5-4 明日香の将来設計

「ぼ、母子手帳・・・・。」


朱莉は明日香の差し出した手帳を信じられない思いで見つめていた。


「ウフフ・・・。最近遅れているなって思って・・・朝検査薬で調べたら妊娠反応があったのよ。それですぐに産婦人科に行ったら・・・3カ月ですって言われたの。」


明日香は嬉しそうに笑みを浮かべながら食事を口に運ぶ。


「まだ悪阻は無いんだけどね~最近お腹が良く空くのよ。それに不思議よね?妊娠するとね・・・食べ物の嗜好が変わるみたいなの。以前の私ってあんまりお肉料理が好きじゃなかったんだけど、最近お肉が好きになったのよ。ひょっとすると生まれて来る子もお肉が好きな子になるかもね~。」


明日香は饒舌に話しながら肉料理をカットして口に運んでゆくが・・・当の朱莉はすっかり食欲は皆無だった。


「あら?朱莉さん・・・貴女殆ど食事に手を付けていないじゃないの・・・?そんなんじゃ困るわよ?私が妊娠したからにはこれから貴女には色々協力して貰わないといけないんだから。」


「きょ・・協力・・ですか・・・?」


「ええ、そうよ。でもその話はまた今度にしましょう。朱莉さん、光栄に思いなさいよ?私の妊娠の話・・・まだ翔にも話していないんだからね?貴女に一番に話したんだからね。何故か分かる?」


「・・・。」


朱莉は黙ってしまった。


「あら、忘れちゃったの?ならもう一度教えてあげる。いい?おじいさまが・・・会社を引退するまでは私と翔は結婚する事が出来ないの。だから私が翔の子供を産むわけにはいかないのよ?つまり・・・朱莉さん。貴女が自分で産んだ事にしなくてはならないんだからね?それに私は子供が苦手だから、当然育てるのも貴女なのよ?まあある程度・・・よく子育ては2歳までが一番大変だって言われてるようだから・・3歳までは朱莉さん。絶対に貴女がこの子を育ててね。だからその為に6年という結婚期間を設けたんだから。」


明日香は自分のお腹に触れながら言った。


「!」


実は朱莉はあの契約書を交わした時・・・半分は冗談だと思っていたのだ。仮に明日香が妊娠した場合・・・恐らく母性本能が芽生えて自分で子育てをすると言いだすと思っていたのだが・・・どうやら明日香は妊娠しても変われないのかもしれない。


その後も明日香は子供が生れても翔と2人で過ごす時間を大切にしたいから自分達の邪魔を決してしないよう明日香に言い聞かせ続けるのだった—。




「ふう・・・・お腹一杯。妊娠するとね・・・すごく眠くなるのよ。朱莉さん、後片付けよろしくね。私はお風呂に入って来るから。」


「はい、分かりました。ごゆっくりどうぞ。」


正直朱莉は助かったと思った。これ以上2人きりで同じ空間にいるのは息苦しくて限界に近かったからだ。


テーブルの上に並べたられた料理は半分以上は明日香が食べつくしていた。

明日香の異常な食欲ぶりに朱莉は見ていて胸やけがするほどに・・。


明日香がバスルームに消えると、朱莉は持参していたエプロンをしめると手際よく片づけを始めた。

手付かずだった料理はタッパに綺麗に入れ直し、冷蔵庫に入れ、食器洗いに没頭した。そうでなければ正気を保っていられなかったのだ。



 それからたっぷり1時間はお風呂に入っていた明日香が上質なパジャマに着替えて風呂場から出てきた。


「あら、朱莉さん。綺麗に片付けてくれたのね?どうもありがとう。貴女もお風呂に入ってきたら?あ、出たらお風呂場掃除をしといてね?」


「はい。分かりました。ではお風呂頂いてきます。」


お風呂から上がった後はお風呂場掃除が残っているとなると、じっくりお湯に浸かっていると明日香に何を言われるか分からないと思った朱莉は湯船には入らず、シャワーだけ浴びるとそのまま風呂場掃をして、バスルームから出てきた。


「あら、朱莉さん。もう上がって来たの?随分早かったけど・・お風呂場掃除はしてくれたのかしら?」


奥のリビングから明日香の声が聞こえてきた。


「はい、明日香さん。御風呂場掃除、してきました。」


そして朱莉がリビングを覗くと明日香は巨大シアターで何やら洋画を観ている最中だった。

そして明日香は眠くなったのか欠伸をしながら言った。


「朱莉さん。悪いけどベッドルームには貴女を入れる訳にはいかないのよ。何せあの場所は私と翔の特別な場所なんだから・・・リビングのソファはソファベッドにする事が出来るから、貴女はそこで寝て頂戴。布団なら用意してあるから。」


いちいち嫌みな言い方をして明日香は朱莉の反応を楽しんでいるような素振りを見せるが、朱莉は心を無にして耐えた。


「有難うございます。それでは私はリビングで休ませて頂きますね。」


朱莉は明日香から布団を借りるとリビングのソファをベッドに直し、電気を消して横になったがちっとも眠くは無かった。その時―


リビングの隣の部屋のベッドルームから明日香の声が漏れてきた。


「ええ・・・うん、大丈夫よ。・・・ふふ・・・有難う。愛してるわ、翔。」


『愛してるわ、翔。』

何故かその言葉だけ・・・朱莉の耳に大きく響いて聞こえた。


朱莉はギュッと目をつぶり・・・唇をかみしめた。

隣のベッドルームで明日香さんと翔先輩は・・・愛し合って・・・明日香さんは翔先輩との間に赤ちゃんが・・・。

朱莉の脳裏にはモルディブで偶然明日香と翔の情事を見せつけられてしまったあの時の記憶が蘇り・・・朱莉は布団を被り、声を殺して泣いた―。

お願い、早く夜が明けて―と祈りながら、朱莉は涙を流し続けた・・・。




午前1時―


琢磨はホテルの部屋で1人、ウィスキーを飲んでいた。手にはスマホを握りしめている。


「くそっ!」


琢磨はベッドにスマホを投げ捨てると、グラスに注いだウィスキーを一気に煽った。

本当なら・・・今夜朱莉にバレンタインのお礼を電話で言うつもりだった。

だが、朱莉は今明日香に呼びつけられて、同じ部屋にいる。

そんな状況では琢磨が電話を掛ける事は出来無かった。


「全く・・・明日香ちゃんは何処まで朱莉さんを振り回すつもりだ・・。」


琢磨はイライラしながら再びグラスに氷を入れるとウィスキーを注いで飲み干すと乱暴にテーブルの上に置いた。


それにしても・・・・何故だろう。今夜は何かどうしようもないほどの胸騒ぎを琢磨は感じていた。


子供の頃から琢磨は異様なほど勘が優れていた。テストで山を張れば大抵当たっていたし、気まぐれで宝くじのナンバーズカードを買えば、高額とまではいかなくても損はした事が無かった。現に今琢磨は株を持っていたが、この株も現在かなりのもうけが出ていた。それゆえに・・・何故か今夜は嫌な胸騒ぎがして不安でならなかった。


「くそ・・・っ!この胸騒ぎは・・・一体何なんだ・・・?」


訳の分からない苛立ちについつい深酒になってしまう。

そして4杯目のウィスキーに手を出した時・・・


ドンドンドンッ!!


突然ホテルのドアが激しくノックされた。


「・・・翔か?」


ホテルのドアを開けると、そこには髪を振り乱した翔がホテルの入口に立っていた。

その只事ではない様子に流石の琢磨も驚いた。


「ど・・・どうしたんだ?翔・・・そんなに慌てて・・・。」


「た・・・大変だ・・・。琢磨・・・。」


「どうした?何があった?」


「明日香が・・・・。」


翔は声を震わせている。


「何だ?明日香ちゃんがどうしたんだ?」



「明日香が・・・明日香が救急車で運ばれたっ!たった今・・・朱莉さんから連絡が入ったんだっ!!」


そして翔はその場に崩れ落ちた。



まさか・・・・嫌な予感て・・・明日香ちゃんの事だったのか・・?


琢磨はその場に立ち尽くしていた—。


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