6-1 ホワイト・デーの前日の会話

  3月13日-


「お母さん、今日はネイビーの写真を持ってきたよ。」


朱莉はスマホで撮影したネイビーの写真を母に楽しそうに見せた。


「あら、本当に可愛いわね。絵本のピーターラビットを思い出すわ。」


洋子は目を細めて写真を眺めている。


結局・・・朱莉の母は翔と朱莉、そして明日香の関係を尋ねる事は無かった。それは母の気遣いであることは痛いほど朱莉には分かっていた。だけど・・・真実を母に告げる事等朱莉には出来ない。

だから今は母のあえて何も聞かないという優しさに甘えていたいと朱莉は思うのだった。


(ごめんね。お母さん・・・いずれ・・・話せる時が来た時は・・・全て話すから・・。)


朱莉はそのとき、ふとテーブルの上に琢磨が母にと寄こしてきたマグカップに気が付いた。


「お母さん・・・そのマグカップ・・使っているんだね。」


「ええ、デザインも素敵だし・・大きさも、持ちやすさも丁度良いのよ。確かお名前は・・九条さん・・・だったかしら?センスがある素敵な男性よね?」


洋子はニコリと笑いながら朱莉に言う。


「そ、そうだね・・・。」


(お母さん・・・どうしちゃったんだろう?いつも九条さんの話になるとすごく

褒めるけど・・?)


「ねえ。朱莉は九条さんのような男性・・・どう思う?」


母は意味深な質問をしてきた。


「え・・?九条さんの事・・・?」


朱莉は今迄の琢磨の行動を思い出してみた。最も最近は会う事も無く、最期に会ったのもこの病棟の中である。


「う~ん・・・。凄く仕事が出来て・・・気配りも出来る男性・・かな・・?」


朱莉は首を捻りながら言う。


「あら・・それだけなの・・?」


何故か残念そうに言う母に朱莉は首を傾げた。


「う、うん・・・。そうだけど・・・?」


「そう・・・分かったわ。ところで朱莉・・・もう帰った方がいいんじないの?通信教育のレポートの課題がまだ残ってるんでしょう?」


「う、うん・・そうなんだけど・・・。」


「私の事なら大丈夫だから、早く帰ってレポート仕上げなさい?単位が貰えないと大変なんでしょう?」


朱莉は母の提案に従う事にした。


「うん・・・それじゃ、今日はもう帰るね。」


立ち上がって、コートを羽織る朱莉に母は言った。


「朱莉・・・明日は特別な日になるといいわね?」


「え・・?何の事・・・?」


朱莉には母が言っている話が理解出来なかった。


「フフフ・・・何でも無いわ。それじゃ気を付けて帰るのよ?」


「うん、それじゃまたね。お母さん。」



 病院を出たのは夕方の6時。

町は多くの買い物客でにぎわっていた。そして明日香は気が付いた。

立ち並ぶお店がホワイトデー一色に染まっていたのである。


「あ・・・そうか・・。明日はホワイトデーだったんだ。だから・・お母さんあんな事言ったんだね・・・。」


でも・・・朱莉は思った。

翔には手編みのマフラーを手渡したけれども・・・きっと朱莉には何も特別な日は訪れないだろうと言う事は理解していた。

明日、翔は明日香と特別な日を過ごすだろう。例えば2人きりで何処かのレストランで食事とか・・・・もしくはデートをするのかもしれない。

だって2人は・・・恋人同士なのだから。


 いつの間にか朱莉は俯きながら雑踏の中を歩き・・・あるスイーツショップの前で足を止めた。

そこの店には大きなポスターが貼ってある。


『頑張った自分へのホワイト・デーのご褒美スイーツ限定品』


「へえ~・・・自分用のご褒美スイーツか・・・。買って帰ろうかな・・・?」


朱莉は自動ドアの前に立って、店舗の中へと入って行った―。



 

 小休憩のコーヒータイムの時間-


琢磨は翔に尋ねた。


「翔、明日はホワイト・デーだ。しかも週末・・・何か予定は立てているのか?」


ブルーマウンテンを飲みながら琢磨が尋ねた。


「ああ。一応フランス料理のレストランを予約してあるんだ。そこへ行く。」


翔はカフェ・ラテを飲みながら答えた。


「・・・何人で行くつもりだ?」


「え・・?2人で行くに決まっているだろう?」


「それって・・・明日香ちゃんとか?」


何故かイライラした口調で琢磨が尋ねて来る。


「勿論だ。え・・・もしかして朱莉さんも誘えって・・・事か・・・?」


「・・・朱莉さんはどうするんだよ?翔・・・お前手編みのマフラー貰ってるよな?」


「ああ・・。朱莉さんにはギフトとして若い女性に人気のスイーツを買って・・明日自宅に届くように配達を頼んでいる所だ。」


翔の無神経な言葉に琢磨はつい声を荒げてしまった。


「おい、翔っ!何処の世界にホワイト・デーのお返しをお中元やお歳暮じゃあるまいし郵送する奴がいるんだ?しかも朱莉さんはお前達のすぐ真上の階に住んでるじゃ無いか?直接届けて・・・顔を見せてあげようとかは思わないのか?」


琢磨はジロリと翔を睨み付けた。


「お、おい・・・。何を言ってるんだよ、琢磨・・・。明日香の手前、そんな事が出来ないのは知ってるだろう?それに・・彼女が俺にマフラーを編んでくれたのも・・・一応書類上は俺の妻になってるから・・その役目を果たそうと・・編んでくれたんだろう?第一俺と朱莉さんは契約婚で、そこに何らかの感情が伴っている訳でも無いのだから・・。」


翔の言葉に琢磨は呆れてしまった。


(はあ・・?翔の奴・・・本気でそんな風に思っていたのか?あれ程朱莉さんに好意を寄せられてるって事に・・全く気が付いていないって言うのか?だとしたら・・信じられないし・・・あまりに朱莉さんが気の毒過ぎる・・っ!)


だからつい、琢磨は言ってしまった。


「だったら・・だったら何故、俺に朱莉さんへのホワイト・デーのお返しを渡すのを頼まなかったんだ?」


「は?」


翔がぽかんとした顔で琢磨を見た。

そして琢磨も自分の今の発言に自分自身で驚いていた。


(え・・・?お、俺は今一体何を言ってしまったんだ?)


考えてみればおかしな話である。第3者がホワイト・デーのお返しを渡すなんて・・世間一般では考えられないだろう。


「わ、悪い。今の話は忘れてくれ。・・・どうかしていたよ・・・。」


琢磨は言うと、再びコーヒーに口を付けた。そんな様子の琢磨を見ながら翔は尋ねた。


「翔・・・お前は朱莉さんからバレンタインに・・・何か貰ったのか?」


「ああ。貰った・・・。」


「へえ~何を貰ったんだ?」


翔が興味深げに尋ねて来た。


「・・・いっておくがなあ・・・お前が多分期待しているようなものじゃ無いぞ?俺はウィスキーリキュールの生チョコを貰ったんだ。」


「そっか。お前も貰ったのか・・・。だったら明日・・何かお返しするんだろう?」


「・・・億ションのコンシェルジュに・・頼むつもりだ。」


琢磨は少しの間の後、言った。


「え?何故・・直接手渡さないんだ?」


翔の言葉に琢磨はカチンときた。


「あのなあっ!翔・・・。仮にもお前と朱莉さんは婚姻関係だ。そして俺はお前の部下として働いている。そんな立場の俺が、直接朱莉さんにお返しを手渡せると思っているのか?」


「う~ん・・琢磨。考えすぎじゃ無いのか?だって義理チョコを貰った訳だから・・・義理の恩返しと言う事で・・朱莉さんだって、その辺りの事は理解しているだろう?」


義理・・・その言葉は何故か酷く琢磨の心を傷つけた。


「義理・・か・・。」


琢磨は小声でぽつりと呟いた。


「うん?琢磨・・・今お前何か言ったか?」


翔が怪訝そうに尋ねてきたが、琢磨は首を振った。


「いや、別に何も言ってない。それじゃ、休憩は終わりだ。仕事を再開するぞ。」


そして2人はその後、自分のデスクでPC画面に目を落した—。




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