2-17 明日香の不在の夜
結局、この日朱莉は明日香と翔の件ですっかり落ち込み、食欲が薄れてしまい折角の魚料理をあまり食べる事が出来なかった。
エミは折角の料理だからと言ってお店の人にコンテナボックスを頼むと、料理ごとに分けてトングを使って入れて、今夜のおかずにするから気にしないでと言って笑ったが、朱莉は申し訳ない気持ちで一杯だった。
「本当に折角連れ出して貰ったのに、申し訳ございませんでした。」
ホテルまで送って貰うと朱莉は何度も何度もエミに頭を下げた。
「あら、いいのよ。全然そんな事気にしないで。それにしても・・・本当に大丈夫?顔色が悪いから心配だわ。そうだ!何か栄養のあるものを後で届けてあげるわ!」
「いえ!そんなそこまでして頂くわけには・・・っ!もうどうかエミさんも今日は私の事は構わず、お休みください。」
朱莉は思わず恐縮してしまった。
「何言ってるのよ、アカリ。夕方6時に迎えに来るわよ。2人で出かけるからね。」
「え・・ええっ?!出掛けるって・・・一体何処へ?!」
「アカリはまだ若いんだから、もっと羽目を外す事もするべきなのよ!いい?夕方6時にホテルの部屋に迎えに行くから、体調管理をして待っていなさいよ?約束だからね?!」
エミは朱莉に無理やり約束をさせると、車に乗って去って行った。
ホテルの部屋に戻り、ベッドに横たわると朱莉はポツリと言った。
「ふう・・・エミさんて意外と強引なところがある人なんだな・・・。」
でも・・・正直嬉しかった。まだ会って数日しか経っていないのに、明日香の前に立ち塞がって朱莉を守ってくれた事・・・あの時、本当は涙が出そうに成程朱莉は嬉しかったのだ。
本当は欲を言えば、翔先輩に・・・庇って貰いたかった・・・・。
でも・・・それは夢のまた夢。
鳴海翔の一番は高校時代から常に明日香だったのだ。今更と言われても、どうしても朱莉は期待してしまっていたが、その結果は・・・・?
翔は朱莉を見る事すらしなかったのだ。
「もう・・・翔先輩には何も期待したら駄目・・・なのかな・・・・?」
そして、朱莉はいつの今にかそのままベッドの上で眠りに就いてしまった—。
その頃、明日香と翔の部屋では―。
「悔しいっ!!何故私がたかがガイドごときに馬鹿にされなくちゃならない訳?!」
高級ブランドのショルダーバックを乱暴にベッドに投げつけた。
「おい、明日香!少しは落ち着けって!」
翔は明日香を宥めるのに必死である。
「煩いわね!元はと言えば翔がいけないんでしょ!突然あのレストランに行こうって言い出すからっ!
明日香は乱暴にイヤリングとネックレスを外すと、翔に向かって投げつけた。
「だ、だが最初にあのレストランに興味を持ったものは明日香じゃないか?」
翔は明日香が投げつけたネックレスとイヤリングを拾い上げながら言った。
「だけど、最終的にあのレストランを選んだのは翔じゃないのよっ!」
「あ、ああ・・・。そうだ。俺が選んだ。・・・すまなかった。」
何とも理不尽な話だとは思っていたが、明日香の機嫌を損ねない為には翔が自ら折れるしか無かった。
「大体あの店も失礼よ・・・。私達が誰か知らないからあんな態度を取ったのね?あんな侮辱初めてだわ!見てなさいよ・・・。日本に帰ったらネットにあの店の悪い口コミをかいてやるんだからっ!」
「お・・・おい、それだけはやめておけ。明日香!」
翔は顔色を変えて言った。
「お前・・・そんな誹謗中傷を書き込んで、正体がバレたどうするつもりなんだ?もう少し俺達の社会的立場を考えて行動してくれ。」
「うるさいっ!翔!」
明日香は吐き捨てるように言うと、ソファから立ち上がり、隣室へ行くとドアをバタンッと閉めてしまった。
「明日香・・・。」
翔がドアをドンドン叩いても中から返事は返って来ない。
ふう・・・・。
翔は疲れ切った表情でため息をつくとソファに崩れるように座り込んだ。ここ数日、明日香のヒステリックが起きる頻度が増えてきている気がする。
やはり精神安定剤を一時的に中断しているのが良く無いのだろうか?
2人でモルディブへ観光に来れば明日香の機嫌も直ると思ったのに・・・それは大きな間違いだったのかもしれない。 そして、今翔の頭の大半を占めていたのは実は明日香ではなく、朱莉の方であった。
(可哀そうな事をしてしまった・・・・。まさか彼女がガイドの女性とあの店に来ていたなんて・・・。あらかじめ連絡を取り合って、鉢合わせしないようにもっと配慮すべきだったのだろうか・・・。)
いや、そうじゃないなと翔は思った。
あの時・・・明日香のヒステリーが酷くなっても明日香を止めて、朱莉に謝罪するべきだったのだ。
あの時の朱莉の怯え切った目と、青白い顔に小刻みに震えていた小さな身体が脳裏に焼き付いて離れない。
今の段階の契約では朱莉との結婚生活は6年だ。契約書を見直して、もっと渡す現金を増やしてあげるべきなのかもしれない・・・。
そこまで考えていた時、突然ドアが開けられて明日香が部屋から出てきた。
「!あ・・明日香。お前、一体なんて恰好をしているんだ・・・?そ、それに何処かへ出掛けるつもりなのか?」
翔は声を震わせて言った。
胸元が大きく開いたベアトップの真っ赤なフレアーワンピースに派手なメイクをした明日香が現れたのである。そして手には小さなボストンバックが下げられていた。
「ええ、そうよ!私達・・・今夜は同じ部屋に居ない方がいいと思うの!ついさっき、ネットでこの島から少し離れた小島の水上ヴィラを予約したのよ。今夜はそこに泊るから、翔は1人この部屋にいるといいわ!」
そして部屋を出て行こうとする。
「待て!明日香!ここは日本じゃないんだっ!1人で行動するなんて危険な真似はやめてくれっ!」
翔は必死に懇願して明日香から荷物を奪おうとしたが、次の瞬間明日香に平手打ちをされてしまった。
「あ・・明日香・・・。」
明日香は冷めた目で翔を見ると言った。
「明日の朝、迎えに来て頂戴。」
そしてひらりとホテルの名前と電話番号を書いたメモをテーブルの上に置くと、荷物を持ち、バタンとドアを閉めて出て行ってしまった。
「明日香・・・。」
翔は呆然と閉じられたドアをただ見つめるしか無かった。
琢磨の台詞が頭の中に蘇って来る。
<翔・・・明日香ちゃんがあんな風になったのは・・。>
琢磨・・・。やはり、俺のせいなのか?俺が明日香をあんな風にしてしまったのか・・・?
「ほらアカリ。動いちゃダメよ、メイクが出来ないでしょ?」
今朱莉は部屋を訪れてきたエミに化粧をされていた。
「で、でも・・・こんな姿、は・恥ずかしくて・・。」
朱莉は消え入りそうな声で俯くと、エミに顔を上げられた。
「コラ、下向かないの。メイクが出来ないでしょう?!」
それから約20分後・・・・。
「はい、出来た、完成~!はい、あっちに行って鏡を見てごらんなさい?」
無理矢理エミに手を引かれ、朱莉は全身が映る鏡の前に立たされて息を飲んだ。
「こ・・・これが私・・・・・?」
大きな花柄のブルーのノースリーブのワンピースに、緩く巻き上げた髪、そしてアイシャドウにグロスを塗った顔はとても自分とは思えなかった。
「ほら~もともと貴女は美人だったけど・・・3割増し位美人になったわ。さ、それじゃ行くわよ。」
朱莉の細い腕を掴むとエミは言った。
「え?ええ?行くって・・・一体何処へ?!」
「勿論!素敵な大人が行く店よ?」
エミはパチリとウィンクした。
「あ、あの・・・私、こんなお店来るの初めてなんですけど・・・。」
朱莉はエミに耳打ちしながら言った。
エミが連れてきたのは高級ショットバーの店であった。客は全て外国人観光客ばかりで、誰もが高級そうな服をみにつけている。
「ほら、アカリ。貴女・・・すごくキュートだから皆に注目されてるわよ?」
エミは嬉しそうに言う。
「え?そ、そんな・・・・!」
エミに言われて朱莉は顔が真っ赤になった。しかし、言われてみるとその店の男性客は朱莉に注目しているようにも見えた。
「さあ、アカリ。何を飲む?」
メニューを広げかけ・・エミは言った。
「あ、そうだったわね。英語表記だったから・・・いいわ、それじゃ私が適当に頼むからね!」
そしてあっという間に2人のテーブルはあっという間に様々なカクテルで埋め尽くされた。
「さあ!ジャンジャン飲んでね!」
エミはグイグイと朱莉にアルコールを進めて来る。
そして素直な朱莉は言われるままにカクテルを飲み続け・・・とうとうテーブルに突っ伏してしまった。
「ねえねえ。アカリ・・・大丈夫なの?」
エミが心配そうに朱莉を揺する。
「あ・・・ハイハイ。大丈夫ですよ~。」
しかしその目はトロンとし、頬は赤く染まっている。
「う~ん・・・困ったなあ。アカリ、ちょっとだけ電話してくるから、じっとしてるのよ?」
エミはタクシーを手配する為に店の外に出た。
そして朱莉が1人になった所を男性客が近付いて行く・・・・。
その外国人客は舌なめずりをしながらテーブルに突っ伏している朱莉の肩に手を置こうとして・・・1人の東洋人観光客に止められた。
『おい、お前・・・その女性に何をしようとしている?』
その男性客は翔であった。
『何だ・・・貴様!関係無い奴は引っ込んでろッ!』
しかし翔は引かない。
『彼女は俺の連れだ・・・・。いいか?これ以上彼女に近付こうものなら警察に通報するぞ?この店のオーナーと俺は友人同士なんだ。二度とこの店に顔を出せないようにしてもいいのか?』
『くそっ!分かったよっ!』
男性客は吐き捨てるように言うと店を出て行った。
翔はテーブルに突っ伏している女性が朱莉だと言う事には気付かずに溜息をついた。
「全く・・・こんな店で寝てしまうとは・・なんて無防備な女性なんだ・・・。」
そこへエミが戻って来た。
「ごめんね~アカリ。遅くなって・・・って、ええ?!」
エミは翔を見ると驚いた。勿論、翔も同様に驚いた。
「あ・・・き、君は・・・。え?と言う事は彼女は・・・?」
「ええ、そうよ。あんた達に冷たい態度を取られている可哀そうなアカリよ。気分転換に連れ出してあげたけど・・・・酔ってしまったから今タクシーを呼んだところなの。」
「そうか・・・。すまなかった。彼女は俺が連れて帰ります。」
そして翔は軽々と朱莉を背負った。
「ねえ・・・。どんな事情があるか知らないけど・・・中途半端な優しさは・・・やめてあげてね。アカリの為に・・・。」
エミは腕組みしながら言った。
「・・・はい、分かりました。」
そして翔はエミが手配したタクシーに乗り込み、朱莉を部屋へと連れ帰った。
「・・・。」
部屋に着くと翔は部屋のなかを見渡した。
少ない荷物に・・・自分達の部屋に比べればずっと見劣りのする部屋・・・・。
改めて翔は朱莉に申し訳ない気持ちで一杯になった。
「すまない、朱莉さん・・・。」
朱莉をベッドに寝かせると、翔は布団をかけて部屋を後にした―。
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