第二幕 夢と、居場所と、三匹の子トラ その3

 かろん。

 グラスの中を氷が転がる、軽やかで涼しげな音。

 病院内の応接室ではなく、院長とが住んでいる居住スペースに案内され、よく冷えた麦茶を出してもらう。たちがロングソファに並んで座り、硝子のテーブルを挟んで向かいの二人掛けにわかとらと緋音、誕生日席の位置に院長でテーブルを囲む形となった。

「そうだ、おチビ達。アイスもあるぞ、食うか?」

「アイスっ!」

 一瞬、目を輝かせただったが、現時刻を思い出し鋼の心で踏みとどまる。

「お、お昼前だから、ゴエンリョしますっ……! お昼ごはん入らなくなっちゃうので!」

 の旺盛な食欲を思うと、アイス程度は何の障害にもならなそうだったが、きちんと自制ができるのはいいことだ。

「おう、そうか。じゃ昼もウチで食ってけ」

「えっ」

 至極当たり前のようにさらりと言ってのけた提案に、わかとらは面食らう。

「その、いいんでしょうか……?」

「遠慮すんなって、

 わかとらだからなのか若いからなのか、そんな二秒で思いついたようなあだ名で呼ばれる。

もそれでいいだろ?」

「ええ、そのつもりだったわよ」

「……では、お言葉に甘えます。ありがとうございます」

 わかとら一人ならきっと遠慮していた場面。だが、かすみと一緒の食卓の方がいいだろう。そう考えて厚意を受けることにした。

「それじゃ~、わたしもお昼の準備、お手伝いしますよ~」

 ぽやんとした緋音の笑顔が、一同へと伝播する。

「おー、よろしく頼むわ、緋音ちゃん」

「おまかせください~」

「……あれっ? いんちょー、あかねぇと知り合いだったの?」

「ふふっ。わたし、何度かここにお邪魔したこともあるんだよ~」

 わかとらも知らない事実だった。

 聞けば、かれこれ一年以上前。学生が一人、養成学校を退学になったという噂を仕事仲間づてに知り、自分に何かできることはないかとその学生の家を訪ね、と知り合ったのだという。のちに同じ経緯で知り合ったかすみと引き合わせ、彼女たちが竜医になるための方法を探し回っていたそうだ。

 そんな事情さえ、かつてのわかとらの前ではおくびにも出さなかったのだから、わかとらが緋音にかけていた心配の大きさは計り知れなかった。

「ま、俺はただの友達だって聞かされてたんだがな。まさか一緒になって、竜医の先生を探してたとは思いもよらなかったぜ」

「だ、だから、ちゃんと決まったら話そうと思ってたのよ!」

「いや、言われなかったから思いもよらなかったワケじゃねえよ。竜医に向いてねえって言われて退学になったって聞いた時。お前はもう……諦めたもんだと思ってたからな」

 重く、低く、ずしんと響くような声音に、思わずどきりとする。

「……その時は、確かに諦めてたかもしれないわ」

 強く反発するかと思っていたわかとらは、その一言に驚いた。

「でも、かすみに会って。私よりずっと小さいこの子たちが、私と同じような状況でも諦めないで頑張ってるの見て。私だけがみっともなく挫けてらんないって思ったのよ」

 三人が、言葉も交わさずに見つめ合い、揃ってふわりと笑う。

 最初から備わっていたわけではない。の不屈の心は、諦めない勇気は。かすみに分けてもらったものだったのだ。

「いい仲間じゃねえか。大事にしろよ」

「言われなくてもそうしてるわよ」

 隣に座るかすみを、両腕でぎゅっと抱き寄せる。

「えへへっ。大事にされてまーすっ」

「…………(にこにこ)」

 仲良きことは美しき哉。和やかな光景に、わかとらの頬も自然と緩む。

「で、実際のとこどうなんだ若先生。娘は、は本当に竜医になれるのか?」

「……!? ど、どういう意味よ」

「ん。……ああ聞き方が悪かったか。の方を聞いたんだ。養成学校以外に竜医になる方法があるっつーのも、俺ァ初耳だったしな」

「あ……、そのことについて、お父さん。ひとつお願いがあるの」

「おう、何だ。言ってみろ」

 大きく深呼吸して、は「お願い」を口にした。

「……うちの病院に、竜医科を新設してほしい」

 これが、わかとらたちの導き出した最短の結論だった。

 スサノオ医院には竜医科がない。

 なければ、

 竜医科を作って、そこに候補生として所属すれば、認定試験の受験資格を得ることができる。それに、新しく作った竜医科なら、星京のしがらみなど最初から関係ない。

「……あァ?」

 しかし、それを聞いた院長の反応は芳しくないものだった。

 威圧的なドスの利いた声に、かすみがまたびくんと反応して涙目になる。

「ウチに、竜医科だァ……? 何でだよ」

「……竜医の認定試験を受けるには、養成学校を出るか、どこかの病院の竜医科に所属して指導を受ける必要があるのよ」

「何でわざわざウチなんだよ。どっかの、竜医科がある別の病院でいいだろうが」

「一度養成学校を退学になったから、よそで受け入れてもらえる見込みが薄いの」

「……っ、はぁ」

 こめかみに手を当て、院長は大きく長い溜め息をついた。

「竜医科を作るってことは、何か。ウチで竜を診るってのか。来んのか、竜がウチに」

「あ、あの……何か問題が……?」

 難色を示す院長にわかとらが尋ねると、返ってきたのは衝撃的な発言だった。

「俺ァな。竜が嫌いなんだよ」

「……は、い?」

 わかとらは耳を疑った。

 竜が嫌い? そんな人類いるのか?

 だってあんなに可愛くて、カッコよくて、つぶらな瞳で、力持ちで、ゴツゴツした鱗があったり、モフモフの毛皮があったり、大きな翼で空を飛べたり、魚よりも速く海を泳げたり、火を吐けたり、電気を発したり、水を凍らせたり、大きな花を咲かせたり、鉄を食べたり、子供を乗せて走ったり、瓦礫を突き崩したり、重いものを運んだり、溺れる人を助けたり、人間の生活を支えてもくれる、不思議で魅力的な生き物なのに?

 人間は皆、その生態の多様性に心惹かれ、人間にない超自然的で強大な力の数々に憧れるものだと信じ切っていたわかとらは、院長のような人がこの世に存在していることを十九年の人生で初めて知った。

「俺だけじゃねえ。おやっさん……先代の院長も、昔っから竜が嫌いでな」

「……もしかして、この病院に竜医科がないのは……」

「おう、それが理由だ」

 三十余年前、初めて竜という生物が発見され、竜医という職業が確立されて、世間は空前の竜医ブームに見舞われた。全国各地の病院がこぞって竜医科を設立し、養成学校を出た子供たちを片っ端から受け入れてもまだまだ人手が足りなかったために、候補生制度が運用されることになったほどだ。

「ま、そのブームに乗り遅れちまったせいで、ご覧の通りのオンボロ病院なわけだが……それはそれ、これはこれだ」

 重々しく語る院長の様子を見て、わかとらは見込み薄だと思ってしまった。

 何せ、竜が嫌いという価値観はわかとらには理解できない。説得のしようがない。

「……で、。お前は、そんなジイさんや父親の意向も一切合切無視してまで、ウチに竜医科を作って、竜医になりてえと。そういうワケか?」

「ええ。なるわ」

 間髪入れず、はそう言い切った。

 しばらく沈黙が流れる。真剣な表情で見つめ合う父と娘を、わかとらや緋音がはらはらと見守る中、だけが全ての結果をわかっているようにずっとにこにこと笑っていた。

「うし、わかった」

「……えっ?」

「手続きの準備すっから待ってろ。えーと、確か役所からもらったマニュアルが診察室むこうの方にあったな……」

「あ、あの、いいの、お父さん?」

「あん? 作れっつうから聞いたんだぞ。いらねえならやめるが」

「い、いる! いるから!」

「おう。素直でよろしい」

 慌てふためくに、院長はにかっと笑いかけた。

 わかとらも困惑しつつ立ち上がり、頭を下げて感謝を述べる。

「あ、ありがとうございます……けど本当に、よろしいんですか」

「何だよ若先生、アンタまで」

「だって。竜、お嫌いなんでしょう」

「おう、嫌いだぜ。……けどなぁ」

 ごつごつした大きな手が、の頭にぽんと置かれた。

「娘とその友達が困ってんのを、テメエの好き嫌いで見過ごすような大人は、もっと嫌いなんだよ」

「……何よ、カッコつけて……」

 頭を撫でられてむずがゆそうに身を捩るの顔と、照れくさそうに苦笑いする院長の顔。苦笑ひとつとってもそっくりの親子だった。

「えへへっ、ありがとーございますっ、いんちょー!」

「…………(ぺこっ)」

 かすみわかとらに倣い、立ち上がってお辞儀をする。

 ともあれこれで、第一の壁は突破できた。

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