5-5 心無い残酷な言葉
時間は2時間程前に遡る―。
リビングのソファベッドでぼんやりと天井を見ていた朱莉は隣の部屋に寝ている明日香のうめき声に気が付いた。
「ううう・・・・お、お腹が・・・・っ!」
それはとても苦し気なうめき声だった。
「明日香さんっ?!」
朱莉は飛び起きて急いで寝室へ行くと、明日香は真っ青な顔で額に汗を浮かべてお腹を押さえている。
「う・・い、痛い・・く・苦しい・・・。」
この苦しみ様は尋常ではない。朱莉は急いで電話をかけ、救急車を呼んだ―。
朝9時―
名古屋から始発で新幹線に乗って翔と琢磨が明日香の入院している病院へと駆けつけてきた。
そこには病室の待合室の長椅子に座っていた朱莉が待っていた。
「朱莉さんっ!明日香は・・・明日香の様子はっ?!」
翔は朱莉を見ると両肩を掴んで詰め寄って来た。
「あ、あの明日香さんは・・・っ!」
「おいっ!落ち着けっ!翔ッ!」
そこを止めたのは琢磨だった。
「あ・・・。」
そこで翔は自分が思っていた以上に取り乱している事に気付き、溜息をついて力なく長椅子に座り込む。
そこへ主治医の男性医師が現れた。
「ご家族の方ですね?」
翔の顔を見ると声を掛けてきた。
「は、はい。それで・・・彼女の具合は・・・?」
「ええ、今から説明致します。どうぞ中へお入り下さい。」
医者に促され、翔は力なく立ち上がると病室へと入って行った。
そして待合室に取り残されたのは朱莉と琢磨。
「・・・・。」
朱莉は青ざめた表情で立っていた。そんな様子の朱莉を見て琢磨は声を掛けた。
「朱莉さん・・・。少し座ってお話しませんか?」
「はい・・。」
項垂れたまま、朱莉は椅子に座ると琢磨も隣に座った。
「朱莉さん・・・・明日香さんは・・妊娠していたんですね。知っていたんですか?」
琢磨は朱莉に質問した。
「はい。知っていました。・・・・でも私も聞かされたのは昨夜はじめてだったんです・・。明日香さんの自宅に招かれて・・そこで3カ月だって初めて聞かされて・・母子手帳を見せて頂いたんです。」
「そうですか・・・。」
琢磨は神妙な面持ちで朱莉の話を聞いていた。琢磨は朱莉が翔の事を好きなのはとっくに気付いていた。それなのに・・自分の好きな男性の子供を身籠ったと明日香に聞かされた時・・・朱莉はどれほどショックだっただろう?朱莉のその時の気持ちを考えると、今目の前に青ざめた顔で項垂れている朱莉が憐れでならなかった。
「私はリビングで眠っていて、明日香さんは隣の寝室で眠っていたんです。それで夜の11時頃だったでしょうか・・・隣の部屋で眠っている明日香さんが苦し気な声で呻いているのが聞こえて・・・慌てて救急車を呼んだんです。そして病院に明日香さんが運ばれた後・・・翔さんにお電話しました・・・。」
「はい、そこから先の話は私も副社長から聞かされました。」
あの夜、髪を振り乱して琢磨の部屋へやって来た翔。朱莉からの電話で、実は明日香は妊娠3カ月で、今流産の危険性があり、病院へと運ばれた事・・・それらを動揺しながら翔は琢磨に説明したのだ。
その時―ガラリと病室のドアが開かれ、医者の後に続き、青ざめた顔色の翔が現れた。
医者は琢磨と朱莉に会釈をすると廊下を歩き去って行った。
「翔、明日香ちゃんの様子はどうだ?」
琢磨は項垂れている翔に声を掛けた。
「お腹の子供は・・・駄目だった・・・。」
翔は今にも消え入りそうな声で言うと、朱莉をチラリと見ると言った。
「朱莉さん。君に・・・話があるんだ。病院の外で・・・話さないか?」
「は、はい・・。」
朱莉は首を傾げながらも返事をした。しかし・・・翔の切羽詰まった様子が気がかりだった。琢磨もそれに気づいたのか声を掛けた。
「当然、俺も話に混ぜて貰うからな?」
すると翔はチラリと琢磨を見ると言った。
「・・・好きにしろ。」
そして翔を先頭に、朱莉と琢磨は病室の中庭へと向かった。
中庭に着き、ベンチに座ると翔はジロリと朱莉を睨み付けるような目で見ると言った。
「朱莉さん。昨日は明日香とずっと一緒にいたのに・・・何故君は明日香の異変に気付かなかったんだ?」
「!」
まるで朱莉を責め立てるような言い方に朱莉の肩がビクリと跳ねた。
「お、おいっ!翔!お前・・何言ってるんだっ?!」
しかし琢磨の声が耳に入らないのか、翔は朱莉を責めるのをやめない。
「朱莉さん・・・君は明日香と同じ部屋にいたんだろう?しかも隣の部屋で寝ていれば・・・苦しがる明日香の異変にすぐ気が付いたはずだ。・・・違うか?」
「あ、あの・・わ、私は・・あの時はまだ眠っていなかったんです。だから明日香さんの苦しんでいる声にすぐ気が付いて・・それで・・。」
しかし翔は冷たい声で言った。
「それを・・・俺に信じろと言うのか?・・・もしかして君は・・苦しがっている明日香を放置して・・お腹の子供を流産させようと思っていたんじゃないのか?明日香は・・・君に子供を育てさせようとしていたからな。」
翔は眼に涙を浮かべながら朱莉に言った。
「!そ、そんな・・・・っ!!」
朱莉はあまりの翔の言葉にショックで目の前が一瞬真っ暗になってしまった。
「翔ッ!お前・・・・本気でそんな事を言ってるのかッ?!気でもおかしくなったんじゃないのか?!大体朱莉さんにそんな真似・・・出来るはずが無いだろうっ?!」
琢磨は翔の胸倉を掴むと怒鳴りつけた。
「う・・・うるさいっ!俺と・・・明日香の事なんか何も・・・お前達2人には分からないくせに・・・っ!」
翔はまるで血を吐くように叫び、そして朱莉を見た。
「今回・・・明日香に命の危険は無かったが・・・もう二度と明日香を見捨てるような真似は・・・しないでくれ。最低・・・後5年は・・君と俺は契約婚という雇用関係を結んでいるんだから・・・。分かったか?」
そしてフイと朱莉から視線を逸らせると言った。
「悪いが・・・今日はもう帰ってくれ・・・。今はこれ以上・・君の顔を見ていたくないんだ・・・。」
「!」
朱莉はその言葉に身体を震わせ・・・・俯くと言った。
「わ・・・分かりました。ほ・・・本当に申し訳・・・ございません・・でした。」
最期の方は今にも消え入りそうな声だった。
「翔っ!お・・・お前っていう奴は・・・。」
「・・・うるさい、琢磨。今日は仕事を休む。・・悪いが名古屋支社の資料を・・まとめておいてくれ。」
言うと、翔は立ち上がった。
「おい、翔・・・。何処へ行くんだっ?!」
琢磨は咎めるように翔に声を掛けた。
「・・・明日香の所だ。目が覚めた時・・・1人だったら・・可哀そうだろう?」
それだけ言い残すと翔は琢磨と朱莉を残して立ち去って行った。
朱莉は先ほどから俯き、肩を小さく震わせている。
「朱莉さん・・・・。自宅まで・・送りましょうか・・・?」
琢磨は躊躇いがちに声を掛けた。しかし、朱莉は俯きながら頭を振ると言った。
「い、いいえ・・・大丈夫・・です。1人で帰れます・・・。」
そして力なく立ち上がった朱莉に琢磨は声を掛けた。
「朱莉さん・・っ!」
一瞬、朱莉はビクリと立ち止まった。
「明日香は・・・子供の頃、一度大怪我をして死にかけた事があるんですっ!救急車を呼ぶのが・・・遅れて・・・。だからその時のトラウマが・・今も翔の中に残っているんですっ!朱莉さん、明日香は・・・無事だったんです。貴女は何も悪くない・・いや、むしろ明日香に命の別状が無かったのは・・・朱莉さん。貴女があの場にいたからだと俺は思っていますっ!」
琢磨は朱莉に必死で訴えた。
それが伝わったかどうかは分からないが・・朱莉は一度だけペコリと頭を下げると・・・立ち去って行った。
(朱莉さん・・・・っ!)
そんな朱莉の後姿をどうにもやるせない気持ちで琢磨は見送るしか無かった―。
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