4-8 初めての翔からの電話

 夜の9時―


朱莉はペットショップからPCに送られてきたメールに目を通していた。そこには今日も新しく飼い主になってくれるような方は現れませんでしたとう内容のメッセ―ジが書かれていた。


「やっぱり、そう簡単には見つからないんだな・・・。」


朱莉は犬用ベッドで丸くなって眠っているマロンを見ながら溜息をついた。

マロンは今から30分程前に朱莉がシャワーで綺麗に洗い、ドライヤーで乾かしてあげた頃にはすっかり眠くなっていたようで、今は気持ちよさそうに眠っている。


椅子から立ち上がると、そっと眠っているマロンの身体に触れる。

温かい・・・・。マロンの温かい体温が、ドクドクと動く心臓の音が朱莉の掌を通して伝わって来る。

 朱莉の掌に涙がポトリと垂れた。

マロンの身体に触れながら・・・朱莉は声も出さずにポロポロと涙を流していた。


マロン・・・離れたくない・・・。あなたを手放したくない・・・。ずっと側にいて欲しい・・・・。


その時、突然朱莉のスマホに電話の着信を知らせるメロディーが鳴り響いた。


「電話・・・?」


珍しい。誰からだろう。

ひょっとして・・・母からだろうか・・・?電話の番号は見た事も無い番号だった。

どうしよう?

電話に出ようか出まいか、朱莉は迷ったが・・スマホをタップした。



「もしもし・・・?」


『朱莉さんか?俺だ。翔だよ。』


電話の相手はなんと翔からだったのだ。今まで一度も翔から電話を貰った事が無い朱莉はすっかり面食らってしまった。


「あ、あの・・・本当に翔・・・さんなんですか・・?」


『ああ・・・・そうだよ。・・すまない、今まで一度も電話を掛けた事が無かったから驚かせてしまったね?』


「あ・・・はい、少し・・・驚きました。」


受話器越しから聞こえて来る翔の声に朱莉の心は自然と高まって来た。


『うん?何だか・・・声の調子がおかしいみたいだけど・・・鼻声だ。もしかして・・泣いていたのかい?』


「!」


翔の気遣うような言葉に思わず朱莉は息を飲んだ。その様子が翔に伝わったのだろうか。


『すまなかった・・・・。朱莉さん。』


「え・・?」


突然の翔の謝罪の言葉に朱莉は戸惑った。


『明日香が・・・朱莉さんにマロンを手放す様に言ったらしいな?』


「!知って・・いたんですか・・?」


まさか、翔にマロンの件の話が伝わっているとは朱莉は夢にも思わなかった。


『ああ、明日香が自分から言って来たんだ。・・・・本当にすまなかった・・。俺がへまをして琢磨経由で朱莉さんが動画撮影してくれたマロンの動画を明日香に見つかってしまったばかりに・・・。』


「え・・?翔・・さん。動物が嫌いだったんじゃないんですか・・・?」


翔の言葉に朱莉は耳を疑った。


『いや?俺は・・・動物は好きだよ。何でそんな事・・・・って・・そうか。明日香が・・朱莉さんにそう話したんだな?』


「は、はい・・・・。」


すると受話器越しから翔の溜息をつく声が聞こえてきた。


『本当に・・・朱莉さんには申し訳ない事をしてしまった・・・。明日香は・・本当に動物が嫌いで・・・俺は本当はずっとペットのいる生活に憧れていたんだ・・。だから朱莉さんにはペットを自由に飼わせてあげたいと思っていたのに・・・まさか明日香が直接朱莉さんの元へ行くとは思ってもいなかったんだ。本当にすまない。』


翔の声は苦渋に満ちていた。だけど、朱莉は今迄翔にそこまで気にして貰った事が無かったので、自分の心が震えているのを感じた。


『朱莉さん・・・俺には明日香を止める事が出来ない・・・。』


朱莉は翔の話を黙って聞いていた。

ええ。分かっています・・・・だって翔先輩の一番は・・・明日香さんだっていう事は高校時代から・・・。

だから朱莉は眼を閉じると言った。


「はい・・・。今マロンの飼い主を探している所です。でも・・・有難うございました。」


『・・・何故・・・お礼を言うんだい・・・?』


翔の声は・・何処か苦しそうだった。


「それは・・・・ほんの短い間でも・・マロンと一緒に暮らせたからです。感謝しています・・。」


目頭が熱くなり、鼻の奥がツンとなったが、朱莉は泣くのを必死で堪えながら言葉を綴った。駄目・・・今ここで泣いたら翔先輩が・・・気にしてしまう。


『朱莉さん・・・。俺の方でも・・・マロンを大事に育ててくれそうな人を探してみる。明日香の提示した期限・・・ギリギリまではマロンの側にいられるように・・条件を提示して探してみるから・・。すまない。それ位しか・・してやれなくて。』


「いえ・・・。お、お仕事が忙しいのに・・・そこまで考えて頂き・・・ありがとう・・・ございます。」


朱莉は泣きたい気持ちを必死に抑えて翔にお礼を述べた。


『朱莉さん・・・・。』


翔の声が躊躇いがちに朱莉の名を呼んだ。


「は、はい。」


『藍色のマフラー・・・。俺の為に編んでくれたんだって?大事に使わせて貰っているよ。・・・有難う。』


翔の言葉に朱莉は驚いた。


「え?ど、どうして・・・?」


『明日香が・・・朱莉さんの所へ行った時、マフラー・・無くなっていただろう?』


「は、はい・・・。」


『部屋に帰ったら・・・マフラーがソファの上に落ちていたんだ・・・。』


「!」


『てっきり、俺は明日香が編んだマフラーなのかと思って尋ねたら、明日香は頷いたんだよ。だけど・・・よく考えてみれば、明日香には編み物なんか出来ない。』


「あ・・・。」


『そして琢磨に聞いたんだ。朱莉さんが・・・俺の為にマフラーを編んでくれていたって話をね・・・。』


受話器越しから聞こえて来る翔の声は・・・今迄朱莉が聞いた事もな程に優し気なものだった。


『ありがとう。・・・誰かに手編みのマフラーを貰ったのは生れて初めてだったから・・本当に嬉しかったよ。』


「!」


朱莉は思わずスマホを落しそうになってしまった。まさか翔からそのような言葉を貰えるとは思ってもいなかった。


『本当に・・・今回の件はすまなかった。いずれ・・・改めて何らかの形で朱莉さんに謝罪させてもらうから・・・今回のマロンの件は・・・。』


(翔先輩だって・・・本当は動物が好きなのに・・私の辛い気持ち・・・分かってくれてるんだよね・・?)


「はい、分かっています・・・。マロンの事は・・・私も今飼い主さんを探している所なので・・・大丈夫です・・。」


『そうかい・・・?それじゃ・・・そろそろ電話を切らせてもらうね。実は・・この電話は会社の電話なんだ。家では・・朱莉さんに電話を掛ける事が出来ないから。』


「!そうだったんですね?すみません。長々とお話してしまって・・・。」


道理で知らない電話番号だったはずだ。


『ああ、それじゃ・・・飼い主が決まったら・・またこの番号で電話を掛けるから。後、朱莉さんが飼い主を見つけた場合は・・・琢磨に連絡を入れて貰えるかな?』


「はい。分かりました。」


『うん、それじゃ・・・お休み。』


「はい・・・失礼します。」


そして朱莉は通話を切った。


『お休み』


一生この言葉を翔から貰える日は来ないだろう・・・・。

朱莉はそう思っていた。

次から次へと朱莉の目から涙が零れ落ちて来る。


「マロン・・・・。あなたとは・・・もうお別れしないとならないけれど・・・あなたがいてくれたから・・・少しだけ、翔先輩との距離が縮まったよ・・・。短い間だったけど・・・マロン。あなたに出会えて・・・本当に良かった。待っていてね。必ず・・・マロンを幸せにしてくれる飼い主さんを・・見つけてあげるから・・・。」


そして朱莉はいつまでもいつまでも眠っているマロンの身体を撫で続けた—。

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