、もっとしっかりしないとって明日香本人が言ったんだ。』
「そんな・・・信じられない・・。」
(あの明日香ちゃんがそんな事を言うなんて・・・・やはり女性は妊娠すると・・・色々かわるのだろうか?)
『そう言う訳だから・・・琢磨。朱莉さんと電話を替わってくれ。』
翔に促され、琢磨は頷いた。
「あ、ああ・・分かったよ。」
そして琢磨は朱莉にスマホを渡しながら言った。
「翔が・・・朱莉さんと話をさせてくれって。」
「はい、分かりました。」
翔からスマホを受け取ると朱莉は電話に出た。
「もしもし・・・お電話代わりました。」
『朱莉さん、さっきは本当に悪かった。』
翔がいきなり謝罪をしてきた。
『さっきは週に3回病院に来てくれとか、服装にも気を遣ってくれなんて言ってしまったけど・・・明日香がその必要は無いって言ったんだ。』
「明日香さんが・・・?」
それは朱莉に取っては意外な話であった。最初の頃の明日香はとても意地が悪かったのに・・・その事を思い返すと、今の明日香はまるきり別人のようにも見える。
『ああ、明日香から言い出したんだ。本当に・・・子供が出来てから・・・明日香はすごく変わったんだ。やはり母になると言うのは人間を成長させるのかもしれないね。』
受話器越しから翔の嬉しそうな声が聞こえて来る。
「そう・・・ですね・・。」
しかし、翔の言葉は朱莉の心を傷つけるだけであった。
『だから、朱莉さん。今度・・・明日香の所へ行ったら・・お礼を言っておいて貰えるかな?』
「え?お礼・・・ですか?」
一体何故明日香のお礼を言わなければならないのか朱莉には理由が分からなかった。
『ああ、明日香が朱莉さんに気を遣って週に2回だけでいいって言ってくれたんだ・・・そしてさらに明日香は朱莉さんに服装に気を遣わなくてもいいって進言してくれたんだ。その両方についてお礼を言って貰えるかな?それが2人の関係をこれからも円滑に進めるのに大切な事だとは思わないかい?』
穏やかな言い方をしていたけれども・・・そこには有無を言わさない強引さを感じられた。
(翔先輩・・・そこまでして明日香さんの事を・・・。)
朱莉はショックで頭がズキズキして来たが・・。
「はい。明日香さんに会ったら・・・お礼を言いますね。」
静かに答えるのだった。
そんな朱莉の様子を琢磨は心配そうに見つめていた—。
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