6-7 初めての手料理

「そういえば朱莉さん。御昼はもう何か食べたのかい?」


琢磨は時計を見ながら尋ねた。時刻はもう午後1時になろうとしている。


「いえ、まだです。教習所からすぐにこちらへ向かったので。」


朱莉の言葉に琢磨は顔を上げた。


「え・・・?朱莉さん。教習所へ通っていたの?」


「はい、自分で車が運転出来るようになれば・・色々な場所へ行けますし、母が元気になれば何処かへ連れて行ってあげられます。それに・・・。」


何故かそこで朱莉は目を伏せた。


「それに・・?って他には何かあるの?」


「明日香さんに・・・赤ちゃんが生まれたら・・・2年は育てるように言われているんです。やっぱり小さな子供を育てるには・・・車は必要ですよね?」


朱莉は何処か寂しげに笑った。


「・・・!」


琢磨はその言葉を聞いて、一瞬胸が押しつぶされそうな辛い気持ちになった。


(まさか・・・朱莉さん。車の免許を取る本当の目的は・・・子育ての為だったのか?!)


琢磨は今、沖縄に2人きりで遊びに出かけている翔と明日香に苛立ちを感じずにはいられなかった。幾ら朱莉に十分にお金を渡しているとは言え、ゆくゆくは翔と離婚をすれば朱莉はここから出て行かなければならないのだから。2人の子供を育てさせる朱莉を・・・!


(くそっ!翔の奴め・・・・。朱莉さんをここから追い出すときには絶対にマンションの1つでも朱莉さんの為に買わせてやるからなっ!)


「あ、あの・・・どうかしたんですか?九条さん。」


朱莉は急にムスッと黙ってしまった琢磨に声を掛けてきた。


「え?別に何も無いけど?」


琢磨は朱莉の顔を見ると言った。


「そうですか・・・もしかすると九条さんに黙って教習所へ通い始めた事・・気にされたのかと思って・・・。」


朱莉はしょんぼりした顔で言う。


「あ、い・いや!そんなんじゃ無いからっ!ただ・・そこまで覚悟を決めて教習所へ通っているとは思わなくて・・・。それで今どのくらいまで進んでいるの?」


「はい、今第一段階なんです。来週から教習が始まります。」


「朱莉さんはAT車限定なんだよね?」


「そうですね、とても私にはマニュアル車の運転は無理だと思いますから。」


「そうか、早く先へ進めるといいね。それじゃあ、仮免の練習は俺が付き合おうか?」


琢磨は何気なく言ったのだが、朱莉の顔が途端に曇った。


「あ、あの・・それが・・京極さんが・・仮免の練習に付き合ってくれることになって・・。」


朱莉の言葉に琢磨は驚いた。

まさか・・・。


「朱莉さんから京極さんに頼んだのか?」


琢磨は自分でも気づかなかったが、つい強い口調になってしまった。


「まさか!違いますよっ!たまたま教習所に行く時に京極さんにお会いして、何処へ行くのかを聞かれて・・それで教習所へ通っている話をしたら、京極さんから言って来たんです。それで仮免の練習で同乗者として付き添うと言われたので、初めは断ったのですが・・・。」


朱莉はそこで目を伏せた。


「朱莉さん?」


「そしたら京極さんに聞かれたんです。もしかして・・・九条さんに同乗者を頼んだのかって?」


朱莉の話に琢磨は反応した。


「え・・?彼が・・俺の名前を口にしたのかい?」


「はい。」


朱莉は頷いた。


「それで、違いますって答えたら・・・何だかそのまま話の流れで京極さんが仮免の練習に付き添ってくれることが決まったんです。本当に・・すみません。」


朱莉は頭を下げてきた。


「朱莉さん・・何故謝るんだい?」


琢磨は不思議に思って声をかけた。


「それは・・・・九条さんからの折角のお誘いを断ってしまったので・・。」


「ああ、その事か?別に気にする事は無いよ。いいんじゃないか?折角の申し入れだし・・・。」


琢磨は何でも無い様子を装って話しているが、心情は穏やかでは無かった。


(くそっ!あの京極とか言う男・・・一体どういうつもりなんだ?朱莉さんが人妻なのは知ってるくせに・・・。それとも・・・あの男には偽証結婚だと言う事がバレているのだろうか・・・?)


やけにはっきり物を言う態度。全てを見越したかのようなあの目。そして・・・何処か挑発的な言動・・・そのどれもが琢磨には気に入らなかった。


(あいつ・・・自分の方が俺より優位な立場に立っていると思っているんじゃないだろうな・・?)


琢磨は朱莉が側にいる事をすっかり忘れて物思いにふけってしまった。


「あの・・九条さん?」


朱莉に声を掛けられて、琢磨は初めて我に返った。


「あ、朱莉さん。」


「大丈夫ですか?もう今日はお帰りになって休まれたらいかがですか?」


心配そうに声を掛けてきた。


「い、いや。大丈夫だよ。それよりお腹空かないか?一緒に近くのランチでも食べに行かないか?」


すると朱莉が言った。


「あの・・・それでしたら私の自宅に来ませんか?何か・・・お昼を作りますよ。いつも九条さんにはお世話になっておりますので・・・。」


「え?ほ・・・本当にいいのかい?」


琢磨は耳を疑った。まさか朱莉の手料理を食べる機会が訪れるとは思ってもいなかったからだ。


「はい。いつも美味しいものを食べつけている九条さんのお口に合うか分かりませんが・・・。では、行きましょう。」


2人で玄関へ出て戸締りをするとエレベーターに乗り込んだ。

その時、琢磨は得も言われぬ良い香りを嗅いだ。そして朱莉の手元を見る。


「朱莉さん・・・それは?」


「はい。明日香さんがハーブティーを好きだったので自分の分も含めて買って来たんです。テーブルの上に置いてきました。」


(知らなかった・・・いつの間に。やはり朱莉さんは気配りの良く出来る女性なんだ。確かにこういう女性の方が副社長と言う立場の翔にはお似合いなのかもしれないが・・・。)


琢磨はギュッと手を握り締めると、エレベーターのドアが開いた。



 朱莉は鍵を開けると、琢磨を自宅に招き入れた。


「どうぞ、九条さん。」


「はい、お邪魔します・・・。」


琢磨は朱莉の部屋に上がり込んで、周囲ををぐるりと見渡した。

最初に琢磨が用意した家電やインテリ以外に殆ど物が増えた形跡が見つからない。

あるとすれば、ペットのネイビーにウサギの飼育に必要な道具ばかりであった。


朱莉は殆ど最初に与えらえた品物以外は殆ど買い足していなかったのだった。

それ程・・・朱莉は翔の財布にまで気を遣って1年をやり過ごしてきたのであった。


その時、背後から朱莉が声を掛けてきた。


「九条さん。今お昼の用意をするのでリビングで待っていて下さい。」


「何か手伝おうか?」


すると朱莉は言った。


「いえ、とんでもありません。九条さんはお客様なんですからこちらで待っていてください。30分もあれば用意出来ますので。」


そして朱莉はエプロンを締めるとキッチンへと消えて行った。

琢磨はリビングのソファに座ると目を閉じた。


(何だか・・・いいな・・・こういうの・・・。)


そして・・そのまま眠ってしまった。



「・・さん、九条さん。」


真上から声が聞こえ、目を開けるとそこには琢磨を覗き込んでいる朱莉の顔があった。


「え?ええっ?!あ、朱莉さん?!」


琢磨は慌てて飛び起きた。


「目が覚めましたか?あの・・・お昼が出来たんですが・・・。」


そこにはエプロンを外した朱莉が立っていた。


「俺・・・ひょっとしてここで眠っていた・・?」


琢磨が尋ねると朱莉は頷いた。


「ええ、よく眠っていらっしゃいました。あの、ひょっとして起こさない方が良かったですか?」


朱莉が心配そうに尋ねる。


「い、いや。帰って起こして貰った助かったよ。」


「良かった。それではダイニングの方へ来て頂けますか?」


朱莉はほっとした様子で琢磨に言う。


ダイニングへ行くと、そこには既に2人分の食事が用意されていた。


カルボナーラに蒸し鶏のサラダ、そしてミネストローネが用意されていた。


琢磨は驚いた様子で朱莉を見た。


「朱莉さん・・・こんな短時間で、これ程用意出来たなんてすごいね。」


「い、いえ。見た目よりも思った以上に簡単に出来るんですよ。九条さんは普段から美味しい料理を食べつけているでしょうからお口に合うか分かりませんが・・・。」


すると琢磨は言った。


「何言ってるんだ。朱莉さん。俺の普段の食事を知らないからそんな事を言うんだな?言っておくがまともに食事をするのはランチ位で、夜は大体お惣菜を買ってた食べてるし、朝なんかはバーになっている栄養補助食品を食べている位なんだから。それじゃ頂きます。」


琢磨はパスタに口を付けた。

とても濃厚なクリームがパスタに馴染んで、それはとても美味しかった。

それにサラダもスープもどれも絶品だった。


全て食べ終えると琢磨は満足げに言った。


「ご馳走様でした。朱莉さん。手料理すごく美味しかったよ。もっと食生活俺も見直さないとな。料理も挑戦してみるか。」


「でも九条さん。御嫁さんを貰っ方が良いのではないですか?きっと九条さんなら素敵な女性がすぐに見つかると思いますよ。」


食後のコーヒーを出しながら朱莉は言った。


「結婚か・・・・。」


琢磨はポツリと呟き、目の前の朱莉を見るのだった―。







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