2-18 サザンクロスに願う

 あの日の夜から数日が経過していた。

朱莉は日本に帰るまでの残りの数日をガイドのエミと楽しく過ごした。

2人で海に泳ぎに行ったり、シュノーケリングをしたり・・・ボートに乗って初めてイルカと遭遇した時は感動のあまり中々眠りにつく事すらできなかった程だった。



 そして今夜がモルディブ最後の夜と言う日・・・。

朱莉はエミに夜のビーチに誘われた。


「アカリ、モルディブに来たなら絶対にビーチで星空を見ておかなくちゃね。考えたら今まで二人で夜空を見上げた事が無かったじゃない。」


エミは嬉しそうに言うと、持参してきた缶ビールを朱莉に手渡した。

2人で乾杯をして、良く冷えたビールを飲み、ため息をつくと朱莉は言った。


「すごく星空・・・・綺麗ですね。あんまりこの島へ来てから・・星空を眺める事が無かったので。まるでプラネタリウムを見ているみたいで最高の気分です。」


朱莉は笑った。


「あら、中々良い表現をするのね?」


エミはビールをゴクリと飲み干して星を眺めている。


「それにしても・・すごくこれって日本では贅沢な事かもしれないですね・・・。この島だから出来る事なんですよね・・・。」


朱莉は満点の星空をうっとりと眺めながら言った。


「ねえ・・・アカリ。私、いいものを持ってきてるんだ。」


突然エミが朱莉の方を振り向くと言った。


「え・・・?いいいもの・・・?いいものって何ですか?」


「ほら、これよ。」


そう言ってエミがカバンから取り出したのは星座表だった。


「え・・?これって・・確か星座表・・ですよね?」


「うん。これで・・・2人で一緒にサザンクロスを見つけましょっ!」


エミは目をキラキラさせながら言った。


「サザンクロスって・・・もしかして南十字星・・・ですか?素敵・・・とてもロマンチックですね。」


「ええ、そうね。はい、それじゃ一緒に探しましょ!」


それから2人はあれでも無い、これでも無いと騒ぎながら、星座表と夜空を見上げ・・・。


「やった!ついに見つけたわね!」


「はい!あれで間違いないですよ!」


アカリとエミは2人で手を合わせると喜んだ。

そして改めて南十字星を見上げながら2本目の缶ビールに手を伸ばす。


南十字星を見上げながらビールを飲んでいるエミを見ながら、朱莉はどうしても質問してみたい事があった。


「あの・・エミさん。1つ聞きたい事があるですけど・・・いいですか?」


「うん?なあに?」


「どうして・・・1人でモルディブへ移り住んだんですか・・・?私には・・エミさんのような行動力が無くて・・・それで・・ただ周りに流されるままに生きてきて・・・。今も・・・。」


「アカリ・・・。」


エミはじっと朱莉を見つめた。


「わ、私に・・もっと強い心があれば・・・今みたいな・・状況になっていなかったのかなって・・・もう少し今とは違った人間関係を築けていけたのかなって・・思って・・。」


最期の方は消え入りそうな声で言うと朱莉は俯いた。


「ねえ、アカリ・・・。昔からサザンクロスに願い事をすると・・・願いが叶うって言われているの・・・・知ってる?」


エミは突然今迄とは違う口調で語り始めた。朱莉はエミの変貌ぶりに少し驚いたが、質問に答えた。


「い、いえ・・・知りませんでした・・・。」


「そっか・・・。それじゃ、少しだけ私の昔話に付き合って貰おうかな?」


エミは残りのビールを飲み干すと言った。


「昔ね・・・私には日本にいた時・・恋人がいたのよ。彼は・・・海がすごく好きな人でサーフィンが得意な人だったの。そしていつかモルディブでサーフィンをしたいってよく言ってたっけ・・・。」


エミはいつしか遠い目をしながら星空を眺めている。


「ある日・・・2人でサーフィンに海に出たんだけど・・波がすごく高かったのよね。私は・・まだサーフィンが得意じゃ無くて、波に乗るのに失敗して・・・。」


エミは瞳を閉じた。


「彼は必死になって溺れた私を助けてくれたんだけど・・・私を助けた為に力尽きちゃったのかな・・。気付いたら彼の姿が消えていたのよ・・・。」


「!!」


朱莉は思わずエミの顔を見た。

しかし・・・そこには何の感情も見せず、淡々とした表情のエミがいた。


「彼は・・結局3日経っても見つからなくて・・・遺体が無いまま、お葬式をあげる事になってしまったの。だけど・・・私はどうしても彼が死んでしまったなんて信じられなくて・・ひょっとすると、モルディブにサーフィンをしに来てるんじゃないかなって馬鹿な考え迄持ってしまって・・・・。」


エミは俯いた。


「彼は・・・言ってたの。いつか南十字星が見える場所で2人で一緒に見つけようって。彼はね、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の小説が好きだったのよ。それで、私もその小説を手に取って・・サザンクロスの話が目に止まったの。」


「エミさん・・・。」

朱莉も銀河鉄道の夜の話はよく知っていた。主人公ジョバンニと彼の親友カムパネルラが銀河鉄道に乗って旅をする話・・・。物語の終盤で、銀河鉄道に乗っていた乗客が天上と呼ばれるサザンクロスの駅で降りてしまうんだっけ・・。そして結局、カムパネルラは現実世界で・・・・友人を助ける為に川に入って・・溺れて死んでしまった—。


「彼が行きたがっていたこの島で、サザンクロスが見えるこのモルディブに来れば・・彼に会える気がして・・・私は1人でこの島へやって来たの。でも・・本当の事を言えば・・・死に場所を求めていたのかもね・・・。」


「!」

朱莉はあまりにもショッキングな話に言葉を無くしてしまった。


「だけど、そんなボロボロになってしまっていた私を救ってくれたのが今の主人って訳よ。」


突然エミはそれまでのしんみりした様子から明るい笑顔になると言った。


「あのね・・・アカリ。私・・・少しだけ、クジョウタクマって人と電話で話したのよ。だから貴女の複雑な事情も少し・・・・知ってる。その上で話をさせて貰うけど・・・アカリ、貴女・・・本気で偽装結婚の相手の事・・・好きなんでしょう?ひょっとすると初恋の相手・・・だったりとか?」


エミの言葉に朱莉の肩が動く。


「そう・・・やっぱりね・・・。アカリ、あの女が貴女にあれだけ強く当たるのは・・アカリが彼に恋心を抱いているのを知ってるからよ?」


「え・・?」

そ、そんな・・・なるべく顔に出さないようにしていたのに・・・?


「ほら~その顔。アカリはすぐ感情が顔に出てしまうんだから・・だからバレちゃうのよ。」


エミは朱莉のおでこをコツンと叩くと言った。


「わ・・・私・・そんなに分かりやすかったですか・・・?」


「うん、ほんっと分かりやすいわ。だから・・・素直で羨ましい・・・・。」


「え?」


「うーん、何でも無い。だけどね・・・私が言いたい事はそんなんじゃない・・。私が言いたいのは、例え、どんなに望んでも・・世の中にはどうしようも無い事があるのよ・・。いつまでも過去の思い出にしがみ付いていても・・・幸せは来ないのよ。だから、私はここでアカリとサザンクロスを見つけたかったの。アカリに幸せが訪れますように・・・そして私自身の願い・・・いつかまた、生まれ変わったら彼と再会出来ますようにって。」


「エミさん・・・。」


「アカリ、貴女とは明日でお別れだけど・・・・これだけは言っておくね。アカリがいつか必ず幸せになれる事を・・・私はこの島から祈ってるから・・・。」


「エミさん・・・。」


エミの優しい心に触れて、朱莉はいつしか目に涙を浮かべてエミにしがみ付いて泣いていた。


この島に来て、色々辛い事もあったけど・・・やっぱりここへ来て良かったと朱莉は初めて思うのだった。




 そして翌朝—


朱莉はエミに見送られ、明日香と翔の乗る同じ便の飛行機に搭乗し、モルディブに別れを告げた—。







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