5-3 女二人のお祝いの席で

 朱莉が自宅へ戻ると、何と玄関前に明日香が立っており、危うく朱莉は悲鳴を上げそうになった。


「何よ・・・・人の事をそんなに驚いた顔で見て・・それより、朱莉さん。今まで何処に行ってたのよ。」


明日香は機嫌が悪そうに腕組みをしながら言った。

どうしよう・・一瞬朱莉は迷ったが・・・ここで変に隠し立てして後で明日香に真実がばれる位なら、今ここで全て白状した方が良いだろうと朱莉は判断し、正直に話す事にした。


「あ、あの・・・明日香さん。実は・・・犬の引き取り手が決まったんです・・・。それでその方の自宅に・・ペットフードやエサ入れ等を・・・届けてきたところなんです・・・。」


すると明日香が目を輝かせて言った。


「あら、朱莉さん。早速犬の引き取り手を見つけてきたのね?と言う事はもうあの犬はここにはいないのよね?」


「は、はい・・。もういません・・。」


明日香の笑みに心を傷付けられながらも朱莉は返事をした。


「そう、言われた事をすぐに実行に移す人・・・嫌いじゃないわよ。それで・・。」


チラリと明日香は朱莉を見ると言った。


「お茶の一杯くらいは入れて貰えるかしら?」


「は、はい。気が付かず申し訳ございません。」


慌てて朱莉は鍵を開けると、明日香を招き入れた。明日香は部屋に上がり込むと、ジロジロと部屋中を見渡す。


「ほんとに・・・相変わらず何も無いシンプルな部屋よね・・・。これならいつでもすぐにこの部屋から出て行けそうよね?」


意味深な明日香の言葉に思わずお茶の準備をしていた朱莉の手が止まる。


「いやあね~冗談に決まってるでしょう?これから貴女にはまだまだ役立ってもらわないとならないのだから。」


またもや明日香の口から意味深な言葉が飛び出し、朱莉の心臓の動悸が早まって来た。

何だか怖い・・・・明日香さん・・・何か・・私に依頼する事でもあるのだろうか・・?

朱莉は震えそうになる手を必死に抑えて、コーヒーを淹れてテーブルの前に置いた。

すると明日香が露骨に嫌そうな顔をする。


「ねえ。朱莉さん・・・・私今、カフェインは口にしないようにしてるのよ。ハーブティーは無いのかしら?」


眉をしかめながら明日香が文句を言って来た。


「あ・・・す、すみません・・・。今度用意しておきます・・。」


慌てて朱莉は頭を下げた。


「そうね。出来ればカモミールかローズヒップを用意しておいてくれるかしら?

忘れないでよ?」


朱莉は足を組んでブラブラさせながら言った。


「はい・・・必ず用意しておきます。」


すると明日香が突然立ち上がると朱莉に言った。


「ねえ・・・朱莉さん。実は今日は翔が名古屋出張でいないのよ。それで翔がね・・私の事が心配だから朱莉さん・・貴女に私達の部屋に泊るようにって言って来たのよ。」


明日香の言葉に朱莉は驚いた。


「え・・・本当ですか・・?」


すると明日香の顔が険しくなった。


「何よ・・朱莉さん。貴女・・・私の話を疑うつもり?」


「い、いえ・・・。決してそんなつもりでは・・・。」


朱莉は慌てて手を振った。


「そう、ならいいけど。あのね。うちの家政婦が夕食を作って帰るのが夕方の6時なのよ。だからその時間に間に合うようにいらっしゃい。ご馳走してあげるから。うちの家政婦の作る料理は絶品なのよ?」


明日香は腕組みしながら言った。



 明日香と2人きりで食事・・・・朱莉としては御免被りたい話ではあるが、翔と明日香からの命令とあれば歯向かう訳にはいかない。そこで朱莉は重たい気分で明日香の話を承諾した・・・。




 夕方5時―


翔のスマホに明日香からメッセージが入って来た。明日香の事が心配だった翔はすぐにスマホをタップしてメッセージに目を通すと呟いた。


「ま・・・まさか・・・本当に・・?」


近くにいた琢磨はその言葉を聞き逃さなかった。


「どうしたんだ?翔。今のメッセージ・・・明日香ちゃんからなんだろう?一体何て書かれてあったんだ?」


「あ・ああ・・琢磨・・。実は朱莉さんが・・・今夜明日香が1人で部屋に居させるのは心配だからと言って・・・泊まり込みに来てくれることになったらしいんだ。」


翔は呆然とした顔で琢磨に言った。途端に琢磨の顔が険しくなる。


「おいっ?!翔・・・まさかその話、鵜呑みにするつもりじゃないだろうな?!」


「・・・。」


しかし翔は答えない。


「いいか・・・?確かに朱莉さんは俺が今夜は出張で東京にいない事は知っている。だが、翔。お前も出張だという話は知らないんだぞ?それなのに明日香ちゃんに今夜は1人だから自宅に泊ってあげるなんて言うと思ってるのかっ?!」


琢磨は怒りを抑えながら翔に質問をぶつける。


「あ・ああ・・・。確かにこれは明日香の勝手な言い分かもしれないが・・・明日香は夜1人で過ごすのが不安なんだよ・・・。だから朱莉さんに・・頼んだんじゃ無いのかな?」


しかし、琢磨はそれを一喝した。


「ふざけるなっ!明日香ちゃんが素直に朱莉さんに頭を下げるものかっ!恐らくお前の名前を出したに決まってる。きっと・・・命令だとか何とか言ったんじゃないのか?・・・気の毒に・・・。」


琢磨の最後の言葉は消え入りそう小さかった。


「・・・そう・・なのだろうか・・?」


しかし、いまだに翔は明日香の話を半分は信じよとしているのが琢磨には分かった。

そこで琢磨は言った。


「いいか?!今度から・・・明日香ちゃんの我儘に朱莉さんが振り回された場合は・・・いつもの手当てに倍乗せしてやるんだなっ!」


言いながら琢磨は包装紙に包まれた箱を翔に渡してきた。


「・・・これは何だ?」


「・・・言っておくが、お前のじゃないぞ?朱莉さんへのおみやげ・・・ういろうだ。彼女に渡してやってくれ。・・俺はこれから名古屋支店の得意先へ顔を出してくる。」


そう言うと琢磨はコートを羽織ると足早にオフィスを出て行った―。




午後6時―



明日香の部屋のチャイムが鳴った。


「いらっしゃい。朱莉さん、待ってたわよ?」


何故かそこにはドレスアップした明日香が笑みを浮かべて立っていた。


「こんばんは。明日香さん。今夜一晩よろしくお願いします。あの・・・先程はすみませんでした。こちら・・・ハーブティーになります。今夜食事にお招きいただいたお礼です。」


朱莉は綺麗にラッピングされたハーブティーを明日香に差し出した。


「あら?わざわざ持って来たの?自分で持っていたら良かったのに。」


明日香は片手でハーブティーを受け取ると言った。


「あ、それは大丈夫です。ちゃんと間借りしてるお部屋にも・・・置いてありますから。」


「ふ~ん・・・間借りねえ・・・最近、ようやく自分の立場に気が付いて来たのね?いい傾向だわ?」


明日香は機嫌よさげに言う。


「それじゃ、上がって。今夜は特別な日なんだから。」


「はい、お邪魔します。」


朱莉はダイニングテーブルに案内されながら思った。特別・・・一体何が特別なのだろうか・・?


明日香に案内されると、ダイニングテーブルにはそれは見事な料理がズラリと並べられていた。それはまるでホテルのレストランの様であった。


「す・・すごいご馳走ですね・・・。」


朱莉は眼を丸くして驚いた。


「ええ、そうよ。だって今夜は・・・特別な日なんだから。だから朱莉さんと2人でお祝いしたかったのよ。」


ますます意味深な笑みを明日香は浮かべる。


「特別な日・・・ですか?私と2人で・・・お祝いを?」


(分からない・・・何故明日香さんは私と2人でお祝いをしたいと言って来るの?)


「本当はお祝いで乾杯したいところだけど・・・私はお酒飲めないから、朱莉さんだけでもワインでも如何?」


明日香はワインボトルを差し出してきたが、朱莉は遠慮した。


「い、いえ。私も大丈夫ですから・・。それよりお祝いって・・?」


すると明日香はそれには答えず、代わりに一冊の手帳を差し出してきた。


その手帳にはこう書かれていた。


『母子手帳』と―。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る