第二幕 夢と、居場所と、三匹の子トラ その2

「ごめんくださーいっ!」

 大きな建物全体に響き渡るかのような声量で、が叫んだ。まるで道場破りだ。

「…………(おろおろ)」

「……さん。他の患者さんにご迷惑ですから、病院の前で大きな声は……」

「あ! そ、そっか、そうだよね。ごめんなさいトラせんせー」

 しおしおと縮こまって小声になっていく様が、叱られた子犬のようだ。

「平気よ。今日は休診日だから」

 病院名の下の「休診日:木曜・日曜・祝日」の文字を指差す。そこに併記された診療科目は、外科、内科、小児科、耳鼻咽喉科。

「ま、休診日じゃなくても大して人こないけど。見ての通りのボロ病院だしね」

「い……いえいえ。大変趣があっていいと思いますよ」

「無理してフォローしなくてもいいから」

「そっ、そんなことは決して」

「まったく。心にもないこと言えないあたりも、なんか子供っぽいわよね、先生って」

 褒めてるんだか貶してるんだかいまいち判断に困る評価を下される。

「ところで、さん」

「なに? ……ていうか、完全に『さん』って呼ぶ方針にしたのね」

「はい。三人の扱いに、特別差異をつけるつもりはありませんから」

「ふ、ふうん? あっそ」

 そっぽを向いて髪先くるくる、唇むにゅむにゅ、視線すいむすいむ。

 わかとらからすれば、彼女の方こそ子供っぽくてわかりやすい。

「それで、何の話?」

「例の、本当に僕からご家族にしなくてよろしいのですか?」

 ああそのこと、と事もなげに返し、はカラリと笑って続けた。

「もう何から何まで助けてもらっちゃってるじゃない。これくらい私にさせなさいよ」

「しかし、これは僕の都合で……」

「何言ってんの。私たちの都合でしょ」

 ずいと詰め寄り、上目遣いで見つめるの瞳に、思わずたじろぐ。

「それに、一度ちゃんと話しておかなきゃって思ってたし……ちょうどいいのよ」

 ガラス扉の向こう、明かりの無い院内を見つめる。

 頑なに見えるその佇まいには、ほんのわずかな不安が見て取れた。

「…………まっ、くら……」

「むむむ。どうやって入ろっか?」

 と二人、自動ドアの前に並んでぴょこぴょこと交互に跳んでいるが、センサーの電源を落としているのか反応がない。

「反対側に勝手口があるけど、まずは緋音さんが駐車場から戻ってくるのを待っ……」

 言いかけたの言葉を遮って。


「おう、そこのおチビ達。今日は病院やってねえぞ」


 ドスの利いた低い声が、視界の外から飛び込んできた。

 振り向くと、そこにいたのは大柄な男性。口と顎に短く整えた髭、こめかみに派手な傷跡、サングラス越しでもわかる鋭い目つき。一目でわかるおっかないお兄さんだった。

 かすみは飛び跳ねるようにの背後に隠れ、ガタガタと小動物のように怯えている。緊張した空気の中、男は一歩、二歩とこちらに近づき……、

「……って、あん? じゃねえか。おかえり」

「ただいま、

 ああ、なあんだ。お父さんかあ。

「……ええっ!?」

 弛緩しかけた場の空気に突っ込むように、思わず驚きの声を上げた。

 の父親ということは、医者で、ここの院長だ。その先入観のまま何となく想像していた「町医者&一児の父」像から、目の前の男性はあまりにもかけ離れていた。

 しかし似てな……くもない。むしろ意識すればするほど、目つきの鋭さやら堂々とした佇まいやら、そっくりな箇所ばかりが目についてくる。

「ま、初めての人はいつもこうやって驚くわなあ」

「お父さんの見た目が怖いってだけでしょ。……っていうか」

 じろり、と親譲りの鋭い視線が父の口元を突き刺す。

「いつから禁煙やめたんですかぁ」

「……いや、まだ火つけてねえから。アレだよ。ちょーっと口寂しかっただけだよ」

「だったらのど飴でも舐めてなさいってのよ。そもそもお医者様が病院のすぐ外で堂々とタバコ吸ってんじゃないわよ、イメージ最悪でしょ」

「あっ、それはお前、喫煙者差別だろうが! 俺だってなぁ、休診日でもちゃんと子供とか来てねえタイミング狙ってんだぞ!」

「来てんでしょ! 子供! 今!」

 びしっ、と手を向けられたが、怖がる素振りなど微塵も見せずににっこりと笑った。

「おはよーございますっ!」

「……………………はい、オハヨーゴザイマス」

 観念したのか、火のついていないタバコを口から外し、携帯灰皿に押し込む。

「ともかく大概にしなさいよね、医者の不養生なんてシャレになんないんだから。大体この間だって……」

 くどくどとお説教を始めたの背中を挟んで、お父さんの情けない視線がわかとらたちに「たすけてくれ~」と訴えていた。

「あ、あの、さん……?」

「はっ……ご、ごめんなさい、見苦しいところを見せたわね……」

 んんっ、と咳払いひとつで仕切り直す。

「改めて紹介するわ。こちら、父です」

びやくだんむらまさ、ここの院長だ。気軽に院長って呼んでくれや」

 サングラスを外して名乗った院長の、凛とした目つきと歯を見せる笑顔は、やはりとそっくりだった。第一印象の怖さに慣れればかなりイケメンなおじ様だ。

「はじめましてっ! とうじようですっ!」

「…………(おどおど)」

「んー、みーちゃんちょっと緊張しちゃってるみたい。ごめんね?」

「…………(びくびく)」

「お、おう。こっちこそおっかねえツラでビビらせてごめんな、おチビ」

 強めの口調から人の好さが滲み出ているところまでと瓜二つだ。

「で、そちらのオニーサンは。うちの娘とは接点無さそうだが……」

 じろりと見定めるような視線。白衣でも着ていれば医療関係者と伝わったかもしれないが、あいにくわかとらは普段着である。

「初めまして、ひなわかとらと申します。この度、娘さんの先生を務めさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします」

「あん? 先生……? 教師にしちゃ、随分若く見えるが?」

「竜医の先生です。元竜医で。さんの勉強を、見させていただく、ことに……」

 言いながら、院長の視線がへと移っていることに気づいたわかとらは言葉を止めた。

「……。お前、養成学校は退学クビになったんだったよな?」

 真剣な声音で問い詰められたが、決まり悪そうに目を泳がせる。

「学校とは関係ないわ。私たちが個人的にお願いしたの」

「初耳だ。昨日もそれで出かけてたのか?」

「そうよ。緋音さんの紹介で、先生の家にお邪魔して、そこで色々あって」

「そういう話を、何でもっとお父さんにしてくれねェんだ。寂しいぜ。泣いちまうぜ」

「ウッザ」

「やめろォ。そういうガチめの拒絶はやめろォ」

「ふん。話してなかったのは、その……ちゃ、ちゃんと決まるまでは余計な心配かけたくなかったから黙ってただけよ。悪い?」

「いや悪くない。むしろ良いぞ。ウチの娘が素直じゃない可愛い、大変良い」

「ウッッッッザ」

「やめろォ」

 遠慮のない親子のやり取りにまたしても置いてけぼりにされていると、視界の端にふわふわ歩く影が映り込んだ。緋音が戻ってきたらしい。

 わかとらの視線を追ってその姿に気づいた院長は、にかっと笑い。

「ま、立ち話もなんだ。中でゆっくり、麦茶でも飲みながら話そうや」

 一同を、びやくだん家へと招き入れるのだった。

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